播磨の国ブログ検索

パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2026年9月28日月曜日

(一時的)アナログな生活

 金曜日、タイガースがベイスターズに敗れたのを見届けて(21時過ぎでした)、さあ寝ようっと布団に入りしばらくしての事です。ウルちゃんが枕を占領していたので自分の左腕を後ろに曲げて枕にして窮屈な姿勢で寝ていたら、急に左胸から左肩、背中に掛けて引きつるような激しい痛みに襲われました。しばらくその痛みに耐え、体が少し動かせるようになったので、恐る恐る妻がいる居間に移動して、そこで横たわりました。

私を見た妻がびっくりして、姫はりに電話を入れてくれましたが、急患の術中で姫はりでは対応ができないため救急を要請するよう勧められまして、あたらめて119に電話して救急車を要請しました。

救急車が到着したのは0時前でした。その時点では痛みはだいぶ和らいできていました。救急隊員が急患受け容れ病院を探し、加古川中央市民病院が受け入れ要請に応えてくれました。家からだとだいたい20~30分ほどの距離です。

寝台のまま夜間救急科に運ばれた時には痛みの症状はほとんど感じなくなっていましたが、血液検査で心筋のダメージを計る酵素やタンパク質が上昇していたことから心筋梗塞が疑われ、カテーテル術で精密検査を受けることになりました。

カテーテル術が終わったのは4時15分頃でした。症状として、心筋梗塞には至らなかったものの左冠動脈の一本が収縮していて、冠れん縮性狭心症と診断を受けて、そのまま4階のICUの一室に運ばれました。そこから日曜日の9時半までの約28時間、アナログな生活となりました。ICUでは、携帯電話の使用は禁止で、導尿カテーテルや点滴に繋がれて夕方までベッドから身動きできない状況に置かれました。

午後の血液検査でようやく心筋のダメージを計る酵素やタンパク質が減少に転じたため、導尿カテーテルから解放され、夕方には明朝の退院が主治医から示されて安堵しました。

主治医は、私の症状のメカニズムについて丁寧に説明をしてくれました。

夜や早朝など安静時に起こる冠れん縮性狭心症は、予防としての薬物療法しかないこと、また冠れん縮性狭心症によって心臓自体が酸欠状態におちいり、致死的な心室細動を引き起こす恐れがあるという事を説明してくれました。私は2016年7月に心室細動で蘇生処置を施され、翌月に除細動器を埋め込みました。その後も2020年2月までに4回除細動器が作動し機械に命が救われました。2020年2月にアブレーション術を受けて、その後これまで除細動器が作動することも狭心症の症状も出ることはありませんでしたので、すっかり自分が持病を抱えている事を忘れていました。

でも、一度起これば、これからも起こると、更に用心して生活していこうと思います。

金曜日は、朝ドラ『風、薫る』の最終回でしたね。主人公のモデルとなったトレインドナースたちの奮闘が、現在の看護師たちにしっかりと受け継がれていることを、短い入院生活の中で、あたらめて実感した次第です。

P.S.

なぜにアナログと表現したのかには理由があります。木曜日に配信で2023年公開の日本映画『アナログ』を観たからです。携帯電話を持たない可憐な女性に恋をした気の良い男の純愛をユーモラスに描いた、どこか往年のフランス映画の香りをまとった、一言でいうなら宝物の様な素敵な映画作品でした。

私と言えば、たった一日でしたが、まったく自由に外部と連絡が取れない状況が不安でしかありませんでした。我ながらすっかりデジタルに毒されているなぁと実感した次第であります。

2026年5月20日水曜日

太陽の塔

先週、妻が学生時代の友達グループでニフレルに出かけました。

その時

1970年大阪万博の象徴”太陽の塔”を写して送ってくれました。

端っこに何故か2025年大阪万博のキャラクターもいました。

50年の時を経て

私たちはもう

未来への憧れも

文化の壮大な創造力も

失せてしまったのかなぁ


50年まえに見た

太陽の塔

いまも

風景に溶け込んで

畏敬さえ

覚えます

2025年11月21日金曜日

ザイアス博士

 三年前の深秋から、髭を伸ばすことにしました。但し、ひげ面の寿命は早春までとしています。今年も11月に入って伸ばし始めています。なかなかサンタクロースの様にはなれません。但、嬉しいこともありました。ひげ面の頃に、志方町にあるとっても美味しいアメリカン風なハンバーガーが食べられるROUTE65を訪問すると、ご主人から「宮崎駿さんに似てる」と言われ、以後、何となく顔を覚えて頂いたことです。また、この冬も、美味しいハンバーガー頂きにROUTE65に行かないと、と思っています。

そんな先日のある日の事、いつものように早朝に目覚め、目覚めの歯磨きを行っていて、ふと鏡を覗くと、そこに映る顔は、どう見ても宮崎駿監督ではありません。目をこらして眺めていると、ハッと思い出しました。チャールトン・ヘストンが主演した1968年の映画「猿の惑星」に登場するザイアス博士のお顔をです……


2019年8月24日土曜日

この夏の記憶 その1 猿が出た

今年は梅雨入りが例年にないほどに遅かったですね。気象庁の発表では、近畿地方の梅雨入りは例年より19日遅い6月26日(水)ごろと発表されました。(梅雨明けも例年より3日遅い7月24日(水)ごろと発表されました。)

その梅雨の最中の出来事でした。
我が町北浜町で、何度も猿の目撃報告と注意を促す防災放送が流れました。
そして、あれは7月13日(土)の夕方の事でした。ちょうど小雨降る裏庭の風景を眺めていた家族の目に、裏庭の向こうの西浜川のフェンスの上を器用に伝い歩きしながら北へと進む猿の姿が目に飛び込んできました。家族の「猿が出た」という高揚した叫び声が二階にいた私の耳に届きました。その時、猿を目撃したのは一階にいた家族とウルちゃんでした。ウルちゃんもテレビ台の上に乗って窓に手をかけ立ち見で外を凝視していました。

一本松連中にLINEで一報を書き込むと、すぐにぼーさんから「家の裏の畑の野菜がやられた様子」、またカズヤから「牛谷も出た」と追記の書き込みがありました。
でも私自身、まだ猿は見ておらず、取り残された様な気分でした。

そして翌日、庭で草引きをしていると、また猿が出たとの町内放送があり、ふと見ると同じように掃除をしていたのであろうと見える同じ隣保の一本松連中たかちゅんが川向こうで小学校の方に歩きながら、何やらニコニコしています。見ると小学校の方から市民の通報を受けてパトロールをしていた警官がこちらに向かっていました。その後で、高砂市のの危機管理部の職員もやって来ました。近所のFおっちゃんも自転車に乗って来ました。猿の出没騒動で、不謹慎かもしれませんが、私は野生猿と遭遇するかもしれないという、何というか心がざわめく気持ちになっていました。

たかちゅんと二人で、危機管理部の職員に話を聞くと
ひとつきほど前に牛谷に大人の猿が一頭出没するようになり、しばらくして北脇、西浜を飛び越えて的形町にも出没するようになり、遂に北脇、西浜、そして大塩町に現れたという話でした。
また、猿の捕獲罠ですが、兵庫県には二台しかなく、その罠は先に出没した牛谷と的形に仕掛けているため、北浜町では人間がパトロールするしか今のところ術がないとのことでした。
また、この猿は八家にある森に生息している群れから離れた猿ではないか、ということでした。
Fさんの話では小猿を見たという話もあって、いま追っている離れ猿とは別に親子猿がいるかもしれないという話も出ました。
また猿は、放っておくとどんどん大胆な行動に出ているようで、大塩町の方では民家の軒を強く揺らす悪さをしていたという話も聞きました。

たかちゅんは、私の家の物干し竿を指さして、
「猿がまたフェンスに現れたら、お前がその物干し竿で川に突き落とせばええやんか」と笑いながら指図をします。
「そんなことできるわけないやろ」と言い返すと
「そしたら連中に応援頼めばいいやん」
「そんなんアテにならんやろ、離れてビールでも飲みながらはやしたてるんがオチやん」
と、まあしょうも話を一時してからお開きしました。

その翌日の事です。早朝、庭で水まきをしていると、隣家との境目のブロック塀を伝って猿が目の前に現れました。顔の真っ赤な、立派な野生のニホンザルでした。遂に猿とご対面を果たしたことで、思わず笑ってしまいました。そして猿に向けて放水すると、おずおずと後ろ向きに退場しました。後を追うと、もう姿はありませんでした。

それから、今日まで我が町で猿が再び出没したという話は聞きません。
あの猿はどこかに行ってしまったのか、仲間たちの元に戻っていたらな良いなあと思います。

2019年4月15日月曜日

享年百歳

4月12日(金)午後9時12分に、叔母は亡くなったそうです。
昨日、お別れに行きました。
享年百年、数えで百歳、満年齢では98歳でした。
遺影は、4年前に撮影されたものでした。4年前といえば、母が今年誕生日を迎えるとその年、94歳になります。
遺影の叔母は、穏やかに笑みを浮かべていました。そして棺の中の化粧した叔母も笑みを浮かべているようでした。とても綺麗でした。50歳も若く見えました。
その叔母の顔を見ながら、寂しいというより、やっとおじさんに再会できますね、内の父にも宜しく、と何やらその旅立ちを喜ぶというか、そんな気持ちでお別れをしました。

生前の叔母に会ったのはずいぶん前の事です。叔母が施設を利用する様になった最初の頃です。叔母はおじさんが亡くなる少し前あたりから呆け症状を発症し、おじさんが亡くなったのも分からなかったといいます。それから少しして施設を利用する様になりました。でも面会した時、私の顔を見てすぐに幼い頃から呼び続けられてきた愛称「のぶちゃん」と呼びかけてくれました。短い時間でしたが、取り留めの無い会話もしました。その時のことを思い出すと、切ない気持ちが湧いてきます。

母は八人兄弟の下から二番目でした。一番下に弟がいました。叔母は母の一つ前の姉でした。母の兄弟は、みんな旅立ちました。
母もすっかりぼけました。毎朝、起こしに行くと、「今日も宜しくお願いします」と丁寧に挨拶を返してくれます。そんなとき、母はいまどこにいるのだろう、と想像を巡らします。目を覚ましてもしんどい時など、「お母さん、調子が悪いから学校休む」ということもあります。あ、いま母は小学生の時代に戻っているのか、と想像します。
でも我に返るときもあります。その時に「お母さん、早く迎えに来て」とつぶやくときがあります。それを聞くと、生きるのが辛いのかと、とても苦しく思います。
叔母の訃報は、母には伝えないことにしました。伝えたとしても、分からないかも知れないし、たとえ分かったとしても明日まで覚えておくことが出来ません。でも一番の理由は、一時でも訃報に接して気落ちするかもしれない、そんな姿を見ることが忍びなかったからです。親不孝な息子です。

2018年7月13日金曜日

簡単・極旨・ヘルシーカレー 出来ました!

遂に家族から「美味しい~」や「当たりや~」の声が飛び出すカレーを作ることが出来ました。これまで様々な工夫を凝らしてカレーを作ってきましたが、まず「美味しい」の声を聞いたことがありません。
これまでは生半可な知識で時間と労ばかりを掛けて、足し算カレーを作っていたように思います。
発想の転換、時間と労を掛けないで作ってみたら、本当に美味しい、夏向きのとてもさっぱりと何倍でも食べられるカレーを作ることが出来ました。

それで、ここにレシピを残すことにしました。
家は家族が多いので、6人前です。

材料
・トマト 普通サイズのみずみずしいトマトを4~5個
・タマネギ 普通サイズ 2~3個
・ほうれん草 二束
・ニンニク 3~4片
・しょうが 大さじ2~3杯
・牛乳 400ml~500ml
・水 200ml
・カレーパウダー 大さじ4~5杯
・赤唐辛子 3~4個
・ブラックペッパー 小さじ1杯
・月桂樹の葉 二枚
・鶏ガラスープの素 大さじ1杯 ※これが隠し味

手順
1.ほうれん草を茹でる
2.トマト、タマネギ、茹でたほうれん草、ニンニク、しょうが、赤唐辛子等の材料を適当な大きさにカット
3.2と牛乳をミキサーに入れ、ドロドロスープを作る
4.3を深めのフライパンに入れ、月桂樹の葉を加えて煮る
5.灰汁を取り、表面から灰汁を取り終えたら、水を加えて火を落とす
6.カレーパウダー、ブラックペッパー、鶏ガラスープの素を加えて一煮立ちする。
これで完成

後はお好みの肉を加えて一煮立ちしてもいいし
唐揚げやとんかつなどをトッピングしたり
チーズやヨーグルトを加えて頂きます。
調理で油を一切使っていないので、さっぱりとした口当たりで、食がほんとに進みます。

2017年1月28日土曜日

季節外れの子持ち鮎、美味しかったです。

昨夕食は、家族からの「魚を食べたい!」というリクエストに応え・・・
もらい物で、しばらく冷凍庫にほっぽっていた子持ち鮎を焼きしました。
およその鮎料理とは縁遠い、
オリーブオイルとニンニク、ジンジャー+塩をまぶしてから、じっくり解凍した子持ち鮎を、フライパンで弱火でしっかり焼きました。
蒸らし焼きの後、オリーブオイルで焼き、最後はニンニク入りステーキソースで香りづけ、ふっくらとした焼き鮎が完成しました。
頭から、背骨だけ残して頂きました。家族にも好評でした。







2016年8月7日日曜日

日曜日の楽園

今日の午後は、院内の一番静かな場所で過ごしています。


ここは平日ならば一日中喧噪のたえないところ、一階の広い待合のエリアです。でも今日は日曜日、とても静かです。今朝はじめて院内を散策し見つけました。
中庭があるんですね、知りませんでした。
窓に近いベンチから手が届くサッシに鍵があって、開け放つと外気の生暖かい、でも心地よい風が流れ込んできます。中庭にある小さな鯉の池に止めどなく流れ落ちる水音、そして木々を照らす陽の光、日曜日にしか訪れる事が出来ない院内の楽園にいるのだなと実感します。
音楽プレーヤーを持ってきて良かったです。
大好きなカレンの歌声を聴きながら、しばらく読書を楽しみます。

2016年7月18日月曜日

再び奈良行です。

昨日は、天気予報では午後から雨。しかし播磨の国は朝から雨で、斑鳩の国で行われる午後からの試合は流れるのではないか・・・という不安の中で、出発しました。
安川さんにメールを入れると、「雨雲が近づいています」、続いて「じゃじゃ降りや!」、これじゃあ雨の奈良観光になりそうな・・・
そんな気持ちで名塩SAに立ち寄りガソリンを補給した時、エンジンが掛からないトラブル発生・・・、原因は電子キーの電池切れでした。でもガソリンスタンドのサービスマンの機転で、なんとかエンジンが掛かり、再出発できました。スタートボタンに電子キーからの電波を受けるセンサーがあって、0距離で操作するとセンサーが反応するという都市伝説を実践したと笑いながら話をされたサービスマンの皆さん、有り難うございました。電子キーは、大和高田の日産サービスステーションで電池を交換して貰いました。
そして11時過ぎ、橿原運動公園に着きました。曇天でしたが野球場に隣接する市民プールが大賑わいで公園内は人人人で溢れていました。
14時、第3試合の開始を待っていると、安川さんがチームへの差し入れを持ってわざわざ会いに来てくれました。五年ぶりの再会です。短い再会でしたが、安川さんの顔が見られてとても嬉しかったです。安川さん、私が「子供の試合」とメールしたものだから、子供を想定した差し入れを持って来てしまった、と話をしていましたが、試合が終わり、チームの皆さんから感謝の言葉を戴きましたよ。その感謝の言葉、そのまま安川さんに贈ります。

斑鳩の国は曇天で、生ぬるい風がじっとりとした湿気を運んできました。西方にそびえる葛城山も白い靄で全く見えず、いつ雨が降っきてもおかしくない天候でしたが、結果的に試合が終わるまで雨降りませんでした。
試合は、大阪ウィング硬式野球クラブの打棒が光り、神戸レールスターズは七回コールドで負けました。

2016年7月16日土曜日

わるい女

先日の事です。妻が保育園の子供たちに手品を見せるんやと手品の種本を借りてきました。
そして夏みかん二つとリンゴを一つ買ってきて、夏みかんの皮を剥いたらリンゴが出てきたあら不思議!という手品の種作りを始めました。その瞬間、妻に天然のスイッチが入ったんだと思います。
一個目の夏みかんをまんべんなく丁寧に剥いてから実を取り出し、その剥いた皮をリンゴに被せました。それは手品でも何でも無く、単にみかんの皮をリンゴに被せただけの代物でした。「アカンやろ」と批評してから、子供たちに見せる方は皮を剥かないで、見せない方をまるまる皮を剥いで手で隠せばエエンとちゃあうとアドバイスしました。そして、夏みかんの実を耕太郎と二人で戴きました。
妻はアドバイスを聞き入れて、二つ目のみかんの後ろ側の皮を剥ぎ取りリンゴを中に入れようとしますが、リンゴが大きくて入りません。どだい、みかんより大きいリンゴを買ってきて入るわけないやろ!と耕太郎と二人爆笑しました。それでも懲りない妻は、リンゴの代わりにキウイフルーツを入れる事を思い立ち、そして即席の手品ショーが始まりました。種も仕掛けもないみかんです。でも皮を剥くと・・・ハイ!あら不思議キウイです!
耕太郎と二人、内心大笑いしたい気持ちをかみ殺し、やればできるやんと拍手をしました。
気をよくした妻は、二つ目のみかんの実を皿に入れて持って来てから、二つ目の手品の種作りに取り掛かりました。コップを逆さにしても水が溢れないあら不思議!という手品です。危険を察した私は、外でやってと言い放ちみかんに手を伸ばしかけたその時です。
コタツのテーブルの上空で、妻が水を入れたコップに紙でフタをしながら「出来た!」と言ってコップを逆さにしました。確かに一瞬水は漏れずにいましたが、直ぐに噴き出しテーブルはびしょ濡れ、私も水に濡れました。先ほどまでの楽しい気持ちは一瞬に吹き飛んで、もはやお前に掛ける言葉など無いという呆れ顔で妻を眺めた次第です。
でもしばらくして・・・因果は巡るものだなぁと思った次第です。
夏は心の鍵を甘くするわ、ご用心・・・ねえ皆さん、気をつけて!

わるい男

二十歳頃の、ずいぶん昔の話です。
夏の事です。友達数名と竹野辺りへキャンプに出かけました。 海の傍でテントを張ってから、イチャさんと二人で何かを探しに海の家や民宿の界隈をぶらつきました。
そこで薪の束が結束されて積み上げているのを見つけました。その瞬間、おちょけのスイッチが入ったんだと思います。
その薪を束ねている紐が、きっと捜し物か代用にできる品物だったのでしょう。紐くらいなら失敬しても構わないだろうとその場に座り込み、手で引きちぎろうと悪戦苦闘を始めました。イチャさんは「それはアカンやろう」と呆れながらその光景を見ていたと思います。
しばらくして、ふと頭をもたげると目の前に店の女の子が立っていました。じっとこちらを見つめています。気まずい空気が流れた瞬間です、座って紐を握りしめながら
「イチャコ!そんなことしたらアカンやろが!」と一言吠えて立ち上がり、イチャさんと振り向きもせずに足早にその場を後にしました。
イチャさんは「コ~!」を連呼し、もはやお前に掛ける言葉など無いという呆れ顔で歩いています。私はと言うと「まるで吉本見たいやったなぁ」と内心ほくそ笑みながら、イチャさんに平謝りを続けていたように思います。
今でも酒の席になると、イチャさんから「お前は人でなしや!」と嫌みを言われます。
夏は心の鍵を甘くするわ、ご用心・・・ねえ皆さん、気をつけて!

2016年6月21日火曜日

とらとらロール

学祭の運営で泊まり込みだった娘が昨夜帰ってきました。
寝ている私は、ロールケーキ買ってきたから食べ~と起こされ
頂きました。美味しかったです。アリガトウ



2016年5月15日日曜日

CorelDrawで、デザイン制作の練習を始めました。

平成23年10月22日(土)に記した「スティーブ・ジョブスのセンス」というタイトルの記事でも触れましたが、1996年6月のある日にプレゼントされたCorelPhotoPaintが、私が写真のコラージュ制作にはまっていく切っ掛けとなりました。

記事タイトル:スティーブ・ジョブスのセンス
https://harimanokuni2007.blogspot.jp/2011/10/blog-post_22.html

あれから20年を迎えます。写真のコラージュを制作するのに用いるソフトウェアCorelPhotoPaintは、だいぶ熟れて使えるようになりました。1990年代の後半は、デジタルカメラの雑誌デジキャパ!が創刊されて、その中で開催されるフォトコンテスト、コラージュ作品コンテストでよく腕試しをしました。何回か賞を戴き、作品が雑誌に掲載された事もありました。当時コンテストの審査員をされていたプロカメラマン安孫子卓郎さんとは後年Facebookで再会し、現在はFacebookの友人として繋がりを持たせて戴いています。

当初、CorelPhotoPaintとCorelDrawは別々のソフトウェアとして販売されていましたが、何度目かのバージョンアップからGraphicSuiteとして統合されまして、CorelDrawも使える環境となりました。ちなみにCorelのGraphic制作ソフトは、当時からGraphic制作ソフトの主流であったAdobePhotoshop/illustratorがまだAppleコンピュータ上でしか使えなかった頃から、Windows専用のGraphic制作ソフトとして提供されていました。
CorelPhotoPaintは、AdobePhotoshopと同種の画像データ(ラスタ画像)を編集加工するソフトウェアで、CorelDrawは、Adobeillustratorと同種の線と点で構成されるイラスト(ベクタ画像)を制作、編集加工するソフトウェアです。

CorelDrawは、これまでドキュメントのレイアウトを制作するためには使っていましたが、イラストを制作するというチャレンジはまじめにトライはしてきませんでした。でもある人からクラウドワークスという仕事紹介サイトを教えて貰い、数多くのフリーランスが仕事を求め仕事に励んでいる事を知りました。今、私がこのサイトでできる事といえば、カメラ撮影か写真加工、その他簡単なWebサイト制作です。折角CorelDrawが使える環境があるのだからと、それから仕事に対応できる間口を広げる為にイラスト制作を一から学び始める事にしました。
でも、使っているCorelDrawはずいぶん前のバージョンで、マニュアルもいつの間にか処分してしまっていたために、テキストがありません。それで本屋や図書館を巡りましたがCorelの教本は一冊も見つかりません。それではと、図書館でAdobeillustratorの教本を借りました。そしてillustratorで制作するイラストの操作手順を、試行錯誤しながらCorelDrawの操作手順に焼き直しイラスト制作を行う事にしました。難しいですが、でも常に発見する事ばかりで、楽しんで学んでいます。
今、「IllustratorJapanMethod」という和のイラスト制作教本をテキストにして、イラスト制作を学んでいます。試行錯誤の上、一つのイラストが出来上がるのが楽しくて続けています。



2016年4月24日日曜日

あれをあれする!?

もはや家では当たり前に使っている言葉ですが・・・
つい外で口を衝いて出てしまいました。

唇が荒れ出したのでドラッグストアーに薬を買いに行き、レジの店員さんに
「唇が荒れて・・・、あれをあれする薬下さい」思わず言ってしまいました。
あれをあれする???と聞き返されても返答できず
あっリップクリームですね?と店員さんの機転で売り場まで案内して貰いました。
すいません、すぐにわからず・・・と失笑を押さえつつ謝られる店員さんに、苦笑いで応えるしかありませんでした。
あー恥ずかし、でした。

2016年2月25日木曜日

道路緊急ダイヤル#9910

昨日の夕方、姫路バイパスを加古川から姫路別所に向かって走っていますと、高砂西ランプとの合流地点手前で車線をまたぐように鉄骨の角材が落ちているのが見えました。前方を走るトラックは、角材を避けるためにハンドルを切り、車体が大きく揺れました。
これは事故になる、そう思って妻が通報しようとしましたが、直ぐには連絡先が分かりませんでした。
家に帰ってパソコンで検索し、道路緊急ダイヤルを見つけました。
”#9910”
です。
音声案内に従って番号を入力(姫路バイパスは一般道路と思ったので”4”を入力)するとすぐにオペレーターに繋がり、落下物情報を通報しました。

この道路緊急ダイヤル#9910は
・落下物
・逆走車
・道路の穴
・道路の亀裂
・路面がオイルなどで汚れている
・路肩が崩壊している
・冠水
・ガードレールの損傷
・標識の損傷
・動物の死骸
などを発見した時に通報するための緊急ダイヤルです。

事故を未然に防ぐためにも、是非覚えておきたいダイヤルです。

2015年11月27日金曜日

冬の朝

まだ真っ暗な早朝に外に出ました。
外はとても静かでした。
微風さえなく空気はとても澄んでいて
西の空に輝く満月の光りで
街角の影がくっきりと地面に描かれていました。

私の影は二つありました。
一つは満月が描いた東に短く伸びるくっきりとした影
もう一つは東側で地面を照らすLED照明の外灯が描いた
西に長く伸びるぼやけた影

満月の光りの方か強いんや
はたっとそんなたわいのない事に喜んだ
冬の朝でした。

2015年10月27日火曜日

「躾が出来ていない」事の考察

私の子供は、躾が全く出来ていない。
躾が全く出来ていないのは、私が躾をちゃんと指導出来ていないからだ。
躾をちゃんと指導出来ないのは、私がちゃんした躾が出来ていないからだ。

でも、私がちゃんした躾が出来ていないからといって、
子供に躾を指導できない理由にはならない。
ただ、やらなかったと言う事なのだと思う。
何もさせなかったりとか、
先回りして、する必要を与えなかったりとか、
でも一番は、本当に大切な事に私が気が付かなかったからだと思う。

でも、躾を身に付けるのに、遅い早いはない。
「マイフェアレディ」の例がある。
大事な事は、躾が如何に人間としての素養を高めてくれるものであるかに気付くことだ。
そのためには、
愚直に
目に付いたとき、直ぐに指導を入れる。
出来るまで、やはり直ぐに指導を入れる。
と同時に
何故に躾が(美しい所作が)、出来なければいけないか、指導する者も学び続けなければいけないし
また指導する者も、いつも出来る様に修練し続けなければいけないのだと思う。

だから、子供たちへ
一緒に躾を、美しい所作を身に着ける努力をしようではないか。

2015年10月3日土曜日

兄の葬儀が終わって数日が立ちました。

長い闘病生活からようやく解放される兄の事で感傷に浸るよりも、残される兄の子らに大した事などできないけれど、彼らを見守りたいという気持ちだけでこの数週間、いました。
そして一緒に兄の最期に立ち会い、葬儀を過ごしました。
通夜の晩は、兄の子らと姉と私の息子を合わせた六名で、兄の柩を守りました。
不謹慎かもしれませんが、兄の子らが葬儀に使うBGM曲を選曲するために数枚の昭和歌謡のCDを借りてきていましたので、少量のアルコールの力も借りて、無理矢理カラオケ大会を始めました。でも始めて見ると、それはとてもみんなの気持ちが弾けた、笑いの絶えない時間となりました。また、あまりの下手な歌声と、歌詞の一節を拾い上げて兄の人生を語り合う様子を見て、兄が怒鳴り起きはしないかという期待と不安がないまぜの時間ともなりました。

しかし、昨日今日は感傷に引き込まれる事になりました。
昨日は、葬儀にお呼びできなかった兄の親友に手紙を書きました。手紙の中で、兄の最後の様子を振り返ることになりました。
また今日は、私の連中に喪中となったため祭には寄れない旨の電話を入れました。連中が掛けてくれる言葉は分かっていました。篤い言葉です。実は、その言葉こそ聞くのが嫌でした。一気に悲しみが込み上げてくるのが分かっていたからです。


2015年9月30日水曜日

六甲モバイルカレー、頂きました。

先週、先端医療センター病院で甥っ子が買ってきてくれた六甲モバイルカレーを頂きました。移動販売でカレー弁当を売ってるということで、昼頃いそいそと出かけて買ってきてくれました。二種類のカレーがありました。
一つはトマト色のキチンカレー、もう一つは白いグリーンカレー?でした。
みんなトマトキチンカレーを一皿ずつ頂きました。スパイスが頃よく効いて、また玄米ご飯のプチプチ感が食欲をそそりまして、ぺろりと平らげました。
そして白いグリーンカレー?が残りました。味見をしたいと一皿だけ買ってきていた様子です。でも甥っ子も姪っ子も一口嘗めて味見は終わりでした。「おっちゃんなら食べれるやろ?」という事で、二杯目に進もうとしましたが、白いグリーンカレー?とてもミルク味が強いのです。冷たい牛乳は大好きですが、温かい、とうか熱いミルクはあまり得意でありませんので、やむなく味見で終えました。
そのグリーンカレー、姉が持って帰りました。

グリーンカレー、色もグリーンだったら良かったかな、と思います。

ラーメンたろうのまかないセット、美味しゅうございました。

一昨日、昼もだいぶ過ぎてからふらりとラーメンらろうに入りました。
店先に掲げられた「まかないセット」に目を奪われたのです。
店に入ると長いカウンター席には、先客が3名いました。
カウンター奧の席に座ると、すぐに水の入ったコップと小さなバケツに一杯入ったキムチが目の前に置かれました。間髪入れずに「まかないセット」を注文すると、現在サービスタイムですので麺を大盛りにできますがどうされますか?と聞かれ、お願いしますと応えました。順番に自分が注文した料理が運ばれるのを待っていると、入り口側に座っていた先客が、サービスタイム中は餃子が一皿ついてくると書いてあるけど?と店の人に尋ねているのが聞こえます。すいません、直ぐに持って来ます。と言ってから、こちらの方にも、餃子一皿付きますがどうされますか?と聞かれたので、お願いしますと応えました。
そして、私の注文した料理が目の前に運ばれました。
チャーシューをまぶしたご飯と大盛りこってりラーメンが置かれます。続いて餃子も一皿置かれます。なんか、思いっきり得した気持ちになりました。料理美味しかったです。でも、ちょっぴり腹に堪えました。55が食らえる量ではありませんでした。