播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年10月27日火曜日

「躾が出来ていない」事の考察

私の子供は、躾が全く出来ていない。
躾が全く出来ていないのは、私が躾をちゃんと指導出来ていないからだ。
躾をちゃんと指導出来ないのは、私がちゃんした躾が出来ていないからだ。

でも、私がちゃんした躾が出来ていないからといって、
子供に躾を指導できない理由にはならない。
ただ、やらなかったと言う事なのだと思う。
何もさせなかったりとか、
先回りして、する必要を与えなかったりとか、
でも一番は、本当に大切な事に私が気が付かなかったからだと思う。

でも、躾を身に付けるのに、遅い早いはない。
「マイフェアレディ」の例がある。
大事な事は、躾が如何に人間としての素養を高めてくれるものであるかに気付くことだ。
そのためには、
愚直に
目に付いたとき、直ぐに指導を入れる。
出来るまで、やはり直ぐに指導を入れる。
と同時に
何故に躾が(美しい所作が)、出来なければいけないか、指導する者も学び続けなければいけないし
また指導する者も、いつも出来る様に修練し続けなければいけないのだと思う。

だから、子供たちへ
一緒に躾を、美しい所作を身に着ける努力をしようではないか。

0 件のコメント:

コメントを投稿