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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年10月27日火曜日

世界一貧しい国・・・それはニッポン!?

先日、図書館で「貧しい国」で検索したらヒットした
谷本真由美著「日本が世界一『貧しい』国である件について」というエッセーを読んでいます。
著者は、日本と欧米を股に掛けて最先端ビジネスであるIT関連のコンサルティングに従事し、欧米のビジネス慣習にも欧米人の世界観(そして日本感)にも日々触れているからでしょうか、著者が指摘する「現代日本の様々な不条理な事柄」の羅列は、シビアで端的で、そしてとても的を射たものでした。

特にシビアな指摘の的となっているのが、日本で働く労働者に課せられるイデオロギーです。

著者は、労働とは
あくまでも自分の時間や体力や知力を相手に「販売」し、「対価」としてお金を受け取る「活動」に過ぎません。働いた分の報酬を貰うという「取引」なのです。
と定義をします。
そして世界のどこに出て行っても働ける人になるためには、
・プロフェッショナルに仕事ができること、
・人生観(哲学)があること、
・道義的に行動できること、
だと指摘します。

しかし、翻って日本の労働概念は
「労働者を犠牲にした、企業の繁栄(国の繁栄)」だと指摘します。
この本の中で「社蓄」という単語をはじめて目にしましたが、この言葉が意味する事は「人権蹂躙」です。現代の日本は人権蹂躙がまかりとおる社会に成り果ててしまっているという指摘です。
しかし、著者の非難は労働者へも向けられます。
・何故に自分の生命や家庭を守るために、訴えないのか?
・労働環境を正すために立ち上がらないのか?
そして
・何故にプロフェッショナルになろうとしないのか?
・何故に道義を踏み外すのか?
と指摘します。

沢山の指摘は、正さなければいけないものばかりです。
そして特に次の二つは不条理の極みで、今すぐにでも正さなければいけない事柄です。

「日本の『お客様』の中には、払った費用以上のサービスを要求する人が少なくありません。会社や店を経営する側は、それに応えるために、従業員に無理な労働を要求します。
(中略)
外国の人からすると、なぜ日本の『お客様』はあんなに無礼でも許されて、働く方や経営者は文句を言わないのか、となるわけです。働く方は守られない仕組みとなっているのです。」(P75 ニッポン人の働き方はこんなにおかしい)

「会社の人や近所の人にはバカ丁寧だが、レストランの店員や宅配便の配達員には信じられないぐらい横柄な父親」(P157 第四章文明未開の国-本当に「貧困」な日本社会)

日本では今、「クールジャパン!」だとか「(外国人を使って)日本のすごいところを自分達で褒めまくる」という番組がもてはやされています。
しかし、著者はP78ページで
「確かに日本のサービスや製品は精巧で繊細です。でも日本で実際に働いた人達は、
『あそこじゃお客になるのはいいけど、働くもんじゃないよ』と口コミで『日本の労働実態』をさまざまな人に伝えているのです。」
これこそが世界の人々の今の日本感、日本人感なのだろうと思います。

働き手を蔑ろにする会社は、国は、社会は、良い働き手を呼び込めず、良い働き手を育てられず、また、良い働き手の流出を止める事ができず、早晩衰退するのだろうと思います。
日本の会社や国はその衰退の道をひたひたと歩んでいる様に思います。
それにあらがうために、私たち一般市民でもすぐにできることがあります。それは「おもてなしの心」に対する「節度の心(求めすぎない)」と「感謝の心」をいつも忘れないということです。
私たち一人一人が、「提供する側」そして「提供を受ける側」の二つの面を持っています。「おもてなしの心」と「節度の心」「感謝の心」は表裏一体です。それが実践できた社会こそ、きっと人に優しい社会なのだと思います。

すぐに会社が変わらなくても、国が変わらなくても、私たちの行動が一つ変わるだけで、社会を一つ良い方向に向けることができるのだと思います。
そして日本を、「本当の豊かな国」へ向かわせられることもできるのかもしれないと思います。

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