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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2017年12月11日月曜日

オムライスの矜恃

日曜日、先日Facebook「播磨・はりまを食いつくし隊」グループに投稿された、たつの市のオムライス店に昼ご飯を食べに行きました。
昼をだいぶん回った頃です。それでも近くにあるマクドナルドの駐車場は満車状態で、ドライブスルーは数珠繋ぎの有様です。そこから県道5号線を一ブロック西に進んで、店を探す目印となるキリン堂に近づくと、すぐに見つかりました。プレハブ造りの小ぶりな店の白壁に「オムライス」と書いてありました。でも、なんというか人の気配というものをまったく感じない店でした。ドアを開けると中は暗く・・・、でも左側の厨房から一人のおっちゃんがすくっと現れて(様に見えて)、いらっしゃいと元気な声で迎えてくれました。
妻と二人、二つあるテーブルの奥に座り、目当ての500円オムライスを二つ注文しました。おっちゃんはプラスチックのコップに二つ水を運んでくれました。口を付けると、冷たくくっきりとした旨い水でした。先ほど紅葉谷を散策して汗をかいていましたので、体に心地よく浸みました。でも一つ気になることがありましたが、それも後で解決しました。
紅葉谷で撮った動画を妻に見せながら、しばし会話をして待っていると、カウンターに出来たてのオムライスが二つ並びます。そしておっちゃんがテーブルまで運んでくれました。写真で見た通りの、トロトロのオムライスです。デミグラスソースが掛かって、到底500円とは思えない、見た目も量の多さも食欲を満たしてくれるものに思えました。
トロトロのオムライスの卵を口に運びます。なんというか、洋ではなく和を感じる口当たりでした。あっさりというのでもない、ボリュームがあるのにさっぱりとした口当たりです。デミグラスソースも個性が強くなく、卵に丁度良い味加減です。
でも一つ気になることがありましたが、それも後で納得しました。
その辺りからです。おっちゃんの情熱大陸が始まりました。
おっちゃんは姫路で和の食に関係した仕事をしていたそうです。縁あって竜野でオムライスの店を開くことになり、周りの店がワンコインでランチが食べられることから、ワンコインのオムライス弁当店を標榜した店作りを考え、それでプレハブの小ぶりな店になったそうです。
そして500円オムライスの誕生秘話です。卵たくさん使ってますね、と話すと、卵たくさん使っていません、との意外な答えが返ってきました。だし巻きの様な出し汁も入っていない。当然ながら高い材料となるチーズも生クリームも入っていない。秘密は水、そして空気だと話します。だし巻きを上手に作るヒントは出し汁を多めに加えることだと話します。その要領で出し汁の代わりに水を加え、よくかき混ぜて空気をふんだんに含ませる。
そして鉄のフライパン(昨今のテフロン加工のフライパンは駄目というこだわりがあって)で卵が固まらないように焦がさないように半生の状態で焼き上げて、そしてあらかじめ皿に盛ったライスの上に被せるのでは無く、フライパンの中でライスに巻き付けてから皿に盛り付ける。ファーストフードの様に注文を受けてすぐにお出しするというまねはできないけれど、手間を掛けて美味しい料理をお出しする。
そいいうこだわりというか矜恃を持って9年間続けてきたと話します。

食べ終えて、おっちゃんがコップの水のおかわりをしてくれてからも情熱大陸は続きます。
この水は水差しに氷とカットしたレモンを入れている、と話します。一杯目にはレモンを感じなかったけれど、話を聞いた後の二杯目はレモンをしっかりと感じる事ができました。くっきりとした旨い水の正体が分かりました。そしてコップに浮いていたものの正体も判明しました。
ライスは少しべとついたものになっている。卵が焼けすぎずにフライパンの中でライスを巻き上げるためのアイデアだと話します。
そして自分が作るオムライスは、口に後味を残さないと話します。
お客さんの中には、もっと味の濃いものを好まれる方もおられます。でも迎合はしないと話します。昨今の店舗紹介サイトから出店の営業がきたけれど、頑張らない、迎合しないが信条で全部お断りをしています。それでもお客さんがSNSに投稿した写真を見てたずねてくれるお客さんがあることに本当に嬉しく思うとも話します。
帰り際、定休日を訪ねると、定休日は設けていないとの話します。お客さんがふらっと訪ねてくれたとき閉まっていたら、大切な縁をみすみす失うことに繋がってしまう。それが嫌だから定休日は設けていないと話します。そしたらおっちゃん、年中無休とたずねると、休むときは休むとはぐらかされてしまいました。どこまでも自由でおもろいおっちゃんでした。大盛りは700円でした。今度は持ち帰りしたいと思います。


p.s.
オムライスといえば、先日訪れた東大阪八戸ノ里の布施警察署近くにあったカフェ樫の木の事も書かなければなりません。
昼をすっかり回った時間、枚岡公園散策ですっかり腹ぺこになった腹を押さえながら歩いていて、店先の700円オムライス、珈琲付きが目に留まり、その店に入りました。
入ると長いカウンター席があって、その奥にテーブル席が見えました。店には私よりも年上の三人のマダムがいて、掃除や午後の準備をされていたように見えました。私はこの三人のマダムが三人の魔女に見え、邪魔としりながら、いつでも逃げられる様にと、入り口に一番近いカウンター席に着きました。
珈琲を先にお願いしました。珈琲はおしゃれな白いカップに淹れられていました。目の前で調理されるオムライスの進捗を見ながら珈琲を頂きました。珈琲は香りよくとても美味しかったです。先にカップに入ったスープが出ました。火傷しそうなほど熱々のスープでしたが、顔をしかめながら飲み続けました。さっぱりとした味付けのこれまたとても美味しいスープでした。そしてようやくメインのオムライスが目の前に置かれます。スプーンで卵とライスをすくい口の中に放り込むと無茶苦茶熱い、顔をくちゃくちゃにしながら、それでもどんどんと口の中に運び続けます。このオムライスも滅茶苦茶に美味しかったです。特にライスは、これまで食べたオムライスの中で一番ではないかと思うほど美味しかった。しっとりさ、しっかりさ、チーズとトマトの風味もふんだんに味わえました。
食べ終わって、ほんと感謝の気持ちでご馳走様と手を合わした次第です。
弁解しなれればいけません。三人のマダムを三人と魔女と喩えたことを・・・
要するに、店内が少し薄暗く、カウンター席がメインであったことからラウンジの様な雰囲気で、飯に入ったところは飲み屋だったと最初勘違いしたのです。三人のマダムは化粧も濃く、服装も派手でしたので、入る店を間違えたと思ったのです。でも食べ終わって、その思い全否定致しました。三人のマダムの頭と思われるマダム頭は、とても言葉が暖かく、料理とともに短い時間でありましたが、ちょっと疲れた体をしっかりと癒やしてくれました。また八戸ノ里に出向くことがあったたら、必ず寄ろうと思います。

2017年12月10日日曜日

侘び寂びの世界、紅葉谷

竜野の紅葉谷を訪れました。紅葉はすでに見頃を過ぎ、谷の小径は落ち葉で埋め尽くされていました。日曜日の昼間というのに、とても閑散としたその小径を、古い石灯籠のある峠まで登りました。落ち葉のじゅうたんは、踏み込む度にサクサクと心地よい音を発し、奥へ奥へと進んでいくほどに、風の音、枝のそよぐ音、そして鳥たちの鳴き声音が下界の喧噪をかき消してくれました。
心がどんどんと静かに、そして澄んでいく様な気持ちがしました。紅葉谷は侘び寂びの世界に思いました。素敵でした。

2017年12月4日月曜日

鶴橋

夕刻、司馬遼太郎記念館を出た後、最寄り駅の八戸ノ里駅には行かずに、近鉄奈良線と平行して鶴橋を目指して歩きました。大都会だから一本の道で通じるだろうという当ては見事に外れ、暮れゆく見知らぬ町の繁華街から街灯の少ない古い町並みの中、路地、運河の縁、倉庫街、そしてちょっとディープな界隈を彷徨うことになりました。
そして日がすっかり暮れた頃、焼き肉の旨垂れや油の焦げる、なんとも腹に堪える匂いが近づいてきます。そして、また路地に入っていくと鶴橋の超猥雑な世界に入りました。
こんなに活気のある場所は初めてでした。昔大阪に15年いましたが、鶴橋を歩いたことはありませんでした。狭い路地の両側に無数の露天の様な店が軒を並べ品物が路地にまで溢れています。雑貨から韓国惣菜、食べ物屋が混雑し、その迷宮の様な路地にありとあらゆる人が集まってきている様に思いました。その中で日本語と韓国語が飛び交っていました。一日の行軍ですっかりヘトヘトとなりすぐに電車に乗ろうかと思いましたが、空腹は押さえられず、一軒の惣菜店の中のテーブルに着きました。韓国ラーメンとみやげに韓国海苔巻きを三本注文しました。店のおばちゃんたちは常に笑顔を絶やさずに動き回っていました。韓国ラーメン、スープのあまりの辛さに何度も咳き込んでしまいました。でも付いていた海苔巻きも、キムチもとても美味しかったです。
ここには、今を生きるという活気と熱気が溢れていました。ほだされました。

赤ひげ診療譚、電車の中で読み終えました。

この秋、NHKの金曜時代劇で始まった「赤ひげ」、重厚な筋立てに、毎回一時間ドラマとは思えないほど感慨を覚えます。特に第三話「最後の告白」では、衝撃的な結末にしばらく言葉が出ませんでした。

山本周五郎といえば時代劇には切り離せない作家です。そして、これまで山本周五郎原作の時代劇は星の数ほど見てきました。でも原作本は一冊も読んだことありませんでした。私にとっては時代劇=山本周五郎であり、きっと近松門左衛門と同じく江戸時代の人の様に思っていました。そんな話を妻としていると、妻は学生時代にゼミの先生が山本周五郎のファンで、それがきっかけで何冊か読んだことがある。そして赤ひげの原作小説も持っていると話します。それで年季の入った「赤ひげ診療譚」を手にすることになりました。
「赤ひげ診療譚」は、山本周五郎55才、昭和33年の作品でした。今から60年前です。当時から見ても江戸の時代は90年も昔です。でも、お祖父さんたちは江戸時代を生きた人もまだいたんでしょうね。ですから、山本周五郎にとって江戸時代は、素描できるほどに身近な時代であった様に想像します。

そして最終章「氷の下の芽」に、この連続小説の骨子であろう文を見つけました。
赤ひげこと新出去定のもとで医者の本分を学ぶ保本登が心の中で聞いた声です。

罪を知らぬ者だけが人を裁く
罪を知った者は決して人を裁かない

罪を憎んで人を憎まず、そして人を許し助けることは、とても難しく、その行為はほとんど徒労に終わってしまう。それでも仁に尽くすことで、世界が少しでもよくなると信じよう。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に通じる感慨を覚えました。

古い友だちが逝きました。

土曜日、友だちの奥さんの名前で喪中はがきが届き、裏面を読むと友だちが11月19日に亡くなったと書かれていました。
最後に顔を合わしたのは、25年前、私が結婚したての頃に家族で家に遊びに来てくれた時でした。以後、年賀状だけのやりとりとなっていました。今年の年賀状の裏面の下に、自筆で「また会いたいね」と書いていました。その言葉が妙に残っていました。

すぐ電話を入れようとしましたが、控えていた番号は現在使われていませんでした。それで、もう一人の古い友だちに電話を入れました。もう一人の友だちは通夜に行ったこと、そして亡くなった友だちが、きっと病床でのことでしょう。奥さんに「俺は先に絶対死なへん。(もし奥さんが先に死んだら)若い奥さんをもらうん」とほたえていたと聞きました。亡くなった友だちもその奥さんももう一人の友だちも、皆1983年に新入社員として入社した同期です。ですから若いときのふざけあっていた思い出がぱっと蘇ってきました。

そしてなんとか電話番号を調べて、奥さんに電話を入れ、日曜日に線香を上げさせてもらうことにしました。
二人の子どもはすっかり美男美女の大人になっていました。しばらくして友だちの両親と弟家族がきて、お経の供をさせてもらいました。その後、またしばし談笑しお暇しました。

友だちは3月に病気が分かり、闘病に入るも早くに脳に転移し、体に不自由を抱えることになった様子です。食事もなかなか自力でとれなかったでしょうし、家族とのコミュニケーションも難しかったと想像します。闘病を支えた奥さんをはじめご家族の負担も相当であったと思います。でも、奥さんはさらっと話し、「良い夫やった?」とのたずねに「そうやね」と応え、そして29年間の結婚生活はとても濃く、29年しかなかったとは思えないと話してくれました。遺影のポチは少しぽっちゃりとしていましたが、若かりし頃と変わらぬ、はにかんだ笑顔をたたえていました。

遠国の友へ
亡くなる前に行ってくれ
会いに行くから
心の中で空しくこの言葉を唱えました。

司馬遼太郎記念館で珈琲を飲む

昨日夕方、はじめて司馬遼太郎記念館を訪れました。
展示室で展示物を見、ホールで映像を観た後、館内のカフェで珈琲を飲みました。そして思いを馳せました。大書架は、まるで伽藍や廟の様であったなと。
瞑想には適した場所です。ですが伽藍や廟の装飾品である彫刻や絵画であれば、たとえ触れることができなくても、見るだけで、作品に宿る思いや価値を見出すことは可能です。
でも大書架に飾られた二万冊もの司馬さんの蔵書は、その本の頁を開き読まない限り、内容を知ることはできず、その価値を見出すこともできません。
司馬さんは「二十一世紀に生きる君たちへ」の中で、目には見えないけれど人間の心の中に宿る思いやりや逞しさを賛歌し、その心が21世紀を担う人々に引き継がれることを希望されました。そんな司馬さんなら、21世紀に生きる人々に役立つ形で蔵書が活かされることを望まれているのではないか、そう思えてきました。

一服の珈琲はとても美味しかったです。でもこの珈琲を抽出するために、集められ、選別され、配合され、焙煎され、挽かれ、漉された珈琲豆は味を失い価値のないものとなりました。でも司馬さんの蔵書は違います。それは知識の泉であり、歴史の証人ででり、人の目に触れて、誰かの知覚で読み解かれることにより、何度でも新しい発見や物語を生み出すでしょう。でも司馬さんの廟の装飾品である限り、それは叶うことはないでしょうね。それがとても残念に思います。


枚岡山展望台からの眺め

枚岡神社の裏手に公園があり展望台があるというので気楽な気持ちで登ってみますと・・・、他の皆さんは山ガールやトレッキングスタイルなんですね、ここは生駒山ハイキングコースの一角でして、えらい長い木組みの曲がりくねった階段があって、どこまであるんやとへこみそうになりながら、下ってくる人、下ってくる人に、後どれくらいですかとたずねては、気持ちを奮い立たせました。だって皆さんが一様に「最高の風景」とか「宇宙から観た景色の様」とか人参をぶら下げて下さるからです。
そして30~40分してようやく枚岡山展望台に着きました。町歩きのスタイルでかつ厚手のセーターを着ていたものですから汗びっしょりになりました。でも風景を見て、疲れも汗も吹っ飛びました。

枚岡神社で紅葉撮り

東大阪の紅葉の名所、枚岡神社で紅葉撮りしてきました。
生駒山の大阪側の裾にあって、その昔はこの辺りから生駒山を越えて奈良へと通じていたと聞きました。いまなら近鉄で大阪奈良間などアッと言う間ですのにね。



2017年11月30日木曜日

大和、FA移籍

阪神の大和選手がFAを行使してDeNAに移籍することになったようです。
正直な気持ちとして、おめでとうと言いたいです。
前田大和選手は、現在の日本球界で随一の守備の名手と言われています。阪神も年俸の上積みと複数年契約で大和選手の引き留めを図ったようですが、大和選手は野球選手ならば最も求めるものをDeNAに見たのだと思います。憶測ですが、DeNAは大和選手に遊撃手のポジションを約束したのではないでしょうか。
大和選手は、阪神にいる限り、阪神にとってのユーティリティ・プレーヤーでしかありません。しかし、DeNAでは客を呼べる日本一の守備の名手として、スターティングメンバーに名を連ねて、毎試合存分にプレーを見せることができるのです。

DeNAでは、さらに守備を磨き、バッティングも走力を活かして内野ゴロでもヒットにしてしまうイチロータイプになって、甲子園に凱旋して欲しいと思います。
そして、いつの日か、阪神の若手を守備の名手として育て上げる名コーチとして帰ってきて欲しいと思います。

2017年11月28日火曜日

映画「WONDER」、公開が待ち遠しいです。

児童向けに書かれた小説「WONDER」は、顔に大きな障害を持った少年が、家族に支えられ、良き友だちと出会い、そして良き導き手である教師の見守りの中で、勇気と生きる力を育てていく。それだけでなく、変わっていく彼という存在が、周りの子どもたちにも良き影響を与えていく。そんなお話でした。

関連記事
小説「ワンダー」と素敵な魔法の言葉
https://harimanokuni2007.blogspot.jp/2016/08/blog-post_42.html
小説「ワンダー」と素敵な子供たち
https://harimanokuni2007.blogspot.jp/2016/08/blog-post_89.html

この「WONDER」が映画になりました。今週アメリカで公開され、アメコミ映画全盛の中で大変高い評価を得ている様子です。
日本での公開は来春だそうですが、早くみたいです。待ち遠しいです。

関連ページ
Wonder(ワンダー)ほるぷ
https://www.facebook.com/Wonder%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%81%BB%E3%82%8B%E3%81%B7-1587170561565897/

2017年11月26日日曜日

クリスマス絵本を読みました。

昨日、ちょっと早いですがクリスマスの絵本をメインに読み聞かせを行いました。
クリスマス絵本として「クリスマスのおくりもの」「サンタさんありがとう(長尾玲子さく)」「急行北極号」の三冊を準備し、一番最初に参加してくれた小学一年生の男の子に、読み聞かせする本を一冊選んでもらいました。
「クリスマスのおくりもの」は、新約聖書のイエス誕生の記事に出てくる三賢者の一人(作中での名前はバルサザール王)の子イレーヌス王子が、三つの宝物を携えて誕生したばかりのイエスを祝福するために旅をする物語です。イレーヌス王子が旅の途中で出会った不幸な人たちに三つの宝物をプレゼントする行為は、どんな高価な宝物よりも気高く、イエスの誕生を祝福するに相応しいです。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝福する祝日です。子どもたちがクリスマスがどんな日であるか、覚えてクリスマスを迎えてくれたらと思います。

追伸.
加西行、歩き始めて3~4㎞で足にちょっと違和感を感じ、姫路駅に向きを変えました。9㎞を約2時間、少し足が遅くなっていました。歩きではおはなし会に間に合わなかった、向きを変えて正解でした。姫路駅に着くとすぐに北条営業所行きのバスが来ましてそれに乗りました。ほぼ貸し切り状態で、バスに揺られながら山本周五郎「赤ひげ診療譚」に浸っていました。「赤ひげ」については読み終わった後、また感想を書きたいと思います。
今日はカメラを置きました。読書の合間に車窓を眺めますと里山は色付きの峠にあるようでした。枯れた黄色に染まっていました。

2017年11月24日金曜日

黄昏の神戸をぶらつきました

明日は久しぶりの加西行です。クリスマス絵本の朗読を子どもたちに届けられたと思っています。でも久しぶりの徒歩行でと思っているので、昨日練習がてら神戸の町を歩いてきました。
三宮から東遊園地でルミナリエの準備状況を眺め
http://kobe-luminarie.jp/
神戸市立博物館の前で「ボストン美術館の至宝展」に入ろうか迷い
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html
メリケンパークであすなろの木を眺めました。
http://www.kobeport150.jp/
そして家族へのみやげにと、元町中華街の老祥記を目指すものの人の列の多さに気後れし、それではともう一軒の老祥記に向かいました。元町商店街を西に四ブロックほど進んだところにありました。店に入るとカウンターと二テーブルには客は誰もおらず、四人がけのテーブルに座って家族へのみやげ分と実食用に一皿頼みました。おばちゃんがヤカンで何度も御茶を入れてくれます。すぐに一皿がテーブルに置かれて、小皿に醤油、お酢、辛子でタレを作り、小ぶりの豚饅頭三個に付けて食べました。中華街老祥記とはまた趣の違う豚饅頭で少し癖のある味ですが、これもまた癖になる味で美味しく頂きました。私に続き、幾人もの客が訪れました。ホッとできる店でした。兄がお気に入りだった神戸珈琲物語さんちか店で購入したクリスマス限定珈琲「カフェ・ド・ノエル」(http://kobecoffee.jp/SHOP/B0038.html)と併せて、帰ってから家族と頂きました。

そしてディープな元町商店街を抜けますと、「カレーのチャンピオン」(http://chancurry.com/about/)の看板が見えました。金沢工大に通っていたとき、野々市町にその店はありました。学生街の食堂で、カツカレーライスが腹一杯食べられました。あの店が神戸に出店したことは知っていました。35年前の懐かしい味に誘惑されて、おもわず店に入りかけそうになりましたが、さっき豚饅頭を食べたばかりでしたので自制しました。今度また食べに来ます。
そして、そして、黄昏の神戸駅前を後にし、家路につきました。
三時間ほどぶらぶらと歩きましたが、足思うほど疲れませんでした。明日はしっかり歩いて、子どもたちに心を込めて朗読を届けたいと思います。