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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2017年12月4日月曜日

古い友だちが逝きました。

土曜日、友だちの奥さんの名前で喪中はがきが届き、裏面を読むと友だちが11月19日に亡くなったと書かれていました。
最後に顔を合わしたのは、25年前、私が結婚したての頃に家族で家に遊びに来てくれた時でした。以後、年賀状だけのやりとりとなっていました。今年の年賀状の裏面の下に、自筆で「また会いたいね」と書いていました。その言葉が妙に残っていました。

すぐ電話を入れようとしましたが、控えていた番号は現在使われていませんでした。それで、もう一人の古い友だちに電話を入れました。もう一人の友だちは通夜に行ったこと、そして亡くなった友だちが、きっと病床でのことでしょう。奥さんに「俺は先に絶対死なへん。(もし奥さんが先に死んだら)若い奥さんをもらうん」とほたえていたと聞きました。亡くなった友だちもその奥さんももう一人の友だちも、皆1983年に新入社員として入社した同期です。ですから若いときのふざけあっていた思い出がぱっと蘇ってきました。

そしてなんとか電話番号を調べて、奥さんに電話を入れ、日曜日に線香を上げさせてもらうことにしました。
二人の子どもはすっかり美男美女の大人になっていました。しばらくして友だちの両親と弟家族がきて、お経の供をさせてもらいました。その後、またしばし談笑しお暇しました。

友だちは3月に病気が分かり、闘病に入るも早くに脳に転移し、体に不自由を抱えることになった様子です。食事もなかなか自力でとれなかったでしょうし、家族とのコミュニケーションも難しかったと想像します。闘病を支えた奥さんをはじめご家族の負担も相当であったと思います。でも、奥さんはさらっと話し、「良い夫やった?」とのたずねに「そうやね」と応え、そして29年間の結婚生活はとても濃く、29年しかなかったとは思えないと話してくれました。遺影のポチは少しぽっちゃりとしていましたが、若かりし頃と変わらぬ、はにかんだ笑顔をたたえていました。

遠国の友へ
亡くなる前に行ってくれ
会いに行くから
心の中で空しくこの言葉を唱えました。

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