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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2017年12月4日月曜日

鶴橋

夕刻、司馬遼太郎記念館を出た後、最寄り駅の八戸ノ里駅には行かずに、近鉄奈良線と平行して鶴橋を目指して歩きました。大都会だから一本の道で通じるだろうという当ては見事に外れ、暮れゆく見知らぬ町の繁華街から街灯の少ない古い町並みの中、路地、運河の縁、倉庫街、そしてちょっとディープな界隈を彷徨うことになりました。
そして日がすっかり暮れた頃、焼き肉の旨垂れや油の焦げる、なんとも腹に堪える匂いが近づいてきます。そして、また路地に入っていくと鶴橋の超猥雑な世界に入りました。
こんなに活気のある場所は初めてでした。昔大阪に15年いましたが、鶴橋を歩いたことはありませんでした。狭い路地の両側に無数の露天の様な店が軒を並べ品物が路地にまで溢れています。雑貨から韓国惣菜、食べ物屋が混雑し、その迷宮の様な路地にありとあらゆる人が集まってきている様に思いました。その中で日本語と韓国語が飛び交っていました。一日の行軍ですっかりヘトヘトとなりすぐに電車に乗ろうかと思いましたが、空腹は押さえられず、一軒の惣菜店の中のテーブルに着きました。韓国ラーメンとみやげに韓国海苔巻きを三本注文しました。店のおばちゃんたちは常に笑顔を絶やさずに動き回っていました。韓国ラーメン、スープのあまりの辛さに何度も咳き込んでしまいました。でも付いていた海苔巻きも、キムチもとても美味しかったです。
ここには、今を生きるという活気と熱気が溢れていました。ほだされました。

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