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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2018年2月19日月曜日

こんな夢を見ました。

こんな夢を見ました。
家には高齢の母がいて、家族で介護のまねごとをしています。夜も母がトイレに立つ度、誰かしら目を覚まし、母の様子を見に行きます。その時も、私は音で目を覚まし母の部屋を見に行きました。
部屋に入ろうとすると白装束の母と思われる人が側を通り過ぎました。私は黙って見送り、ベッドを整えようとベッドに目を向けると白装束の人が横になっているのが見えました。
近づいてその人の顔をのぞき込むと、それは母ではなく、知らない若い女の人でした。そして目を開き口を開きました。その目は黄色く輝き、口の中から鋭い犬歯が覗いていました。そして私は目を覚ましました。
起きてすぐ、あれはノルンであったのではないかと思えてきました。

その前日、ノルンの家族葬を執り行いました。娘が土曜日に帰って来るというので二日間ノルンを仏間で安置しました。毎日、加古川のネクストワンまでドライアイスを買いに出かけました。ノルンには酷なことをしましたが、でも綺麗な姿でお葬式を迎えることができました。
お葬式では、般若心経と修証義を読み上げました。かみしめるように読み上げました。
お経はとても難しいものですが、でも修証義は現代語で書かれているので少し意味が汲み取れます。
命が死を迎えるとき、伴うものは生前の善行悪行だけで、それが来世に報いとなって表れる。命は黄泉で清められ新たな生として生まれ変わる。でも人に生まれ変わることは希であり、来世は猫や犬に生まれ変わるかもしれないし、その次は空を飛ぶ鳥かもしれない、そのまた次ぎは地を這う虫かもしれない、はたまた草木に生まれ変わるかもしれない。そんなことに耽っていて、ふとノルンはもしかしたら美しい女の人に生まれ変わるかもしれないなぁという想像が頭をよぎりました。

それが潜在意識に残っていたのでしょうか、それとも本当にノルンが人の姿で現れたのでしょうか。ノルンは突然の死の苦しさを訴えたのでしょうか、それとも来世の姿を垣間見せてくれたのでしょうか。でもたった一つ正確に言えることがあります。それは臆病な私がまったく恐怖心を抱かなかったことです。夢の中で見た女性は、考えてみれば美人とはほど遠いですね、目が黄色く輝いて牙を生やしていたのですからね。やはりノルンであったのだと思います。その顔を見てすぐにノルンと分かるように出てきてくれたのだと思います。

2018年2月14日水曜日

愛しのノルン

今日、家族の中で一番若く、一番小さな、そして誰よりも家族に愛をもたらしてくれた命の火が、突然に消えました・・・

昨日の朝までは、まったく普段と変わらない様に見えました。いや、見ていたように思います。朝、庭に出たけれど寒かったのでしょう、すぐに家の中に入り込み、窓辺に座って外を眺めていました。
家族が最初の異変に気づいたのは午後のことでした。玄関を入ったところにトイレを置いているのですが、そこに寝そべっていたといいます。それからしばらくして部屋に戻ってきたとき、両足を引きずっていました。
ノルンを見たとき、いつも魅了された悪戯っぽいまなざしではなく、焦点の合わない二つのまなこが遠くを見つめていました。そして、いつもの愛おしい甘声ではなく、弱々しい鳴き声を漏らしていました。一瞬で悪夢が蘇りました。5年前、ノルンの双子の弟カムイが事故により衰弱し、亡くなる寸前の姿にあまりにも似ていたからです。
もし、体のどこかにダメージを受けていたなら、非常に警戒心が強くなって、家族を寄せ付けず、たとえ家族であっても体に触れようとすると威嚇し、爪を立て、牙をむくはずと思い、それを確認するために手や顔でノルンの体を触れました。でも、威嚇はありませんでした。
体をよく観察すると、どうやら下半身が麻痺している様子でした。それで、いつも診て貰っている動物病院に電話を入れて、そして連れて行きました。
ノルンは、移動用のキャリーバッグに入れられるのがとても嫌いでした。でも自由の利かない体は無抵抗でした。
動物病院に連れて行くまでの間に、ネットで症状検索すると、「心筋症」や「血栓」がヒットしました。そして、もし原因がこれであれば、助からないと書かれていました。

病院につくと、すぐに診察室に通されました。レントゲンなどの一通りの検査が済んで、先生から状況説明を受けました。
まず、一番気がかりであった心臓疾患ではないという事でした。肺に濁りはなく、心臓も肥大している様子はありませんでした。しかし、脊髄の一カ所が少しくの字になっていて、打撲か椎間板ヘルニアが考えられると言われました。打撲や椎間板ヘルニアに至る要因は様々ですが、その症状により神経が圧迫されて、もしくは神経がダメージを受けて、下半身の自由が奪われている公算が非常に高いという事で、その症状に応じた治療を進めることになりました。
そして、炎症を抑える抗生物質と痛み止め、そして神経組織を修復するビタミンを皮下注射し、そして積便も酷い状況であったので、下剤の座薬を入れて貰い、また明日からの服用薬を処方してもらい、帰宅しました。

家族には、命はべっちょうない、そして先生から貰った、麻痺の症状が出て24時間以内であれば7割近く回復するという言葉を、安心のために伝えました。遠くに住む娘にも、その言葉を伝えました。でも本心は、たとえ不自由になったとしても生きてさえいてくれたらという思いでした。それは家族も同じであったと思います。

家に帰ったノルンは、最初に液状の餌を一本食べました。そしていつも水を飲むコップから水を飲みました。でも、これが自力での最後の食事となりました。
その夜は、交代でノルンに付き添いました。ノルンは不自由な体を揺すりながらコタツの奥に移動し、じっとしていました。
排尿を催すと鳴いて教えてくれました。はじめは側に置いたトイレに向かおうとしましたが、体を運べずにその場に漏らしました。でも以降は、鳴いて知らせてはくれますが、もう体を運ぶという抵抗はしなくなりました。
そして、餌にも水にも見向きをしなくなりました。餌や水の容器を近づけても、前足で痛々しく押しのけるばかりです。注射器で水を口に運ぶと、少しペロペロと濡らしてくれます。

昼、久し振りに暖かい日差しがありましたので、タオルケットのまま抱いて庭に連れ出し、お気に入りの床机の上に寝かせました。少し心地よさそうに見えました。注射器で水を運ぶと、今日初めてむせ、小さく吐きました。その吐き出したものは、これまで見たことの無い黒ずんだ色で、小さな紐状のものが見えました。昨日夜に口にした液状の餌が出たのだと思い込む事にしました。
気になるのは、昨日病院で座薬を入れたのに、まったく排便がない事でした。それで夕方、病院に電話を入れ、診て貰う事にしました。その電話を切った直後の事です。

家族のノルンの様子がおかしいという声が聞こえました。様子を見ると、息が絶え絶えで、舌が出ていました。カムイの臨終を看取ったときの様子と同じでした。なんで!という疑問だらけの気持ちでノルンを病院に連れて行きました。
診察室に入った時には、もうほとんど体は動きませんでした。先生が救命治療を始めます。酸素吸入し、心臓に刺激を与える薬を投与し、心臓から全身とマッサージをしてくれているのが見えました。何分経ったでしょうか。大丈夫、きっと大丈夫と願いながらの時間はとても長く感じました。でもノルンは帰ってきてはくれませんでした。

ノルンは治療の最中、あの黒い液体を口から鼻から流していました。先生は、その液体が血であること、でもそれに混じった顕微鏡で見たら黄色い藻のようなものが何であるが分からないと言われました。ノルンの口を舌にして傾けると黒い液がドバッと口から流れ出しました。気管支系ではなく食道系に甚大なダメージがあったことが分かりました。
そしてノルンの麻痺の原因ですが、ノルンの麻痺は、下半身だけでなく、全身、前足にも広がっていたことから、神経毒に犯されていた可能性が強くなりました。
ノルンが何故にこんなにもあっけなく死ななければならなかったのか、それだけでもハッキリとさせたかった。誰の責任というのではなく、何も分からないままという事が耐えられなかった。そして、家族にも伝えました。

ノルン、5年前に双子の姉弟の姉として家族になりました。誕生日は2月10日だから、5才の誕生日を迎えたばかりでした。
家の家族となったその年の6月に弟のカムイが事故で亡くなりました。まだ生まれて4ヶ月ばかりしか経っていないのに、しばらくはとても寂しそうで、家族は皆心配しました。
でもノルンは病気もせずにすくすくと育ってくれました。
一才を過ぎてからサカリを迎えました。その季節には、とても切なく甲高い鳴き声を出すようになりました。そして二才を迎える前に卵巣除去手術を受けました。それからはサカリはすっかり影を潜めました。それは正直、家族にとっても辛い経験となりました。
私は、猫を飼うことに最初大反対しました。本当に飼えるのかという心配がありました。それはすぐカムイの死で現実のものとなりました。家族の悲しみ、もちろん私も大いに悲しみ、そして猫を飼ったことに後悔を覚えました。
でもノルンは、辛い出来事の中でも、愛らしい娘猫へと成長し、いつしか家族みんなを笑顔にしてくれるとても大切な存在になりました。

ノルンを失ったことは悲しみばかりではありませんでした。ノルンが家族でいてくれた5年間で、人間の家族と遜色の無い愛情が育っていました。ノルンは人の年齢に換算すると30才くらいで、この先、かわらずに元気でいてくれれば10年は一緒に暮らしていけたでしょう。そして私は、ノルンとのこれからの10年を想像することができるのです。それは悲しみではありません。まだノルンの体は居間にいますが、火葬し、その姿を全く失っても、これからもノルンを感じることができると思うのです。
そしてもう一つノルンに感謝したいことがあります。それは、またノルンのような人間で無い生き物とも暮らしてみたいという感情を与えてくれたことです。
愛情を育てられる存在に出会いたいと私に思わせてくれたノルンに、いまとても感謝の気持ちで一杯です。


2017年10月25日水曜日

ノルンvs.カマキリ

庭に降りたノルンが何かをじっと見ています。その視線の先にカマキリがいました。
カマキリは、羽を大きく広げて、釜を持ち上げ、ノルンを威嚇してます。これは面白いとカメラで撮影することにしました。



2017年1月28日土曜日

お休みノルン

今日は暖かかったですね
ノルンも午前中、庭で散策の時間を楽しみました。
そこいらの草をひとかじりしてはお気に入りの灯籠の下で休憩です。


あわせて、一年振りに検診とワクチン接種に病
院に行きました。
体重は4キロ弱で、健康のお墨付きを頂きました。
今、コタツで寝ています。お休みノルン・・・

2016年11月26日土曜日

ひなたぼっこ


午前中は、小春日和のあったかさでしたね
柔らかな日差しが部屋の中に差し込みます。
そのしばしの光りの温もりに
うちのノルン
ご満悦の様子でした。


2015年10月22日木曜日

笑うノルン

プランターから伸びる小枝で、
じゃれているところを眺めていました。

「楽しいね!」

とでもいうような笑顔を見せてくれました。


ぐーたらノルン

朝になると家族をみんな起こしに回り、
そして裏庭に通じる窓のところで甘声を発します。
「早く開けてよ、外に出るんだから」
というノルンの声が聞こえてきます。

昼間は、家の中に幾つかある寝床で昼寝をします。
家族各々のベットや布団の上が大好きです。
私の古いデスクチェアーもゆったりとしているのでお気に入りです。
そして窓際の特等席もノルンの寝床です。
最近では、小春日和のあわあわとした日差しの中で、
腹を出して伸びをして安心しきってごろ寝をします。
ぐーたらノルンですが、本当に愛おしいです。

2015年7月22日水曜日

ある雨の夜の出来事

ある・・・といっても、今日の深夜の出来事です。
二日前から、川向こうで子猫の鳴き声が聞こえてきました。
可哀相に思ってもどうしてやることもできません。
ただ、元気で育てと祈るばかりでありました。

台風11号が去ってからも、毎日おかしな天気が続きます。
大風が吹いたり、大雨が降ったり、はたまた強い日差しが照りつけたり
屋外は厳しい天気が続きます。

そして今日の深夜です
母性に目覚めたノルンが窓から離れぬのを見て
娘は不憫に思い、いても立ってもいられなくなったのでしょう、
雨の降る中家を出て、子猫を一匹連れ帰ってきたのです
それは生まれたばかりの子猫でありました
ノルンのキャリーバッグに毛布を惹いて子猫を寝かしますと
ノルンは側から離れずにずっと見守っていたと云います。
でも子猫はまだ他にもいたのです。
外からまだ鳴いて呼ぶ声がするのです
妻に諭されて、娘は子猫を家族の元に返しに行きました。
子猫の家族は、暗がりから出て子猫を迎えに来ました。
幼い家族が、これからどうして生きていけるのか
考えるとただただ切なく思います。

ノルンが家の家族の一員となって二年が経ちます。
人間でいえば24,5歳の娘盛り、
さかりの時期になりますと近所に住む野良猫(以前はきっと飼い猫であったと思います)三匹が代わる代わる訪れます。
そしてノルンも、甲高く甘い鳴き声を昼夜を問わず発するようになりました。
そして先日、ノルンがさかりになっても興奮しないよう、また外にでても決して妊娠しないよう避妊手術を行ってもらいました。ノルンには可哀相なことをしたと思いますが、でも家猫として飼い続けるためには仕方がなかったとも思っています。
そして首にまだカラーを巻いて、お腹には大きな術跡を残しながら一週間が過ぎました。
そこにこの度の出来事です。
娘や妻の心苦しさが、とても切なく思います。

子猫たちは、近くの小学校の通学路にいたと云います。
想像するに、飼い猫が子供を産んでしまったために、またもらい手も見つからないために
やむなく子猫に手をさしのべてくれる人が現れるのを期待して、通学路に置き去りにしたのとではと思います。
その飼い主の心苦しさにも、とても切なく思います。

一つの命は地球より重い、と云いますが
こんな小さな命さえ、私には簡単には救えない
私たちには簡単には救えない
そんな当たり前の事が、身に染みた雨の夜となりました。

2015年7月13日月曜日

ノルンちゃん、手術しました。

家族になって二年が過ぎ、人で云えば24,5歳の女盛りを迎えるノルンは、発情期になると一日中甲高い声で鳴き続けます。そして雄猫の野太い声が近づくと、甘えた鳴き声に変わり、応答します。
はじめて発情期を経験した頃の家族は、その鳴き声に大変閉口しましたが、最近はすっかり慣れて夜でも放っておいて寝てしまえるほどになりました。でも、事態は深刻な方向に向かっていました。
家の周辺は、静かな家ばかりで、夜9時過ぎともなるとすっかり灯りも消えて寝静まります。しかし、この夏は違っていました。ノルンの鳴き声が原因なでのしょう、夜になっても近所の灯りが消えず、そして外に出て様子を伺う隣人の姿を見かけたのです。近所に騒音被害を出しているのではないか?という不安が一気に家族の中に広がりました。そして遂に、ノルンの避妊手術に踏み切ることになりました。

今朝、病院にノルンを預け、夕方手術の終えたノルンを迎えに行きました。
病院では、ほとんど鳴き声を発しなかったそうです。
「温和しいね」と言われましたが、
「家では騒々しいですよ」、と話しますと
「猫を被っていたのね」、と言われてしまいました。

そして、首に透明のカラーを巻いた状態で連れて帰りました。
家に帰り、キャリアバックを開きますと、よろよろとバックの外に出てきました。
まだノルンは全身麻酔から醒めきっておらず、まるで酔っ払い状態でした。
病院の先生が、麻酔を特に慎重に考えておられたことが実感して分かりました。
今、娘がノルンをしっかり看護しています。
可愛いノルンちゃん、早く元気になってと、願います。

2015年4月25日土曜日

ノルン ポートレート

ノルンがほおづえをついてまどろんでいました。
あんまし可愛いので、写真撮っちゃいました。

2014年1月9日木曜日

ノルンの寝顔

今日は、天気予報では晴れとなっていましたが、昼過ぎ北から真っ黒な千切れ雲が現れて一時ですが冷たい雨になりましたね。それからは気温がどんどんと下がった様に思います。ノルンもコタツでお休みしていました。
いやぁ可愛い寝顔です。



2013年7月28日日曜日

先日ノルンに首輪を買いました。

先日ノルンに首輪を買いました。
朱色の首輪に小さな鈴が付いています。娘が選びました。
首が絞まるのを防止する機能(強い引っ張り力があるとすぐに首輪が外れる)も付いています。

さっそく家に帰って、ノルンに首輪をしますと、異物が体に纏わり付いたのがことのほか嫌らしく、七転八倒しながらそれを取り除こうと暴れます。その様子は滑稽でもあり可哀相でもあり・・・そうこうしている内に首輪はみごと外れました。
そしてノルンは首輪のない自由な猫への戻りました。

その日から、誰もノルンに首輪を付けようとはしなくなりました。でも買った首輪はもったいないし、昔見た『わんわん物語』(猫じゃなく犬の物語ですが・・・)ではレディもトランプも鑑札の首輪を誇らしくしていたし・・・と勝手に思い、もう一度ノルンに首輪をすることにしました。

取り付けますと、また今回も暴れ始めました。滑稽でもあり、可哀相でもあり、もう外そうかと思った時です。ノルンはもう首輪を気にしなくなりました。そして優雅に(勝手な思い込みです)部屋を巡ります。なかなかいけるやんかとパチリと写した写真がこれです。
どうですイカシテいるでしょ


2013年7月3日水曜日

昨日、カムイのお葬式をしました。

昨日、カムイのお葬式をしました。
亡骸を入れた箱に、庭に咲いた紫陽花の花で作った花束とノルンとカムイの写真を収めました。
斎場には、遼太郎と耕太郎と三人で行きました。斎場で火葬の申請書を提出し、そしてお別れをしました。
小さな家族の死は、とても深い悲しみとともに、命は決して簡単に尽きるものではないということを、この数日間で教えてくれました。

エリザベス・キューブラー・ロス医師が1969年に著した『死ぬ瞬間』(On Death and Dying)という本があります。その本は、死を宣告された人々をインタビューし、人々が死を受容するプロセスが報告されています。
第一段階は『否認』です。死を宣告され、衝撃を受けるものの、まだ助かる道はあるはずだと、その宣告を否認するのです。
第二段階は『怒り』です。何故に自分が死ななければならないのかという、言いようのない怒りを周囲に向ける。
第三段階は『取引』です。延命への取引とありますが、私にはとても深淵で簡単に言葉で理解をほのめかす事ができません。
そして第四段階は『抑うつ』、取引が無駄と認識し、運命の無力さ、失望、絶望に襲われます。
最後に迎えるのが第五段階『受容』です。悲嘆と平行しながらも、自分の死を受け入れ、安らかな死を願う。
そして私たちは、《デカセクシス(Decathexis)》、現世との完全な断絶を自覚し、無への進入に身を委ねるというのです。

小さな子猫カムイが死を迎えるまでの数日間を見守っていて、このプロセスはすべての生き物に当てはまるのだと実感します。
誰かに死を宣言されたわけではないのですが、温厚であったカムイは、重症を負ったその日、私たちに酷く敵意を見せました。そして食べる事も呑む事も眠る事もできず、部屋の隅でただじっとしています。
死を迎える前日には、ノルンや私たちに近づいて、触れ合うとことを許してくれました。
そして《デカセクシス》の時を迎え、静かに横たわり、荘厳に死出の旅に旅立ちました。

そして、小さな子猫カムイは、たとえ絶望に貧しても精気が尽きるまで生き続けなければいけないという、《生命》の本質と、《命》の厳粛さを教えてくれました。