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差別の天秤

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2024年7月8日月曜日

民主制の本当の選挙について考えてみました。

 56名が立候補した七夕都知事選は、現職の三選で幕を閉じましたね。兵庫県民からみれば関係のない首長選挙でしたが、現職や参議院議員を辞職して立候補した候補の学歴詐称疑惑が取り沙汰されたり、もっともえげつなかったのは多数の候補を擁立した政党が「供託金の有り様」に一石を投じるという名目で選挙ポスターの掲示板を広告板として売り出し、選挙とは全く無関係の広告、さらに云えば公序良俗に反する広告や画像が掲示されるという前代未聞の事態が起こった選挙戦となりました。選挙ポスターの件で云えば、こういう事態を取り締まる法律がないということで、よっぽどの公序良俗に反するもの以外は、選挙戦中広告板として利用され続けました。法律に規定がなければ何をしてもよい、そしてそれを取り締まれないというのは、日本人が大切にしてきた礼節というものが軽んじられたり、廃れたりしている何よりの証のように思えました。


ただ「選挙の供託金」については、私は無くさなければならないという考えです。高い供託金を課すことで、泡沫候補を候補者から閉め出すというのが供託金の名目です。

しかし、国政選挙だけでなく地方選挙でさえ、結局は何故か潤沢な資金力のある現職の候補に有利に働くばかりで、志あれども金も人脈もない人は、選挙に出て、公の場で声を発することが出来ないばかりか、潤沢な資金を要する既成政党におもねってロボット議員になるしかないのが実際です。

同時期に行われたイギリス総選挙では、現職のスナク首相に並んで泡沫候補の自称ゴミ箱伯爵が「クロワッサンの価格に上限を導入」と声高に訴えていました。彼がイギリス国民に訴える真の狙いは「誰を支持するかに関わらず、皆さんには是非投票に行って欲しい。そして何より皆さんの票を無駄にしないように」でした。


今回、都知事選の立候補者は56名でしたが、たとえばの話ですが、選挙権を持つ18歳以上は誰でも、立候補でき、供託金も必要がないとするならば、東京都の18歳以上の人口約1200万人の全員が立候補することも可能なのです。たった一言でも、自分の声を公共の場で発言することが出来るのです。その声に賛同した100人がその候補に投票したとする、これを無駄とは、私は思えないのです。

誰もが、志が高かろうが低かろうが無かろうが、ただ一言発したい、意見を述べたい、と云う理由だって、議員になりたい有無なんて構わない、立候補するに十分過ぎるほどの理由なのではないかと思えるのです。これこそ民主制の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選挙戦は、インターネットを利用したって構わない、公共に設置された会場で発言したって構わない、小さな集会所や自宅を利用して、有権者に訴えても構わない、但し、公序良俗に反しない限りにおいて。他の候補者を誹謗中傷したり迷惑行為、暴力行為は絶対に許さないという制限のもとに。有権者に立候補者としての自分の訴えたいことを訴える。

こんな選挙なら、実際に投票率100パーセントの選挙も夢では無いと思います。国民一人ひとりが声を発する、声を届ける、声を聞くお祭りとしての選挙、これこそ民主制の本当の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選ぶのも国民なのです。だれかれに指図されるものではないのです。