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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2010年10月10日日曜日

『私達が望むなら、私達はできる、想像してごらん』 - ジョン・レノンのメッセージ

平成22年10月9日(土)はジョン・レノンの生誕70周年。

彼と妻オノ・ヨーコが、70年代から世界中に問いかけてきた

War is over, if you want it
私達が望むなら、戦争は終わる

We can do it
私達はできる

Imagine
想像してごらん

当時の彼らの問いかけ、反戦運動の対象は『ベトナム戦争』であった。
でも、40年たった今も、このメッセージは、若々しく私達に問いかけてくる。

60年代から70年代に掛けて、近代化、繁栄の起爆剤として戦争があった。
80年代から90年代、社会主義国家、全体主義国家崩壊の導きとして戦争があった。
そして21世紀、大義のエゴ、正義のエゴとして戦争を使う時代となった。

大きな世界ではなく、身近な生活に目を転じてみる。
利己主義、貧富の二極化、生活の不安と、描けぬ未来予想図。
暗澹たる思いが身近な生活を浸食し、私達は無関心を装って保身する。
それは、危機の時代、か弱きものの常套手段であり、
自分を守り、家族を守る、これも生きる為の知恵である。

私達の国『日本』は、狭義の意味での、殺し合いという直接的な意味での『戦争』は、1945年、敗戦で終えた世界大戦以降、新憲法のもと、放棄した。しかしそれは、『独立国家のあり方』『日米安保』『専守防衛』という新たな矛盾を生む事態となった。

しかし、広義での戦争には、経済発展の時代の表裏で常に戦わされてきた。交通戦争、受験戦争、経済戦争、戦争という言葉が適切でないなら競争と置き換えてもよい。でも、結果は同じだ。勝者がいて、敗者がいる、死者がいる。
私達の国『日本』は、勝者に優しく、敗者に冷淡である。社会保障環境が整備されつつ、しかもまだ経済がプラス成長していた時代はそれが表沙汰になることはなかったが、90年代のバブル崩壊、新興国の台頭、日本社会システムの矛盾と崩壊、経済の凋落・・・、マイナスに転じてからは、それは自明のものとなった。
『勝ち組』『負け組』、幼稚な表現がまかり通るほどに、私達の国『日本』は、成熟から程遠い、未成熟な国家である事も露呈した。


私達は、時々でいい、ひとときでいい、手を休め、
ジョンとヨーコのメッセージ、問いかけに、素直になって、自問してみてはどうかと思う。

If you want it
私達が望むなら

We can do it
私達はできる

Imagine
想像してごらん


私達一人ひとりは、小さくか弱きものであるが、生活を変革する、"POWER"を秘めている。
私達が手を取り合えば、世界を変革する、”Gig Wave”を作り出す事が出来る。

Wonder to oneself
自らに問いかけてみよう

For carve out a better future
よりよい未来を切り開くために

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