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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2010年10月1日金曜日

高砂市新人総体、鹿島野球部は難敵宝殿中を破り、2回戦に駒を進めました。

宝殿中戦、うぅーん、もう息つく暇もないほどに、これほど観戦で疲れた試合はなかったです。 新チーム発足時に対戦したときは、2戦2敗、しかし、鹿島中野球部も一夏の厳しい練習を経験し強くなっています。拮抗したゲームになる、予想通りの投手戦、守備戦となり、7回終了時点で0対0、延長戦へと進みました。 8回、先頭拓樹がセンター右ヒットで出塁、幸伍が四球、相手の牽制エラーで走者がそれぞれ進塁し、耕太郎の内野ゴロで捕球エラーが出て、拓樹が猛烈な勢いで生還し、1点を奪取。


尚も凌の内野ゴロで幸伍が三本間に挟まれたとき、相手三塁手が本塁に投げた球が捕手と投手の間、幸伍の頭上を越えてバックネットに転々とする間に、幸伍、耕太郎が相次いで生還、この回、労せずして3点を奪取しました。


8回裏、エース雄大は最終回も宝殿中の重量打線を抑え、見事完封で、2回戦に駒を進めました。


宝殿中のエースも、その名に恥じない素晴らしい投手で、7回まで全く手も足も出ない状態でした。 しかし、8月末のうずしお大会準決勝で敗れて以降、負けない、どんなに先行されていても、追いつく試合をしてきた鹿島中野球部員の底力が宝殿中を上回っていたという事でしょうか。とにかく、凄く、素晴らしいゲームでした。双方の選手達に拍手を送ります。 鹿島中野球部部員は、明日、準決勝で高砂中を下した竜山中と対戦します。勝って、東播総体の出場権を手にして貰いたい、そう願います。

2010年9月28日火曜日

息子として叶わなかった『野風増』の世界

二十代の頃、よく友と酒を酌み交わし、語り、歌いました。ただ、叶わなかった事は、父 と酒を酌み交わせなかった事です。父は、第二次世界大戦に出兵し、終戦を南方洋で迎え ました。私は父、45歳の時、生まれました。
『わかば』、安い煙草を嗜み、吸い口部分 は手でほぐし、キセルに詰めて、最後の一服まで無駄にしない父でした。しかし、酒は呑 まなかった。最後まで、その理由はわかりませんでしたが、誓う事があったのだと感じて います。

『野風増』、この歌は、野人の如き風貌に、繊細さと剛胆さを秘めた関西が誇る昭和のフォーク・シン ガー河島英五さんの名曲です。彼は2001年、病に倒れ、48歳、この歌の詩のように 、息子と酒を酌み交わす事なく、逝きました。

私には二人の息子がいます。長男(遼太郎)は今高3、後2年で二十歳となります。『野 風増』とは対局の性格ですが、芯は強い男です。名の通り、遼遠を見渡しながら一歩一歩 、自分の夢に向かって欲しい、そう願っています。
次男(耕太郎)は中2、『野風増』の素養はありますが、まだまだ芯が弱い。名の通り、 新天地を耕し切り開く者になって欲しい、そう願っています。
そして、親子共々、数年先まで健康であれば、気恥ずかしいところはありますが、馬鹿話 に花を咲かせて、旨い酒を酌み交わせたらどんなに幸せか、と思います。


YouTubeに、歌『野風増』をアップしました。

外科診察室で見た『オンラインX線デジタル画像』に釘付けになりました・・・

昨日、妻が朝、次男耕太郎の、体調の悪さ(唇の荒れ)を認め、
自宅近くのみやけ医院に、電話診察予約システムで予約を登録し、
学校から帰宅後、夕方、病院で診察を受けました。
単純ヘルペス、口唇ヘルペスとの診断で、
先生曰く、
『最近、スポーツをする生徒に多く見かける症状で、特にこの時期になって夏の疲れから、この様な症状がでる生徒が多いです』
また『ひどい場合は、風邪から肺炎に進行する生徒もいます』というお話しでした。
先生も、何故にこの様な傾向になってきたのか、首を傾げておられました。

みやけ医院の待合室で待機している最中に、
娘さくらから電話があり、
『指の腫れが引かず、顧問の先生から病院で診察を受けなさい』と言われて、
最寄り駅『山陽電鉄大塩駅』で下車後、電話を掛けてきました。
耕太郎の診察が終了した後、今度はさくらを近くの中村整形外科に連れて行き、
診察・レントゲン検査の結果、
剥離骨折が判明、正式名称は『右示指中節骨骨折』、全治一ヶ月の診断でした。
9/26(日)、姫路東高で開催された、高校女子ソフトボール大会での試合直前練習でノックを受けた際に、右手人差し指を打撲したとの事、元気が取り柄の娘で、その後、テーピングして試合に出場したとの事でした。
しかし、暫くは治す事に専念する様話しました。
自分は、もどかしくても、中途半端にすれば治りが遅くなり、また後遺症の恐れもある。
自分にもチームメートにも迷惑を掛けないためにも、治療に専念するよう、そう伝えました。

この中村整形外科、若い頃から、ぎっくり腰や、ヘルニア治療、胸椎骨折治療等で私自身、大変お世話になった病院で、中村先生はもとより、看護師さん、またレントゲン技師は馴染みで、特にレントゲン技師の藤井さんとは小学校のPTAでともに働いた仲間です。
藤井さんの息子宏政さんは、鹿島中野球部OBで、加古川北高進学後、2008年、強豪校ひしめく兵庫の中で公立高校として春・夏と甲子園出場の原動力となり、その秋、育成枠で阪神タイガースに指名を受け、現在、背番号『125』、レギュラーを目指しています。

またいつものように話が逸れますが、
そういえば、今年6月5日(土)姫路球場で対ドラゴンズ戦のウェスタンリーグの試合があり、耕太郎のチームメートのお父さんが務めておられるDyDo関連の兵庫エルビー株式会社が特別協賛され、息子が始球式を行うので招待して頂きました。姫路で生まれたものの、姫路球場に入ったのは初めてでした。しかも、バックネット裏、アンパイア控え室です。
その後、グラウンドに出て、写真撮影しました。90年代タイガースを引っ張った貴公子八木さんとも短くですが談笑できました。当時を振り返り、甲子園でのヤクルトとの6時間を越える死闘の試合について伺いましたら(私はこの試合、大阪京橋のとある居酒屋で飲みながらサンテレビのタイガースナイター中継を観ていました)、さすがプロ野球選手、詳細に記憶されていました。
試合前の守備練習の際の、藤井宏政選手も撮影しました。高校を卒業して、プロの水にも馴染んだのでしょう、大きく逞しい体でした。







話は戻り、

しかし、診察は久し振りでした。
そして、驚きました。さくらが指のレントゲン撮影をした後、フィルムを現像して・・・と流れを思い描こうとする間もなく、診察室から入室案内がありました。再度、診察室に入ると、パソコンの液晶画面に、鮮明なレントゲン写真が表示されていました。マウスクリックで、骨折箇所を拡大表示、倍率は700%を示していました。拡大しても、画像は鮮明でした。デジタルカメラや画像処理に興味が尽きない私は、その画像に釘付けになりました。
診察を終えた後、藤井さんに、『解像度はなんぼなの?』とトンチンカンな質問もしていました。
自宅に帰って、インターネットで調べると、『オンラインX線撮像システム』というものらしいです。
そういえば、画像は、InternetExplorer(インターネット閲覧ソフト)で表示していました。
医療の高度化は昨今の常識となっていますが、この様に患者に提供される情報がよりクリアになることは、素晴らしいと感じました。

そうそう、もといもとい
息子、娘の早い完治を願います。
なんか、付け足しのようになり、気まずい気持ちのまま、終わりにします。

2010年9月27日月曜日

『秋の総体地区予選』 私を野球に連れてって

野球といえば『夏』、夏の全国高等学校野球大会、プロ野球も、アマチュア野球も、炎天下での激戦、また夕涼みの楽しみとしてのナイター観戦、私は『夏』を最初に連想します。

ですが『秋』こそ、野球の本当の面白さに触れられる季節かも知れない、最近そう、感じ始めています。
日本プロ野球はクライマックスシリーズが導入されてから、『消化試合』という余りにもファンを舐めた試合が減り、リーグ優勝、クライマックスシリーズを経て日本シリーズと、歓喜の波が次々と押し寄せてきます。
また、高校野球は、春の全国選抜高等学校野球大会の地区予選が始まり、夏を制したチームを含め全ての球児が、優しく爽やかな秋空の下で、夏の苦しい練習に耐えた成果を携えて、戦いを繰り広げています。

2年前まで観戦の中心であった小学生少年野球においては、昨年末から新たになったチームの約一年の活動の総決算。
各部員は、例えば5年生は6年生に学年が上がり、初めて組織活動の様々なリーダーとしての責務が与えられ、野球を単にプレーするだけではなく、その責務の重みを感じながら野球活動を経験します。
彼らにとっての秋の大会は、実りの刈り入れです。当然のこと、選手も、応援する我々も、ひとつでも多く勝利する事を願っています。しかし、彼らにとって小学生少年野球の最後を飾る秋の大会の経験も含めて、これからの彼らの糧、力となることを観戦を通じて、私は学びました。

そして今、観戦の中心である中学生の野球です。
中学の部活としての野球は、チーム事情によって若干異なる部分はあると思いますが、初夏の中体連軟式野球大会に敗れた時点で、新チームに移行、2年生が中心となっての活動が始まります。
私のようなアマチュア野球経験すら殆どない者が、と笑われてしまう事をあえて書きますと、
小学生少年野球(子供会の野球)との大きな違いは、
部員個々の育成よりもチームという組織で戦う事、戦術に比重が移っているという事です。
監督・部長は、部の顧問であり、責任者であり、グラウンドを一歩出れば中学校の先生です。
でもグラウンドでは、チームを率いる監督・コーチとして、チーム事情を踏まえた戦術を指導し、日々の練習、練習試合を通じて選手に叩き込み、公式戦に臨みます。目指すのは深紅の優勝旗のみです。
厳しい練習では怪我もあります、親として非情とも取れる采配もあります。そんな時、一歩も二歩も下がって、チームを広く見渡せば、監督の苦悩も見え、また部員それぞれについて、与えられるチャンスに結果が出せるよう準備をする者、チャンスに応える者・応えられない者、という部員側の喜びや苦しみも見えてきます。

また、野球というスポーツは、グラウンドに散る9名だけで行えるものではなく、例えば部員数27名であれば、27名それぞれに大切な役割・仕事が与えられます。
走塁コーチ、彼らの指示には、走者を活かし、次の塁を奪い、得点を上げる重要な責務があります。
スコアー記録係や、盗塁に関する時間の計測係が収集した情報は、ゲームの大局的な戦略、極小的な戦術に影響を与えます。
プルペンは、投手を気持ちよくマウンドに送る責務があり、控え選手は、常にグラウンドに立てるよう、ゲームに集中しなければならない。
そして応援、これはグラウンドに立つ9名を含めた全員が、共に戦っているかの指標になります。
『投手を孤立させるな!』、『エラーやチャンスを潰した選手を奮い立たせろ!』、『ピンチに受け身になるな!』、それぞれの立場に身を置けば、理解できるはずです。声援をくれる、信じてくれる、共に戦ってくれる、僚友・戦友がいる心強さを・・・。
ピンチを皆で切り抜け、次に巡るチャンスを皆でものにして、『勝つ』、そこに野球の、野球でしか味わえない醍醐味があるように思うのです。

少年野球の指導者でもある友人が、中学野球を評して、初年度は、守り強いチームが勝ち残り、次年度最終年度は、夏の激しい練習、冬の地道なトレーニングを経へ実力をつけたチームが勝ち進む。イチローの言葉を引用するならば、勝利のための、得点をするための、オプションを少なくとも二つ三つは最低限備えたチームへと進化することが、来年に向けた課題と思います。

10月1日(金)、総体への出場権をかけた高砂市地区予選が始まります。鹿島中野球部部員達は、この3ヶ月、怪我もし、泥んこにもなって、監督の指導に必死について来て、10月1日を迎えます。
現在、怪我で出場できない部員がいます。これまでのところゲームへの出場機会がない部員もいます。
でも27名で、ここまでやって来た事にそれぞれが自信を持ち、チームメートを信頼し、与えられたポジションで精一杯に戦って欲しいと願います。思いっきり楽しんで欲しいと願います。
一度しかない試合、一戦一戦を心に刻んで欲しいと願います。