その映画とは、先日テレビ放映されたフランク・キャプラ監督作品「素晴らしき哉、人生!」(原題 It's a Wonderful Life 1946年アメリカ映画)です。
自分の夢を犠牲にして、高潔な父から引き継いだ事業を必死に守ってきた男が、クリスマスの前夜に思いがけない罠に掛かって事業資金を失った上に、ありもしない横領の罪を着せられます。失意と後悔に塗れながら、それでも最後に自分の生命保険金で事業と家族だけは救えると自殺を思い立ち実行しようとします。そこに神様から使わされた二級天使クラレンスが現れて、彼が最初から存在しなかった世界へと彼を導きます。
その世界では、彼が存在し、彼が働きかけたことで命を落とすことのなかった人たち、罪を犯すことのなかった人たち、強欲な者から解放された人たち、成功の切符を手にした人たち、そして父の高潔な事業まで、存在しませんでした。彼の知る人たちは、強欲な資本家の奴隷に成り果てていました。そして彼が愛し共に家庭を育んできた美しく高潔な妻は、独り身の寂しい女になっていました。
彼はその世界から当てもなく逃げ出しました。そして自殺を実行しようとした橋のたもとに辿り着きました。そこで彼の事を心配し探していた友人と出会いました。彼は元の世界に戻ってこれたことを心から感謝しました。そして家族の待つ家に駆けていきました。
愛する子供達がいました。愛する妻がいました。彼を心配して駆け付けてくれた町中の友人達がいました。友人達は彼の苦境を救うために、自分たちの蓄えを寄付してくれました。成功した友人からも施しの申し入れがありました。彼を逮捕するために来た監察官や検事までが彼の善行に心を打たれ、彼を信じることにし寄付もしてくれました。
友人たちは、彼こそ冨し人だと讃え、オールド・ラング・サイン(良き古き親友を讃える歌)の合唱が始まります。
テーブルの上に集まった贈り物の上に、二級天使クラレンスが携行していた「トムソーヤーの冒険」が開いて置かれていました。そこにはクラレンスからのメッセージが書かれていました。
「ジョージ、忘れないで下さい。友を愛し、友に愛されるものは神の祝福に値することを。そして、翼を有り難う。」クラレンスはジョージを正しく導いた事で神様から翼を与えられ一級天使になりました。ジョージは天を仰ぎ、天界の友人への祝福と感謝を捧げました。
オールド・ラング・サインの歌声は何時までも続きます。
この短いあらすじを書き上げ、読み返すだけでも、感激の涙がこぼれ出てきます。
自分の振り返った人生が、この様に輝いていたならどんなに素敵でしょう。
しかし、主人公ジョージ・ベイリーは特別な男であったでしょうか。決してそうではありませんでした。
ジョージは子供の頃から貧乏くじを引いてきました。いつもこうしたい、こうできたらという欲望を持ち続けていましたが、いつも神様に恥じない方を選んできました。
しかし、クリスマスの前夜、強欲な資本家に罠を仕掛けられ、窮地に陥り、わらにもすがる気持ちで、罠を掛けた張本人とも知らずに強欲な資本家に助けを求めに訪ねたところ、不明をなじられた上に、横領の罪までなすりつけられました。そして、生まれて初めて強欲な資本家に強い敗北感を抱きました。そして自分のこれまでの選択は誤りだったと嘆きました。
ですから、私達は誰もがジョージなのかもしれません。
そして、私達は誰もが、気づかないかも知れないけれど、愛し愛してくれる友人いることを、この映画は気づかせてくれます。
「友を愛し、友に愛されるものは神の祝福に値する」
クリスマスの金言として心に刻みたいと思います。
そしてまた、「素晴らしき哉、人生!」は、大切な一冊の本「この世で一番の奇跡」(原題 The Greatest Miracle in the World 1975年オグ・マンディーノ著)から受けた感銘と同じものを受け取りました。
私はこの本とずいぶん前に出会いましたが、この本の福音をこれまで理解していませんでした。最近、あらためて読み返すことがあり、その福音をこれからは大切にしていきたいと思っているところでした。
この本の中に、「神の覚え書き」という章があります。最近、ある滝の前で寒さに震えながら読みました。詰まらずに読んでも一時間以上掛かります。詰まりながら読んだので三時間以上も掛かりました。でも、とても神聖な心持ちになれました。
思いっきり下手な朗読ですが、添付したいと思います。