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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2016年3月14日月曜日

復興の希望を繋ぐ者

先週は、東日本大震災から5年目を迎えるという事で、新聞でもテレビ・ラジオでも震災関連報道が数多く見られました。
そんな中で、夕方のラジオ関西の番組に電話の声で出演された東北地方のベテランアナウンサーの話に得心しました。
その方は、今東北で頑張っている若者、これから東北の復興、再生、活力を担ってくれる子供たちのために、「教育」と「医療」の充実こそ真に必要と話されました。
東日本大震災では、津波被害、原子力発電所事故による放射能汚染被害によって、未だに多くの住民が帰郷できない状況といいます。被災地は、人が戻れなければ町の活気を取り戻せず、産業の振興も図ることができません。苦しんでいる大人を見て、しかし子供たちは、彼らもまた家族を失い友達を失うという大きな悲しみを背負っているのに、真の復興の希望となるべく、明るく力強く大人達を励ましてくれていると言います。

国は、防災対策、インフラ整備、町の再建とハード面の復興事業に力を注いでいますが、それはややもすれば膨大な資金を消費する終わりのない事業になりかねません。
被災地住民が急ぎ求めているのは、町への帰郷と自らの生活の再建です。そして健やかで逞しく賢い人間を育て、未来に希望を繋ぐことです。その希望を繋ぐ者こそ、若者であり子供たちです。
国は主導権を握ってすべてを取り仕切ろうとはせず、被災地住民の声にもっともっと耳を傾け、信頼し、自助努力が遺憾無く発揮されるように、必要な支援を行って欲しいと思います。その支援の最たるものが「教育」と「医療」なのだと思います。

しかし、町の復興を願うのは、被災地だけではありません。今日本の大都市圏以外の地方都市は、どこも衰退を危惧していると思います。
住民にとって、この先もこの町で住み続けたいと思う動機となるものは、煎じ詰めれば二つではないかと思います。それは
・この町を誇りに思うこと
そして
・安全と安心が担保されていること
です。
安全と安心は、希望を繋ぐ子供たちを育むために欠かせないものです。その最たるものが「教育」と「医療」なのだと思います。

2016年3月13日日曜日

平成28年度春季地区大会播淡地区Bブロック組み合わせ

松陽高校野球部の父母会長俵さんから、平成28年度春季地区大会の組み合わせ表を送って頂きました。
松陽高校は、播淡地区Bブロックです。
昨年秋よりもさらにチーム力が上がっている様子です。秋季大会と同じく県大会出場を目指して勝ち進む事を楽しみにしています。
同じBブロックには高砂高校がいます。高砂高校には、北浜子ども会野球部出身の本多君がいます。両校は勝ち上がれば決勝で対戦することになります。
両校が並んで県大会出場となれば、こんな嬉しいことはないですね。


足の向くまま気の向くままに、神戸路を歩きました。

今年の震災メモリアルウォークは体調不良で参加できませんでしたので、その雪辱の気持ちもありました。

でも最近の運動不足、まずは高砂までならし歩きしました。
日笠山の桜は、まだまだ蕾もありませんでした。この数日の寒さで引っ込んだのかもしれません。眼下に見える大塩の塩田跡地は、太陽発電基地と化していました。水鳥の憩いの場所であった広大な沼地は、どんどんと埋め立てられて、木が一本も無い、パネルの砂漠化が進んでいました。
曽根天満宮の梅は、まだまだ甘酸っぱい香りを漂わせていました。

そして、とことこ歩き、無事高砂駅に到着です。そこから山電に乗って三ノ宮に移動して、早い昼食を食べ、そして須磨に向けスタートしました。
でも、歩き出すと歩いた事の無い道に惹かれます(まあ、ほとんど歩いた事の無い道ばかりですが・・・)。三ノ宮の歓楽街の路地に足を踏み入れて、どんどん歩いて行きますと、生田神社に突き当たりました。雅楽の音が聞こえてきたので境内に入ってみると、社殿でちょうど結婚式が執り行われているところでした。おめでとうの気持ちを込めて、写真を一枚撮らせて頂きました。

そこから北へと進みます。麓に近づくにつれ坂がきつくなっていきます。その坂をフウフウ上がっていく私の横を、若い女性がチャイルドシートに子供を乗せた自転車ですいすいと漕いで上がっていくのです。それは電動付き自転車でした。電動付き自転車の力をまざまざと見せられました。

そして山麓に一番近い東西に道に出、その道を西に向かって進みます。
この辺りは、震災でどの程度の被害があったのでしょう?そんなことを思いながら歩きました。メモリアルウォークで歩く浜手の町は震災で大きな被害を受け、この二十年の復興で町並みは一新しました。でも、はじめて歩く山麓の町並みは、比較する記憶が無いため分かりません。でも、神戸には結構河川が多いことに気が付きました。特に山麓の近くは、どの川も川幅が狭く、流れが急で、くねくね曲がりくねっています。神戸は震災以前に三度も水害被害があったということですが、豊かな山資源を身近に味わえる神戸は、震災だけでなく水害災害もけっして風化させてはいけないのだと実感します。

山腹に立派な御堂が見えました。寄り道をして、細い坂道を登っていくと祥福寺という禅寺がありました。境内に入らせて頂きましたが、僧侶を一人もお見かけしませんでした。ですが、境内は見事に掃き清められていて、まさにそこは清涼な場所でした。南に面して庭が開かれ、その向こうに神戸の町並みが一望できました。登ってきて正解でした。

そこからまた、とことこ西に歩きます。緩やかなアップダウンが続くために、思った以上にしんどかったですが、路線バスの停留所が短い間隔であって、そこには日除けとベンチもありましたので、いつでも休憩が取れる、そう思うと人間おかしなもので、頑張れるンですね、結局ベンチで休憩したのは1回だけでした。
そして夕方前に須磨寺に着きました。

山電須磨寺駅から電車に乗って家路につきました。
東垂水の埋め立て地が、太陽電池基地と化しているのが見えました。
自然の脅威と人工の脅威、人間はいつもその間に立たされ悩み続けるのだろうなぁ、そんなことを思いながら家路につきました。