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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年4月14日土曜日

『歩こう!』


遙かに昔、初めてデートした時の思い出です。
会話もできず、ひたすら歩いていました。そして、目的地が渡しに乗ればすぐのところに来て、それでも遠回りの歩く道を選んで、女の子に行った言葉が
『歩こう!』
でした。
この後の展開は分かりますよね、女の子は呆れて怒って帰ってしまいました。

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現在の私も相変わらず、ぶらぶらと物見遊山で歩くのが好きです。
まぁ目的地を決めて歩き出すのですが、でも目に留まった風景に立ち止まったり、寄り道したり、回り道して歩くのです。

遠くに早く着くためには、自動車で移動すれば良いし自転車でもいい。
でも、歩きでしか得られない、発見、そして出会いがあります。
陽の光を浴びて、風の匂いをかいで、
耳に届く音、目に飛び込む光を楽しみます。
同じ風景だって、一歩違えば風情が変わります。
そんな些細な、でも自分だけの発見を求めて歩くのです。

今日もぶらぶら歩いてきました。
近くの、桜の名所『日笠山』です。
日笠山の桜は遅咲きで、例年長く桜見を楽しめるのですが、今年は、昨日ようやく満開をむかえた桜も、雨と冷たい風に打たれて、早くも桜吹雪が舞っていました。
空は薄曇りで、揺れ動く桜の花びらの淡紅が、儚く愛しくみえました。
午後から陽も差しましたが、でも今日は花冷えですね。
散りゆく桜を悼みたいと思います。

ビデオのBGMには、
ニュージーランド出身の歌姫ヘイリー(Hayley Westenra)さんの
2009年のアルバム 絆 HAYLEY sings JAPANESE SONGS 2 から
童神~ヤマトグチ~
を使わせて頂きました。
ヘイリーさんは、女王陛下の前でも歌われたことのある実力歌手です。
その歌声は、小鳥のさえずりの様に澄んだ軽やかな美声なのです。
2008年、2009年に日本のポップスをカバーしたアルバムを出されています。
私は、この
純~21歳の出会い HAYLEY sings JAPANESE SONGS
絆 HAYLEY sings JAPANESE SONGS 2
で、ヘイリーさんの歌声に触れました。
大好きな歌声です。

公開が待たれる映画『ホビット』二部作


映画.comのサイトに
『ホビットへの道』”ROAD TO THE HOBBIT”が立ち上がっていました。
http://eiga.com/official/hobbit/chapter1/

21世紀の初めに、ニュージーランドの気鋭ピーター・ジャクソンが放った遠大なファンタジーの叙情詩”THE LORD OF THE RINGS”三部作の前章にあたる物語です。

原作は英国の文学者であり作家J・R・R・トールキンが創造した、もう一つの地球、”Middle Earth”の神話です。
J・R・R・トールキンは、英国には北欧神話やギリシャ神話に匹敵する物語がないとして、自ら”Middle Earth”の神話を創造しました。
神(エル)が世界を創造し、生き物を創造し、言葉を創造します。そして最初の善悪の戦争までを描いた作品が『シルマリルの物語』です。
そして悪の帝王サウロンが、”Middle Earth”を支配するために、絶対的な魔力を持つ一つの指輪を鋳造します。そして再び起こった善と悪との戦いの最中、人の子の剣に指を切り落とされて、サウロンの肉体は消滅し、指輪は誰の手にも届かぬ処に廃棄されますが、それを偶然にも拾ったのがホビット族のゴラム。ゴラムは指輪の魔力に毒されて怪物に変身してしまいます。そして長き時間を経て、冒険好きのホビット、ビルボがその指輪探索の旅をする。それが今作品『ホビットの冒険』です。
そして、神話のハイライト
息を吹き返したサウロンは、悪の手下を呼び集め、失われた指輪の探索を始めます。指輪にはサウロンを完全に復活させる魔力がありました。その恐怖をいち早く察した善の魔法使、灰色のガンダロフは、指輪を完全に滅ぼすために、ビルボの甥で、現在の指輪の持ち主フロド、フロドの家人、そしてエルフ、ドアーフ、そして人の子の勇者を伴って、サウロンが指輪を鍛えた、そして唯一指輪を滅ぼすことができる滅びの山の火焔に魔力の指輪を投げ入れるために旅に出ます。この苦難の旅、旅の仲間との友情、悪の退治、善の復権までを描いた作品が『指輪物語』です。

私は映画”THE LORD OF THE RINGS”に夢中になりました。
三部作全てを、公開されるや、いち早く観ました。
小説も買って読み、『指輪物語』辞典なるものも買って読みました。
ファンクラブにも入会し、発売されたDVDは全て買い、何度も観ました。
一種の熱病に冒されていたようです。(元来、夢中になると他のことが全く見えなくなる質なのです。)

でも神話って、ほんと魅力的ですね。
でも古典的な神話と異なり、トールキンの描いた神話には『エロス』がありません。それはトールキンが学者であり、詩人でなかったことが一因ではないかと思います。
ギリシャ神話を始め、古典的な神話や神典には時の詩人が関与して、『エロス』を含めた人間臭さがしっかりと描かれています。神話とは、継承者が物語を補完し膨らませ、より豊かで濃密な物語に発展し続ける物だと思います。
今映画作品『ホビット』では、前作『指輪物語』に増して、人の内に生まれる愛憎、欲望そして希望が描かれていることを期待します。

『ボールを止めて、一点で打つ』、ファンタスティックなバッティング


ある野球のゲームを観ていて、ふと思ったことがありました。
その試合では、攻撃側が尽く進塁打を決めたのです。投手の球はあまり速くなく、打者はしっかりと球筋を見てセオリー通りに打ち返していました。
そして
『彼らは今、ボールが止まって見えているのか』
と思いました。

メジャーリーガーの中でも一握りの強打者の、その打撃シーンを見ると、点でボールを捉えている、と実感します。
今年日本で開幕戦を行ったアスレチックスのセスペデス選手は、マリナーズとの第二戦でセンター右横に突き刺さるホームランを打ちました。その打席のスーパースローには、投球がホームベースに掛かる直前に、セスペデス選手が反応、驚異的なスピードで降り押したバットで、ボールをヒットするシーンが映っていました。
『彼らは、ボールを止めることができる』
そう実感しました。

好打者、強打者は、よくこんな言葉を残します。
『球が止まって見える』
『球の縫い目が見える』
と。
そして対する投手は、
『投げるところがない』
と白旗を揚げるのです。

ボールをヒットするその時、その瞬間、
彼らは、ボールを止めて見ているのです。
『ボールを止めて、見る』
それは、驚異的な集中力と動体視力、反射神経、瞬発力の成せる神業です。
そして、驚異的なスイングスピードを持って、ボールを待ち、呼び込み、一点で仕留めているのです。

バッテング技術論、向上論はごまんとあります。
選手の体力、状態に応じて、試合状況に臨機に対応するために身に憶えさせなければならないスキルです。
でもその先、究極のバッテングは、
『ボールを止めて、一点で打つ』
ことだと思います。とてもシンプルです。
このような状態を作る事は、誰でも可能です。
集中力を高める
動く物体をしっかり追跡する
そして何より大事なのが、素振り。
体に負荷のない、そして最大の力を放出できる打撃で一点を捉えるイメージを持って素振りをするのです。昨日より今日、今日よりも明日、速くスイングできる様に訓練する。それは集中力と反射神経、瞬発力の訓練でもあります。
それが叶ったならば、打席で余裕が生まれます。
スイングの自信と、心の余裕が
『ボールを止めて、一点で打つ』
を可能にするのだと思います。

さあ、野球少年達よ、
表に出で、バットを振ろう。
最高の強打者を目指してバットを振ろう!

2012年4月13日金曜日

鳥のさえずりを求めて、鹿島の杜を散策しました。


3月18日に
『鳥のさえずりが聴こえます』
という記事を書きましたが、この数日、朝方耳を澄ましていると、大体4時50分頃に澄んだ一声が町中に響きます。
どうやら近所に巣くった鳥(名無しの権兵衛)は、早起きで美声の持ち主のようです。

そして4月10日、
鳥のさえずりを求めて、鹿島の杜を散策しました。
最初は、高砂市公園墓地です。
公園墓地は、鹿島神社から直線で東500mほどにあり、高御位山を雄大に望める桜の名所です。
くねくねと山道を登りました。時折、園内で工事をしていたクレーンのけたたましい音が響きましたが、少し奥に入ると杜から発せられる音に包まれました。
静寂の中に、葉のそよぐ音、そして求めた鳥のさえずりが聴こえます。
『ホー、ホケキョ、ケキョケキョ』うぐいすです。
『ケタケタケタケタ』雉です。
そして朝耳にする鳴き声と同じ鳥のさえずりも聴こえました。
高台で桜見を楽しみました。
まだ満開ではなかったですが、花曇りの空の下、淡い色の小さな花びらがあわあわと揺らいでいました。そして間近に高御位の峰が霞んで見えました。
春だなぁ、って思いました。

それから、鹿島神社に参拝しました。
平日、参道は閑散としていましたが、それでも人の営みが聞こえます。
幾つかの茶店の表には、『柏餅』という看板が架かり、蒸籠で蒸し上がったばかりの餅が、湯気を上げて『美味しいよ』と誘います。
石畳、石の階段を登って、拝殿にたどり着きました。
それから、拝殿の中をくるりと回って、そして鹿島の杜に入りました。
暫し、杜の静寂を楽しみました。

拝殿下の公園では、桜の下で花見の宴が開かれていました。
帰りに柏餅を買いました。
白10個、よもぎ11個。
店の若女将は、蒸し上がったばかりの丸餅に柏の葉を丁寧に巻いていきます。
一個口にくわえて歩きました。
ほんまに美味かったです。

マシスンの純愛ファンタジー後編 『奇蹟の輝き』(What Dreams May Come)


リチャード・マシスンが、純愛ファンタジー『ある日どこかで』で、
タイムトラベルのヒントとしたのが、
J・B・プリーストリー(1894-1984 英国の作家・劇作家)の”Man and Time”(人間と時間 1964)です。

著書からの引用-----
「第一時間」現世の世界。
ぼくら人間が生まれ、齢をかさね、死ぬまでの時間だ。物質的な実用上の時間の流れであり、脳や身体が感知している時間だ。

「第二時間」死後の世界。
この一本道の単純な時間とは別個にある時間だ。「第二時間」では、過去も現在も未来も共存している。時計やカレンダーが成立しない時間世界。そのなかに入れば、人間はひとつづきの時間流から逃れ、動いていく一瞬一瞬の連続体としてではなく、むしろ、ひとつの塊として時間を観察できるようになる。

「第三時間」来世。
「どんな未来や現在や過去にも転移したり、そこから離脱したりできる力」が実在する空間。
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そして、「第二時間」「第三時間」の世界までも描き、その中で二つの『魂』の揺るぎない絆を、『ソウルメイト』の物語を描いた作品が、
邦題『奇蹟の輝き』(原題:What Dreams May Come)です。

小児科医のクリス・ニールセンは、休暇先のスイスで一人の女性に出会います。
彼女はアニー、油絵画家です。
ふたりは恋に落ち、そして結婚、二人の子供にも恵まれます。

そして十数年が経ったある日、
朝学校へ送り出した子供たちの車が事故に遭い、二人の子供は亡くなります。
最愛の子を失った悲しみから、『私が二人を殺してしまった』と自分を責めて、アニーは精神に破綻を来たし、自殺を図りました。
長い闘病とリハビリを続けるアニー、そしてクリスは時にユーモアで、時に悲しみで、二人の苦しみを共有してアニーを励まし続けました。
そして、アニーは気弱ながらも、絵を描けるまでに快方します。

クリスは、ある個展で出展作品の遅れからパニックになりそうになったアニーを励まし、代わりの作品をアニーの元へ届けようと車で移動している最中、事故に巻き込まれて命を落とします。
クリスの意識が戻ります。そこはクリスの葬儀の場面で、憔悴しきったアニーの姿がありました。クリスはこの世に留まって、アニーになんとしてもコンタクトをとり、励まそうと試みますが叶いません。
アニーはもやは手の届かないところにいるのだと悟ったクリスは、遠くからの呼びかけに従って旅立ちました。

クリスがたどり着いた場所は、『サマーランド(常夏の国)』でした。アニーが油絵で描いた、”二人の永遠の楽園”です。天国では、自分が望む最上の世界を創造できるのでした。
クリスは子供たちに再会しました。この世界は幸せに満ちあふれていました。
そしてクリスは、この場所でアニーと再会できる時を待つ事にしたのです。

クリスのもとに、悲しい、けれども待っていた知らせが届きます。
アニーが死んだのでした。
でもアニーは現れません。
クリスは天国の案内人アルバートから死後の世界のルールを聞かされます。
天寿を全うしなかった者は、地獄の永遠の牢獄に捕らわれてしまうのでした。
そして、アニーは自ら命を絶っていました。

クリスは、アニーのもとに行く決意をします。
神様のもとで働くトラッカーを道先案内人として、クリスだけが捉える事が出来るアニーの微弱な思念を頼りに、地獄を旅します。
そして地獄の最も深くにある牢獄にアニーの姿を見つけました。
しかし、アニーは悔恨の思念に包まれて盲目になり、クリスが見えません。
クリスは、もはやアニーを牢獄から連れ出す事は叶わぬと悟り、アニーとともにこの牢獄に留まる事を決意します。
そしてこのシーン、映画でのクリスのセリフが最上級にロマンチックなのです。
『ぼくももうすぐ君のことが分からなくなる、でもいつまでも一緒だ』
『離れない』
『善人も自責から地獄に落ちる』
『僕は自分が許せない、だが君は許せる』
子供たちを殺したのに? 優しい夫まで・・・
『違うよ』
『天国、地獄、どこへでも追いかけたいひとだから、ただそれだけなんだ』

クリスが目覚めます。そこは『サマーランド』でした。クリスは一人で舞い戻ってきてしまった事に落胆します。でもそっと近づく足音に気付いて振り返るとアニーが立っていました。
『私よ』
アニーは、クリスの溢れる愛の思念に正気を取り戻し、そしてクリスの思念を頼りに『二人の永遠の楽園』にたどり着いたのでした。

そして家族の再会、永遠に満ち足りた時の中で
クリスはアニーに提案します。
『もう一度、現世に戻って恋に落ちないかい?』
end

原作のエピローグは、これほどにはハッピーエンドでなかったです。
アニーは地獄の牢獄から解放されるものの、天寿を全うしなかったために、天国に入る事は許されず、再び現世に戻ったのでした。
アルバートが”魂”について話します。
『魂とは転生だ』
『生まれ変わることだ』
『きみは-われわれもみな-何度も死を乗り越えている。』
『終えたばかりの人生における個性だけを憶えているが、あまたの人生を経験している』と。
そしてクリスは、現世に戻ることを決意します。
再び、アニーと出会い恋に落ちるために。。。

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映画は1998年、
主役の二人を
ロビン・ウィリアムズ(クリス・ニールセン役)
アナベラ・シオラ(アニー・ニールセン役)
が演じ公開されました。
油絵タッチの天国の風景が話題を呼び、この年、アカデミー視覚効果賞を受賞しています。
音楽を担当したのは、マイケル・ケイメン。その大草原に優しく流れるそよ風のような音楽は、途方もない映像世界に何の疑念を抱かせずに私を誘ってくれました。
マイケル・ケイメンは、私の大好きな映画
『ダイ・ハード』(1988年 主演:ブルース・ウィルス)
『ロビン・フッド』(1991年 主演:ケビン・コスナー)
『陽のあたる教室』(1995年 主演:リチャード・ドレイファス)
『オーロラの彼方へ』(2000年 主演:ジェームズ・カヴィーゼル、デニス・クエイド)
でも音楽で魅了してくれました。

映画『奇蹟の輝き』は、物語の深遠さ、映像世界の驚愕さ美しさもさることながら、
でも主演の二人が最高でした。
ロビン・ウィリアムズは、当代一のオールラウンド・プレーヤーです。最高のコメディアンであり、狂人にも偉人にも、そして悪人にもロボットにも変身します。
この映画でのクリスは、穏やかでユーモアがあって愛情豊かな立派な医者です。
ですが、思春期の我が子のおどおどした様子に、不満を抱く厳格な父でもありました。
そして最愛のアニーのこととなると、いつも全力なのです。これほどまでに愛情が細やかでそして一途な男なんているのか?これこそファンタジーではないか、なんて思ってしまうほどです。
そしてアナベラ・シオラ。
凄く可愛くて、きゃしゃで、表情が豊かで、瞳と笑顔が素敵な女優さんです。
この映画でのアニーは、ウィットに富んで、夫には出会った頃のままの愛で満たし、子供たちには機微で接することの出来る母です。ですが、ガラスの如くもろく繊細な心も併せ持っています。
そして、アニーの自死に至る、子供たちを失った悲しみ、夫を失った悲しみの表現は、画面を正視するにしのびないほどでした。
これほどまでに、表現の豊かな女優アナベラ・シオラですが、この映画以外、これといった代表作がないのが残念です。

最後に、この物語のタイトルについて
”What Dreames May Come”
小説の訳者あとがきに、
『(この物語は)ギリシャ・ローマ神話のなかでも有名な、竪琴の名手オルペウスが蛇に噛まれて死んだ妻エウリュディケーを惜しみ、冥界へ彼女の魂を救いにいく物語。あれを現代によみがえられた』と書かれています。そして、
『人間は死んだ後も、生を見つめそれを追求してゆく』
原題『どんな夢を見るのか』(What Dreams May Com)は、
シェークスピアの『ハムレット』の一説から採られていますが、マシスンは
『人間は自分の望む夢を見る』のだ、と説いているのでしょう。
そう括られていました。

シェークスピアは、ハムレットの独白
『為すべきか、為さぬべきか』(To Be or Not To Be)の中で、
『死の眠りの中に待っているものはどんな夢か?』と、人間の根源的な恐れに言及しますが、その問いに対して、マシスンは救いを見いだしました。
『人は望む夢を見る』のだと。

2012年4月12日木曜日

ヘンリー・フォードの名言『自分で薪を割れ、二重に温まる。』


昨日のNHK-BS1ワールドニュースで、
中国の”人材派遣ビジネス”振興を紹介するニュースがありました。

安い賃金と、膨大な労働人口を背景にして、世界の一大製造工場となった中国も、近年
”一人っ子政策”による若い労働人口減少と、
雇用コストの上昇によって、
企業経営が圧迫されてきました。
そこに登場したのが、”人材派遣ビジネス”です。
企業にとっては、必要な時に必要な労働力を確保する事が出来、
労働者にとっても、仕事が安定的に供給され、雇い止めや給料未払いという労働環境の劣悪さから解放される。
という触れ込みで、一気に成長している、という内容でした。
そして中国企業は今後、生産ラインをオートメーション化して人に頼らないハイテク化、そして付加価値の高いビジネスへと移行していくだろうと、と締めくくられました。

どこかにあった筋書きですよね。
そう、1986年に労働者派遣法が施行された以後の日本に酷似しています。
その日本では、1990年代前半に、世界の覇権者となったかの様に見えた大手製造メーカーが、軒並み巨額の赤字を計上、万単位の解雇を発表し、青息吐息なのです。
超ハイテク化された大規模ロボット工場を、地方の遊休地に建てては、大量生産し、でも売れない。頼みの輸出も、超円高と新覇権者となった韓国製造メーカーに太刀打ちできない有様です。

そして企業トップは、お決まりの冷淡な言葉を発します。
『生産拠点を海外に移す』と。
国内工場内はハイテク化で、空洞化し、
国内産業は、海外移転で空洞化が加速です。

20世紀初頭の世界大恐慌の折、希代の起業家ヘンリー・フォードは、自社の労働者にフォード社の車が買える給料を支払いました。そしてフォード社は、世界大恐慌を乗り切ったのです。
現在の企業トップは、フォードの言葉に真摯に耳を傾けて行動すべきです。

『私はいままでどんな人でも採用してきたし、一度採った者は絶対に解雇しない主義でやってきた。車をつくるのではなく人間をつくるつもりなのだ。解雇は絶対にしない。』

『奉仕を主とする事業は栄る。利得を主とする事業は衰える。』

『市場が良い商品で飽和することはないが、すぐに悪い商品で飽和する。』

そして、私たち全てが傾聴しなければいけない言葉は、

『若者は、自分を人と違ったものにする個性の種を一つでも探し出して、全力を尽くして育て上げることだ。社会と学校はこの種を奪い、誰も彼も一まとめに同じ鋳型に押し込めようとするだろう。だが、この種を失ってはいけない。それは自分の価値を主張するための、ただ一つの権利だから。』

『現代の悩みは、人が自分のために何かをしてくれるものと期待している人間が多すぎることだ。今日の大部分の問題の解決は、自分で何かをする一人一人の中に見出される。』

そして
『自分で薪を割れ、二重に温まる。』
です。

耕太郎のNEW GLOVE


耕太郎の高校合格祝いで頂いたお金で、耕太郎のグローブを新調しました。
注文して一ヶ月、漸く『出来上がった』旨の連絡があり、昨日ショップに取りに行きました。

箱に収められたグローブは、外側の赤色の皮肌がとても美しい仕上がりでした。

そして今朝、耕太郎とキャッチボールをしました。
純白の硬式球と赤色のグローブの対比がとても際立ち、鋭くまた攻撃的でありました。
またキャッチング時の音が、甲高く響きます。
『いいグローブや、ありがとう』
耕太郎がいってくれました。

新しいチームで、新しい仲間のなかで、如何に自分自身を表現するのか、そしてどんなに素晴らしいゲームを戦うのか、今から本当に楽しみです。

2012年4月11日水曜日

純愛ファンタジーの佳作『ある日どこかで』(Somewhere in Time)


リチャード・マシスンという作家をご存じでしょうか?
スティーヴン・キングと並ぶホラー小説の大家で、その主要な作品は名だたるホラー映画の原作となっています。
そのマシスン作品に、”純愛”をテーマとしたとても奥深いファンタジーが二作品あります。
『ある日どこかで』(Somewhere in Time) 1975
『奇蹟の輝き』(What Dreams May Come) 1978

今日は、『ある日どこかで』を紹介したいと思います。
因みに、あらすじは映画を元に記述します(原作と映画ではストーリーに若干の差異があり、そして映画の方がより記憶に強く残っているのです。でも、もしかしたら原作と映画のストーリーがごっちゃになっている可能性もあります)

『ある日どこかで』

ハリウッドで脚本家として成功したリチャード、しかし不治の病を宣告され、仕事も何もかも放り出して当てもなく彷徨います。そして浜辺に立つ19世紀の香りを留めたグランドホテルに逗留しました。
ホテルには、由緒ある劇場と小さな展示室がありました。
そしてリチャードは、展示室に飾ってあった1枚の古い写真、その写真に写っている美しい婦人に恋をします。彼女の名はエリーズ。1世紀近くも前に人気を博した舞台女優です。
リチャードは、エリーズの事を調べ尽くすうちに、彼女とのただならぬ関係を予感します。
若きリチャードが脚本家として成功する切っ掛けとなった賞の受賞パーティーに、年老いたエリーズが出席していたのです。彼女はその夜、グランドホテルの一室で短いメッセージを残して亡くなっていました。
『私の処に戻って』
リチャードはエリーズへの情愛を一層深め、そして時間を越えて彼女に会いたいと願います。
リチャードは、当代一の理論物理学者が唱える『思念の時間』という論文を目にします。そこには、思念としての時間には、
現在を流れる『一方向の時間』と、
過去、現在、未来を自由に行き交う事が出来る『時間の縁』があると論じられていました。
そして『時間の縁』を移動するヒントとして、空間、そして身の回り品全てを移動したい時間、世界のモノに置き換えて、その空間の中で、移動したい時間、世界を強く意識して、思念を飛ばす事、と書かれていました。
リチャードは、身の回り品全てを、エリーズが輝いていた20世紀初期の様相にして、身に纏って、彼女と特に縁の深いグランドホテルの一室を借り切って、何日も何日も閉じこもって、『エリーズのもとへ!』と念じ続けました。

そしてある瞬間、それは叶いました。
リチャードは、20世紀初頭の世界に降り立ったのです。
リチャードは、部屋を抜け出しエリーズを探します。
エリーズは、その日の夜の舞台の成功から、人気女優へと駆け上ったのでした。
でもリチャードに出会う前の彼女は、父の様に自分を過保護にして、また自由を許さぬマネージャーのロビンソンから逃げ出したかった、美貌と卓越した演技力の才能で幾ら観客を魅了しようとも、女優である事に不安を抱いていたのです。
そんなエリーズには、一つの予言がありました。
今日、『運命の人』と出会う、という予言です。
そしてリチャードと初めて出会った時、エリーズは思わず
『あなたなの?』
と口をつきました。
その後リチャードは、ロビンソンの堅いガードにもひるまずに、エリーズに近づき、時にユーモラスに、時にロマンチックに彼女を賞賛し、そして恋心を語ります。しかしそこには切実さがありました。エリーズにとってリチャードの好意は、とても新鮮で、そしてとても刺激に溢れていました。
リチャードとエリーズは疾走するが如くに引かれていきますが、でも別れの時間が刻一刻と近づきます。

その日の夜、エリーズは、最高にユーモラスに、そして最高に魅力的に舞台を勤め上げました。記者や評論家からも大絶賛を受け、東部から大きな契約が舞い込みます。
ロビンソンは、大きなチャンスをモノにするために、そして危険なリチャードから一刻も早くエリーズを離すために、深夜の汽車で移動することにしました。
万一の為に、リチャードを襲って、海辺の小屋に縛り付けもしました。
そして翌日、傷心したリチャードの元に、エリーズが現れました。ロビンソンから事の顛末を聞かさたエリーズは、ロビンソンを振り切って、リチャードの元に戻ってきたのでした。
そして、グランドホテルの一室で、愛を深め合う時間を過ごします。
それはまるで旧知であったかの様な、確かめ合う時間でありました。
そして、ふたりのこれからの事を話している最中、リチャードは上着の内ポケットに異物を見つけました。取り出すとそれは、リチャードが生きていた時代の硬貨だったのです。
一瞬にして思念の旅は終わりを告げました、リチャードは現代のひとりぼっちの客室のベットに横たわっていました。

リチャードは坂を転がる様に衰弱し、そして死期が訪れました。
幽体となったリチャードのそばには、微笑みを浮かべて向かい出でた若いエリーズの姿がありました。

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この小説を原作とした映画『ある日どこかで』(Somewhere in Time)は、1980年の作品で、主演を演じたのは、
クリストファー・リーヴ(リチャード・コリアー役)
ジェーン・シーモア(エリーズ・マッケナ役)
クリストファー・プラマー(W・F・ロビンソン役)
クリストファー・リーヴは、当時『スーパーマン』の大成功で大ブレークしていたのにも関わらず、制作費そして出演料もほとんど出ないこの作品に進んで参加し、共演者そしてスタッフと寝食を共にし裏方もこなして、作品作りに取り組んだ、という記事を読んだ事があります。
映画は、公開当時、酷評され、また興行的にも失敗作となりますが、その後のリバイバル上映などから火が付き、熱狂的なファンを獲得、そして現在では純愛映画の佳作として、多くのファンに愛される作品となっています。
映画の撮影は、ミシガン州マキナック島のグランドホテルで行われました。そして以来、毎年10月には、グランドホテルに出演者そしてファンが大挙集って映画を讃えるパーティーが開催されているそうです。

最後にサウンドトラックの話。
リチャードとエリーズが、急速に接近する野外でのデートシーンを格調高く盛り上げるのが、ラフマニノフの『パガニーニのラプソディー』です。
観おわって何十年も経ちますが、そのシーンを思い浮かべる時、ラプソディーが頭の中で流れます。また街角でこの曲が流れていると、この映画を思い出します。
映像とメロディーが見事にマッチしていたという事でしょうね。

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DVDは、現在新品は発売されていないようです。ですが中古品は出品されています。
また、レンタルもされています。探して手にして、どうぞ鑑賞して下さい。きっと切なくも優しい気持ちを抱かれる事と思います。

原作では、リチャードの弟がストーリーテラーとなって物語が進行します。『ある日どこかで』の深遠なる『思念の旅』を追体験するならば、原作の熟読を、おすすめします。


『ある日どこかで』日本語ファンページ
http://www.ueda.ne.jp/~peg/

『ある日どこかで』映画パンフレット掲載ページ
http://blog.livedoor.jp/donsanbonsan/archives/3708582.html

ある日どこかで Somewhere in Time テーマ曲と名場面

Somewhere In Time (orchestral version)