播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年4月13日金曜日

マシスンの純愛ファンタジー後編 『奇蹟の輝き』(What Dreams May Come)


リチャード・マシスンが、純愛ファンタジー『ある日どこかで』で、
タイムトラベルのヒントとしたのが、
J・B・プリーストリー(1894-1984 英国の作家・劇作家)の”Man and Time”(人間と時間 1964)です。

著書からの引用-----
「第一時間」現世の世界。
ぼくら人間が生まれ、齢をかさね、死ぬまでの時間だ。物質的な実用上の時間の流れであり、脳や身体が感知している時間だ。

「第二時間」死後の世界。
この一本道の単純な時間とは別個にある時間だ。「第二時間」では、過去も現在も未来も共存している。時計やカレンダーが成立しない時間世界。そのなかに入れば、人間はひとつづきの時間流から逃れ、動いていく一瞬一瞬の連続体としてではなく、むしろ、ひとつの塊として時間を観察できるようになる。

「第三時間」来世。
「どんな未来や現在や過去にも転移したり、そこから離脱したりできる力」が実在する空間。
-----

そして、「第二時間」「第三時間」の世界までも描き、その中で二つの『魂』の揺るぎない絆を、『ソウルメイト』の物語を描いた作品が、
邦題『奇蹟の輝き』(原題:What Dreams May Come)です。

小児科医のクリス・ニールセンは、休暇先のスイスで一人の女性に出会います。
彼女はアニー、油絵画家です。
ふたりは恋に落ち、そして結婚、二人の子供にも恵まれます。

そして十数年が経ったある日、
朝学校へ送り出した子供たちの車が事故に遭い、二人の子供は亡くなります。
最愛の子を失った悲しみから、『私が二人を殺してしまった』と自分を責めて、アニーは精神に破綻を来たし、自殺を図りました。
長い闘病とリハビリを続けるアニー、そしてクリスは時にユーモアで、時に悲しみで、二人の苦しみを共有してアニーを励まし続けました。
そして、アニーは気弱ながらも、絵を描けるまでに快方します。

クリスは、ある個展で出展作品の遅れからパニックになりそうになったアニーを励まし、代わりの作品をアニーの元へ届けようと車で移動している最中、事故に巻き込まれて命を落とします。
クリスの意識が戻ります。そこはクリスの葬儀の場面で、憔悴しきったアニーの姿がありました。クリスはこの世に留まって、アニーになんとしてもコンタクトをとり、励まそうと試みますが叶いません。
アニーはもやは手の届かないところにいるのだと悟ったクリスは、遠くからの呼びかけに従って旅立ちました。

クリスがたどり着いた場所は、『サマーランド(常夏の国)』でした。アニーが油絵で描いた、”二人の永遠の楽園”です。天国では、自分が望む最上の世界を創造できるのでした。
クリスは子供たちに再会しました。この世界は幸せに満ちあふれていました。
そしてクリスは、この場所でアニーと再会できる時を待つ事にしたのです。

クリスのもとに、悲しい、けれども待っていた知らせが届きます。
アニーが死んだのでした。
でもアニーは現れません。
クリスは天国の案内人アルバートから死後の世界のルールを聞かされます。
天寿を全うしなかった者は、地獄の永遠の牢獄に捕らわれてしまうのでした。
そして、アニーは自ら命を絶っていました。

クリスは、アニーのもとに行く決意をします。
神様のもとで働くトラッカーを道先案内人として、クリスだけが捉える事が出来るアニーの微弱な思念を頼りに、地獄を旅します。
そして地獄の最も深くにある牢獄にアニーの姿を見つけました。
しかし、アニーは悔恨の思念に包まれて盲目になり、クリスが見えません。
クリスは、もはやアニーを牢獄から連れ出す事は叶わぬと悟り、アニーとともにこの牢獄に留まる事を決意します。
そしてこのシーン、映画でのクリスのセリフが最上級にロマンチックなのです。
『ぼくももうすぐ君のことが分からなくなる、でもいつまでも一緒だ』
『離れない』
『善人も自責から地獄に落ちる』
『僕は自分が許せない、だが君は許せる』
子供たちを殺したのに? 優しい夫まで・・・
『違うよ』
『天国、地獄、どこへでも追いかけたいひとだから、ただそれだけなんだ』

クリスが目覚めます。そこは『サマーランド』でした。クリスは一人で舞い戻ってきてしまった事に落胆します。でもそっと近づく足音に気付いて振り返るとアニーが立っていました。
『私よ』
アニーは、クリスの溢れる愛の思念に正気を取り戻し、そしてクリスの思念を頼りに『二人の永遠の楽園』にたどり着いたのでした。

そして家族の再会、永遠に満ち足りた時の中で
クリスはアニーに提案します。
『もう一度、現世に戻って恋に落ちないかい?』
end

原作のエピローグは、これほどにはハッピーエンドでなかったです。
アニーは地獄の牢獄から解放されるものの、天寿を全うしなかったために、天国に入る事は許されず、再び現世に戻ったのでした。
アルバートが”魂”について話します。
『魂とは転生だ』
『生まれ変わることだ』
『きみは-われわれもみな-何度も死を乗り越えている。』
『終えたばかりの人生における個性だけを憶えているが、あまたの人生を経験している』と。
そしてクリスは、現世に戻ることを決意します。
再び、アニーと出会い恋に落ちるために。。。

-----

映画は1998年、
主役の二人を
ロビン・ウィリアムズ(クリス・ニールセン役)
アナベラ・シオラ(アニー・ニールセン役)
が演じ公開されました。
油絵タッチの天国の風景が話題を呼び、この年、アカデミー視覚効果賞を受賞しています。
音楽を担当したのは、マイケル・ケイメン。その大草原に優しく流れるそよ風のような音楽は、途方もない映像世界に何の疑念を抱かせずに私を誘ってくれました。
マイケル・ケイメンは、私の大好きな映画
『ダイ・ハード』(1988年 主演:ブルース・ウィルス)
『ロビン・フッド』(1991年 主演:ケビン・コスナー)
『陽のあたる教室』(1995年 主演:リチャード・ドレイファス)
『オーロラの彼方へ』(2000年 主演:ジェームズ・カヴィーゼル、デニス・クエイド)
でも音楽で魅了してくれました。

映画『奇蹟の輝き』は、物語の深遠さ、映像世界の驚愕さ美しさもさることながら、
でも主演の二人が最高でした。
ロビン・ウィリアムズは、当代一のオールラウンド・プレーヤーです。最高のコメディアンであり、狂人にも偉人にも、そして悪人にもロボットにも変身します。
この映画でのクリスは、穏やかでユーモアがあって愛情豊かな立派な医者です。
ですが、思春期の我が子のおどおどした様子に、不満を抱く厳格な父でもありました。
そして最愛のアニーのこととなると、いつも全力なのです。これほどまでに愛情が細やかでそして一途な男なんているのか?これこそファンタジーではないか、なんて思ってしまうほどです。
そしてアナベラ・シオラ。
凄く可愛くて、きゃしゃで、表情が豊かで、瞳と笑顔が素敵な女優さんです。
この映画でのアニーは、ウィットに富んで、夫には出会った頃のままの愛で満たし、子供たちには機微で接することの出来る母です。ですが、ガラスの如くもろく繊細な心も併せ持っています。
そして、アニーの自死に至る、子供たちを失った悲しみ、夫を失った悲しみの表現は、画面を正視するにしのびないほどでした。
これほどまでに、表現の豊かな女優アナベラ・シオラですが、この映画以外、これといった代表作がないのが残念です。

最後に、この物語のタイトルについて
”What Dreames May Come”
小説の訳者あとがきに、
『(この物語は)ギリシャ・ローマ神話のなかでも有名な、竪琴の名手オルペウスが蛇に噛まれて死んだ妻エウリュディケーを惜しみ、冥界へ彼女の魂を救いにいく物語。あれを現代によみがえられた』と書かれています。そして、
『人間は死んだ後も、生を見つめそれを追求してゆく』
原題『どんな夢を見るのか』(What Dreams May Com)は、
シェークスピアの『ハムレット』の一説から採られていますが、マシスンは
『人間は自分の望む夢を見る』のだ、と説いているのでしょう。
そう括られていました。

シェークスピアは、ハムレットの独白
『為すべきか、為さぬべきか』(To Be or Not To Be)の中で、
『死の眠りの中に待っているものはどんな夢か?』と、人間の根源的な恐れに言及しますが、その問いに対して、マシスンは救いを見いだしました。
『人は望む夢を見る』のだと。

0 件のコメント:

コメントを投稿