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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2025年6月3日火曜日

齊藤元彦知事の大罪

一人の県職員による齊藤元彦知事に関わる問題・疑惑の外部通報、あわせて県の窓口への公益通報から始まる、兵庫県行政のごたごたは、それを調査して評価した百条委員会、及び兵庫県の第三者委員会が、概ね一部の疑惑をあったと認定したことで、それを受けた齊藤元彦知事がどう身を処するのかを注目していたが、予想通りというか、知事側の弁護士の法解釈を述べて、法律に照らし合わせても判断が分かれるところと他人事の様な感想を述べるに留まり、自分は県民の負託を受けた身分であることを強調し、県政を前に進めるという毎度のフレーズを繰り返すだけでした。

冷静にこの問題・疑惑を眺めてみると、特に通報者を特定するために行った通信の秘匿や個人情報を暴くという行為や、その通報者や知事側と対峙する議員たちの個人情報や真偽不明な疑惑を知事側と通じる県議が秘かに外部の扇動政治家に流して、公共に晒すという行為は、個人の人権を守らず危険に晒す行為であって、これだけでも十分に憲法に違反する大罪だと私は考えます。

そして、もう一つの大罪があると考えます。それは、兵庫県行政に相互不信を蔓延させた上に、県民を大きく分断した事です。

兵庫県の県職員はまるで戦時中の全体主義に統制されているかの様に、密告を恐れて、知事一派に不利な意見を公にすることが出来ないように見えるし、県議に至っては百条委員会の非公開の議論の場での発言が、秘密録音され、切り取られた音声がネットで拡散されて、不特定多数からの誹謗中傷に晒され、一人の議員が自死に至るという最悪の事態までが起きて、議員同士の不信感が蔓延し、議会が機能不全に陥ってしまっているのではと想像します。

県民といえば、明らかに精神医学でいうところの「考えを誘導する」という高等なテクニックによって、思考が「齊藤元彦知事を応援する」に誘導されたのだと考えます。その手法はYouTubeやSNSのメッセージを利用して、通報した職員や知事に対峙する県議の悪評を、不特定多数の人々に際限なく送り続けるというものです。そして、その中に、デマを拡散する者を紛れ込ませて、扇動政治家が大々的に糾弾するキャンペーンを行うのです。それによって人々の潜在意識を刺激し続け、「彼らにとっての都合の良い思考」を人々に植え付けたのだと思います。テレビのニュースや新聞が丹念に調べて記事にしたものを時系列で読み理解すれば、知事側に明らかに不都合があると分かるのですが、そのテレビや新聞までもがネット上でオールドメディアと断罪され、同じように糾弾キャンペーンされるに至り、また長文よりもショートメッセージを好むデジタルネイティブの若者ばかりかデジタルに遅れて参加してきた高齢者までもが、「知事は被害者、可哀想な知事、知事を応援する」という思考に誘導され、一度潜在意識に染み込んだ思考は、対立する思考を受け付けず、それが齊藤元彦知事の再選という結果を招いたのだと考えます。

一言でいえば、非常に悪辣な行為が行われていたと、私は考えます。

但し、既存のマスメディアには十分に反省する点があると考えます。よく音声を変えた県職員のインタビュー音声がニュースなどで流されますが、音声を流すだけで、その音声が語る情報の裏取りがない事です。これでは扇動政治家と同じだと思います。よく「県の中堅や若手の離職の多さ」が語られますが、それが本当ならば、県政にとって大きな損失となるばかりでなく、県民サービスが損なわれる事態が起こるということで、これだけでも知事は辞めなければいけない理由となると考えます。もっと正しく伝えるというジャーナリズムの精神に立ち戻り、しっかりと調査して報道に繋げて欲しいと強く思います。