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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2013年5月10日金曜日

昨日は、加古川を北上し、加西に行きました。


昨日は、加西を目指して歩きました。
これまで、飾東を越えて道372号→県道117号のルート(約22㎞)を二度、また志方を越えて県道43号のルート(約24㎞)を一度歩きましたが、今回は加古川に沿って県道79号をメインとするルート(約34㎞)を歩きました。

6時過ぎに自宅を出、大塩、曽根、伊保、米田を縦走して加古川に出、県道79号線を北に向かって歩きました。平荘を過ぎて加古川と別れ権現ダムを目指します。
谷に道の前方に現れた権現ダムは、石積みの砦とみまがう堂々としたダムでした。石積みを登って湖畔を望みました。
そして道なりに歩を進め、三時間を過ぎた辺り、標識には《加西17㎞》とありました。へぇ~あとまだ三時間か・・・と少しへこみはしましたが、速度を落とさず歩きました。
山陽自動車道の下を歩き(この空洞はでかかったです!)、万願寺川を越えると北条鉄道の踏切です。平原に草むした線路が続きます。電車通ってくれたらなぁと願っていると遠くの踏切の警笛音が聞こえました。やったぁ!でした。

それから線路にそって綱引駅→田原駅と歩いてから、生活道路を北に向かって歩きました(予定していない道です)。そこから二時間ほど雄大な加西の大地を彷徨いました。
家族総出で田植えを始める風景がありました。
戦時の跡である防空壕がありました。
そしてようやく馴染みの場所、フラワーセンター前に出、そして12時半、アスティアかさいに到着しました。
6時間半の歩きづめは、これまでの最長でした。でも、マメもできず、膝も股も痛くない。いやぁなかなか足が強くなったと思います。

そして昼食は、アスティアかさい一階にある希望軒で頂きました。
希望軒、前回の加西行で初めて入り、またその後、加西店の店長尾崎さんが、友だちの友だちということが判明し、朝出発前に、Facebookで『昼、食べに行きます』と伝言を入れておきました。
店に入ると、尾崎さんが厨房から顔をのぞかせ、「前田さんですか?」と声を掛けて頂きました。
そしてとんこつチャーシュー麺の大盛り、チャーハン大盛り、そしてギョウザを頂きました。尾崎さんに、ラーメンのトッピングの煮卵を、また食事の後のアイスクリームをサービスして頂きました。美味かった、そして満腹になりました。
『尾崎さん、ご馳走様でした!』
希望軒を出、さぁどうするかと考え、バスに乗って姫路にでることにしました。
北条駅バス停から13:56発の姫路駅行きのバスに乗りました。バスは県道117号を西に進み,山田町に入ってから播但道の東を南に進みます。そして市川を渡り、砥堀から国道312号に入って姫路駅を目指します。この辺りをバスで走るなんて、たぶん40数年ぶりです。
10歳まで姫路の亀山にあった新日鉄団地(長屋)に住んでいました。そこでは子ども会で毎年牧野キャンプ場に連れて行ってもらいました。そうまさにここ山田町牧野にある青少年キャンプ場です。とても懐かしく思いました。そして一時間ほどで、ゆらりゆらりのバスの旅は終了しました。
姫路駅前についてから、すぐ赤十字献血ルームに直行して63回目の献血を行いました。
そして献血が終わってから、新しい姫路駅の名所pioleには立ち寄らず、旧来の商店街やフォーラス、キャスパをうろつきました。そして18時過ぎ山電に乗って帰路に着きました。

なかなか充実した一日となりました。