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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2020年5月2日土曜日

パンデミックの後の社会

私たち日本人は、人権が尊重されていること、また言論や行動の自由が保障されていることを、当たり前の権利として、享受してきました。
これらの権利は、日本国憲法で定められています。そして私たち日本人は、日本国民である限り、日本国憲法を守る義務があります。つまり日本人が享受する権利は、私たち日本人が他者の権利を守るという義務を果たすことで成り立っています。

もし、日本国が滅びたり、日本国憲法が改正されて上記の権利が廃止されたり、また日本国の国籍が剥奪されれば、私たちは上記の権利を失います。また、他者の権利を守らなければ、権利は有名無実なものになってしまいます。

世界に目を向ければ、戦争や悪政によって祖国を追われ難民となった人々や、国籍が与えられず無国籍のままの人々が非常に多く存在します。彼らは人権を保障されず、言論や行動の自由もありません。彼らが命を繋ぐ場所は、人口密度が恐ろしく高い、狭い収容施設や収容キャンプ、保護地区といった隔離された場所しかありません。そこに彼らは留め置かれ、保護者の施しだけを頼りに命を繋ぐしかありません。
そして日本国民が、この様な難民や無国籍の民にならない保証はどこにもありません。

私たち日本人が当たり前にあると思っている人権や言論の自由、行動の自由は、国があって、国を司る法律があって、そして私たちが法律を守るという義務を果たして、ようやく手にすることができる「尊い理念」であることに、私たちは立ち戻らなければなりません。

ではあらためて、人権や言論の自由、行動の自由は誰の権利なのでしょうか。
私たちは戦後の学校教育を通じて、日本型民主主義や自由主義を学びました。しかし私たちは教科書を丸暗記しただけでした。そして民主主義は多数決主義と覚えました。多数決主義が行き過ぎれば個人や少数派が尊重されない社会を生み出します。また、自由主義は個人の自由と覚えました。個人の自由が行き過ぎれば独裁者を生み出します。
日本人が学ぶ民主主義や自由主義は、18世紀に欧米で生まれた新しい思想「デモクラシー」が源です。しかし「デモクラシー」の本質は、他の人民の人権、言論、行動を尊重する、そして全ての人民の機会均等を尊重するというものです。それが結果として、自分の権利が尊重される社会を作ることに繋がります。言い方を変えれば、個人や少数派が尊重されない社会を作らない、そして独裁者を作らない、ということに繋がります。

現在、私たちの世界は、新型コロナウィルスのパンデミックで、未曾有の大災害の渦中にあります。昨年11月に中国の武漢市で最初の感染者が記録されてから、半年で300万人を超える感染者と20万人を超える死者を出す事態となっています。しかも私たち人類は、未だウィルスの全貌を掴むことができず、このウィルスを制圧する力を得る為には、まだまだ長い時間が必要です。
日本においても、このパンデミックは日本社会の崩壊を招きかねない事態を引き起こしています。
この事態に欧米諸国の政府は、人民の命を守るために、人民の行動の自由を制限する法的に強制力のある措置に踏み切りました。人民は他の人民の命を守るという義務を受け入れ自宅に留まることに同意しました。
日本政府もようやく4月7日に非常事態宣言を発動し、国民に自宅待機を要請しました。しかし日本国民は何よりも個人の人権が尊重されるという社会通念が徒となり、政府は強制力を伴う措置に踏み込めません。それでも大多数の国民は、自分が感染しない為に、また他者に感染させない為に、そして治療の前線で感染のリスクを負いながら治療という過酷な戦いを続けている医療従事者の負担にならないために、自宅待機を受け入れています。

しかし、個人の権利をかざして、要請に従わない人もいます。言論の自由をかざして、医療従事者を貶める言論を吐き続ける人もいます。
このパンデミックの顛末は、まだ誰にも分かりませんが、デモクラシーの本質を逸脱する行為を続ける人がいる限り、感染の拡大を抑えることはできないでしょう。そして心身ともに疲弊した医療従事者が一人また一人倒れれば、言論の暴力によって医療に従事できなくなれば、日本の医療システムは崩壊します。そうなれば、これまでならどおってことのない風邪や怪我でも人は命を落としかねません。まして、病歴のある人や、現在病気を抱えている人は、これまでの様なきめ細やかな医療を受ける事ができず、命を落とすリスクが高まります。その顛末なら想像できます。現在の日本的自由民主主義社会の崩壊です。それは日本国の滅亡や人権が著しく損なわれる社会への転換を意味します。

パンデミックによって、これまでの社会システムや社会の慣習は大転換を余儀なくされるでしょう。しかし、どんなシステムに大転換するにせよ、デモクラシーの理念の上に構築されるものでなければいけないと考えます。デモクラシーの理念を蔑ろにすれば、後の社会は全体主義化、もしくは独裁化を免れることはできません。
その意味でも、私たちは、この自宅待機の時間をデモクラシーの理念を深める有意義な時間にしなければなりません。それこそテレワーキングやテレラーニングのツールやSNSツールを活用し、ネットワークを通じて学び、考え、議論し、皆で理解を深められれば、デモクラシーの理念に則った望ましい社会システム、政治システムを再構築できる可能性が高まります。そして一人ひとりが、再構築に積極的に参画する意義を見出すことができるでしょう。
そしてなにより、今のこの自宅待機を続ける意義も見出すことができるでしょう。