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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2011年2月24日木曜日

小説『朗読者』読後感想、映画『愛を読むひと』視聴感想

『壊れゆく女、沈みゆく少年』の半世紀にわたるラブストーリーです。愛(育まれる愛、失われた愛)という主軸で読み進めるだけでも十分に感動しましたが、第二次世界大戦が招いた悲劇、そしてタイトルで示された『朗読』が醸しだすサスペンス、これらの要素が物語を深遠にしています。

ドイツの大学教授であるペルンハルト・シュリンク氏が書かれた小説で、1995年に出版されました。英語翻訳版もそうそうに発売され、ドイツやアメリカでベストセラーとなりました。日本では2000年に松永美穂氏の訳書が刊行されました。
2009年に日本で上映された、ケイト・ウィンスレット主演『愛を読むひと -The Reader-』の原作となる小説です。ケイト・ウィンスレットさんは2009年、この映画でアカデミー主演女優賞を受賞されています。

この小説は、私の楽しみの一つ書店探訪の際に見つけました。『朗読者』というタイトルに、朗読も楽しみの一つである私は引かれました。また帯に『映画「愛を読むひと」の原作』と書かれてあったことが購入の決め手となりました。
読み終えてからもう二、三ヶ月くらい経ちます。直ぐに読後感想を書き留めようと思いましたが、たぶん十分に反芻できていなかったからでしょう、書けませんでした。
先日、映画『愛を読むひと<完全無修正版>』を観ました。小説も読み直し、漸く読後感想を書こうと立ちました。

物語のあらすじです。
[第一章]
全編の語り部となる少年が15歳の時、20歳近く年齢が離れた女性と出会います。
少年が街角で具合が悪くなったとき、偶然出会し、母のように優しく、てきぱきと彼を介抱してくれた女性のアパートにお礼に訪れた際、あけすけな女性の振るまいの中に甘美なものを感じ、再び女性のアパートを訪れます。仕事帰りの女性から指示を受けて暖を取る燃料のコークスを地下室へ取りに行きますが、作業中コークスの山が崩れ彼は真っ黒になり、女性から風呂に入るよう指示され、いわれるままに裸になって風呂に入ります。バスタオルを持って部屋に入ってきた女性に背を向け、体をふいて貰った後、女性も真っ裸であることを感じ、女性から『このために来たんでしょ』と誘われるまま彼は初めてSexをします。女性にすれば行きずりの関係のつもりであったでしょうが、少年はSexにそして女性に溺れてゆき、遂には愛を育む関係(Make Love)に進展します。
何度目かの情事の後、二人は名乗りあい(少年はミヒャエル・ベルク(映画ではマイケル・バーグ)、女性はハンナ・シュミッツであることがわかります)、また女性は少しだけ少年に素性を話します。ある時、ベットの中でハンナは、ミヒャエルに学校で習っているテキストの朗読をせがみます。そして以降の情事は朗読の後に、という約束が交わされます。ミヒャエルは、ホメロスの叙情詩から『オデッセイア』、父親の書棚にあるカントの哲学論まで朗読します(映画では友だちから借りた『チャタレー夫人』を朗読中、ハンナから『卑猥だわ』『恥を知りなさい』と母親の如く指摘されるシーンがありました)。
しかし、夏の終わり、突然ハンナはアパートを引き払い彼の前から姿を消します。

[第二章]
8年後、ミヒャエルは法科を学ぶ学生となり、担当教授の勧めで、ナチス戦犯裁判を傍聴します。傍聴したのは、被告として数名の中年女性が、1944年当時、アウシュビッツ強制収容所の女性棟の看守として『死の選別』に加担していた罪および、クラクフ収容所でユダヤ人を『死の行進』に追いやり、ある村で一晩ユダヤ人を詰め込んだ教会棟が空爆の直撃を受け出火したのに閉じ込めたままにして、今法廷で証言する母子二人を除く全員を死に追いやった罪での公開裁判です。そこで、被告席に座るハンナの姿を目にします。
ハンナは、ミヒャエルにとって、今も愛し、と同時に憎む存在となっていました。
ミヒャエルは講義を欠席し、結審するまで傍聴を続けます。そして、ハンナの隠された秘密、ハンナが去っていった理由に辿り着きます。それは、ハンナにとって有利な証言となりうるものでしたが、ハンナは最後まで隠し通し、ミヒャエルも公にはしません。
ハンナは17歳の頃、ルーマニア地方の田舎からベルリンに出、その後シーメンスに務めます。21歳の時、SSに入隊し、ユダヤ人女性収容所の看守となります。そして戦後、ミヒャエルの住む町で、市電の車掌の職に就きます。町に住むに際し、ハンナは当局に届けも出していました。
被告の中で、ハンナだけが罪状を認めます。アウシュビッツでは収容所が収容者で溢れないよう、命令に従って、それぞれの看守が毎日10名を選別するという職務を全うしたことを話し、また、あの時、私はどうすればよかったのかを裁判官に訴えます。
審議の中で、ハンナがお気に入りを毎夜部屋に連れて行ったという事実にも言及されました。しかし、その本当の理由は、証言席に座る生き残った子からもたらされました。
ハンナは、ユダヤ人の少女らを辱めたのではなく、少女らに暖かい食事とベットを提供する替わりに本を朗読させていました。
しかし、審議は、被告全員が関わっていたとするハンナの証言を、自らの罪を軽くしようとする虚偽と決めつけ、ハンナは厳しい立場に立たされます。
そして、『死の行進』、『出火した教会からユダヤ人達を開放せず焼き殺した罪』の証拠として当時の報告書が提出され、それはどの様にして書かれたものかという詰問に対して、ハンナ以外の被告全員が、ハンナが命令を下す立場であり、私たちは従っただけ、報告書もハンナが書いたと証言します。ハンナは追い詰められます。そして、裁判官が筆跡鑑定のため、ハンナにペンと用紙を渡して書くことを求めます。そしてハンナは筆跡鑑定には応じず、報告書は私が書いたものだと認めます。映画では、この場面でミヒャエルのハンナと過ごした夏の日の思い出が回想されます。二人で自転車旅行に出かけたカフェでの出来事、彼女はメニューをろくに見ずにミヒャエルに決めてといいます。旅行のガイドブックも地図も全く見ず、『坊やのサプライズを楽しみしている』とだけ告げます。そして、あれだけ朗読を求めるのに自分で本を読もうとしなかったこと・・・ミヒャエルははっと気づきます、ハンナが文盲であることに気づきます。
何故、ハンナがシーメンスを辞めたのか、市電の車掌の職を辞めたのか、その時期が明らかになります。彼女は職務に忠実でしっかりと仕事をこなすために昇進を打診されます。普通なら大喜びのところが、彼女は逃げるように職を辞していました。
すべては彼女の小さな恥が、自ら道を閉ざし、大きな罪を背負い、彼女の人生を狂わしてきたことが明らかになります。
そして結審の日が訪れ、ハンナには殺人の首謀者として無期懲役が言い渡され、他の被告は殺人幇助として期間の短い懲役刑が言い渡さました。

[第三章(終章)]
ミヒャエルは、修士を納め、国家試験に合格し晴れて法学者となりました。結婚し、ひとり子を授かり、離婚もしました。彼は仕事においては成功しましたが、我が子にさえ心を開く事ができない、人を愛せない者となっていました。
時が過ぎ、彼は自宅でしまい込んでいた古い本を見つけます。ハンナに朗読したかつての本です。
彼は、カセットテープレコーダーを取り出して、テープに朗読を吹き込みました。そしてついに彼は一歩を踏み出したのです。朗読テープを服役しているハンナに送り届けたのでした。

以下、本文の引用 第3章6節 -----

カセットによる多弁で寡黙なぼくたちの接触の四年目に、彼女からの挨拶が届いた。
「坊や、この前のお話しは特によかった。ありがとう。ハンナ」
その紙には線が引いてあった。書き方練習帳から一ページを破って、皺を伸ばしたものだった。その挨拶は上の方に書かれていて、三行にわたっていた。文字は青の、インクの出が悪いボールペンで書かれている。ハンナが力を込めて文字を書いたために、文字が紙の裏にまで浮き上がっていた。住所も力一杯書いてあって、真ん中でたたんで封筒に入れた紙の上半分と下半分に住所が筆圧で写って、読むことができた。
ぱっと見ると、まるで子どもが書いた文字のようだった。しかし、子どもの場合には不器用でぎこちないという表現が当てはまるのだろうが、ハンナが克服しなければならなかった抵抗のあとを見ることができた。あっちこっちへそれたがる子どもの手は、文字のきまりのなかにとじこめておかなければいけない。しかし、ハンナの手はどこへも行きたがっておらず、無理矢理前へ進ませなければならなかった。文字を形成する線は、上へ行ったり下へ行ったり弧や輪を描いたりする際にぷつぷつと途切れ、また新しく書き始められていた。どの文字も、新たな戦いの成果であり、規格外の斜線や急カーブがくっついていたし、しばしば長すぎたり幅が広すぎたりした。
ぼくはハンナの手紙を読んだ。そして、歓喜に満たされた。
「彼女は書ける、書けるようになったんだ!」
それまでの何年にもわたって、ぼくは文盲についての記事を探しては、目を通してきた。文盲の人々が日常生活を送る際の寄る辺なさや、道や住所を見つける際の困難、レストランで料理を選ぶときの大変さ。与えられた規範や確立されたルーティーンに従う際の不安や、読み書きできないことを隠すために、本来の生活とは関係のないところで費やされるエネルギー。そうした事情をぼくは知るところとなった。文盲であるということは、市民としての成熟に達することができない、とうことだった。ハンナが読み書きを習う勇気を持ってくれたことは、未成熟から成熟への一歩を踏み出したことでもあり、それは啓蒙への一歩だった。
それからぼくはハンナの筆跡を見、書くことが彼女にとってどれほどの力と戦いを必要とすることだったかを理解した。彼女を誇らしく思った。と同時に、その努力が遅すぎたことや、彼女の人生が失われてしまったことを思って悲しくもあった。正しいタイミングを逸してしまい、あまりにも長いあいだ拒んだり、拒まれたりしていたら、最終的に力を注いだり、喜びを持って取り組んだりしたとしても、もう遅すぎるのだ。それとも「遅すぎる」ということはなくて、単に「遅い」というだけであり、遅くてもやらないよりはましということなのか?ぼくにはわからない。
最初の挨拶のあと、次の手紙が一定の間隔で届くようになった。いつもほんの二、三行で、お礼とか、あの作家の作品がもっと聞きたいとか聞きたくないというような希望とか、ある作家や詩、ストーリーや小説の登場人物についての感想、刑務所で気づいたことなどが書かれていた。「中庭ではもうレンギョウが咲いています」とか、「この夏は雷がたくさん鳴るのがいいですね」とか、「窓から鳥たちが南へ渡る準備をして群れているのが見えます」など。ぼくはよく、ハンナからの手紙のおかげで初めてレンギョウや雷や鳥の群れに気づいたものだった。文学についての彼女のコメントは、しばしば驚くほど正確だった。「シュニッツラーが吠えるのに比べて、シュテファン・ツヴァイクは死んだ犬のようです」とか、「ケラーには奥さんが必要ですね」とか、「ゲーテの詩はきれいな額縁に入れた小さな絵のようです」「レンツはきっとタイプライターで書いているのでしょうね」など。彼女は作家について何も知らなかったので、そんなことはあり得ないとはっきりわかる場合を除いて、多くの古い文学作品がまるで今日の話のように読めることや、歴史の知識のないものから見れば、過去の生活環境というのは、遠い地域にいまでも存在している生活環境として理解できることを知って、ぼくは驚いた。
ぼくからハンナには何も書かなかった。しかし、朗読テープはどんどん送り続けた。一年間アメリカに滞在したときも、そこからテープを送った。休暇で出かけるときや、特別仕事が忙しいときには、次のカセットが完成するまでに間があくこともあった。決められたリズムではなく、毎週テープを送ることもあれば、十四日で一本、あるいは三、四週間で一本ということもあった。字を読めるようになったハンナにはぼくのカセットはもう必要ないのではないか、と頭を悩ませることはなかった。彼女が自分で読むことは構わない。朗読がぼくの流儀であり、彼女に対して話しかけ、ともに話をする方法だった。
彼女からの手紙は全部とっておいた。筆跡は変わっていった。最初、彼女は文字を同じ方向にそろえ、正しい長さや幅にしようと奮闘していた。それができるようになってからは、筆跡も軽く、確かなものになっていった。しかし、流れるような筆跡になることはなかった。しかし、生涯にそれほど字を書かなかった年配者たちの筆跡にふさわしい、ある種の厳しい美しさがその筆跡にはあった。

以上引用 -----

ハンナは18年(映画では20年)の服役の後、釈放されることになりました。年老い身寄りのないハンナを案じる女性刑務所長は、唯一ハンナと手紙の遣り取りをしてきたミヒャエルに『ハンナの社会復帰を手助けして欲しい』との手紙を送ります。
そしてハンナの釈放一週間前、ついにミヒャエルは、ハンナが住む刑務所を訪れ、四半世紀振りに二人は対面します。

以下、本文の抜粋 第3章8節 -----

ハンナ? ベンチに座っている女性がハンナなのか? 灰色の髪で、額にも頬にも口元にも深い縦皺が刻み込まれ、重たげな体つきをしたこの人が? 
 ~
ぼくは彼女の顔に浮かんだ期待と、ぼくを認めたときにその期待が喜びに変わって輝くのを見た。近づいていくと彼女はぼくの顔を撫でるように見つめた。彼女の目は、求め、尋ね、落ち着かないまま傷ついたようにこちらを見、顔から生気が消えていった。ぼくがそばに立つと、彼女は親しげな、どこか疲れたようなほほえみを浮かべた。
「大きくなったわね、坊や」
ぼくは彼女の隣に座り、彼女はぼくの手を取った。

「出所できると聞いてうれしいよ」
「ほんとうに?」
「そうだよ、それに、近くに来てもらえるのもうれしいよ」
ぼくは彼女に、自分が見つけたアパートと仕事の話をし、その地区の文化的・社会的催しや、市立図書館のことを話した。
「本はたくさん読むの?」
「まあまあね。朗読してもらう方がいいわ」
彼女はぼくを見つめた。
「それももう終わりになっちゃうのね」
「どうして終わりにする必要がある?」
そう言ったものの、ぼくは彼女にこれからもカセットを送るとか、会って朗読するとかいう相談はしなかった。
「君が字を読めるようになって、とてもうれしかったし感心したよ。なんて素敵な手紙を送ってくれんたんだろう!」
これはほんとうだった。ぼくは彼女が字を覚え、手紙を書いてくれたことで、感心したし、喜びもしたのだ。しかし、ハンナが読み書きを覚えるために払った犠牲に比べたら、訪問したり、一緒に話をすることさえしないぼくの喜びなど、なんてちっぽけなものなのだろう。ぼくは彼女を小さな隙間に入れてやっただけだった。その隙間はぼくにとっては重要だったし、ぼくに何かを与え、ぼくもそのために行動はしたが、隙間は隙間であって、人生の中のちゃんとした場所ではなかった。

「裁判で話題になったようなことを、裁判前に考えたことはなかったの? ぼくたちが一緒にいたとき、ぼくが君に朗読したとき、そのことは考えなかったの?」
「それがとても気になるわけ?」
彼女はぼくの返事を待たずに続けた。
「わたしはずっと、どっちみち誰にも理解してもらえないし、わたしが何者で、どうしてこうなってしまったかということも、誰も知らないんだという気がしていたの。誰にも理解されないなら、誰に弁明を求められることもないのよ。裁判所だって、わたしに弁明を求める権利はない。ただ、死者にはそれができるのよ。死者は理解してくれる。その場に居合わす必要はないけれど、もしそこにいたのだったら、とりわけよく理解してくれる。刑務所では死者たちがたくさんわたしのところにいたのよ。わたしが望もうと望むまいと、毎晩のようにやってきたわ。裁判の前には、彼らが来ようとしても追い払うことができたのに」
ぼくが何か言うかと彼女は待っていたが、ぼくには何も思いつかなかった。

「来週迎えに来るよ、いいね?」
「ええ」
「静かに来ようか、それとも少しにぎやかに、愉快にしようか?」
「静かな方がいいわ」
「わかった。静かに、音楽もシャンペンもなしで迎えに来るよ」
ぼくは立ち上がり、彼女も立ち上がった。ぼくたちは互いに見つめ合った。二度ベルが鳴り、他の女たちはもう建物の中へ入っていった。ハンナの目はもう一度ぼくの顔をなぞった。ぼくは彼女を抱きしめたが、しっかりとした手応えなかった。
「元気でね、坊や」
「君も」
そうやってぼくたちは、建物の中で別れる前に、別れの挨拶をしたのだった。

以上引用 -----

ハンナは、彼女はミヒャエルが迎えに来るその日の早朝、自殺します。
彼女は遺書を彼に残しました。彼女の部屋の中においてある古いお茶の缶に残っているお金と、銀行に入っている七千マルク(1990年半ばのレート換算で1マルク約65円、7000マルク≒約45万円)を、教会の火事で生き延びた娘さんに渡して欲しい。そのお金をどうするかは、その娘さんに決めて貰って欲しい、という遺志と、そして、ミヒャエル・ベルクに、私からからの挨拶(I seds "Hallo")を伝えて下さい、という内容ででした。
彼は、彼女の遺志を叶えるため、現在はニューヨークに豪奢なオフィスを構えるまでになった、かつての生き残った少女に会いに行きます。かつての少女は、お金は受け取らなかったものの、彼から文盲者の読み書きを支援するために使うのはどうか、とう提案を「文盲は、ユダヤ人には似つかわしくない問題かもしれないけれど」という言葉を付け加えながら了承します。
彼は、ハンナのお金を彼女の名前で寄付し、その足で、初めてそして最後となる墓参りに出かけました。

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誰もが人には言えない、話したくない、知られたくない秘密は二つ三つはあるでしょう。
しかし、日本語はまあ普通に扱える私にとって、ハンナの文盲として、さらに重い不幸を背負い込んでも一生隠し通したいという恥の気持ちは、何度本を読み返しても、映画を観ても、理解しがたい点です。
ハンナは仕事も日常生活もきっちりとこなす、几帳面でそしてとても真っ正直(バカ正直?)な性格です。また自尊心も相当に強そうです。にもかかわらず、出来ない事を出来る様にするという向上心が見られない。もしかしたら、あの時代が、体制が、思想が、彼女から向上心を奪ってしまっていたのなら、とても不幸なことです。またそれが真理だとするならば、現代に生きる私たちが直面している状況、政情不安、世情不安、格差社会の到来、それに伴う教育差別、就労差別が、近い将来、大多数の人々から、向上心のみならず、夢や希望まで奪いかねないとしたらそれこそ大変な問題です。
この様な問題は、広く世間に呼びかけ、訴えかけて、改革の運動へと繋げなければいけない、そう思います。但し、現在、中東諸国で起こっているような、武力闘争は断固反対ではありますが。


最後に、映画『愛を読むひと』について書きます。
この映画は、本の第一章に当たる、前半部で性行為が具体的に描かれ、性器も隠されることなく、ぼかされることなく、写っています。社会派ドラマ作品として私が観た映画では、『シンドラーのリスト』とこの作品だけではないかと思います。
物語のあらすじ、第一章で表現した、あけすけな、ありのままの日常を切り取った場面や、登場人物の仕草、会話からエロティズム以上に内面の葛藤が裸である故か、ストレートに伝わってきました。

そして後半部、ミヒャエルが迎えに来る当日の早朝にハンナが自殺するシーン、本では描かれていないプロットです。彼女は自室の本棚から分厚い書籍を数冊抜きだして、机の上に平積みします。そして、靴を脱いで、その本の上に素足を置き、首つり自殺を図ります。
彼女の死の理由について、原作では刑務所長の一般的な意見として、『長期収監された者にとって、社会復帰は相当なストレスとなる』で彼女の死を暗示します。
しかし映画では、ミヒャエルからの朗読テープを聴き続ける内に、自分で本を読みたい、彼に朗読の感想を伝えたたい、彼と気持ちを通わしたいという欲望が芽生え、彼女はミヒャエルの朗読と彼が読む本を図書室から借りて、単語を一つ一つ数えながら覚えるという戦いを始めます。そして、彼からの荷物を受け取る際のサインですが、始めの頃は、ただの波線であったものが、やがてしっかりと"Hanna"とサインできる様になります。彼女が文盲を克服したサインです。彼女は文盲を克服し、彼女の旺盛な読書欲はいつしか文字の源泉である書籍を従わせるまでになります。それが、先の彼女の死の所作で表現されていると思います。
彼女は、文盲という頸木を下ろし、ついに彼女を抑制するものから開放されます。と同時に、彼女は、自ら、罪を精算すべく進んで死を選びます。彼女は逃げるのではなく、前に進むために自死を選択したのだ、そう映像作家は語っていると思います。

[The Reader Official Web Site]
http://www.thereader-movie.com/

少年時代のミヒャエルを演じたダフィット・クロスは、ひ弱さ、優柔不断さとともに、彼女を知る事で、彼女から褒められることで、自信や自立心も芽生える、そんな難しい役どころを感情豊かに演じていました。
ハンナ・シュミッツを演じたケイト・ウィンスレットは、ほぼデビュー作品といっていい1997年の超大作『タイタニック』から14年、闊達なうら若きレディーから、一転、闇を抱える中年女性を時に大胆に、時に切なく演じていました。ケイトはハンナを36歳から70歳まで演じました。壊れてゆく、年老いてゆく女性を切々と演じていました。
そして、大人になったミヒャエルを演じたのがレイフ・ファインズ。『シンドラーのリスト』で演じた非情な収容所長アーモン・ゲート役が今でも強烈な印象として残っていますが、『イングリッシュ・ペイシェント』の飛行機事故で大火傷を負った影のある男、『ナイロビの蜂』で世界的な製薬会社の陰謀を暴く外交官、など様々な社会派ドラマで重要な役どころを演じられています。その演技は素晴らしいの一言です。ファンタジー作品では悪役が冴え、『ハリーポッターシリーズ』ではヴォルデモート卿、ギリシャ神話の英雄ペルセウスの活躍を描いた『タイタンの戦い』では、冥土を司る神ハデスと、善悪を描く物語で強烈な悪を演じ、対峙する善を引き立てています。
監督はスティーブン・ダルドリー。作家ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ婦人』から着想を得て書かれ1999年ピューリッツァー賞フィクション部門を受賞したマイケル・カミンガム作『めぐりあう時間たち』を見事に映像化した素晴らしい才能の映画人。次作となった本作も、ベストセラーのエッセンスを余すところなく取り込むという離れ業とともに、複雑な心理描写を、しっかりと映像に表現されていました。
ミヒャエルとハンナが自転車旅行した旅先の教会でハンナが子どもたちが歌う賛美歌に涙するシーン、裁判所で筆跡鑑定のためにペンと用紙を渡されたシーン、そして二人が再開するほんの短い時間の中での会話のシーン、三度も泣かされてしまいました。

映画ではもう一つ、小説では描かれていない、ミヒャエルのひとり子ジュリアとの和解が描かれています。ミヒャエルがハンナを永遠に失った後、ラストシーンで家族への愛を取り戻そうとする場面です。ミヒャエルの心の再生、明日への希望を伺わせます。


是非、『朗読者』手に取って読んでみて下さい。映画『愛を読むひと』を観賞してみて下さい。ミヒャエルとハンナが美しい朗読を貴方に届けてくれることでしょう。

2011年2月22日火曜日

ニュージーランド南島のクライストチャーチで大規模地震が発生!

先ほど、時事通信のニュースで、『昼過ぎにニュージーランド南島のクライストチャーチを襲う大規模地震が発生』という見出しが飛び込んできました。

以下、msn産経ニュース速報記事の引用です-----

米地質調査所(USGS)によると、ニュージーランド南島のクライストチャーチ付近で22日午後0時51分(日本時間同午前8時51分)ごろ、マグニチュード(M)6・3の地震があった。ニュージーランドの国営テレビ・ニュージーランド(電子版)によると、同国のキー首相は同日、死者が少なくとも65人に上ったと述べた。現地からのテレビ映像では負傷者も多数出ているもようだが、詳細な人数は不明。

首都ウェリントンの在ニュージーランド日本大使館によると、クライストチャーチとその周辺には約3000人の日本人が住んでいる。

地元メディアによると、2台のバスが崩壊した建物の下敷きになるなどして死傷者が出たという。他にも崩れた建物の下敷きになったり、閉じ込められたりした住民が多数いる可能性が高く、災害対策当局などが救助活動を急いでいる。


[時事通信の写真]

[YouTube 動画]


以上、引用-----

まず、ニュージーランド国民、特にクライストチャーチで被災された方々全てに『大丈夫ですか!』という叫びを届けたい、そして亡くなられた方に、哀悼の意を送ります。
日本人、否、世界市民に、至急の救助の手と義援金募金活動実施を促します。

ニュージーランドは、日本よりも一回り小さな島国ですが、時差も余り無く、また美しい国です。南半球なので、今は丁度、夏の終わりでしょうか。
丁度20年前、2/18から10日間、新婚旅行で訪れました。
最初に訪れた町がクライストチャーチでした。
旅行は二組で回りました。クライストチャーチでは、大学の先生(奥さんが日本人)が観光ガイドを務めて下さいました。クライストチャーチは入り江の側にある比較的こぢんまりとした美しい町です。町の中心にランドマークである大聖堂があります。イギリスの小京都と表現するのが適切かどうかはわかりませんが、歴史ある建造物、訪れたものを優しく招き入れてくれる美しい公園のある町です。町は妻と二人で歩きました。
大聖堂を訪れ、拝観しました。幼なじみの友人が20代半ばに約半年だったか、ニュージーランドへ語学留学し、学校は短期で終えたものの、その後アルバイトをして過ごした町がクライストチャーチでした。彼がよくお世話になったというカフェの親父さんを探して回り、親父さんに会って、友人から預かった手紙と、私が持って行った阪神タイガースの帽子をプレゼントしました。
英語、英会話もろくにできない私の表情と手振り、そして友人の手紙などで私の突然の訪問の意を汲み取って下さり、快く応対して下さったこと、昨日の事のように思い出しました。

あの美しい町、暖かい人情の生きる町、一期一会の町が、もう一つの悲劇の記憶、阪神大震災の風景と重なりました。

どうか悲劇がこれ以上拡大しない事、祈ります。

主よ、貴方を信奉する町を、人々を救い下さい。

自宅の庭に、名もなき一輪の花が咲いています。

数日前、庭に出て、ふと足下を見ると、可憐な黄色の花ビラが目に飛び込んできました。
芝枯れの庭の一角、普段なら踏み歩く場所なのですが、何故か足が止まりました。

とても小さく、もし運悪く洗濯ばさみでも落そうものなら一巻の終わり、そんな小さな花でありますが、生命が放つオーラでしょうか、巨人の私を立ち止まらせました。

今日もまだ花は陽光を反射して、鮮やかな黄色を、愛しい一点を庭に記してくれています。

もしかしたら、春からの先触れでしょうか・・・

高砂市の図書館事情

私は、図書館という空間が、子どもたちだけでなく、幾つになった人でも、知識に触れたい・学びたいと思った時に、集い、楽しめる場所として、すぐそばにあって欲しい、そう願います。

私が最初によく通った図書館は、姫路城の北側にある『姫路市立城内図書館』です。
開館当初、城内図書館に隣接した駐車場は無料で、自動車で行っても、時間を気にすることなく図書館で、また姫路城周辺、美術館などで散策が楽しめました。
学校が夏休み中などは、館内に設置されている広い机に学生達が集い、書物に、またノートに向き合っていました。エアコンが適度に効いて、広くしかも静寂さを失わない空間、大きな窓から眺められる姫路城や新緑の風景、知識に触れる・学ぶ者には最上の空間であるなぁと思いました。

10数年前から、図書館利用者のモラル低下を嘆く論評を多く眼にするようになりました。
・借用手続きをせずに持ち帰ってしまう。
・図書に落書きしたり、ハサミやカッターで傷つける。
等々、心が痛む事態です。
そして、図書館は自衛のために、利用者に様々な規制をかける様になりました。
カバンなどの持ち込みが禁止されました、それは図書館内で気兼ねなく学びたいという学生の排除に繋がりました。
今や図書館は、静かに図書館内で過ごせる者のみ、つまり図書館が利用者を選別する事態となったのです。

また、ITの利用(効率化の具現)により、図書の検索、貸し出し状況などが館内設置のパソコンから行える様になりました。現在ではさらに進み、インターネットを通じて、自宅にいながら行える様になりました。大変便利になりました、ただデジタルデバイド、つまりIT技術に長ける者には便利になりましたが、そうでない者には図書館はさらに不便になってはいないでしょうか。

私が望む理想の図書館のスタイルは、
利用者が、当然ながら公共財産および公共空間を利用させて頂くというモラル遵守が前提ですが、
日常生活にはない、図書館でのみ感じられる広くかつ静寂な空間で、自分のスタイルで伸びやかに知識に触れ、学べる。
また、図書の検索、或いは選択に迷った時、適切なアドバイスをして下さる司書の方に気軽に話しかけられる。
そして、利用者はボランティアともなり、図書館員の指導のもと、館員とともに清掃したり図書の整理整頓を行ったり、勉強会、書評などの発表会、朗読会を行う。
つまり、人が集い、人を育て、人が守る、人を繋ぐ空間であってほしいということです。

蔵書が豊富、新刊がどんどん蔵書に加わる、図書だけではなく、音楽や映像も楽しめる。成れば尚嬉しく、実際このように様々な情報媒体を楽しめる図書館も増えています。
しかし、たとえそうでなくても、読み継がしたい図書がしっかりと守られている、図書を守る人の意志がはっきりとわかる図書館であれば、素晴らしいと思います。

姫路市同様、高砂市と隣接している加古川市の図書館も利用してきました。加古川市の図書館施設が素晴らしいのは、広い公園のなかにあったり、複合施設(スポーツジムやレストラン、美術展覧室が併設されている)となっている事です。多くの人が、それぞれの目的でそこに集まってくる、そして図書館の利用促進も図られる、素晴らしいこころみです。
そして高砂市民としてなにより嬉しいのが、図書の貸し出しサービスを受けられる事です。

そして、昨年から利用し始めた加西市立図書館。こちらも複合施設で、2階までは商用施設。ショッピングができたり、クリニックにも通えます。そして3-4階に図書館と市民が集える広場が自由に行き来できるように併設されています。
市民広場は3-4階が吹き抜けとなっており、施設内にいても空間の広がりが実感できます。また、音楽や映像を楽しめるコーナーもあり、貸し出しもされています。なにより自治体としては高砂市から飛び地であるにも関わらず、加西市民と同様の全ての図書館サービスを受けることができます。


さて、我が町高砂市の図書館事情ですが、
曽根天満宮の南側、旧松陽女学校の校舎(今では本当に珍しくなった木造二階建ての校舎です)の一棟内にあります。
校舎は図書館以外にも、老人大学等々に利用されています。
図書館は、校舎の一角、一階に受付窓口の小部屋と一教室程度の部屋にスチール製の本棚な隙間なく並べられ、古い大書が置かれています。椅子といえばスチール椅子が2~3脚程度。その部屋に入ると、半世紀も前にタイムスリップした様な心地になります。それはそれで他にないものではありますが、手にとって読みたい本もなく、腰を落ち着かせようと思っても、座る場所もありません。

何年も前から新図書館建設の噂はありましたが、いつもたちきれで、また私自身、隣接市の図書館利用に十分満足していたので、いつの間にか高砂市の新図書館建設等について関心を持たなくなっていました。

今年一月、高砂市議木谷かつろう氏発行の『市政報告№14』が郵便受けに入っていました。
市民オンブズの監視対象として『土地開発公社』の問題を取り上げる中で、『新図書館建設』についても書かれていました。

以下引用です-----
3.新図書館は本当に実現できるのか?
1号土地で最大の米田多目的広場(簿価約18億円、年利息2千6百万円)につき、北側6千平方メートルを図書館建設予定地として残し、他の72%相当分を13億円で引き取る予算案が12月議会で可決されました。
広場は今後も現状のまま。教育長の答弁によれば、新図書館建設は、H27年度着工、H29年度開館予定らしい。
図書館建設についてはH13年度に建設資金の確保をせずに設計図を発注し、その費用6千5百万円を無駄にしている。今回の建設費は当時の約6割のようですが、それでも最低30億円(現金25%で、残りは市債)は必要です。教育委員会は前回同様、何度も構想を練り、審議を重ねていますが、財源は1円も確保されていません。先ずは公社(土地開発公社)の精算を優先し、図書館は資金を積み立て、財源確保した上で建設にかかるべきです。

※土地開発公社について
土地開発公社は地価の右肩上がりの時代に、自治体に先行して用地取得する必要から、公有地拡大法により市の外郭団体として設置されました。理事長は副市長で、事業資金は全額が市の保証による借金です。
高砂市の場合、公共事業用地(市に先行して取得=1号土地)と工業公園(企業向け分譲=2号土地)があります。
1号土地は取得価格に毎年の利息や管理費などを上乗せした価格(簿価)で市が引き取り事になっていますが、市の財政難から塩漬けとなっています。2号土地は国鉄清算事業団から跡地をH9年買収したもので、25%しか分譲できず、残りは賃貸(賃貸料で利息に対応)しています。標準財政規模に対する負債(借金)の割合が約50%で、県内市で最大(平均の2倍以上)です。
以上引用-----

この記事を読み、土地開発公社のこととは別に二つの問題に憤りを感じました。
一つは、図書館をどの様に利用していくのか、市民もしくは全ての利用者にどの様なサービスを提供するのかという、将来ビジョン(ハート)がまったく描かれぬまま、また上物(ハード)だけで、愚にも付かない論議に終始しているのかという憤り。
二つは、ただでさえ市民が集える公園が少ない高砂市にあって、唯一ともいえる広大な広場、米田多目的広場を潰すというのかという憤り。
です。

始めに書いた『私の理想とする図書館』を実現するために、なにも新しい器を用意する必要はなく、既存施設の利用、併用で実現できると考えます。

この二十有余年、大阪駅のランドマークタワーであったアクティ大阪。27階にあるスカイレストランを今月末で閉鎖し、最上級のホテル客室にリニューアルするというニュースを最近読みました。リニューアル費用は約10億円であったと思います。
先の市政報告で、新図書館建設費用は最低でも30億円以上必要と訴えられていますが、アクティ大阪の様な高層建築物最上階、ワンフロアー全面のリニューアル費でも約10億円でできてしまいます。(しかもこちらは『機を見るに敏』、時世に俊敏なる対応です)

高砂市内を見渡せば利用できそうな既存施設に二つ行き当たりました。
一つは『ジャスコ高砂店』。商用施設は2階までで3階以上は駐車場となっています。その3階フロアを図書館に転用するのはどうでしょうか。もし実現すれば、加西市立図書館と同様にショッピングも楽しめる複合施設の出来上がりです。
もう一つは『高砂市総合体育館』。米田多目的広場内にある、豪奢な施設です。館内にはメインとなる体育館、そして会議室、だだっ広いエントランスがあります。この会議室エリアとエントランスエリアを図書館としてリニューアルするのはいかがでしょうか。もし実現すれば、野球場、陸上競技場、近くには労働者体育センターもある多目的広場内に知識を求める、学習室を求める幼児、児童から学生、年配の方々までが集う、市民の社交場がいっちょあがり!です。

ジャスコの駐車場転用は、これまた『機を見るに敏』、『生き馬の目を抜く』世界で戦っているジャスコのノウハウを活かせば、リニューアルコストも抑えられ、また市民にとっては買い物もでき本も読める複合施設が手に入ります。ジャスコにとっても集客に通じる利点があります。市にとっても、市民にとっても、ジャスコにとっても利ばかりです。
また、総合体育館内の利用は、施設の稼働率を上げるメリットです。人が多く集まれば活気が生まれます。レストランを併設してもいい。こじんまりとした文化施設や教室を作ってもいい。おしゃれなカフェテラスを作ってもいい。施設内の彩りが鮮やかになるでしょう。
体育館以外にも、野球場のスタンドの下や外野芝生エリアを転用しても良いでしょう。そうすれば、施設内から、野球は見られるし、西には石の宝殿、生石神社が望めます。環境的にも素晴らしいと思います。

文化・スポーツ施設は、一市だけのものではなく利用者みんなの共有財産です。無駄にお金を費やすことなく、否、たとえお金を掛けたとしても、それ以上に、恩恵をもたらさなければいけないと思います。

その昔、高砂は、けっして裕福ではなかったかもしれないですが、山もあり海もあり名所もあり、水は美味しく、子どもを育て、日本人として生活するにほどよい土地柄であったと思います。

図書館についても、ハードでなく、ハートで考えて欲しい、そう強く希望します。

2011年2月20日日曜日

第9回播磨灘少年野球大会出場の第3期阿弥陀・北浜連合チームの試合を観戦しました。

薄曇り、気温も余り上がらず、少し春が一歩後退したかのような、今日2月20日、鹿島校区のAリーグ参加チーム『(第3期)阿弥陀・鹿島連合』が、小学生時代最後となる公式戦、『第9回播磨灘少年野球大会』で、志方ジュニアと対戦しました。試合会場となったのは、鹿島中グラウンドです。

今期『(第3期)阿弥陀・鹿島連合』は、阿弥陀地区、北浜地区の6年生11名でチームを組み、松井監督、北口コーチのもと、寒さ厳しい冬の間も、熱く野球に取り組んできました。
しかし、今大会直前に二名がインフルエンザにかかり無念の欠場、そのため、9名での戦いとなりました。
松井監督が午後から指揮されるという事で、1回戦は北口コーチがチームを指揮されました。試合前、北口コーチは何とか勝って、午後からの2回戦、松井監督に引き継げるよう頑張りたいと仰っていました。

11時試合開始、志方ジュニア先攻で幕を開け、ともに先取点のチャンスは作るものの得点に至らず、そして5回表志方ジュニアの攻撃、1死3塁で、バッターにはスクイズのサイン。二度失敗し2ストライクに追い込んだものの、スリーバントスクイズを決められて先取点を許し、結局、6回裏攻撃終了でゲームセット、『(第3期)阿弥陀・鹿島連合』は1-0で敗れました。
フォトアルバム『2011-02-20 第9回播磨灘少年野球大会 阿弥陀・北浜連合vs.志方ジュニア』

得点のチャンスを走塁ミスなどで潰してしまう残念なシーンもありましたが、内野手は常にピッチャーマウンドに近づいて声かけするなどして投手をもりたて、またファインプレーも随所に見られ、小学生最上級生のチームとして、一生懸命に戦っていました。

4月になれば中学生となり、彼らから何名が、鹿島中野球部の次代を担うために野球部の門をくぐるのか、今から楽しみです。