播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年11月11日金曜日

平和を問う寓話「カエルの楽園」は、救いのない物語でした。

百田尚樹さんの寓話「カエルの楽園」を読みました。
日本を彷彿させる平和なツチカエルの国ナバージュが、ある日突然、沼地の凶暴なウシガエルに国土を侵犯されてから、徐々に国土を侵略され、ついには占領されジェノサイドによって滅ぼされるまでの物語が描かれていました。

滅亡を招いた原因は幾つもありますが、
直接の原因は、ナバージュの岩山に棲んでいたオオワシのスチームボートが、何処へと去ってしまったことでした。
昔、オオワシがこの地にやって来たとき、カエルはオオワシを追い出そうと楯突きました。それに怒ったオオワシは何百というカエルを虐殺しました。
カエルは降伏し、岩山をオオワシに提供し、そしてオオワシが住みやすいように様々に便宜を図りました。またオオワシの命令により、再びオオワシに楯突かないように三戒の法を作りました。
ツチガエルが作った三戒は、「スチームボート様を信じろ。スチームボート様と争うな。争うための力を持つな」という法でした。ツチガエルは三戒とあわせて「我々は生まれながらに罪深きカエル。すべての罪は、我らにあり。さあ、今こそみんなで謝ろう」という謝りソングも作り、オオワシに向かって歌いました。
オオワシは、この見返りにナバージュを外敵から守ってやることにしました。

しかし月日は流れ、三戒は「カエルを信じろ。カエルと争うな。争うための力を持つな」に変化し、ツチガエルはナバージュの平和は三戒で守られていると信じるようになりました。オオワシへの謝りソングは、ツチガエルが昔に他のカエルに非道を行ったと云う風に曲げられて歌われるようになりました。そしてウシガエルの国土侵犯が発覚した時、多くのツチガエルは三戒でウシガエルと和睦できると信じました。
それでも、少数のカエルは三戒ではナバージュは守れない事を知っていて、オオワシにウシガエルを追っ払ってくれるよう頼みました。しかし、オオワシは年老いて以前ほどの力はなく、ツチガエルが共に戦うなら力を貸すと伝えます。しかし、ツチガエルの評議会は、カエルと戦うことは三戒に反するとこの提案を否決し、それを聞いたオオワシは、この地を去ってしまいます。
ウシガエルが恐れたオオワシはナバージュからいなくなりました。そしてウシガエルのナバージュ侵略が始まったのです。

しかし、もっとも忌まわしい原因は、三戒に異を唱えたり、ウシガエルと戦って国を守ろうとした者達を、ナバージュのリーダー達が三戒の法を犯したとして死刑にしてしまったことです。それによって、三戒に異を唱えたり、戦おうとするものは一人もいなくなりました。
ウシガエルの侵略は、ツチガエルの無抵抗の中で粛粛と行われました。そして占領が完了すると、ナバージュのリーダーは、ウシガエルの支配の為に働く者となりました。そして、ツチガエル同士の密告により、三戒に異論を持つ者と烙印を押された者から虐殺が始まりました。

「カエルの楽園」は、この様な救いのない物語で、読み終えたとき、なんともやるせない気持ちになりました。
けれども、この寓話は予言などとは思いません。
日本は、言論の自由が保障され、また人権、人命が保障された国であるからです。憲法に背いたからと無闇に国民を死刑にする国ではないからです。

しかし、カエルの国では三戒として描かれた、日本の憲法第九条は見直さなければいけないと思います。
・戦争の放棄
・戦力の不保持
・交戦権の否認
の三戒を自らに課している主権国は世界中で日本しかありません。日本が憲法第九条を掲げたのは、敗戦で国が占領されていたときです。占領国は、この法律で日本から戦う意志と力を削いだのです。三戒は崇高な理念です。しかし、世界中の国が三戒に従わなければ、一国の三戒は平和を守る力にはなりません。
祖国を守るためには、国民の人命と財産を守るためには、何をすべきか。何が必要か。主権国として、しっかりと法律(主権者が守る法)を見直す必要があると思います。

2016年11月7日月曜日

無視、無関心を正していこう!

いじめ自殺がおおやけになると、必ず巻き起こるのが「学校への非難」と「いじめをなくせ!」というシュプレヒコールです。
でも残念ならが、いじめは決してなくならないと思います。いじめは、人間の不満のはけ口としての生理的行動であるからです。
ただ関心を引きたいだけ、こっちを見て欲しいという微笑ましいものもあるでしょうが、多くの場合、
・イライラとした気持ちを弱い者いじめで発散する
・自分より成績の優秀な者を貶める
・それが度を超し、遊び行動となる
そして、いじめは
・学校で起こる
・学校の外で起こる
・社会の中で起こる
・家庭の中で起こる
・職場の中で起こる
・SNSの中で起こる
と云う風に、学校だけで対処できるものではありません。

しかし、いじめの周辺で起こる無視や無関心という行動は、
・いじめの標的にならないための、
・関わらないための、
・自分の身を守るための
知性的行動です。ですから、教育によって、学習によって、訓練によって、正すことはできると思います。
・いじめを見て見ぬ振りしない
・困っている、悩んでいる人に寄り添う
・いじめに立ち向かう
そういう行動ができる人間に育成するための教育や指導を、学校教育の中で、是非取り組んで欲しいと思います。

「私は、あなたのことを心配している。」この一言が、自殺を思い止まらせるのかも知れない。

私はこれまで、身近で自殺をした人がいないので、残された家族が、親友が、恋人が、そして同級生、同僚、知り合いとして、どんな思いを持つのか、どんな思いをするのか、想像するしかありません。
自責、怒り、悲しみ、虚無、もしかしたら羞恥、冷笑もあるかもしれません。
そしてそれはいつまで続くのか、一時か永遠なのか、弱まるのか強まるのか、想像するだけで苦しくなってきます。

厚生労働省のホームページに「年齢別死因原因(平成21年度)」という統計データがありました。

厚生労働省 - 人口動態統計年報 主要統計表 - 第8表 死因順位(第5位まで)別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html

「年齢別死因 第1位~第5位の志望者数」と「年齢別死因 第1位~第5位の割合」を表およびグラフ化しました。


次の世代で、自殺率が死亡原因の1位になっていました。愕然する数字です。
15~19歳・・・31.2%
20~24歳・・・49.8%
25~29歳・・・48.8%
30~34歳・・・40.6%
35~39歳・・・31.8歳

最近も、過労が原因と思われる新入社員女性の自殺、そして、いじめが原因と思われる中学生女子の自殺が社会問題となりました。過労自殺、そしていじめ自殺も共通因子があるように思います。それは回り人々の「無関心」です。

先週のニューズウィーク誌には「アメリカにおけるティーンエージャーの自殺」の考察記事が載っていました。アメリカは日本、韓国に次いで若者の自殺率が高い国です。

PRESIDENT Online - 絶望の国 日本は世界一「若者自殺者」を量産している
http://president.jp/articles/-/17058

記事では、
・学校で起こった自殺について子供と話し合ったのに、その後、自殺の予兆のなかった子供が自殺した。
・自殺は伝染する。特に身近な人の追自殺の危険が高まる。
・SNSの普及により、追自殺の危険はさらに広がっている。
と云うように、自殺の感染、自殺の連鎖に警報を鳴らしていました。
しかし、自殺を思い止まった少女の回想もありました。
少女は、自殺の決行日を決めていました。しかし、回りの友人達から「私達は、あなたのことを心配している」と言われた事から、心の苦悩を話す勇気が与えられ、この場合、家族に話をしたことで、自殺を思い止まれたと語っていました。

先週末のNHK週刊ニュース深読みで「どう防ぐ?若者の過労自殺 "会社と社員"のつきあい方」で討論していました。

NHK週刊ニュース深読み - 2016年11月05日放送
http://www.nhk.or.jp/fukayomi/maru/2016/161105.html

弁護士の川人博さんは、仕事に過度に追い立てられた人は、
「仕事の事で頭がいっぱいになり、他のことが全く考えられなくなってしまう。助けを求めることができなくなってしまう。」そして、「仕事の成果が出せないことはすべて自分の責任と思い詰めてしまう」と話されていました。
周りの人が、同僚が、管理者が、仕事の進捗だけでなく、働き手の体調や健康にも注意ができていたならば、自殺は防げたのではないかと苦々しく思います。

いじめ自殺も同じだと思います。
いじめや無視、無関心にされることで、過度に精神が追い込まれ、逃げられなくなってしまうのです。そして、いじめの原因を自分に求めてしまうのだと思います。

「私は、あなたのことを心配している。」
あなたの、私のこの一言が、身近な人の自殺を思い止まらせるのかも知れない。
そして、
身近な人からのこの一言が、あなたの、私の自殺を思い止まらせてくれるかも知れない。
そう希望を持って思います。