日本を彷彿させる平和なツチカエルの国ナバージュが、ある日突然、沼地の凶暴なウシガエルに国土を侵犯されてから、徐々に国土を侵略され、ついには占領されジェノサイドによって滅ぼされるまでの物語が描かれていました。
滅亡を招いた原因は幾つもありますが、
直接の原因は、ナバージュの岩山に棲んでいたオオワシのスチームボートが、何処へと去ってしまったことでした。
昔、オオワシがこの地にやって来たとき、カエルはオオワシを追い出そうと楯突きました。それに怒ったオオワシは何百というカエルを虐殺しました。
カエルは降伏し、岩山をオオワシに提供し、そしてオオワシが住みやすいように様々に便宜を図りました。またオオワシの命令により、再びオオワシに楯突かないように三戒の法を作りました。
ツチガエルが作った三戒は、「スチームボート様を信じろ。スチームボート様と争うな。争うための力を持つな」という法でした。ツチガエルは三戒とあわせて「我々は生まれながらに罪深きカエル。すべての罪は、我らにあり。さあ、今こそみんなで謝ろう」という謝りソングも作り、オオワシに向かって歌いました。
オオワシは、この見返りにナバージュを外敵から守ってやることにしました。
しかし月日は流れ、三戒は「カエルを信じろ。カエルと争うな。争うための力を持つな」に変化し、ツチガエルはナバージュの平和は三戒で守られていると信じるようになりました。オオワシへの謝りソングは、ツチガエルが昔に他のカエルに非道を行ったと云う風に曲げられて歌われるようになりました。そしてウシガエルの国土侵犯が発覚した時、多くのツチガエルは三戒でウシガエルと和睦できると信じました。
それでも、少数のカエルは三戒ではナバージュは守れない事を知っていて、オオワシにウシガエルを追っ払ってくれるよう頼みました。しかし、オオワシは年老いて以前ほどの力はなく、ツチガエルが共に戦うなら力を貸すと伝えます。しかし、ツチガエルの評議会は、カエルと戦うことは三戒に反するとこの提案を否決し、それを聞いたオオワシは、この地を去ってしまいます。
ウシガエルが恐れたオオワシはナバージュからいなくなりました。そしてウシガエルのナバージュ侵略が始まったのです。
しかし、もっとも忌まわしい原因は、三戒に異を唱えたり、ウシガエルと戦って国を守ろうとした者達を、ナバージュのリーダー達が三戒の法を犯したとして死刑にしてしまったことです。それによって、三戒に異を唱えたり、戦おうとするものは一人もいなくなりました。
ウシガエルの侵略は、ツチガエルの無抵抗の中で粛粛と行われました。そして占領が完了すると、ナバージュのリーダーは、ウシガエルの支配の為に働く者となりました。そして、ツチガエル同士の密告により、三戒に異論を持つ者と烙印を押された者から虐殺が始まりました。
「カエルの楽園」は、この様な救いのない物語で、読み終えたとき、なんともやるせない気持ちになりました。
けれども、この寓話は予言などとは思いません。
日本は、言論の自由が保障され、また人権、人命が保障された国であるからです。憲法に背いたからと無闇に国民を死刑にする国ではないからです。
しかし、カエルの国では三戒として描かれた、日本の憲法第九条は見直さなければいけないと思います。
・戦争の放棄
・戦力の不保持
・交戦権の否認
の三戒を自らに課している主権国は世界中で日本しかありません。日本が憲法第九条を掲げたのは、敗戦で国が占領されていたときです。占領国は、この法律で日本から戦う意志と力を削いだのです。三戒は崇高な理念です。しかし、世界中の国が三戒に従わなければ、一国の三戒は平和を守る力にはなりません。
祖国を守るためには、国民の人命と財産を守るためには、何をすべきか。何が必要か。主権国として、しっかりと法律(主権者が守る法)を見直す必要があると思います。