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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年11月7日月曜日

無視、無関心を正していこう!

いじめ自殺がおおやけになると、必ず巻き起こるのが「学校への非難」と「いじめをなくせ!」というシュプレヒコールです。
でも残念ならが、いじめは決してなくならないと思います。いじめは、人間の不満のはけ口としての生理的行動であるからです。
ただ関心を引きたいだけ、こっちを見て欲しいという微笑ましいものもあるでしょうが、多くの場合、
・イライラとした気持ちを弱い者いじめで発散する
・自分より成績の優秀な者を貶める
・それが度を超し、遊び行動となる
そして、いじめは
・学校で起こる
・学校の外で起こる
・社会の中で起こる
・家庭の中で起こる
・職場の中で起こる
・SNSの中で起こる
と云う風に、学校だけで対処できるものではありません。

しかし、いじめの周辺で起こる無視や無関心という行動は、
・いじめの標的にならないための、
・関わらないための、
・自分の身を守るための
知性的行動です。ですから、教育によって、学習によって、訓練によって、正すことはできると思います。
・いじめを見て見ぬ振りしない
・困っている、悩んでいる人に寄り添う
・いじめに立ち向かう
そういう行動ができる人間に育成するための教育や指導を、学校教育の中で、是非取り組んで欲しいと思います。

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