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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2020年4月20日月曜日

パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。
それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。

「国民の人権軽視」、これは形式的な国家元首である天皇の威光を利用して、軍閥のエゴと利益のために、責任という思考を持たぬままに、消耗戦の道具として、国民の生命と財産を消費し尽くしたこと。国民の命を、玉砕という美辞麗句で十死零生を強いたこと。
「戦争をするための戦略軽視」、これも「国民の人権軽視」という思考の上で、机上の倫理でしかない無謀な戦術(作戦)を、戦略を立てずに人海戦術や消耗戦で行ったこと。
です。

戦略を立てないということはどういうことか
それは戦術(戦術)を実行する為の綿密な計画や準備、つまりロジスティック(兵站)を準備しないということです。戦争においてロジスティック(兵站)が如何に重要かは、古今東西の戦記物が語っています。
そして進捗管理も検証も行わない、作戦失敗の責任は、戦場で戦う現場の兵士に負わせて、後方の安全地帯にいる司令部は一切責任を負わなかったのです。強いて言えば責任のみ天皇に一任であったということです。

あれ、これって現在の新型コロナウィルス感染対応に対する政府や国会議員の行動と瓜二つですね。民主主義国家に生まれ変わって75年経ちますが、国家の指導的立場にいる者の質が一向に向上していないことに、今更ながらに驚きます。

今新型コロナウィルスのパンデミックの事態を、安倍総理は「第三次世界大戦」と形容したと聞き及びました。しかし、戦争は命の奪い合いです。このパンデミックに対して私たちが行おうとしているのは、「パンデミックの脅威からどれだけ命が救えるか」です。
そこを戦いの主義としなければなりません。

現在、パンデミックの収束地点として考えられるのは
・私たちの社会が集団免疫を獲得する
・新型コロナウィルスの特効薬ができる
のどちらかを獲得した時です。
少なくても二年近くを要することになるでしょう。
この状況を踏まえて、先の見えないパンデミックの収束地点まで、「一人でも多くの人の命を救う」を目的に、戦略を練り、整えて、機能させなければなりません。

このパンデミックの最前線で戦えるのは、医師、看護師などの医療従事者だけです。
医療従事者は、治療の最前線で、感染のリスクを負いながら、また感染者の苦しみと無念の死を間近に見ながら、心も体も磨り減らしながら戦い続けています。
医療従事者が、一人倒れると、現場を離れると、一日数名の命が危険に晒されるでしょう。それが十日続けば数十名の命が危険に晒されることになるでしょう。

私たち医療従事者以外の国民ができることは、
医療従事者とその家族の心と体の負担を減らすこと、ケアすることだと思います。
これは医療従事者だけじゃなく、私たちのライフラインを守るために働いている全ての人々、学校や学童保育、保育園、こども園で働く先生たちも同様にです。
「ステイホーム」が合い言葉となっています。
他の人から感染しないように、他の人に感染させないように、今状況下で働く人に負担を掛けないように、子育ても介護もできうる限り家族で行えることはおこなう。
「ステイホーム」は、じっとしなければならないストレスとの戦いです。でも命を危険に晒すことのない戦いであることを、私たちは理解しなければなりません。

そして、国民の代表たる国会議員が今すぐ為すことは
①門外漢ではない、世の中で専門家として認められた人、なおかつリーダーとして認められた人を選出して、本当に機能する対策チーム、ロジスティックチームを設置するために奔走すること
②パンデミック対策、ロジスティック、そして医療従事者のケアに必要な莫大な費用を国民の了解を取り付けて作り出すこと
③医療従事者を脅かすものすべてを排除する、つまり
・医療従事者に戦士の休息を与えること
・彼らの行為に尊敬し、けして医療従事者もその家族も、感染の脅威として見なさない
・医療従事者が安全に医療行為が行えるように、ロジスティックを整え機能させる
を国民の了解を取り付けて、実行し続けること
④特に医療従事者やロジスティックに関わる人々への誹謗中傷、流言を厳しく取り締まる法律を国民の了解を得て整備すること
⑤そして検証し、評価し、対策を講ずること
です。

厚生労働省では、日々感染状況を発表していますが、時系列に見ることが出来ません。
これでは進捗管理や検証を行う為に、データを加工しなければなりません。しかも、過去を辿ってみるとデータのフォーマットが異なるという有り様で、データの検証から見直さなければなりません。
こういうデータの扱いもおざなりではなく、一級品の素データにする専門家が必要に思います。

オリンピックは、平和の祭典、アスリートファースト、などと美辞で表されますが、実際は金欲と名誉欲に塗れた人々の錬金術に成り果てています。オリンピックの本質は、戦争ではなくスポーツで戦う、それを国民だけでなく世界中の人々に知らしめることだと思います。とりあえず2020東京オリンピックは延期になりました。今こそオリンピックの本質に立ち戻り、オリンピックのために建てた設備を、特に一万人を安全に収容できると考えられる選手村を、PCR検査陽性者で、かつ症状がない、あるいは軽い人たちの隔離場所として利用することを切に希望します。
これも政治判断です。国会議員の仕事です。


最後に統計情報を集めてグラフ化しました。
グラフから読み取れること、この先を想像する事ができます。「ステイホーム」している国民には、考える時間が与えられています。この先の日本を一人ひとりが考える機会にしなければならないと思います。