この書は、訴えでもなければ、告白でもないつもりだ。
ただ砲弾は逃れても、なお戦争によって破壊された、
ある時代を報告する試みにすぎないだろう。
という序文で始まる小説『西部戦線異状なし』は、ギムナジウム(現在の日本でいえば大学進学を目指す中高一貫のエリート校)で学んでいた十八歳のパウル・ボイメル君が、教師の半ば強制的な説得によって、クラスの同級生二十名と共に軍隊に志願し、苛酷で残虐極まらない西部戦線で一兵卒として二年を過ごした後、1918年11月11日に連合国側の勝利で世界大戦が終結を向かえる直前に二十歳で戦死するまでを、彼パウル君の主観で語られた物語です。
この『西部戦線異状なし』の物語は、著者エーリッヒ・マリア・レマルクの実体験が元になっています。レマルクの本名は、エーリッヒ・パウル・レマルクで、ミドルネームがパウルです。レマルクは実際にギムナジウムで学んでいた十八歳の時に軍隊に志願し、西部戦線で戦闘を経験し、塹壕戦の最中に榴弾の破片で重傷を負い、二十歳で終戦を迎えるまで病院で長期療養を経験しています。
レマルクの実体験が、ボイメル君の体験を迫真のものにしています。
特に、前半に描かれる塹壕戦・砲撃戦の描写や、後半の斥候中に遭遇して短剣で刺した敵兵ジェラール・デュバルがゆるゆると死にゆく様の描写、そして榴弾の破片で重傷を負ったことで収容された病院内の描写は、まるで臭いまで漂ってくる様でした。とても重苦しい追体験となりました。
沢山の印象的なシーンの中で、特に印象的な二つのシーンを書き記します。
一つは、西部戦線に新兵として出兵して二年が過ぎ、戦地に生き残る八名の同級生の一人、クロップとの会話です。
「僕らはもう戦争のお陰で何をやろうとしても駄目にされちゃったんだね」
「僕らはもう青年でなくなった」
「僕らは十八歳であった。この世界と生活とを愛し始めていた。しかるに僕らはその世界と生活とに向かって鉄砲を撃たなければならなかった」
「僕らは仕事と進歩というものから、まったく遮断されてしまった。僕らはもうそんなものを信じてはいない。信じられるものは、ただ戦争あるのみだ」
もう一つは、刺したジェラール・デュバルが半日も喘鳴を洩らして後死んだ後に訪れた沈黙に耐えきれずに、死んだデュバルに話しかけた言葉です。
「おい、戦友、僕は決して君を殺そうとは思っていなかったんだ。
君は僕にとっては、初めただ敵という観念だった。一つの抽象だった。それが僕の頭の中に働いて、殺そうという決意を呼び起こしたものだ。僕はこの観念を刺したのだ。今になって初めて僕には分かった。君だってやはり僕と同じ様な人間であることが。」
これらのシーンは、十八歳、これから未来に向かって歩みだそうとしていた、そして、まだ何者でもなかった少年が、戦場での壮絶な体験によって、殺し殺される為だけに生きる存在に陥ってしまったことを強く印象付けました。
この物語のエピローグを書き記します。
「ここまで書いてきた志願兵パウル・ボイメル君も、遂に1918年の10月に戦死した。その日は全戦線に渡って、きわめて穏やかで静かで、司令部報告は『西部戦線異状なし、報告すべき件なし』という文句に尽きている位であった。ボイメル君は前にうつぶして倒れて、まるで寝ているように地上に転がっていた。体を引っ繰り返してみると、長く苦しんだ形跡はないように見えた……あたかもこう云う最期を遂げることを、むしろ満足に感じているような覚悟の見えた、沈着な顔をしていた」
この一文は、一兵卒の死に対する無情さと、レマルク自身の戦死した戦友に対する憐れみと慰めを記したものではないかという印象を覚えました。
近代ヨーロッパで起こった初めての大戦争(第一次世界大戦)は、ありとあらゆる大量殺戮兵器(飛行機を利用した爆弾投下、殺傷能力の高い砲弾、地雷、毒ガス、戦車など)が開発され、戦場に投入され、相対する国の境に掘られた塹壕線には、半強制的に志願させられた、また強制的に徴兵された十八歳以上の少年や、働き盛りの青年や家庭の家長が次々に、無闇に送り込まれて、ただただ死者と一生を台無しにする傷を負わされた負傷者だけが増え続ける有様であった様です。
ドイツは、戦争を主導した帝政が敗戦濃厚にして民衆の革命によって倒されたことで敗戦が決定し、その後の戦後処理で莫大な賠償金を課せられたことで、ドイツの民衆の被害者意識や憤り、戦勝国への憎しみは相当なものに膨れ上がったのだと想像します。その被害者意識、憤り、憎しみが、後に頭角を現したヒトラー率いるナチス党のドイツ人種至上主義に飲み込まれ、ヨーロッパ・ユーラシア大陸の征服とナチスが下等人種と見なしたユダヤ人やロマ人の殲滅行動に向かわせたのだと想像します。
方や戦勝国となったフランスや英国も、ドイツと同様に膨大な人的損害を被ったことで、厭戦気分が蔓延し、それがヒトラー率いるナチスドイツの強大な軍拡化を許してしまった理由だとも云われます。
1991年12月にソビエト蓮歩が崩壊し、新たに誕生したロシアとの融和を図り、軍備縮小に動いたヨーロッパでは、長らく維持してきた徴兵制度を停止する国も現れました。ドイツも2011年に徴兵制度を停止しました。
しかし、2000年にロシアの大統領に就任したプーチンが、以後26年に渡りロシアを支配し続けて、2010年以降は旧ソビエト連邦支配下の国々への再びの支配欲を露わにし、遂にはウクライナから2014年にはクリミア半島を略奪し、2022年にはウクライナ全域を支配するために軍事侵攻を始めるに到りました。
それによってヨーロッパのロシアの脅威が決定的となって、再びヨーロッパは軍拡へ舵を切りました。ドイツも徴兵制度復活に向けて、今年から新たな兵役制度を導入しました。来年からは十八歳以上の男子に徴兵の為の医療検査が義務付けられることになるようです。
誰しも平和は享受したい。どの国の国民も平和であってほしいと願っています。
1945年に設立された国連が機能し、国連が主導する安全保障会議の決定を、すべての国が従うのなら、その平和の願いも叶うでしょう。そして極論をいえば国連加盟国に軍隊など必要では無くなるでしょう。
でも、実際のところは、国連という組織が設立された当初から、特に常任理事国である、現在の米国、ロシア、中国、英国、フランスの身勝手な核武装や軍備拡大、更には他国への軍事侵攻という蛮行は、なくなることはありませんでした。
そして遂には、常任理事国が主導した国際法を破ることさえ大国は厭わなくなりました。これは明らかに、これまでの半世紀とは違う、新たな乱世の時代の幕開けです。
『汝平和を欲さば、戦への備えをせよ』
これは古代ローマ時代の格言ですが、近代まではヨーロッパでも、アジアでも、そして日本でも常識であったのだと思います。大河ドラマに度々登場する日本の戦国三英傑、信長・秀吉・家康も必ず戦の前にこう宣言しますね、「戦のない(つまり平和な)世の中にする為」と。
第二次世界大戦後の日本は、敗戦と苛酷な戦時の記憶から国民の中に厭戦気分が広がって、かつ、連合軍の占領支配中に新たに発布された日本国憲法で『戦争の放棄』を日本の是としてから、曲がりなりにも武力を他国に対して一度も行使したことはありませんでした。
でも、実際のところは、日本を支配し続けている米国の軍事力の影響が外にも働いて、それがソ連や中国、北朝鮮からの軍事的脅威から日本を守り、この80年近く日本人が平和気分を味わえた根本的な理由ではないかと思います。
しかし、日本が頼りに頼っている米国が100年以前のモンロー主義(トランプがドンロー主義と言い換えている保守主義、孤立主義)を再び掲げて、南北アメリカ大陸を中心とする西半球のみを支配する帝国主義の政策に傾けば、日本を覆う米国の軍事力という傘は、気付いたら無くなっていた、という様な事態が近い将来に訪れることになるかも知れません。
その時になってはじめて右往左往し、無闇に軍拡や強国路線を掲げる為政者の煽動に、国民が煽られて熱狂して、闇雲に進んでいくようなことになれば、それは、戦前の日本と同じ様に、また戦前のドイツの様に、滅ぶまで、国民の命が無闇に消費されてしまう事態に陥ってしまうかもしれません。わたしたちが、そしてわたしたちの子や孫が、パウル・ボイメル君になってしまうかもしれません。
わたしたちは、今すぐにでも気付き、わたしたち一人一人が、責任を担って、日本のこれからの平和を求める在り方を、決定しなければいけないと思います。
選択は限られています。
恭順による他力の平和にすがるのか、武力によって自ら進んで平和を獲得するのか、もしくはこの半世紀の様に国連の様な世界的な組織に加盟するか、連邦国家を形成して、集団的自衛・集団的平和維持に平和を委ねるのか……、わたしたち一人ひとりが、責任を担って、決定しなければいけないのだと思います。