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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2024年3月27日水曜日

映画「ナチュラル」の名台詞を、大谷翔平選手に贈ります。

大谷翔平選手が、信頼する人に裏切られ欺され巻き込まれた疑惑について、自ら矢面に立って会見を開き、大勢の記者とテレビカメラの前で、自らの言葉で、今公表できる事実をしっかりとした口調で伝えてくれました。

その会見が開かれた日、NHKシネマで野球映画の名作「ナチュラル」(The Natural 1984年アメリカ映画)が放映されました。

この映画には

『人には人生が二つあるわ

一つは何かを学ぶ人生、もう一つはその後の人生よ』

という名台詞があります。


映画「ナチュラル」のあらすじです。

舞台は、ベーブルースが活躍していた100年前のアメリカです。

主人公ロイは、剛速球投手としてメジャーリーグで成功しうる天性の才能”The Natural”がありました。青年ロイはカブスから入団の誘いを受け、幼なじみの恋人アイリスにプロポーズし、メジャーリーグで成功して、きっと迎えに帰ってくると約束し、意気揚々とシカゴ行きの汽車に乗り込みます。しかし、その汽車に乗り合わせたメジャーリーグの強打者のスター選手と余興で一打席の勝負をして三球三振で勝ったことから、この強打者のスター選手を殺害する為に付け狙っていた、才能あるスポーツ選手を次々と殺害する狂気に取り憑かれた黒服の魅惑的な女に魅入られる羽目になり、彼女に誘われ、ホテルの彼女の部屋に入ったところで、拳銃で撃たれ、ロイはメジャーリーグで活躍する未来が奪われます。


16年後、35歳となったロイはナショナルリーグのニューヨーク・ナイツにロートル・ルーキーとして入団を果たします。ロイをナイツに入れたのは、ナイツの共同経営者の一人で陰を好む判事でした。判事は賭博師と共謀して球団を我が物にすることで不正に大儲けすることを企んでいました。判事にとって、共同経営者の一人でナイツを我が子のようにこよなく愛する監督のポップが邪魔でした。そこで判事はポップと賭けをしました。ナイツが優勝すれば判事はナイツの経営から手を引く、しかし優勝できなければポップがナイツの経営から手を引くという賭けでした。

判事と賭博師は、酒と女でナイツのスター選手を抱き込み、チームはガタガタの状態で最下位に苦しんでいました。判事が繰り出す最後の一手がロートル・ルーキーのロイでした。ロイを加入させることでチームの士気を一層落とすことがもくろみでした。ただ判事も誰も、ロイがどんなに苦労して這い上がってきたか、そしてどんな力を秘めているか知りませんでした。

ポップはロイの加入が判事の嫌がらせであることが解っていました。それでロイを一切使わずにマイナーに落とすことを決めますが、頑とマイナー行きに抗議するロイに一度だけ練習に参加することを認めます。これがポップにとって、勿論ロイにとっても好機の到来となりました。

ロイは打撃練習で、自軍の投手が繰り出す投球を、チームの誰もが目を見張る大ホームランで打ち返しました。

ロイがスター選手に替わってライトで四番に入ってから、ロイの驚異的な打撃と堅実な守備、そして何よりも“For The Team”、何よりもチームの勝利の為に戦う姿勢に、チームメイトも応援するファンも感化され、ナイツは怒濤の連勝街道を歩みはじめ、優勝戦線に食い込みました。


ロイの活躍が邪魔となった判事と賭博師は、ロイを大金で抱き込み八百長を目論みますが、不正を嫌うロイは、ポップの側に立つことを彼らに宣言します。業を煮やした賭博師は、魅入られた男は不幸になるという曰く付きの美女をロイに差し向けます。野球を続ける為に、酒も煙草も嗜むことのないロイでしたが、美女に魅了させ、彼女とベッドを供にするようになってから、まったく精彩を欠くようになって、自慢の打棒も振るわなくなり、ナイツは再び連敗に喘ぐことになりました。


しかし、遠征先のシカゴで再び、ロイは精彩を取り戻すことになります。16年前にロイが一方的に姿を消したことから別れ別れになっていたアイリスが、ロイに一目会う為に試合観戦に来ていたのです。打席で酷いヤジに晒されるなかロイは、スタンドの中で一人立ち上がりロイに向かって祈る白服の女性に眼が止まります。それがアイリスでした。その途端、ロイの精彩は蘇り、ロイは試合を決定づけるスコアーボード上の時計を破壊する大ホームランをかっ飛ばします。

試合の後、ロイはアイリスと再会します。アイリスは姿を消したロイといつか再会できることを信じて、シカゴに居を構えて暮らしていました。アイリスは最愛のひとり子と二人で暮らしていると話します。ロイはアイリスを裏切る行為から女に撃たれ、それがもとで大怪我をし、長く極貧に身を沈めていたこと、そして野球選手として活躍できるまでの道程を話します。


再び精彩を取り戻したロイは、大活躍でチームを牽引し、ナイツを残り試合で一つ勝てば優勝するところまで導きます。その優勝の前祝いのパーティーで、ロイは崩れるように倒れ病院に担ぎ込まれます。

16年前に撃たれた拳銃の弾が腹の中に残り続けていて、それが原因で臓器が傷つき、起き上がることができない痛みを引き起こしていたのです。弾は手術で取り出すことができましたが手術傷が大きく、ロイは試合に出場できる身体ではなくなっていました。

病院のベッドに横たわるロイに、闇に紛れて判事が訪れ、大金を餌にこのまま引退するよう迫ります。そして万一ロイが最後の試合に出場を決めても、他にも八百長の手先となる者の存在がいることを匂わせて、我々には勝てないことをロイに思い知らせます。


最後の試合が行われる前日、アイリスがロイを見舞いにシカゴから訪れます。ベッドに横たわり後悔を口にするロイに、アイリスは冒頭の台詞をロイに告げて、若気の至りを晴らすの、と励まします。


『人には人生が二つあるわ

一つは何かを学ぶ人生、もう一つはその後の人生よ』


アイリスに励まされたロイは、最後の試合に勝って優勝し、判事と賭博師の悪巧みを砕くために、試合に強行出場します。

試合は0対0で進みますが、突然にエースが崩れ二点が奪われます。これを見たロイは、エースが八百長に加担していることを理解し、タイムをとってマウンドに走り、エースにこれ以上八百長に加担するなと告げ、自分のプライドを傷つけるなと諭します。

しかし、ロイも手術傷から血がにじみ出し、出場し続けるだけで精いっぱいの状況でした。アイリスは、ロイに勇気を奮い立たせる為に、ロイに隠していた事実を手紙にしたため、ベンチのロイに届けます。


『私の15歳になる最愛の息子は、16年前に貴方と愛し合って誕生した貴方の子どもです。息子に貴方の勇気を見せて。』


試合は2対0で、九回の裏ナイツ最終回の攻撃が始まります。二死から連打が飛び出し一塁三塁となって、ロイは16年前に相棒として自ら自宅の庭の落雷で裂けた大木から作った”WONDER BOY”と名を刻んだバッドを手に左打席に入ります。相手投手は、今年メジャーデビューを果たした若き左の剛速球投手に変わりました。それは16年前の若き左の剛速球投手ロイとこの打席で引退することとなる左のホームラン打者ロイとの生涯一度きりの勝負を彷彿しました。

ロイは二球目を強振します。打球は大飛球でしたが、ボールの外に落ちました。仕切り直しで、ロイはバットを拾いに行くと、”WONDER BOY”は真っ二つに裂けて転がっていました。ロイはバットボーイの少年サボイに「君の勇者を貸してくれ」と、ロイが手ほどきしてサボイと一緒に作ったバット”SAVOY SPECIAL”を持って来て貰います。

”SAVOY SPECIAL”を手にしたロイが左打席に入り構えます。捕手はロイの胸元に剛速球を要求し、若き剛速球投手は、そこに向かって剛速球を投げ込みます。唸りを上げて迫り来る剛速球を、ロイは”SAVOY SPECIAL”を振り抜いてかっ飛ばします。打球はぐんぐんと夜空を裂いて、グランドを照らす高くそびえる照明に突き刺さり、照明はまるで大輪の花火が炸裂するように火の粉をグランドに降らします。その火の粉の降り落ちる中、ロイは大歓声に包まれながらダイヤモンドを一周します。


END


私のような、少年の頃に、汗と涙と人情で綴られた、あるいは友情やフォア・ザ・チームに彩られた野球漫画を読みあさり、そこで超人的な活躍をする主人公に心を躍らせた、昔、少年であった大人たちは、きっとこの映画「ナチュラル」を公開当時に映画館で見て、私と同様にどんなに心を躍らせたことでしょう。そんな心が踊る感動を、リアルな野球観戦で今現在進行形で甦らせ続けてくれるのが、誰あろう大谷翔平選手です。

彼のこれまでの軌跡を知る人々は皆、大谷翔平選手がどれだけ野球に直向きなのか、真摯であるのかを、心に刻み付けています。ましてや名実ともに世界一の野球選手となってからも、その姿勢は変わらずに、更には野球の楽しさを世界中に普及する大役を担ってからも、それを大いに楽しんで挑戦している姿をみれば、この度の降って湧いた疑惑など一蹴できます。

ただアメリカの論調は、日本よりも自己責任が良くも悪くも重きが置かれることから、言葉の壁の責任、資産の管理の責任を大谷翔平選手に求めることには、そうなんだという諦めを感じます。

しかし、逆にいえば、言葉も文化も異なる国で、一つの仕事をやり抜く為に、その為にすべての力と時間を注ぎ込むために、他のことは信頼できる人や組織にすべてを任せる決断をして実践を貫いてきた大谷翔平選手を、誰が非難できるでしょうか。そこにどんな罪があるというのでしょうか。と私は思います。

今回の疑惑、というよりも犯罪は、すべて、百パーセント、大谷翔平選手の信頼を得て、彼の生活のすべてをサポートする仕事を任された人間が、裏切り、その信頼で得た立場を利用して、欺し、盗み、なかんずく大谷翔平選手に偽りの汚名を着せことであり、百パーセント、その人間が悪いのです。ただそれだけです。

大谷翔平選手には、この映画「ナチュラル」の名台詞を贈りたいと思います。

そして、この疑惑、この犯罪でとてつもなく傷ついたことだと思いますが、これも励みと捉えて、ナチュラルから勇者へと変身を遂げて、これからも長く、私たちを野球で心からワクワク、ドキドキ、させ続けてください。


追伸.

私は、この疑惑報道が出る前から、大谷翔平選手のプライベートを扱うニュースには手を出さないようにしないといけない、と思う様になりました。これは大谷翔平選手だけでなく、あらゆる事柄についての身勝手、或いは真偽が不明なニュースや情報がネットを中心に蔓延り、また他人の真偽の不確かなプライベートが本人の同意もなしにネットにさらけ出されるようになったからです。それは一種の麻薬のようなもの、人間の、自分の快楽を求める部分が際限なく刺激され続けてしまうと危惧したからです。

テレビの情報番組も同じです。真偽のつかない事柄を、疑問符を付けながら、何度も繰り返し、クドいほどに時間を掛けて、感情を煽るように伝えてきます。

彼らは、視聴者が見たいと彼らが決めた事柄を、大風呂敷を広げて、誇張して、真偽を確かめること無く、無責任に報道します。それが、自らの責務であるとのたまいているのです。

昔は報道というものに、何かしらの真実、というか正義を感じていたこともありましたが、今はまったく、彼らを真実であるとか正義であるとか、そういう対象で見ることは出来なくなりました。

日本の政治が、二流から世界でも最悪の汚職と不正と不義がまかり通る政治に変貌をしても、近代ジャーナリズムが目指すべき政治の監視機能を一切果たせぬままに、今ではそんな政治への忖度とへつらいが蔓延するのが日本のメディアの実情となりました。

ジャーナリズムを責務と考えるメディアの人々は、大谷翔平選手のニュースなど横において、汚職と不正と不義がまかり通る政治と刺し違える覚悟で対決し、日本の未来が少しでも良くなるように戦ってほしいとエールを送りたいと思います。


また、大いなる成功には、大金がうごめくところには、良からぬハエがたかるものです。これもまた人間の際限のない欲望や快楽を刺激する所以です。人間の正直な弱さの表れです。仏教でいえば悪業です。現代は神の地位も地に堕ちた観がありますが、私たちの世代には、まだ「お天道様が見ている」、或いは「神様が見ている」という漠然とした畏怖の念が、心のどこかにまだ刻まれています。そういう欲望や快楽を自制する感念というものこそ、私たちは大事に落ち続けていかねばならない。子供たち、孫たち、子孫たちに、もしかしたら唯一、引き継がなければならない教えなのかもしれないと、最近強く思います。