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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月1日火曜日

高砂南高等学校 29回生卒業式 唱歌斉唱、校歌斉唱

平成23年2月28日(月)、冷たい雨が降るこの日、
高砂南高等学校 29回生卒業式が、厳粛に、粛々と行われました。

唱歌斉唱では、『仰げば尊し』の一番、三番が歌われ、
『蛍の光』は一番、二番が歌われました。
そして、最後に全員で校歌を斉唱し、卒業式は万感の内に閉式となりました。



『仰げば尊し』

(1)仰げば 尊し 我が師の恩
   教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
   思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
   今こそ 別れめ いざさらば

(2)互(たがい)に睦し 日ごろの恩
   別るる後(のち)にも やよ 忘るな
   身を立て 名をあげ やよ 励めよ
   今こそ 別れめ いざさらば

(3)朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
   蛍の灯火 積む白雪
   忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
   今こそ 別れめ いざさらば


唱歌『蛍の光』

(1)蛍の光 窓の雪
   書読む月日 重ねつつ
   いつしか年も すぎの戸を
   開けてぞ今朝は 別れゆく

(2)とまるも行くも 限りとて
   互みに思う 千万の
   心のはしを ひとことに
   幸くとばかり 歌うなり

(3)筑紫のきわみ 陸の奥
   海山遠く へだつとも
   その真心は へだてなく
   ひとえに尽くせ 国のため

(4)千島の奥も 沖縄も
   八洲のうちの まもりなり
   いたらん国に いさおしく
   つとめよわがせ つつがなく


『兵庫県立高砂南高等学校』校歌
作詞 馬場鉄夫
作曲 和田 正

(1)かずかぎりなき 波の秀の
   播磨灘をぞ 前に見て
   強穀の心 培いつ
   山なみはるか 稲毘野の
   おだしき空に 清明の
   心を養い 来りたる
   南、南、高砂南

(2)豊旗雲の なびく見て
   加古のみなとの 夕風に
   壮士の意気を もたん我
   いにしえ今も 稲毘野の
   色とりどりの 草のさま
   みやび心を 持たんかな
   南、南、高砂南

(3)心を磨き 技を練り
   尾上の松を 友として
   固きみさおを 学ばなん
   心こぼしき 高砂は
   我がふるさとぞ 君とみや
   はばたく空に 光りあれ
   南、南、高砂南


『仰げば尊し』そして『蛍の光』は、私の時代は、定番でした。
そのメロディは、哀愁を帯びつつも、凛とした気持ちにさせてくれます。
『仰げば尊し』について、
「Song for the Close of School」という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』に収録されていた事実を、桜井雅人一橋大学名誉教授が2011年1月に発見されました。同書が基本的に初出の歌曲を載せていることと、旋律もフェルマータの位置も同曲と同一であることから、恐らくこれが原曲であろうと思われます。
「蛍の光」は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」を原曲としたことはよく知られています。
(以上、ウィキペディア百科事典からの引用です)

歌詞は、戦前に付けられたもので、『仰げば尊し』は師崇拝甚だしく、また『蛍の光』はお国のためと言わんばかり、ということで、戦後、特に最近では小、中学校ではほとんど歌われなくなりました。
あらためて歌詞を読むと、『蛍の光』第四番などは特に時代錯誤で、歌われないのは当然と思います。

ただ『仰げば尊し』は、ここまで尊べる師に出会えたらどんなに幸せか、と思います。
そういう師のもとで、学び、励み、そして旅立つ時に、この歌を捧げられたらどんなに素晴らしいか、と思います。

卒業生一人ひとりに、恩師が点された燈火がいつまでも輝き続けることを願います。

長男遼太郎の卒業式に、生徒たちの晴れやかな船出に、立ち会えたことに感謝一杯です。

高砂南高等学校第29回生卒業式 卒業生代表立岩さんの答辞に感動しました

『わたしたち29回生は、今日卒業します』
から始まった、卒業生代表立岩さんの答辞は、

入学当初のオリエンテーション合宿で一日目から三教科のテストがあった事、
修学旅行が海外旅行でなく国内旅行に変更になった事、
その国内旅行『沖縄旅行』で出会った感動、
宿舎での絶対正座したくない私たち対、指導に力を入れる先生方のと対決、
等々、正直かつユーモア溢れるエピソードが綴られ、

文化祭、
体育大会、
部活動、
修学旅行、
進路、
等々、それぞれの行事のエピソードから、どの様して友情を育んできたか、また先生、友だち、用務員の方々、先輩後輩、父母そして家族に、如何に支えられたか、そして感謝の気持ちが溢れ、

『学校って楽しい、と気づいた時にはもう卒業が目の前でした』
という卒業への素直な戸惑い、

そして、
『明日も学校に来て、教室のドアを開けると、お早うってみんなが笑顔で話しかけてくれる』
『ほんとうはもっともっと、この校舎で体育館でグラウンドでみんなとずっと笑って過ごしていたいです』
『そんな気持ちを胸にしまって、私たちは明日から、別々の道を歩き始めます』
『この高南に学んだ事、できた仲間を誇りに、歩み続けます』
という、明日からはすべてを思い出と誇りにして、歩んでゆくという美しい決意で締めくくられました。



私は三年間、ほとんど学校を訪れた事がなかったですが、答辞を聴き、それぞれのエピソードが目の前に浮かんでくるようでした。
それほどに、充実した三年間を過ごした彼女・彼らに、『おめでとう!』という感謝を込めた言葉を贈りたいです。
また、校長出村先生から、学年主任小林先生から贈って頂いた言葉、『生きていてよかった』という場面に彼女・彼らが数多く出会えることを期待するとともに、『一人では生きてはゆけない、育んできた友情を大切に』という言葉をしっかりと胸に刻んで一歩一歩、地道に歩んで欲しい、そう願います。

最後に、『遼太郎、卒業おめでとう!』、よく家に遊びに来ていた『雄太、大地、真志、慎哉、祐輔、優樹、俊宏、隆佑、卒業おめでとう!』
そして三年間担任としてお世話になった、田中俊行先生、西川 哲先生、山本 智先生、本当に有り難うございました。
今後も、彼らの拠り所としてあって下さい。よろしくお願い致します。