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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2017年10月10日火曜日

藪の中の北朝鮮

藪の中といえば、北朝鮮問題もそうですね。
北朝鮮は、何度も何度も日本や世界を小馬鹿にするように、核実験や、日本の上空を飛び越えて北太平洋に着弾するICBMの発射実験を繰り返しています。そして、すぐにでも核ミサイル保有国として世界(特にアメリカ)に認めさせることに躍起になっています。そして、そんな北朝鮮の武力誇示や威嚇的態度は日本にとってはまさに戦争行為に等しいと思います。
北朝鮮が何を考え、これからどうするつもりなのか、しかし、北朝鮮の専門家やジャーナリストの説明では、「いまそこにある危機」は理解できても、肝心の疑問については聞くほどに藪の中の様相を呈します。本当のところは、誰も北朝鮮の真の狙いなど解らないのかもしれません。それこそ本当に恐ろしい事だと思います。

私にしても、北朝鮮のことなどほとんど知りません。理解している事は、金日成から三代にわたって一族郎党で北朝鮮を恐怖で支配し続けていることと、これまでに何十人もの日本人を拉致する事件を引き起こしていること、武器に麻薬に偽札とブラックマーケットで暗躍する国家であること、世界中のどこででもスパイ行為、テロ行為、殺人をおこなっていること、異常に核ミサイル開発に執着していること、異常にサイバー戦争に秀でていること、そしてまだ朝鮮戦争を続けていることです。
これらはすべて現在の北朝鮮についての理解です。

それで、過去、北朝鮮の成り立ちを知ろうと思い、本を探し読もうと思いました。本屋や図書館を訪れて、すぐに、北朝鮮を知るためには朝鮮半島の歴史を知らなければならないことに気がつきました。またそれは韓国を知ることにも繋がると気づきました。
それで、「朝鮮半島の歴史」という韓国の歴史家が書かれた本(もちろん日本語で書かれた本です)を図書館で読みました。あわせて、ウィキペディアの「朝鮮の歴史」というテキストと、そこからリンクの張られたテキストに次々と目を通しました。

そして、私の歴史観が少し変わりました。
それについて簡単ですが以下に述べたいと思います。

朝鮮半島は、日清戦争の終わりまで、中国の皇帝と冊封関係(宗属関係、君臣関係)を結び、皇帝から王の爵位を授かった朝鮮半島の支配者が治めていました。中国には中華思想という「中国皇帝が宇宙の中心」という思想があり、文明の高い中国から同心円で遠く中国の支配の及ばない世界は野蛮な世界と見なし、その世界の人間は人間とは見なされませんでいた。しかし冊封関係を結んだ国は中国に次ぐ文明国と認められ、朝鮮の王も朝鮮王を世界の中心とする小中華思想を取り入れました。
余談ですが、これが朝鮮半島に現在も続く反日、嫌日の始まりで、特に身分制度が苛烈であった朝鮮では、最下層の身分の人にも劣る犬畜生の扱いであったといいます。
朝鮮の身分制度の苛烈さについては、近年の韓国の李氏朝鮮時代の大河ドラマ(たとえば「オクニョ 運命の女」)で克明に描かれています。

ところが19世紀になって、東アジアにも西欧列強国の植民地支配の触手が伸びてきて、中国の清の皇帝も、朝鮮半島を臣の国という扱いから植民地化を進めようと内政に干渉するようになります。日本も元号を明治と改め大日本帝国となってから、欧米列強国に負けじと朝鮮半島に介入を進めます。李氏朝鮮の中は親日派親中派に分かれますが、一度日中双方が朝鮮半島から手を引いたとき、親中派が主導権を握り親日派が排除されます。ここで言う親○派とは、親しいという意味ではなく、○と関係を持ち支援を受けて権力闘争をする派という意味合いで使っています。その後、朝鮮内で内乱が起こり、清は内乱を制圧するという大義名分で朝鮮に派兵します。それに危機感を募らせた日本も遂に朝鮮に派兵し、日清戦争が勃発します。
しかし、西洋列強国の予想に反して日本が勝利し、その後、日本が主導で朝鮮半島の自主独立と近代化を進めようとしますが、西洋列強国の横やりが入って、日本はまた朝鮮半島から手を引きます。そこにロシアが南下政策でシベリアから満州、朝鮮半島と影響力を拡大し、李氏朝鮮の親露派が主導権を握って、朝鮮国を大韓帝国と改称します。大韓帝国という名には、いにしえの三国、三韓(馬韓・弁韓・辰韓)を統一した正当な帝国であるという意味があるそうです。
中央アジアでロシアと覇権争いというパワーゲームを繰り返していた英国は、東アジアをロシアに奪われる事を恐れて、ロシアの脅威に直面した日本の支援に回り、遂に日露戦争が勃発します。
そしてまた日本は、西洋列強国の予想に反して勝利します。そして、日本は朝鮮半島を併合し、大韓帝国は消滅します。

日本の統治時代、さらに朝鮮半島では反日感情が増幅します。
当時、朝鮮半島に入った大和民族が朝鮮民族を差別したことはあったと思います。しかし、優秀な人材は大和民族、朝鮮民族の隔たりなく登用し、朝鮮半島の近代化、工業化を推し進めたのも事実だと思います。
各地に学校を作り学校教育を推進しました。日本語とともに李氏朝鮮時代に蔑視されたハングル語の国語教育を行ったとも言います。また、それまでの朝鮮では姓は中国にならい子孫は先祖性を引き継いでいましたが、それを日本や欧米諸国と同じ家族単位の姓の創設、つまり創氏改名を実施しました。戸籍管理に必要であったのだと思います。ただ創氏改名は強制ではなかったとも言われています。
また身分解放も実施されました。これが朝鮮国時代に高い身分を保障されていた人々には屈辱的であったと想像します。日本でも明治維新の時、身分解放に抗って士族の反乱が起こりました。しかし、朝鮮では日本の統治下で身分解放が行われ、表向きは従うしかなかった。ですから、高い身分であった人々の中に、この時、反日感情が増幅したのだと思います。
その中の一人が、大観民国の初代大統領となる李承晩です。李承晩は民族自決を求め活動し、上海で結成された「大韓民国臨時政府」の初代大総理に就任し、また渡米し反日のロビー活動を続けます。

あと二人、重要人物が活動を始めます。
朝鮮民主主義人民共和国の初代首相となる金日成は、中国共産党の抗日パルチザンに参加した後、ソ連に渡り、極東戦線傘下の特別旅団の大尉となって、1945年9月に連合軍軍政下の朝鮮に帰国し、以後北朝鮮政府の中核の道へと歩みます。
最後の一人が朴正熙です。朴正熙は前大韓民国大統領朴槿恵の父です。日本統治下の朝鮮半島で教育を受け、日本に留学して陸軍の士官教育を受けて、満州で連隊の副官としてソ連軍との戦闘に加わります。第二次世界大戦後に大観民国臨時政府に加わり、南北分裂時は大韓民国を支持して国防警備隊の大尉となります。内戦を終えた後、李承晩が失脚しアメリカへ逃亡を図った後に起こった学生を中心とした北への合流を目指した南北統一運動に危機感を募らせた軍部がクーデターを起こして軍事政権を樹立後、大統領に就任します。

日本がポツダム宣言の受諾を受けた後、朝鮮総督府から朝鮮に行政権が委譲され、朝鮮人による朝鮮人民共和国が樹立しますが、すでに朝鮮半島は38度線でソ連とアメリカによって分断されて、国際的な承認を得られぬまま解消し、朝鮮半島は38度線でソ連とアメリカの分割統治下に置かれます。
朝鮮半島は、1945年7月に連合国でポツダム宣言がなされた後に対日参戦したソ連が南朝まで深く侵攻してきたためにアメリカ軍も侵攻し、北緯38度線で分割占領されることになります。
そして、1948年8月13日にアメリカ主導の資本主義国、大韓民国が樹立し、9月9日にソ連主導による共産主義国、朝鮮民主主義人民共和国が樹立します。二つの国は互いに朝鮮半島を統一した正当な国家として宣言し、以後、互いを国として承認していません。

1950年6月25日、朝鮮人民軍が38度線を越えて南下し、朝鮮戦争が勃発します。朝鮮人民軍はソウルを陥落後、韓国全土を支配しますが、アメリカ軍が参戦したことにより形成は逆転して、朝鮮人民軍は中国国境まで撤退を強いられます。そこに中国軍が参戦し・・・、再び38度線で休戦状態に入ります。

大韓民国の初代大統領李承晩は、共産主義者と親日派の一掃を図ります。日本統治時代に活躍した親日派のリストは殺害リストとなりました。また、赤狩りも熾烈を極め多くの韓国国民が殺害されました。また政敵も容赦なく殺害して、李承晩は一気に独裁色を強めていきます。そして反日を国是として国民への反日教育を強めていきます。
五代大統領となった朴正熙も反日政策は引き継ぎますが、1965年に日韓基本条約を締結し、日本から巨額の援助金と技術者支援を引き出します。と同時にベトナム戦争への韓国軍派兵の見返りにアメリカからも巨額の資金を調達し、世界の最貧民国グループに属していた韓国は後に「漢江の奇跡」と呼ばれるほどの経済成長の道を歩み始めます。
朝鮮民主主義人民共和国の初代首相となった金日成は、自分よりも目上の朝鮮労働党幹部を次々に粛正し、個人崇拝を強めていきます。
韓国は1980年に以降に独裁主義国家から民主主義国家へと移行し、社会主義や共産主義者は復権を果たしていきますが、反日は継承され、現在に至り親日派の復権はなされていません。

とても大雑把な歴史観ですが、大筋のところ問題はないのかなと思っています。
北朝鮮を知りたくて幾つか関連テキストを読み続けたわけですが、その中で、韓国の李承晩大統領時代の独裁の歴史に一番恐ろしさを感じました。
と同時に、反日についてですが、韓国が反日という国是を下ろさない限り、反日は続いていくのだろうなと言う諦めも覚えました。

でも大雑把でも大局で歴史を眺めたことで、偏った見方を是正することはできたように思います。

従軍慰安婦問題をその一環で考えてみますと、これは日本人が自らが招いた悪魔の証明に思えてきました。
日本の政治家が何の確たる証明もされぬままに謝罪をしてしまったことにより、後に最初にこの問題を証言した日本人の証言がねつ造と分かっても、もう覆すことができません。従軍慰安婦という制度はなかったとする証明などあるはずがないからです。

「ダンケルク」は美しすぎる戦争映画でした。

この秋話題の映画「ダンケルク」は、公開早々に観に行きました。
なんといってもクリストファー・ノーラン監督の最新作ということ、そして「インセプション」の様な時間のマジックで史実「ダンケルクの大撤退」を描いているということで、大いに期待感を持って観ました。

でも、見終わって最初に思ったのは、何故にノーラン監督は「ダンケルクの大撤退」を描いたのかという疑問でした。
「ダンケルク」で一番に感じ入ったのは、「感動的なほどに美しい映像」です。
ドーバー海峡の海原上空で、イギリスvs.ドイツの戦闘機同士のドッグファイトは、宮崎駿監督が「紅の豚」でポルコ・ロッソとドナルド・カーチスに演じさせた空中戦を彷彿し、戦闘機が青い海原の上空で糸を引く映像は息を呑むほど美しかったです。また民間のヨットが兵士救出のために風を切りながら海原を進む映像も美しかった。当然ながら、幾船もの艦船が爆撃機の空爆やUボートの魚雷で大破し沈没する様は大迫力でした。
でも、それだけでした。

物語は三つの時間で進みます。
一つ目は、若いイギリス兵士がダンケルクから救出されてイギリスにたどり着くまでの一週間の物語です。
敗走してダンケルクの砦に逃げ込んだ若い兵士は、無口な若い兵士と連れだって、海岸で黙って救出される順番を待つことをせず(海岸は救出を待つ40万の兵士で溢れています)、あれやこれやと悪知恵(浅知恵)を絞って人より先に救助船に乗り込みます。そこでまたひとりの若いイギリス兵士と意気投合します。しかし、その船はすぐにUボートの餌食となって大破し、三人は海に投げ出され、またダンケルクの海岸に逆戻りします。三人は、海岸に打ち上げられた漁船を見つけてその船に忍び込みます。満潮になれば船は海に流されると考えたからです。しかし、同じように考えたイギリス兵の一団が先に乗り込んでいました。イギリス兵たちは無口な兵士をドイツ兵と疑って撃ち殺そうとしますが、そこで彼が口を割りフランス兵だと解ります。
その漁船は、ドイツ兵の格好の射撃の的でした。船の中の兵士たちは息を殺して満潮を待ちますが、潮が満ちても船はなかなか浮きません。重量が重たすぎたのです。イギリス兵たちはフランス兵を除外しようとしますが、その時船は浮き上がり海へと流され始めます。安堵もつかの間、船は無数の銃創から流れ込む海水で沈みはじめ、三人も船倉から逃げだそうともがきます。しかし、フランス兵は逃げ遅れ漁船とともに沈みます。
なんとか溺れ死にから免れた二人の若いイギリス兵は、近くに見える艦船に乗り込もうと近づきますが、その船も爆撃機の空爆を受けて大破し沈没します。そして恐れることに重油が辺り一面に漂います。火がつけばもう命はありません。
しかし二人は、寸前のところで民間のヨットに救助され、命のあるままイギリスの港に帰還することができました。イギリスではダンケルクからの帰還兵は英雄となっていました。二人は脱走兵として糾弾されると恐れていましたが、この大歓待に戸惑います。

二つ目は、所有のヨットでイギリスを出港した民間人の船長家族が、乗せられる限りの兵士を乗せてイギリスに帰還するまでの一日の物語です。
船長は二人の子供を乗せて、ドーバー海峡を越えフランス、ダンケルクを目指します。その航行の途中、海に漂うイギリス兵を救出しますが、兵士がダンケルクに向かう事を拒否して暴れたために、その事故で下の息子が打撲を受けて瀕死の重傷を負います。それでも船長は救出に向かうことを決意して、青く輝く海原の向こうで異様に高い一筋の白煙を放つダンケルクを目指して進みます。
ダンケルクの海は、さながら地獄の様相です。艦船は沈み、重油は辺り一面を覆い、その重油の海に大勢の兵士が浮かんでいます。船長は、火災の危険も顧みず、乗せられるだけの兵士を乗せて、そして船首をイギリスに向けて急いで危険地帯から脱出します。
イギリスに帰還して、船長の慰めとなったのは、次男の死亡を新聞が英雄の死と称えたことでした。

三つ目の物語は、救助艦船を空から護衛するためにイギリスから飛び立った戦闘機乗りが、ガス欠でダンケルクの海岸に不時着しドイツ兵に捕縛されるまでの一時間の物語です。
三機編隊でダンケルクに向かう途中、ドイツ空軍の襲撃に会い二機が墜落します。残った一機も空中戦で傷つき、また燃料も乏しくなって、ダンケルクに向かえば帰還が叶わない状況に陥りますが、戦闘機乗りはダンケルクに向かう決断をします。
そして桟橋で兵士を積み込む艦船が爆撃機の攻撃に晒されるのを阻止した後に、ガス欠に陥って海岸に不時着します。戦闘機乗りは戦闘機に火を放ち、そして近づいてくるドイツ兵を迎えます。

以上があらすじです。
映画では、ドイツ兵を影として描いていました。人間の姿は、映画のラストで戦闘機乗りに近づく兵士の輪郭が映るだけでした。ドイツ軍の戦闘機や爆撃機は獰猛な鷹や鷲として描かれていました。彼らはその俊敏さと重厚さで空を制圧していました。ドイツ軍のUボードは貪欲なホオジロザメととして描かれていました。彼らは海の上に漂う生をすべて食らい尽くしていました。そしてダンケルクを取り囲むドイツ兵の存在を物語るものは、機関銃の音だけでした。
もう一つは、惨たらしい死体は一つもありませんでした。機関銃で撃ち殺された兵士も爆撃で吹き飛ばされた兵士も、音が去った後は、血しぶきもなくただ横たわっているだけでした。戦争映画というよりも、戦争を扱った舞台演劇を観ているような面持ちになりました。

とにかく映像は迫力があり、吸い込まれるほどに幻想的で、美しかったです。
でもそれ以外、物語として胸に残るものはありませんでした。

ウィキペディアで「ダンケルク大撤退」のテキストを読むと、
この作戦を成功させるために、フランス軍の2個師団が撤退を援護するために残ったと書かれていました。彼ら数千名は、撤退が完了した後、ドイツ軍の捕虜となったということです。また、映画ではイギリス軍は、兵力を温存するために艦隊や戦闘機を大撤退の作戦につぎ込むことに躊躇して、民間の船を大量に摂取して救出作戦にあたらせた様に描かれていましたが、実際にはイギリス軍もフランス軍もかなりの数の艦船や航空機を失ったと書かれていました。そして、救出した兵士の70%は大型艦船で救出されたと書かれていました。

映画を観て、知らなかった歴史に興味を持てたことは有意義でした。しかし、たとえばスピルバーグが描いた「プラベート・ライアン」を観た後の様な戦争が引き起こす無情さや無益さを感じることはありませんでした。
いまもって、何故にノーラン監督が、ダンケルクを描こうとしたのか、その理由というか、思いが解りません。

2017年10月8日日曜日

藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。

物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺された当人である若侍の金沢武弘(の霊が憑依した巫女)それぞれが、検非違使の取り調べで、事件の真相を語るという物語です。検非違使とは現在の検察官の様な役人です。映画では、刺殺体の第一発見者として名乗り出た杣売り(切った木を売ることを生業とする)が、実はその殺人の一部始終を藪の中に潜んで見ていたというオチで終わります。
不可解なのは、取り調べを受けた三人が三人とも自分が殺したと話したことです。
多襄丸が語る真相です。
街道で若い夫婦連れと出会い、女があまりにも美しかったためにすぐにでも犯したくなり、男を騙して信用させて、藪の中に誘い込み、そこで松の大木に縛り上げた上で、女を男の目の前で犯した。事が済んだ後、泣き崩れる女があまりにも美しく、その女から二人の男に辱めを受けたからには、どちらかに死んでほしい、そして生き残った男の女になると懇願されて奮い立ち、男の縄を解いて、大刀で正々堂々と立ち会った末に男を斃した。しかし、気づくと女は姿をくらましていた。やむなく男の弓と太刀、それに女が乗っていた馬を奪い逃げた。そして最後に、俺も名の知れた盗賊多襄丸だ。首を取って晒すがいいと粋がって話を終えます。
次は真砂が語る真相です。
男に犯され、事が終わった後、夫を見ると蔑んだ目で私を見ていた。男は夫の持ち物を抱えてそのままどこかへ行ってしまった。私は惨めで悲しくて、夫の元にすり寄って、懐剣を取り出してともに死んでと懇願したが、夫の目は私を蔑むばかりで、私は懐剣を握りしめたまま意識を失った。そして気がつくと夫は絶命していて胸に短剣が突き刺さっていた。私もその後を追って何度も死のうと試みたが死にきれなかったと話して終えます。
最後は、金沢武弘の霊が憑依した巫女が語る真相です。
目の前で妻が犯された。事が終わって、私は妻を慰めるために目配せした。しかし悪漢はなんと妻に頭を下げて自分の女になって欲しいと懇願しだした。それはもう情けないほどであった。そんな悪漢に対して、妻はふてぶてしくも、それではまず夫を殺してと命令した。そんな妻の豹変ぶりに悪漢も気持ちが冷めて、私に対して、女を殺すか生かすか決めろと言った。その問答の最中に、妻は逃げ出して姿が見えなくなってしまった。悪漢は私を縛る縄を少し切って、私の持ち物を抱えてどこかへ行ってしまった。私は生きていくのが情けなくなって短刀で自殺したのだと話して終えます。

映画では、羅生門に雨宿りに来た下人が、杣売りに退屈しのぎにその不可解な話をせがむところから始まります。杣売りは三人が語った真相を話し終えた後、違うんだ、私はその一部始終を偶然にも藪の中に隠れて見ていたと、自分が見た真実を語り出します。
事が終わった後、多襄丸は真砂に俺の妻になってくれと懇願します。では決闘して勝った方の妻になると真砂は話し、自ら夫の綱を切り二人に決闘を促します。でも二人の男は臆病になって、夫の金沢武弘に至っては、そんないやらしい女など多襄丸にくれてやると言い放つ始末です。すると先ほどまで美しくしおらしかった真砂は豹変し、高笑いをしかたと思うと、二人の男を臆病者、卑怯者と罵り始めます。その罵声に、堪らず多襄丸は刀を抜いて金沢武弘に襲いかかり、へっぴり腰の取っ組み合いが始まります。二人の男は何度ももつれ合い倒れ合い、そしてふと多襄丸が我に返ると金沢武弘が絶命しています。振り向くと真砂は逃げていませんでした。そして多襄丸は金沢武弘の持ち物を抱えて逃げたのだと、杣売りは話し終えます。
下人は、なぜにその話を検非違使に話さなかったのだと問い詰めた上、死体の側に犯行に使われたと思われる短刀がなかったというが、お前が盗んだのだろと確信を突いてきて、言葉に窮した杣売りに、お前も盗人だ、お前の話も信用できんと言って、雨の上がった羅生門を出て行きます。


映画を見終わっても陰鬱な気分はしばらく続きました。でも、物語の筋立ての面白さには魅了されました。黒澤明監督は、芥川龍之介の短編小説「羅生門」と「藪の中」をベースにこの物語を描いたというのは有名な話です。それでふと、この二つの小説を読んでみたくなりました。そして早速読んでみると、小説「藪の中」は金沢武弘の霊が憑依した巫女が語る真相で終わっていました。小説には、杣売りが語る真実の下りはありませんでした。杣売りの証言は、この不可解な事件についての、黒澤明の真相の解釈などだと理解しました。

しかし、奇しくも黒澤明が下人に言わせたように、杣売りの証言も、私は真実として受け取る事ができませんでした。映画を観た後も、小説を読んでからも、それは一貫していました。私は、真砂こそ真犯人ではないかと思えてならなかったのです。
映画では、真砂は多襄丸を拒むことなく受け入れているように描いていました。そして、とても妖艶で、さらには愛憎のとても強い女としても描かれていました。
そして小説には、真砂の母の証言がありましたが、それがなんとも嘘くさく思えました。
真砂の母は、娘真砂は今年19歳で、顔は浅黒く、左の目尻に黒子のある、小さな瓜実顔で、男に負けぬ勝ち気な女と証言しています。そして、夫金沢武弘以外に男を持ったことがないとも証言しています。平安時代は下膨れのふくよかなのんびりとした女性が美人なのだと思っていました。しかし真砂は、そんな想像とは全く違う、とても現代的で、野性的で情熱的で男好きする女性に思えました。また、多襄丸を拒むことなく、多襄丸を夢中にさせるほど濃密に相手をしたようにも思えました。つまり勝ち気で奔放で淫靡な女性に思えたのです。

そこで、芥川龍之介が「藪の中」の着想を得たという今昔物語集第二十九第二十三「妻を伴い丹波国へ行く男が大江山で縛られる話」も読んでみました。
妻が盗賊に犯されるまでの下りは「藪の中」とほぼ同じです。ですが盗賊は事が終わった後、女に対し、名残惜しいが私は行く、其方に免じて男の命は取るまいと、女の着物を奪わずに男の持ち物をだけを奪って逃げていきました。女は縛られた夫を解放し、そのまま里に向かいます。最後に妻が語ったところによれば
(自分を犯した)若い男のこころばえは見上げたものである。(それに対して)夫は実に頼り甲斐がない。山中で見知らぬ男に弓矢を取られたことは実に愚かである。

次に芥川龍之介その人の事を知りたくて、図書館で「高宮壇「芥川龍之介の愛した女性―「薮の中」と「或阿呆の一生」に見る」を少し読みました。
芥川龍之介には愛人が幾人もいましたが、その中の歌人秀しげ子という人妻に、一時特にぞっこんであったといいます。二人はW不倫関係でありました。しかしその後、芥川龍之介が高雅な歌人だと思い込んでいたしげ子が、実は誰とでも関係を持つというふしだらな女であることを知ります。それ以降、芥川龍之介は自殺して果てるまで、終生しげ子の名を口にすることはありませんでした。芥川龍之介という人は、相手が人妻であっても愛し寝取ってしまうというという自由奔放な気質のくせに、相手の女性には高雅さ高潔さを求めていたという、とても身勝手な人であったのだと思い至りました。

そういう芥川龍之介の女性感で真砂を眺めると、真砂はとてもしおらしい女性とは到底思えなくなりました。高雅を装う下にはとんでもない放漫で淫靡な女性の匂いがします。
そうなると、二人の男、多襄丸と金沢武弘は見事に真砂にもてあそばれて、それが恥ずかしく、金沢武弘に至っては死んでも恥を晒したくなかったのでしょう。そして真砂の証言もとても怪しく、もしかした頼り甲斐のない夫をかっとなって殺してしまったというのが本当の真相なのではないかと思います。

それでもやはりこの事件の真相は藪の中です。真相を知りたければ、芥川龍之介の霊を呼び出して、直接真犯人は誰かと尋ねるしかないでしょうね。