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映画「ナチュラル」の名台詞を、大谷翔平選手に贈ります。

大谷翔平選手が、信頼する人に裏切られ欺され巻き込まれた疑惑について、自ら矢面に立って会見を開き、大勢の記者とテレビカメラの前で、自らの言葉で、今公表できる事実をしっかりとした口調で伝えてくれました。 その会見が開かれた日、NHKシネマで野球映画の名作「ナチュラル」(The Nat...

2014年2月22日土曜日

HLA適合血小板献血者登録を行いました。

昨日、献血ルームにいきました。
問診、そして血液検査が終わった後、看護師さんから「HLA適合血小板献血者登録」の説明と依頼を受けまして、承諾し、登録しました。

以下、「HLA適合血小板献血者登録依頼」の要旨を抜粋します。
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HLA型(Human Leukocyte Antigen)とは
白血球と血小板に存在する抗原です。
HLA抗原は大きく分けるとA座、C座、B座とD領域(DR、DQ、DP)があって誰もが持っています。輸血にはA座、B座の適合が大切でその適合率は500人に1人と言われています。

なぜHLA登録が必要となるのか?
血液の病気で何回も輸血を受けると、体の中にHLA抗体が作られる場合があります。
HLA抗体ができると、普通の血小板輸血をしても効果が上がりません。
HLA抗体ができた患者さんには、本人のHLA型と適合したHLA適合血小板輸血が必要になります。

HLA適合血小板輸血を1人でも多くの患者さんに届けるためには、多くの献血者の皆さんに血小板(HLA)登録をして頂き、病院からの要請があった時に、HLA型の適合する登録者に連絡、献血をお願いし、要請のあった病院に届ける流れを確立する必要があるのです。
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たとえ登録しても、必ず要請に応えられるわけでは無いのです。ですから、1人でも多く趣旨に賛同し、多くの人が登録することが大切だと思います。
病気や事故は、いつ我が身を家族を大切な人を襲ってくるかわかりません。
ですから皆で、日頃から備える事が大切です。
それが、ともに支え合う、助け合う社会を作る一歩になると思います。

2014年2月21日金曜日

フィギュアスケート女子フリー

5時に起きて、フィギュアスケート女子フリーをビデオで観ました。
浅田真央選手のフリーの演技を固唾を呑んで観ました。
最初のトリプルアクセル、見事に決めました。その後も三回転の連続ジャンプ、三連続ジャンプ等、八つのジャンプをすべて見事に決めました。伸びやかにスピンをし、そして代名詞となる華麗なステップで観客を魅了しました。そして演技を終えた直後、感極まった表情を湛えて天を仰ぎます。観ていたこちらもグググと涙が溢れました。
演技終了後のインタビューで浅田選手は、「フリーの演技が決められて(応援して頂いた皆さんに)恩返しができた・・・」と語っていましたね。いえいえ恩返しどころか、私など感動で心を満たして頂きました。

そして、最終組の演技を堪能しました。
ロシアの新鋭15才のユリア・リプニツカヤ選手は映画「シンドラーのリスト」の薄幸の少女を演じました。映画の感動を思い起こしてくれる素晴らしい演技でありました。
そして、最高に魅了してくれたのがカロリーナ・コストナー選手です。ボレロに乗った大人の舞はとても魅惑的でした。
アメリカの新鋭グレイシー・ゴールド選手の演技は初めて見ましたが、とても美しい演技でありました。
そしてアシュリー・ワグナー選手は、浅田選手や金妍児選手と同い年、この8年間、フィギュア女子の世界を牽引してきた一人でもあります。笑顔を絶やさず溌剌とした演技にとても好感を持ちました。
そしてゴールドメダルに輝いたアデリナ・ソトニコワ選手、輝ける17才の演技には、瑞々しいまでの若さがありました。顔には笑顔を湛え、全身で観衆の声援に応えていました。彼女の演技中、アリーナは一体感に包まれていました。
最終滑走者の金妍児選手は氷上の女王の風格がありました。タンゴの曲に乗って、スローな舞も、激しい舞も事も無げに演じます。彼女だけは、もうアスリートではなくアクトレスなんだと実感しました。

浅田真央選手には、念願の金メダルを逃す結果となり、残念なオリンピックとなりました。常軌を逸した過度な応援や誹謗にさらされ、過度な期待という重圧を背負わせられました。それがショートプログラムで有り得ない落とし穴を生んだのだと思います。
でも一夜明け、世界中が浅田選手の復活を願い、彼女の最高の演技を待ち望む声で溢れました。そして彼女は、その期待に最大限の演技で応えてくれました。
戻せるなら、この空気をショートプログラムの前に作って上げたかったと思います。
それが一人のファンとして、とても残念に思います。


2014年2月20日木曜日

心の不審火に備えましょう

昨日の朝日新聞文化面に、「反知性主義」への警鐘、という記事がありました。
以下、記事の抜粋です。
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「反知性主義」の定義
実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したい様に世界を理解する態度。
新しい知性や他者との関係性を直視しながら自身と世界を見直していく作業を拒み、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢。とりわけ問題となるのは、その物語を使う者がときに「他者への何らかの行動を強要する」。

その危険性は?
異なる意見を持つ他者との公共的対話を軽視し、独りよがりな「決断」を重視する姿勢がそこにあることだ。
自分が理解したい様に世界を理解する「反知性主義のプリズム」が働く。

アメリカ歴史学者ホーフスタッター著書『アメリカの反知性主義』が示す「反知性主義」の特徴
知性的な生き方およびそれを代表するとされる人々にたいする憤りと疑惑
代表的な事例は、1950年代アメリカ社会を揺るがしたマッカーシズム(赤狩り)

そして今なぜ反知性主義が強く現れてきたのか?
「大衆社会が進み、ポピュリズムが広がってきたためだろう。ポピュリズムの政治とは、大衆の『感情』を煽るものだからだ」
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最後の「大衆の感情を煽る」という言葉が、とても心に重く残りました。

私たちは、心に火がつく時、行動を起こします。
その火をつけるものが、内から湧き出る情熱であったり、愛情であったりしたとき、その火は、自分が進むべき進路を照らす明かりとなります。
しかし、私たちの心がカラカラに渇いていても、火はつきます。外から降り注ぐ火の粉や、また付け火によってです。そして火のついた心は、外からの煽りによって業火に変わり、我が身自身を焼き尽くします。

ですから、今、私たちひとり一人が、早急に取り組まなければいけないことは、心を潤いで満たすことです。自分を大切にし、他者も同様に大切にする、慈しみの心を養うことです。それが心の不審火に備える事だと思います。

2014年2月19日水曜日

今日は、飾磨港をぶらぶら歩いてきました。

今日は、飾磨港をぶらぶら歩いてきました。
自宅を出て、大歳神社の峠を越えて的形、山電線路沿いの細道を登って的形峠を越え、八家、そして白浜の路地を巡ります。松原神社に出ますと賑やかでした。厄神大祭が行われていました。

そしてまた西を目指します。路地や旧道にはまだまだ趣のある店が残っています。

そして市川を越えて、浜国道を歩きます。散髪屋さんが見えたので散髪しました。刈り上げてスッキリしました。
飾磨大橋を渡った辺りで、野田川沿いの細道を南に向かって歩きます。南が開けました。436号線に出ました。その道をまたずんずん歩くと、ようやく飾磨フェリーポートに着きました。

何故に飾磨港を目指したのか、理由があります。飾磨が生んだ、明治から昭和に掛けて少年少女に絶大な人気を誇った詩人有本芳水の詩碑を訪ねるため、でした。でも港にあるというのは思い違いでした。どんなに探しても,港界隈に詩碑はありませんでした。フェリーの旅客ターミナルビルの二階で、銀の馬車道の展示が行われていました。覗いてみると飾磨の観光名所地図があり、詩碑の場所が判明しました。なんと恵比寿神社の南前でした。これまで三度も訪ねていたというのに、その側を詩碑と気付かずに歩き過ごしていたのです。そして詩碑を今日のゴール地点と定めて、もう一踏ん張りしました。
詩碑がありました。その辺りは、なかなかに昭和の風情が残る場所でした。

山電飾磨駅に向かうすがら、飾磨街道で懐かしき鋳物製の真っ赤なポストに出会いました。
やっぱりポストはこれでなくっちゃ、なんて思います。

そして飾磨駅で、すぐに入って来た特急に乗りました。車内の吊り広告は全部「ひめじの官兵衛1dayパス」でした。そして大塩駅に着いて電車を降りますと、その電車、まるまる「ひめじの官兵衛」ラッピング広告電車となっていました。思わず感嘆し写真を撮るのも忘れていました。返す返す残念なことをしたなぁ~と思います。

2014年2月16日日曜日

映画「海の上のピアニスト」を観ました。

2月の始め、「13ヶ月太平洋を漂流した男」のニュースで見ました。メキシコの漁師が一昨年12月に漁に出た直後にボートの故障で漂流を余儀なくされ、それでも13ヶ月生き延びて、今年の始めにマーシャル諸島のとある珊瑚礁に流れ着き救助されたというのです。
2013年に公開された、アメリカ映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」を真に地でいく話です。しかし救助された漁師の姿が過酷な遭難からは想像できないほどに色白く、またふくよかであったために、漂流は偽りでは?との疑念の声も聞かれます。

摩訶不思議な話、神秘的な話にはもともと裏付けなどありません。ただ信じるか疑うか、それだけです。ですが、万人が信じるためには何かしらの事実が必要です。今回の漂流の場合、公開された漁師の写真を見る限り疑念が浮かぶのもうなずけました。

ですが、とても素敵な事実、ある存在によって摩訶不思議な物語が、豊潤なファンタジーへと変化することもあります。
先日テレビで観た映画が、真にそうでした。
海の上のピアニスト(英語表記 The Legend of 1900) 1998年イタリア映画)です。

あらすじです。

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一人の薄汚れ年老いたトランペット吹きが、唯一の財産であるトランペットをお金に換えるために楽器店に来ました。トランペット吹きは、20ドルで売り払ったトランペットを、最後に一度だけ吹かせてくれる様店主に頼み、題名のない、でもとてもロマンチックな曲を奏でます。その曲を聴いた店主は、やおら一枚のレコードを取り出して蓄音機に掛けました。スピーカーから美しいピアノの旋律が流れてきました。それはトランペット吹きが奏でた曲と同じ曲でした。
トランペット吹きに店主が尋ねます。
「あなたはこの曲をしっているのですね。誰が作った曲ですか?そして誰が演奏しているのですか?」
トランペット吹きが、そのレコードはどこで手に入れたのか?と尋ねると、店主は
「明日、廃船で海に沈められる船から払い下げられた調度品の中にあったピアノを買った。そのピアノの中に隠されていた。割れていたが貼り付け修復したのだ。」と話します。
店主が示した先にはとても思い出深いピアノがありました。そしてトランペット吹きは、彼の中で伝説となったあるピアニストの物語を語り始めました。

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1900年、ヨーロッパからの移民を乗せた豪華客船ヴィクトリア号がニューヨークに着きました。その時、乗客が下船した一等乗客の社交室にあるピアノの上に、一人の赤ん坊が置き去りされているのを船員が見つけました。赤ん坊を見つけた船員は、移民局に届けず、赤ん坊を船の中で育てる事にしました。そして船員は、1900年に生まれた赤ん坊だからと、NINETEEN-HUNDRED(以下、1900)と名付けます。
1900には記録が何一つありません。国籍も戸籍も誕生日さえありません。ですが船の中で、船員達に愛されて1900はすくすく成長しました。

1900は、8才になったある日、入場を固く禁じられた場所に進入しました。そこは貴族やお金持ちが着飾り過ごす一等乗客用のキャビンです。そして1900は、社交室で華麗にピアノ演奏するピアニストに釘付けとなりました。その日から1900は夜な夜な社交室に忍び込んではピアノを演奏する様になりました。それは見事な演奏で、いつしかキャビンの噂となり船長の耳にも届きました。船長は1900の演奏を見、船の専属ピアニストにすることを決めました。

そして数年が経ちました。1900は青年に成長して「海の上のピアニスト」と呼ばれていました。その頃です。ひとりのトランペット吹きがバンドマンとして船に乗り込んできました。トランペット吹きはマックスと名乗ります。ジャズ演奏がとても上手でした。ですから、バントの演奏中にも関わらず突然に指揮者を無視して即興演奏にふけってしまう1900とはすぐに打ち解け、とても良い友だちとなりました。
1900はどんなジャンルの曲でもピアノで演奏できました。それだけでなく乗客のひとり一人の人生を見透かして即興曲で奏でることも出来ました。

そんなある日、当代一のジャズピアニストが、1900に即興演奏の対決を挑んできました。そして船上で世紀の対決が始まります。
先に演奏したのは当代一のジャズピアニストです。ジャズピアニストは見事な演奏で観衆を魅了しました。そして演奏終了後、1900を挑発します。でも1900には人と争うという気性がありません。1900にとって演奏とは、美しい曲を奏でるすべでしか無かったからです。ですが、マックスが1900の勝ちに全財産をつぎ込んでいたこと、またジャズピアニストの見事な演奏に刺激され、ジャズピアニストを上回る神がかりな演奏を披露して、世紀の対決を制します。

1900の名声は、今や船外にも鳴り響く様になりました。でも1900は船の外に全く興味がありません。しかし、ある航海で出会った乗客から「海の声」の話を聞き、船上では聞くことが出来ない、陸の上でしか聞くことが出来ない「海の声」にとても興味を抱きます。

1900は、船上でレコーディングすることになりました。彼の音楽は金になるとレコード会社が乗り込んできたのです。1900はピアノの前に座り、船窓から見えるデッキの風景を眺めていました。ひとりの少女が窓に映ります。無垢な少女の仕草に、1900は生まれて初めて淡い恋心を覚えます。そしてとてもロマンチックな即興曲を奏でました。レコーディングは大成功で、一枚のレコードの原盤が出来上がりました。でも1900はそのレコードの原盤を少女にプレゼントすることに決めました。
しかし、1900には少女に告白する愛の言葉を持ち合わせていませんでした。そして少女にプレゼントを渡すことさえ叶いませんでした。ですが、少女が下船する直前、短い会話をすることが出来ました。そして少女が、かつて1900に「海の声」の話をした乗客の男の娘であることを知りました。
それから何度目かの航海の後、1900は船を下りることを決心します。少女のもとを訪ね、そして一緒に「海の声」を聞くつもりです。
マックスは、自分の大切なキャメルのコートを1900にプレゼントしました。船の仲間全員が1900との別れを惜しみます。そして遂に1900が船を下りる日が来ました。ニューヨークの摩天楼に向かって1900は桟橋を下っていきます。
しかし、1900は中程で歩みを止めてしばらく街を見つめると、再び船に戻ってしまいました。そして二度と1900が船を下りることはありませんでした。

そして年月が流れて、マックスが引退して船を下りることになりました。
それからまたしばらくして戦争が始まり、船は軍の輸送船に徴用されることになりました。

戦争が終わりました。かつてヴィクトリア号と名乗っていた船は傷み、廃船となる事が決まりました。

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年老いたトランペット吹きは、店主に一つの物語を語り終えた後、廃船となる船に向かいました。今もきっと船の中に身を潜めて生きている友人を探し出し、船の外に連れ出そうと思ったのです。そして船主に事情を話し、船に乗り込みます。でも、何度呼びかけても友人は姿を見せてはくれません。
トランペット吹きは、店主にレコードと蓄音機を借りて、船の中で友人がかつて演奏した曲を流しました。それでも友は姿を見せてはくれませんでした。
諦めて船を去ろうと立ち上がった時、暗がりの中に人の気配を感じます。友人でした。
友人は姿を現しました。友人はタキシード姿で、今も若きピアニストのままでした。
友人は言いました。
「僕は、船の外に出る事ができない。」
人生には限りがある。それはピアノの鍵盤と同じで、始まりがあり、終わりがある。僕はピアノの88の鍵盤でなら、無限の曲を奏でること出来る。そして船の中で与えられた人生に満足している。
でも、船の外は果てしが無い。まるで無限の鍵盤の様で、僕には演奏ができない。無数の人生に通じる道を僕は選ぶことが出来ないのだ。
そして友人は、船と共に逝くことをトランペット吹きに話します。
二人は固く抱き合い、そして別れました。

トランペット吹きは、船が沈むのを見届けた後、再び楽器店を訪ねます。そして友人との別れの行を店主に話し、お礼を言って店を出ました。
店主は、トランペット吹きが店に残したトランペットを抱えて、トランペット吹きを呼び止めます。
そして、「君の大切な品物だ。美しい話を聞かせてくれたお礼だよ。」と言って、トランペットを手渡します。
トランペット吹きは一礼し、店を出、通りの向こうへ歩き去って行きます。その後ろ姿を、店主はいつまでも見送っていました。

end

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ジャンプ男子ラージヒル個人・決勝

今朝の二時トイレで起きた後、そのままジャンプ競技をテレビで観ました。
ワールドカップポイント保持者で前日の予選を免除された葛西選手は、1本目48番目の滑走でした。1本目は最長不倒139.0mの大ジャンプでした。しかし、1本目首位に立ったのは50番滑走のポーランドのKamil STOCH選手でした。葛西選手と同じく最長不倒139.0m、しかし飛型ポイント、そして風ポイント が2.8ポイントの差を生みました。

そして2本目が始まりました。2本目に進んだ30名の選手の滑走が始まりました。
前半に飛んだロシアの選手が、ヒルサイズ140mをはるかに超える144.5mを飛びました。波乱の幕開けです。飛び出しゲートが一段下がりました。それでも向かい風は止まず、さらに一段ゲートが下がり、130m越えがメダルへの到達点となりました。

29番目、葛西選手がメダルを賭けて滑走しました。低く飛び出し、それは糸で引っ張られる様な鋭い飛翔でした。微動だにしない、そして着地、テレマークを決めました。
二段ゲートが下がった後の最長不倒133.5mの見事な大ジャンプでした。そして最終滑走のKamil STOCH選手のジャンプを待ちます。そして滑走が始まります。空中で少し飛型の乱れがありました。それでも距離を伸ばします。132.5mでした。思わず「勝った!」と思いました。歓喜しました。テレビ画面には電光掲示板を凝視する葛西選手が映ります。しかし次の瞬間、思わず天を仰ぎ、残念そうに微笑む姿に変わりました。

1位 POL Kamil STOCH
Round1:143.4p(距離:85.2p(139.0m) 飛型:58.5p ゲート:33/0.0 風:0.03/-0.3)
Final:135.3 p(距離:73.5p(132.5m) 飛型:56.0p ゲート:31 / 7.6 風:0.17 / -1.8)
Total:278.7p

2位 葛西紀明
Round1:140.6 p(距離:85.2p(139.0m) 飛型:57.0p ゲート:33/0.0 風:0.15 / -1.6)
Final:136.8  p(距離:73.5p(133.5m) 飛型:55.5p ゲート:31 / 7.6 風:0.15 / -1.6)
Total:277.4p

葛西選手は、限りなく金に近い銀に輝きました。

昨日は、ちょっとした電車の旅をしました。

昨日は、ちょっとした電車の旅をしました。
おはなし会の始まりが14時、ですが時刻は10時を回っていました。
徒歩行なら4時間半かかります。それで急きょ時刻表を見て本日の移動スケジュールを立てました。

JR 曽根駅発11:28-11:35加古川駅着
JR 加古川駅発11:40-12:05粟生駅着
北条鉄道 粟生駅発12:10-12:32北条町駅着

北条鉄道 北条町駅発14:42-15:04粟生駅着
神戸電鉄粟生線 粟生駅発15:10-16:00鈴蘭台駅着
神戸電鉄有馬線 鈴蘭台駅発16:01-16:12湊川駅着
西神・山手線 湊川公園駅発16:17-16:25新神戸駅着

でもまだ10時過ぎということで、JR加古川駅まで徒歩行することにしました。
これまでの経験値、国道2号線加古川大橋西詰まで徒歩約2時間ということで、余裕で間に合うと踏んで歩き始めました。
中間地点となる竜山大橋を過ぎたのが11時20分でした。そして加古川駅着を12時20分と定めて、それからはさらに一生懸命歩きました。そしてなんと12時10分に加古川駅に到着したのです。我ながらエッヘンでした。そして加古川駅発12:40の加古川線電車に乗りました。

図書館に到着したのは13時40分でした。13時50分からおはなし会の準備をして
14時から30分間三本の絵本を朗読しました。持ち込んだPCに朗読練習用ビデオを流し、音楽と絵と、そして子供たちの顔を見ながら、一生懸命朗読しました。小さな子供たちにはちょっと長いお話しだったかもしれませんが、しっかり聴いてくれました。

おはなし会が終わって、急いで帰り支度をして駅に向かいます。
電車に飛び乗り、神戸の兄に電話をしました。
兄曰く
「そんな遠いところで何してるんや?」
「加西から三ノ宮に出るのであれば、高速バスが安くて一番早い」
「今時神戸電鉄でやってくるとは、酔狂な奴」
などと嫌味をいわれても我関せず、「電車が好きなんや~」と答えて電話を切りました。
電車の外は弱雨でした。合羽も傘も無い、春雨じゃ~濡れていこう、などと無邪気な面持ちになって車窓を眺めていました。
粟生で神戸電鉄に乗り換えました。私、神戸電鉄に乗るのは初めてでした。
クッションの良く効いた連結脇の席に座りました。リックサックから最近手に入れた「海賊と呼ばれた男」上巻を取り出して読み始めます。

ここまで移動スケジュール通りに事は運んでいました。
見慣れない山間の風景にときどき目をやりながら本を読んでいました。車内放送で、
「次は・・・鈴蘭台」と聞こえ、急ぎ身支度を調え、席を立ちました。そしてドアが開き飛び降りると、有馬線のホームが無い・・・、この電車の後に予定する電車が入ってくるのやろうと案内板を見上げると、「西鈴蘭台」という駅名が目に飛び込んできました。アカン乗ろ、と思ったその時、電車のドアが閉まり、電車が私ひとりをホームに残して行ってしまいました。
次の電車が来るまでの15分間、ほんと寒かったです。なんせ歩きの衣装でしたので、山間に吹き抜ける寒風に凍えてしまいました。

次の電車が来て、乗りました。西鈴蘭台の次は、鈴蘭台西口、そしてその次が鈴蘭台駅でした。鈴蘭台は昨年、兵庫商の練習試合で訪れた町です。あの時は車でしたが、やはり道に迷って親切な警察官に誘導してもらったことを思い出します。
鈴蘭台を出ると、六甲山越えです。峡谷を縫う様に電車は走ります。そして南側が開けました。海が見えました。空から光芒が洩れていました。
電車の旅で、とても素敵な風景に出会えました。旅の選択は正解でした。

そして湊川駅で西神・山手線に乗り換え新神戸駅に到着しました。地上にあがると、そとはしっかりとした雨でした。そして私の今日の旅は終わりました・・・

兄がいいます。
携帯電話をスマートフォンに替えなさい。便利なアプリが沢山ある。位置確認から、その場所から最適なルートを教えてくれる。

でも私は思います。
たとえ小さな旅でも、最初にルートを計画して、そしてその計画に沿って行動する。
上手くいけば嬉しいし、上手くいかなくてもまた楽しいのです。私はこの様な旅の心を失いたくは無いのです。