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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年2月20日木曜日

心の不審火に備えましょう

昨日の朝日新聞文化面に、「反知性主義」への警鐘、という記事がありました。
以下、記事の抜粋です。
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「反知性主義」の定義
実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したい様に世界を理解する態度。
新しい知性や他者との関係性を直視しながら自身と世界を見直していく作業を拒み、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢。とりわけ問題となるのは、その物語を使う者がときに「他者への何らかの行動を強要する」。

その危険性は?
異なる意見を持つ他者との公共的対話を軽視し、独りよがりな「決断」を重視する姿勢がそこにあることだ。
自分が理解したい様に世界を理解する「反知性主義のプリズム」が働く。

アメリカ歴史学者ホーフスタッター著書『アメリカの反知性主義』が示す「反知性主義」の特徴
知性的な生き方およびそれを代表するとされる人々にたいする憤りと疑惑
代表的な事例は、1950年代アメリカ社会を揺るがしたマッカーシズム(赤狩り)

そして今なぜ反知性主義が強く現れてきたのか?
「大衆社会が進み、ポピュリズムが広がってきたためだろう。ポピュリズムの政治とは、大衆の『感情』を煽るものだからだ」
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最後の「大衆の感情を煽る」という言葉が、とても心に重く残りました。

私たちは、心に火がつく時、行動を起こします。
その火をつけるものが、内から湧き出る情熱であったり、愛情であったりしたとき、その火は、自分が進むべき進路を照らす明かりとなります。
しかし、私たちの心がカラカラに渇いていても、火はつきます。外から降り注ぐ火の粉や、また付け火によってです。そして火のついた心は、外からの煽りによって業火に変わり、我が身自身を焼き尽くします。

ですから、今、私たちひとり一人が、早急に取り組まなければいけないことは、心を潤いで満たすことです。自分を大切にし、他者も同様に大切にする、慈しみの心を養うことです。それが心の不審火に備える事だと思います。

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