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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年11月24日土曜日

北脇子ども会野球部の試合を観戦しました。


昨日の朝です。店に入ろうとした時、馴染みの子供たちが自転車に乗ってやってきました。
そして「今日はハルトも一緒や」と教えてくれました。見るとハルト君が一人駈けてきます。家からここまで走ってきたん?と尋ねると「ハイ!」と応えてくれました。
そして明日(つまり今日です)、小学校最後の大会があります、と教えてくれました。

そして今日です。
今日は、鹿島中学校野球部は加西球場で8:30から試合です。でもまだ酔っ払い状態でしたので観戦には行けませんでした。
酔いがだいぶんと治まった10時前、北浜小学校にソニー生命杯(学童少年野球大会)を観に行きました。1試合目は阿弥陀東が戦っていました。久しぶりに不断さんと会いました。試合が終わった後一度家に戻り、11時過ぎに再び学校に行くと、北脇子ども会野球部が試合の準備をしています。ハルト君がいました。”10”のキャプテン番号を背負っています。そして、耕太郎が6年生時、ハルト君とともに最年少コンビで可愛らしかったショウタ君が”1”のエース番号を背負っていました。他の子供たちもなかなかの若武者でした。
曽根西との試合が始まりました。先攻は曽根西です。
ショウタ君はなかなかの速球で無難な立ち上がり、1回を0点に抑えます。
その裏の北脇の攻撃は鮮やかでした。
1番SSのハルト君がレフト前ヒットで出塁し、すかさず二盗三盗を決め、次打者の内野ゴロの間にホームを駆け抜けました。3回裏も四球で出塁した走者を三塁まで進め、エラーやヒットで2点を加点し、3-0とセーフティリード。
しかしここから曽根西の猛追が始まりました。4回表、ショウタ君の球を見極め次々に四球を選び、満塁。そして押し出しとヒットで2点を返すと、5回表にも1点を入れて同点となりました。
最終回となった5回裏、二死からハルト君がヒットで出塁しました。そして二盗し、さらにチャンスを広げようと三盗を試みましたがあえなく刺殺となりゲームセット。試合は引き分けで終わりました。

チーム 123 45
曽根西 000 21
北脇子 102 00

低温で、また冷たい風が時折吹き抜けるグラウンドでしたが、少年達の歓声(そして父母の応援)がとても熱かったです。北脇子ども会野球部の4名の6年生は、明日からAリーグチームに参加すると聞きました。監督は熱血漢の松井さんです。彼らがこれからどんな野球選手に成長していくのか楽しみになってきました。

昨日、旨い酒呑みました。


またやってしまいました。ふっと気づくとコタツに足を入れて大の字に寝ていました。
明け方でしたが、それでも目が開けられません、まだまだ酔いの真っ只中でありました。

昨夜は、仕事を終えた後、イチャサン宅にお邪魔して旨い酒をしこたま頂きました。
午後7時前、まずはワインで乾杯、そして奥方が運んでくれた熱燗としゃぶしゃぶ鍋を頂きました。いつもながらの旨い酒と肴に舌鼓をうちながら饒舌になって語りました。

友にもいろいろな型があります。
心の軽やかさで、皆を導いてくれる者
まるで鏡の様に、こちらの心を映す者
そして
どうと云うわけではないけれど、心を軽くしてくれる者
です。イチャサンは、そういう者を”輩(やから)”と呼び、そして『お前は輩や』と言ってくれます。

イチャサンはなかなかの愛妻家であります。一昨日の夫婦に日に、奥方が嗜むワインを買って夫婦で飲んだと話してくれました。私など寝転んでテレビを観ていて、さくらに『お父さん、今日は夫婦の日やで』と言われたものの、あ・そう、と素っ気なく済ませてしまいました。妻にイチャサンのこんな話をしたら、さぞや羨むだろうなと、ちょっと心が痛みました。

話はどんどんと展開して、否、あっちやこっちにどんどん飛んで、そして不可解にもこんな話になりました。
イチャサンが、
人が夢を見ると書いて”儚い”
私もそれに呼応して、ハムレットの一説から
”人は死してどんな夢を見るのか”
人にはいろんな生き方がある。そしていつか死ぬ。その死が、夢をもたらすならば、最高に望む夢を見たいし、描きたい。そのためにも、今をしっかり生きないといかんなぁ、なんていう話をしていました。

おばちゃんが部屋に入って来てくれて、話をしました。そして朗読を聞いてもらいました。目をつむってうんうんと頷きながら聞いてくれるその姿が、とてもあったかかったです。

ワイン、熱燗、どぶろく、そして焼酎と続き、イチャサンが娘アスカちゃんのパソコンがどうのこうのと言っていたので、訪問時見てみようと思っていましたが、すっかり出来上がってしまい、それどころではありませんでした。そしていとまごいし、イチャサンが辻まで送ってくれ、そこで別れました。夜空の眺めが最後の記憶となりました。

2012年11月22日木曜日

突然ですが、西脇の話をします。


今日の新聞の地方欄【姫路】に、
『西脇市出身脚本家・池田政之さん作 (西脇ロケドラマ)来月3日放送』
という記事がありました。

池田政之さんは、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」などで知られる脚本家だそうで、昨年、西脇市から文化賞を贈られたその古里への恩返しとして、今回のドラマの脚本を仕上げられたと書かれていました。
ドラマのタイトルは、「さすらいのプラチナワゴン~歌手・美波丈太朗」で、主演として里見浩太朗さん、その娘役として中越典子さんが出演されています。
12月3日の午後9時から毎日放送で放映されます。

西脇市は、昔は繊維の町(播州織り)として有名でしたが、昨今では、スポーツ施設やレクリエーション施設が充実して北播磨の素晴らしい行楽地となっています。
また、播州ラーメンがご当地グルメとなっています。少し甘め、でもとても旨みのあるスープとゴテゴテしない具材が盛りつけられたラーメンは、そう昔ながらの中華そばという雰囲気がピッタリで、何杯でもいけてしまうラーメンなのです。
私は二十代の頃、西脇市にある西脇大橋ラーメンの開店に偶然立ち寄り、その美味しいラーメンを食しました。実を言うと、イチャサンの車に乗って、当時から有名だった中華そば大橋を探しに北播磨を目指したのですが、まぁ準備も何もない。地図もない。当てずっぽうに、あっちやこっちやと指示を出し、道に迷い、気がつけばすっかり陽が落ちていました。そして目にした提灯に”大橋らーめん”と書かれているのを見つけて、その開店間もない店に入ったのです。

一番最近西脇を訪れたのは、11月4日です。秋季東播・淡路地区親善野球大会の準決勝・決勝を観戦する為、黒田庄ふれあいスタジアムに出かけました。
早朝から妻と二人で、車に乗って(私が運転して)目指しました。私は一度、黒田庄ふれあいスタジアムにいったことがあるのです。それで、まかしとけ、とばかりに記憶を頼りに車を走らせました。黒田庄は西脇よりさらに北、加古川の上流の町です。西脇市街に入り一度川から離れました。そして川を探して、さらに北を目指したのです。あれ、なんか川幅が細ないか?なんて思いながらも北を目指して走りました。道路標識を見ると多可町と書いています。まぁエエかと思いそのまま車を走らせていて、ふと気づいたのです。昔、大阪で働いていた時、先輩を実家に送り届けたことがありました。そこは中町でした。私はまた中町まで来てしまったのです。でも、道を戻るのが嫌で、たまたま通りかかられたおばちゃんに、山越えする道がないが尋ねました。そしたらトンネルがあって黒田庄に抜けられると教えてもらい、無事スタジアムに到着することができました。

初めて家族で、この西脇を訪れたのはずいぶん昔です。さくらがまだ一歳くらいと時でした。日本へそ公園を訪問しました。へそ公園にはとても長い滑り台がありまして、私はさくらを膝の上に載せてすべりました。でも余りにスピードつき過ぎて、着地した瞬間に勢いよく空中一回転してしまいました。でもさくらも私も無傷でした。
当時は、家族新聞なるものを作っていました。その一紙を紹介します。
19960320西脇ぶらり旅

2012年11月20日火曜日

鹿島神社に紅葉を見に出かけました。


今日は、昼から妻を伴い鹿島神社に紅葉を見に出かけました。
一人じゃないので、鹿島神社までは車です。
そして参道を進み、鳥居の前の美しい紅葉風景を写真に収めました。

本殿に進み、それから裏山の展望台まで登りました。

落ち葉が敷き詰められた小道がとてもカラフルで美しかったです。

そして展望台に着きました。
昨年一月、大山火事でこの辺りの山は禿げ山と化しましたが、あれから二年が近づいて、山は緑を取り戻しつつあるようです。

帰り道、柏餅でも買って帰ろうかと思いましたが、昼飯を腹一杯食べて満腹状態であったこと、それから、数軒茶店は開いてましたが蒸し器はすっかり冷えて、たぶん堅くなっているだろう餅の包みが店先に数点あるだけでしたので、買って帰るのはやめました。
今度は、午前中に参りたいと思います。

生体認証システムの脅威


「ビッグデータ事業におけるNECの強みは、独自技術をベースに開発した世界トップレベルの分析エンジン群にある」(NEC 保坂岳深 執行役員)

NECが11月7日、ビッグデータ事業の強化として、独自の先進技術を用いた分析クラウドサービス3種を発表しました。

顔認証技術活用マーケティングサービス
画像から自動的に人の顔を検出し、高精度に同一人物を特定するもので、店舗などに設置したカメラに映った人物の年齢・性別を推定し、来店日時と合わせて継続的に蓄積することで来店客の傾向を分析する

不審者監視セキュリティサービス
顔認証技術を活用し、カメラ映像からリアルタイムに人物検出して自動的に特徴をデータベースに登録することで不審者を検索する

テレマティクスサービス
蓄積されたプローブデータ(自動車に組み込まれたセンサーが収集するデータ)からユーザーごとの行動パターンを分析。時刻・ユーザーの位置などを組み合わせて、ユーザーの行動を予測する

2002年公開のスピルバーグ監督作品『マイノリティ・リポート』の世界が実現する。なんていう脅威を、恐怖を感じました。
『マイノリティ・リポート』は近未来SFスリラーです。
三人の予知能力者を使い構築された”殺人予知システム”によって殺人事件は未然に防がれ、殺人発生率が0%になった世界が訪れます。
人は町中に張り巡らされた網膜スキャナーによって瞬時に居場所が特定され、どこに居ようが犯罪予防局の刑事に、未遂の罪で拘束され、幽閉されます。そんな完全監視社会で、監視する側、取り締まる側が引き起こす恐怖が描かれた物語です。

アメリカやヨーロッパでは、2001年のアメリカ同時多発テロ以来、町中に監視カメラが設置され、それはインターネットに繋がって、監視局、諜報局が逐一監視しています。
ですが監視カメラの映像データは秒単位で膨大に膨れあがり、それが監視のネックとなります。しかし、この膨大なデータから、ビックデータから瞬時に、特定の人物を検出する事ができる様になるのです。いつも誰かに見つめられ、そしてもしかしたらある日突然、見ず知らずの罪で拘束される事だって有り得るのです。
日本でも昨年サイバー法が整備されました。いわゆるコンピュータ監視法です。昨今のコンピュータ犯罪の激増で必要悪と見なしはしますが、治安維持が拡大解釈されれば、恐ろしい世界が訪れることになります。
2008年公開の『イーグル・アイ』、また2003年から公開された『ジェイソン・ボーン』シリーズでは、電子の眼が、主人公を抹殺する為に、世界中を追い回します。

保坂岳深氏は続けます。
「ビッグデータ事業におけるNECの強み」は、これらのサービスを支える世界トップレベルの分析エンジン群、
大量データの相関関係やイレギュラーな動きを発見する「インバリアント分析」、
大量データ中の全く異なるパターンや規則を自動で発見することにより高精度な予測や異常検知に有効な「異種混合学習」、
画像の中から自動的に顔を検出して高精度に同一人物を特定できる「顔画像解析」、
人やモノの位置・時刻・移動履歴などを分析して行動パターンを自動抽出し予測する「行動分析」、
2つの文が同じ意味を含むかどうかを判定する「テキスト含意認識」
の5つであると話します。

個人を特定し、尚且つ個人に関わる情報を一瞬にして分析することができるのです。
驚異的に素晴らしく、そしてとても脅威です。

NECは、1982年に指紋照合システムの実用化に成功しました。そしてAFIS(Automated Fingerprint Identification System)の世界的リーダーとなりました。
現在、指紋認証は犯人割りだしから、身分証明へと用途が広がり、PID(Personal Identification System)として私たちの生活に身近なものになりました。

現在実用化されている生体認証には指紋の他に次のものがあります。
・虹彩(アイリス)
・声紋
・静脈
・顔形
等です。
ですが、映画『ミッション:インポッシブル』で活躍するイーサン・ハントならば、このどれをも偽ることが可能でしょう。
でも希代のスパイ、イーサン・ハントでも偽ることのできないものがあります。”心の声”あるいは”本性”です。
現在の脳科学はとても進んでいます。以前、人が見ている映像を脳活動から再構成して映像化に成功したというニュースを見たことがあります。生体活動も根源的には電子の活動です。ですから、電子の流れをスキミングして解読できれば、その人の”心の声”あるいは”本性”を明らかにすることも可能かもしれません。電子が放つ微弱電波を傍受して、離れた場所からスキミングする事だって夢でないかもしれません。

私たちは、いつか丸裸にされる時代が到来する日に向かって、走っているのかもしれません。

Googleのセュリティ


11月16日のZdnet.Japan(IT関連情報を配信しているニュースサイト)から届いた記事に、とても興味を引く記事がありました。
本連載「松岡功の『今週の明言』」で取り上げられた
「Googleにとってセキュリティは、企業DNAの中核である」
(米Google Eran Feigenbaum エンタープライズ部門セキュリティ担当統括責任者)
と、
「ビッグデータ事業におけるNECの強みは、独自技術をベースに開発した世界トップレベルの分析エンジン群にある」(NEC 保坂岳深 執行役員)
です。

Google幹部が語る「Googleのセキュリティ対策」
松岡功 2012年11月16日 11時38分
http://japan.zdnet.com/cio/sp_12matsuoka/35024519/1/
http://japan.zdnet.com/cio/sp_12matsuoka/35024519/2/

 「Googleにとってセキュリティは、企業DNAの中核である」の記事から、
「およそ100年前に銀行が登場した当初、自分のお金をベッドの下に隠していた人々は、すぐさまそれを銀行に預けようとしなかったが、その後、銀行に預けたほうが安心・安全だという認識が広がった。これと同じことが、いま情報の分野でも起こりつつある」

1990年代、IT業界にとどまらず産業界のトップに躍り出て我が世の春を謳歌したMicrosoftですが、2000年以降急激に業績が落ち込みます。
MicrosoftがPCに固執している合間に、世の中はスマートフォンそしてタブレットの時代となったのです。もう一つの理由がクラウドコンピューティングの台頭です。

クラウドコンピューティング-Cloud computing-
インターネットをベースに、ユーザはあらゆるコンピュータ処理やデータ管理をインターネット経由でサービスとして利用するコンピュータ利用形態。

ユーザが使うコンピュータ(クライアントコンピュータ)は必要最低限のシステム資源で動作する軽装備のコンピュータ(シンクライアント)でよいのです。それがスマートフォンでありタブレットです。

Microsoftの事業の柱は、コンピュータOS、Officeソフト群、プログラム開発環境です。そのすべてにクラウドコンピューティングが取って代わろうとしています。

Eran Feigenbaumは続けます。
「(技術の観点から)私たちは、ITシステムというのは不具合が起こるものだという前提で構築している」そして
「そこで大事なのは、不具合が起こってもユーザーに影響を及ぼさないことだ。そのために巨大でセキュアなデータセンターを世界中で展開し、それらの間でデータのレプリケーションを行うようなことも実施している」と話します。

手元にあるデータ(文書や写真画像等)は、ハードディスクの劣化や故障、ウィルスによる破壊、そして自らの操作ミス等によって、一瞬に失うことがあります。ですから最低限バックアップが必要なのですが、PC利用者の多くは、このバックアップ操作さえとても難しいのが実情です。
ビックデータを扱う巨大データセンターの、アーキテクチャー、セキュリティはこれ以上無いほどに最高の技術で武装されています。そしてインターネットの速度はとても高速です。クラウドコンピューティングのサービスは、まるで手元にあるハードディスクのような手軽さで利用ができます。いや、利用者はクラウドを利用しているという意識さえ必要がありません。
これがクラウドコンピューティングが、そしてGoogleが台頭している理由です。

ですが、それでも一抹の不安は拭えません。
データセンターが幾ら堅牢性を備えても、巨大な自然災害やテロ、戦争には叶いません。
そしてインターネット、インターネットは全くの制限がないフリーウェイではありません。ケーブルで結ばれたコンピュータが数珠繋ぎされた巨大なインフラです。そして最終的には各国家の管理化にあります。国家間を結ぶケーブル、その両側にあるコンピュータに制限が加えられればサービスは停止します。
そしてもう一つ、ケーブルから、また途中のコンピュータを通るデータをスキミングすることもできます。暗号化技術ももちろん進歩していますが、同様に解読技術も進歩しています。私たちは常に、データの喪失あるいは流出を自覚しなければなりません。

私といえば、Googleドライブを利用して、ブログ(Blogger)、写真(Picasaウェブフォトアルバム)、朗読ビデオ(YouTube)を公開していますが、元となるデータはすべて、ローカルの2台のハードディスクに二重化して保存しています。複数のハードディスクを仮想的な1台のハードディスクとして運用し冗長性を向上させる技術、手法の中のRAID1(ミラーリング)を実践しています。これでも全くの十分ではありませんが、2台のハードディスクが同時に壊れるという可能性は低い為、安価で運用できるRAID1を実践しています。

2012年11月19日月曜日

今日は紅葉を見に、書写山に出かけました。


今日は紅葉を見に、書写山に出かけました。
書写山は自宅から約18㎞北西にあります。まだ暗い6時過ぎ自宅を出ました。
二号線市川橋を渡ったところで、東洋大附属姫路高に通う知り合いの少年が勢いよく自転車で追い抜いていきました。『おはよう!』と声を掛けると、驚いた様に振り向いて、コクリと頭を下げてくれました。
7時50分姫路城前を通過しました。そのまま県道67号を北西に進みます。

そして夢前川を越えて、書写山の麓に着いたのは9時でした。


東坂参道から登りました。坂の入り口に善意の杖が置いてあり、一本竹杖を借りました。

約30分掛けてロープウエー山頂駅に着きました。播州平野が東南に見渡せる広場でしばし休憩を取りました。
それから入山料を支払って、山頂の紅葉景色をしばし楽しみました。


魔尼殿の入り口にある茶屋の店先で、あんころ餅を焼いていました。美味しそうに焦げ目がついています。よもぎを二つ、しろを一つ貰いました。袋には”弁慶修行の地書写山圓教寺・力餅”と書いてありました。焼きたての餅をその場で一つほおばりました。ほふほふと熱い餅はよく伸びそして粘りがありました。とても美味いあんころ餅でした。

帰りに、慈悲の鐘を思いっきり撞きました。良い音が響きました。

そして東坂参道を下ります。下りきり平地に入ると安堵の為か急に膝ががくがく痛みました。とにかくバス停を探し、そして書写郵便局前バス停に着いてベンチに腰を下ろしますと、足はジンジンと痺れ、そして徐々に開放感が広がりました。ふと見ると左手は竹杖を握りしめていました。杖に謝り、また感謝して、そのまま共になって頂きました。バスに乗り、電車に乗って、そして帰ってきました。竹杖にはしばらく私の散歩の共になって頂こうと思っています。

2012年11月18日日曜日

昨日、母の米寿を祝う会がありました。


昨日、母の米寿を祝う会がありました。
姉(長女)と姪っ子が企画し、開いてくれた会でした。
しかし、当日主賓となる母は、朝から体調が優れないと言い出して会への出席はキャンセルとなり、主賓のいない、兄弟会、家族会なるものとなりました。

会の始まりは、兄のスピーチです。
米寿が何故に貴いのか、何故に祝うのかを皆に話してくれました。
世界の中で最長寿国となった日本人の平均寿命は、男子が78才、女子は85才です。
これだけ長寿社会と呼ばれる様になっても、人が米寿に届くのは至難です。そしてさらには、母は介護を一切必要としないなど、超高齢になってもとても元気なのです。歯もほとんど揃っています。若いときのようにしゃきしゃきと動くことはできないですが、相変わらず頭は聡明で、口も回ります。(毒舌も健在です。。。それが難儀なのですが。。。)
家族として、子として、このことにまず感謝を、と兄は話しました。
そしてもう一つはうんちくです。
八十八に何故『米』という字を当てたのか、それは『米』という字が八十八と分解できるからです。日本人は『八』という数字に縁起の良さを覚えます。『八』の字が福の末広がりを連想させるからです。そしてこの縁起の良い『八』が二つも重なる八十八は、大いに祝うに値する数字であると話しました。
米寿のその後には、卒寿(九十才の祝い)、白寿(九十九才の祝い)、そして紀寿(百才の祝い)があります。紀寿になれば日本国から祝って貰える。
母には紀寿を祝えるほど長生きして欲しいと結び、兄はスピーチを終えました。

母は現在87才です。88才ではないのに、米寿を祝うのは一年早いのではないか、というとんちんかんな疑問を覚えていました。
通常、誕生日を祝うのは満年齢ですよね。私たちは現在、生まれて(誕生して)一年を迎えた日に”1歳”となります。そして以後誕生日を迎える度に年齢に”1”を加えていきます。
しかし、昔ながらの年齢祝いは、数え年齢で行います。
数え年齢というのは、生まれた(誕生した)日に”1歳”となり、そして以後元日(1月1日)に”1”を加える年齢の数え方です。
そして母は今年数え年齢で88歳になりました。米寿に到達したのでした。

会には、姪孫が5人参加しました。上は6歳から下は1歳まで、とても可愛い姪孫達です。
姪孫達と一緒にほたえていると、『目に入れても痛くない』という慈しみが沸き上がってくるのを覚えました。そう、私もすっかり爺なのだということを、あらためて実感しました。

おはようさん


おはようさん!
5時半に起きて、外に出ますと
夜空には美しく星が瞬いていました。
北西から届く風は冷気を運んできて、寝起きの火照った体を心地よく冷やしてくれます。そしてシャキッと目覚めました。
空に向かって、星に向かって今日の幸せを願いました。