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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年11月18日日曜日

昨日、母の米寿を祝う会がありました。


昨日、母の米寿を祝う会がありました。
姉(長女)と姪っ子が企画し、開いてくれた会でした。
しかし、当日主賓となる母は、朝から体調が優れないと言い出して会への出席はキャンセルとなり、主賓のいない、兄弟会、家族会なるものとなりました。

会の始まりは、兄のスピーチです。
米寿が何故に貴いのか、何故に祝うのかを皆に話してくれました。
世界の中で最長寿国となった日本人の平均寿命は、男子が78才、女子は85才です。
これだけ長寿社会と呼ばれる様になっても、人が米寿に届くのは至難です。そしてさらには、母は介護を一切必要としないなど、超高齢になってもとても元気なのです。歯もほとんど揃っています。若いときのようにしゃきしゃきと動くことはできないですが、相変わらず頭は聡明で、口も回ります。(毒舌も健在です。。。それが難儀なのですが。。。)
家族として、子として、このことにまず感謝を、と兄は話しました。
そしてもう一つはうんちくです。
八十八に何故『米』という字を当てたのか、それは『米』という字が八十八と分解できるからです。日本人は『八』という数字に縁起の良さを覚えます。『八』の字が福の末広がりを連想させるからです。そしてこの縁起の良い『八』が二つも重なる八十八は、大いに祝うに値する数字であると話しました。
米寿のその後には、卒寿(九十才の祝い)、白寿(九十九才の祝い)、そして紀寿(百才の祝い)があります。紀寿になれば日本国から祝って貰える。
母には紀寿を祝えるほど長生きして欲しいと結び、兄はスピーチを終えました。

母は現在87才です。88才ではないのに、米寿を祝うのは一年早いのではないか、というとんちんかんな疑問を覚えていました。
通常、誕生日を祝うのは満年齢ですよね。私たちは現在、生まれて(誕生して)一年を迎えた日に”1歳”となります。そして以後誕生日を迎える度に年齢に”1”を加えていきます。
しかし、昔ながらの年齢祝いは、数え年齢で行います。
数え年齢というのは、生まれた(誕生した)日に”1歳”となり、そして以後元日(1月1日)に”1”を加える年齢の数え方です。
そして母は今年数え年齢で88歳になりました。米寿に到達したのでした。

会には、姪孫が5人参加しました。上は6歳から下は1歳まで、とても可愛い姪孫達です。
姪孫達と一緒にほたえていると、『目に入れても痛くない』という慈しみが沸き上がってくるのを覚えました。そう、私もすっかり爺なのだということを、あらためて実感しました。

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