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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2012年2月4日土曜日

絵本の朗読会で、楽しい時間を過ごしました。



今日は、半年に一度の絵本朗読の担当日でした。
開始の10分前に読み聞かせコーナーに入りますと、トモアキくんがひとりクッションの上に寝転んで待っていてくれました。
本を三冊だして、読む順番をトモアキくんに決めてもらいました。
そしてトモアキくんが選んでくれた順番は、私が希望していたものでもありました。

最初が『わすれられないおくりもの』、約15分のお話しで背景音楽あり。
ふたつめは『おひさまがいっぱい』、約5分ほどのお話しです。
そして最後が『ずーっとずっとだいすきだよ』、約5分のお話しで背景音楽ありです。

『わすれられないおくりもの』では、長いお話しであるにもかかわらず、子供たちは一生懸命に聞いていてくれました。読み終えて正直ホッとしました。
『おひさまがいっぱい』では、子供たちと会話を楽しみました。
この物語には可愛い動物やカーテン、バラ達が声を発します。声色を変えて演じますと、子供たちが『いろんな声が聞こえる』と喜んでくれました。
そして『ずーっとずっとだいすきだよ』。練習でもなかなか背景音楽にしっくりとあわせて朗読することができていませんでした。そして本番でも、前半、朗読が遅れました。途中急いで後半、なんとか合わせましたが、ちぐはぐになってしまいました。課題が残りました。

でもいつも感じることですが、高い天井のこのホールで、子供たちの笑顔、まなざしを見つめながら、思い切りのびのび声を出して物語を演じるのは、ホントに気持ちがよいです。

また機会があれば、新しい物語を仕入れて、朗読したいと思います。


私の大好きな『笑い』


家族で毎週欠かさず見るアニメがあります。
金曜日夜7時から放送の
『ドラえもん』です。

子供が生まれ、物心つく頃から見始めました。そして今も夕食の団らん時に、テレビのチャンネルを合わせています。

でも見始めたころからだいぶん印象が変わってきました。

藤子・F・不二雄さんが命を与えた『ドラえもん』は、もしかしたらミッキーマウスよりも世界一子供たちに愛され頼りにされるキャラクターかもしれませんね。
主人公は『のび太くん』、そしてのび太くんの未来の子孫が現代に使わした猫型の召使いロボット『ドラえもん』です。

『のび太くん』はとても、情けない男の子です。
臆病で泣き虫で、勉強がからっきし駄目で、運動音痴です。
でも射撃が上手で、おばあちゃんが大好きで、そしてとても夢見がちな愛情をいっぱい蓄えた少年です。
『ドラえもん』は、お腹に四次元ポケットをつけています。そして、困っているのび太くんを助けるために未来の道具を出して、のび太くんに与えます。ですが、いつも調子に乗りすぎたのび太くんが一騒動を引き起こし、愉快な結末を迎えます。でも何話かに一度はセンチな結末も迎えます。この変わらぬ物語こそが『ドラえもん』が長く愛される理由だと思うのです。

ですが、2005年以降、声優陣が一新され、そして『ドラえもん』の世界観というか空気感もすっかり変わりましたね。勝手な解釈ですが、これまでの、昭和の普遍的な子供の世界ではなく、現代の子供社会、人間社会が色濃く反映されるようになったと感じます。
そして登場人物のキャラクターも大きく変わりました。
『のび太くん』はもう、情けないだけの男の子でなくなり、ちょっと意地悪です。
『ジャイアン』に至っては、ガキ大将でなくなりました。
ですから、物語によっては、ジャイアンやスネ夫がのび太くんにひどくやり込められます。
意地悪が友達をおとしめて、そして嘲笑を生む、そんな物語に出会うようになりました。昨日の物語がそうでした。

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私は『ホッとする笑い』『愛をさそう笑い』が好きです。
チャップリンの悲喜劇がそうであったように、
藤山寛美の新喜劇がそうであったように、
かつてのドラえもんの物語がそうであったようにです。
昭和の時代には、心を癒やしてくれる『笑い』が満ちあふれていました。
そしてそれは分かち合う『笑い』でもありました。私たちは各自が『アホ』になって互いに笑いをふりまきます。それが強い友情、信頼関係を築く手段でもありました。

ドラえもんにお願いです。
家族で囲む団らんのひとときに、どうぞ『ホッとする笑い』『愛をさそう笑い』を引き出す道具をお与え下さい。どうぞお願いします。

『耕太郎へ』エールの手紙


昨日、家に帰って郵便受けを開けると、耕太郎への手紙が入っていました。
そっけない封筒に入っています。送り主が書かれていませんでした。
見た感じ大事な手紙でもなさそうですし、ラブレターでもなさそうです(というか、残念ながら、いままでその種の手紙を見たことがありません)

耕太郎が戻ってきたので、その手紙を渡しました。
不審な顔をして開けています。そして一枚の用紙を取り出し、広げ、読み、そして表情を崩しました。
『塾で合宿にいったとき書いた手紙や』といいました。
受験を直前に控えた自分へのエールの手紙だったのです。
手紙は昨年夏に書いたもので、それが半年後に届いたのです。

耕太郎がテーブルに手紙を広げて部屋を出て行きましたので、耕太郎に断ってから少し読みました。
『野球はがんばったけど、勉強はがんばらなかった』
中学生活を振り返っての正直な気持ちが書かれていました。そして
『でも勉強もして。。。』
『父さんや母さんに喜んでもらい。。。』
『野球少年でいたい』
ような事が書かれていました。

いよいよ受験です。
高校野球に通じるパスポートを自分の力で勝ち取って下さい。
父さんはいつもおまえを見守っています。

竜馬君のバット


一昨日のことです。
夜10時過ぎ、玄関から
『竜馬です』との声。
あれ、とおもいつつも、耕太郎のわるふざけと思いすぐには出ませんでした。
そして妻が玄関に赴き
『あれ、杉浦君』と大きな声を上げました。
玄関には竜馬君が立っていました。

竜馬君と前にあったのは一年以上も前、鹿島中のグラウンドでした。
ですから、突然の訪問に嬉しいやらびっくりしたやらでした。
竜馬君は、
『耕太郎が走っているのを見かけました』
『僕が使っていたバット、耕太郎に使ってもらおうと持ってきました』
と、朱くコーティングされた木製バットをプレゼントしてくれたのです。

竜馬君は、遼太郎と同級生で、幼なじみ。
そして耕太郎からみれば、野球の大先輩なのです。
竜馬君は、朗らかで笑顔を絶やさない青年です。一言で云うならば
『頼もしい』青年です。

嬉しかった、でもこんな大切なバットは・・・、とも思いましたが、竜馬君から受け取りました。
そして、11時過ぎランニングから帰ってきた耕太郎は、そのバットで素振りをしていました。

昨日、仕事を終えて家に帰り、素振りをしていた耕太郎から竜馬君のバットを借りて素振りをしてみました。耕太郎がこれまで使っていたバットよりも15㎝ほど長いとてもシャープなバットです。そして私はまともに振り切ることができませんでした。
でも耕太郎は、『ブーン、ブーン』と、そのバットで空気を切り裂きます。

耕太郎は、昨年7月末、東播大会に敗れ中学での野球活動を終えてからも、ほぼ毎日走っています。そしてランニングから帰ってくると素振りをします。耕太郎でこの様子だから耕太郎の仲間達も皆そうなのだろうなぁと思います。感心します。
高校に進んでも、野球が大好きな野球小僧であり続けてほしいと願います。

2012年2月3日金曜日

-4℃


昨晩も早く布団に潜り込みました。
布団に入って、朗読の練習、そして読書を楽しみました。

夜の天気予報では、
『今年一番の寒波は、明日には緩むでしょう』
といっていましたが、
ふと気がつくと吐く息がやけに白いのです。
何度もふーっ、ふーっ、してみました。まるで白煙の様に息が白いのです。
そして11時半に眠りにつきました。

そして朝目覚め、5時半頃外に出ますと、満天の星空が迎えてくれました。
でも凍り付いたよう、風もなく、何もかもが静止したようでした。

姫路の気温を調べると、6時で『-4℃』でした。最低は4時頃で-4.8℃、ものすごい低温なのでした。
そして今朝、一番低い気温はどこか、と北海道旭川周辺もみましたら、なんと『-27℃』でした。なぜに旭川というと日本の最低気温を記録したところだからです。1902年に『-41℃』を記録しています。

あわせて積雪の記録も紐解いてみました。
昨夜は兵庫県北部も軒並み積雪記録を更新しましたが、日本には驚く記録がありました。
1927年、滋賀県伊吹山で一晩に『11.8m』の積雪という記録がありました、ギネス記録となっています。ホント、一晩で山ができた、住んでいたひとは、そのように驚いたことでしょうね。

北北西に進路を取れ!


映画の話ではありません(^_^)

今日は節分、そして今年の恵方は『北北西』だそうです。
恵方に向かって巻き寿司をほおばって、今年の『福』を取り込もうではありませんか。

そうそう、節分といえば『鬼』ですが
私が『鬼』で、すぐに浮かぶのは
飛騨高山の地酒『鬼ころし』です。
金沢で過ごした後半の二年間、毎晩のように飲んでいました。
近くの酒屋に置いていたのです。
私は思い込みが激しい方で、これとおもえばそればかりなのです。

金欠でも飯を食わねど『鬼』は飲む
でした。部屋にはいつも『鬼ころし』の一升瓶が転がっていました。
家から送られた干物と『鬼』が常食でした。
よく部屋で酒盛りしました。
鈴木、長井、堀越、石戸谷、池田、余田。。。
特に地元出身の鈴木(キューリ)はホント、二人目の部屋の住人でした。
雪の夜など、特に『鬼』は欠かせませんでした。
部屋にはコタツのみ、他の暖房器具はなかったのです。

冬の夜、空一面に張り出した重々しい雲は、朱く茫茫とした光を放っています。
そして決まって、天が地が裂けんばかりに雷が暴れ回ります。
暫くすると雷はなりをしずめ、静寂が訪れます。
ふと気づくと雪が降っているのです。それが金沢の北陸の、『雪の降りよう』でした。

酒を一升も飲めば、体は火照ります。火照るだけじゃあない、酔って感覚が麻痺します。
よく朝目覚めると窓が開け放たれていました。
たぶん思うに、喉が渇いて窓を開け、降り込む雪を食べようとしたのでしょうね
朝目覚めると、顔に雪が積もっていたことが何度かありました。
足だけはコタツに入っていましたから大事には至りませんでした。

当時、1980年初等も今年に違わず大雪でした。
降雪には『山雪型』と『里雪型』がありますが、それも今年と同じで『里雪型』でした。
市内でも一晩に一メートル近く降ったこともありました。
雪には『やみ間』があります。『やみ間』になると、外に飛び出して、汚れなき雪原?に一番乗りです。膝まで腰近くまで雪に埋もれながらはしゃぎ回りました。
ホント阿呆ですよね、楽しい奴らでした。。。

2012年2月2日木曜日

笑っちゃうほど、寒いですね


『寒いっ!』
朝起きて、口につくのはこの言葉ばかり、笑っちゃうほど寒いですね。
昨夜から時折、剛風の怒声が響きます。何もかも氷尽くすぞと叫んでいるようです。
でも家族と顔を合わし、
『お早う』と声かけすると、暖かいものが点ったように思います。

昨日は明石に行ってきました。
そして用事を済ませ、暫しジュンク堂で新書探訪しました。

福岡伸一著『フェルメール 光の王国』、
入り口に平積みされていました。
美しい写真のカバーにくるまれた本です。
手にとって頁をめくりました。
序章で著者は、
『100年前にアインシュタインは『光は粒子』、つぶての集まりと説きました。
ですが、それよりもさかのぼる500年前に、フェルメールは『光を粒子』としてとらえ、陰影をつぶてで表現していたのです。
そして私はフェルメールの作品を辿る旅に出ました。。。』
と云う様な言葉を書いていました。
旅はオランダから始まり、フランス、イギリスそしてメトロポリタンのあるニューヨークまで、足かけ四年にも及ぶ旅です。
美術館に展示されている絵の写真が幾つか掲載されていました。陰影の解説では、特に接写した写真が掲載されていました。
それを見ると、ひとの驚異的な『観察眼』、『記憶力』そして『描写力』に驚きます。当時、カメラなどなかった時代、優れた才能と訓練を授かった者が写真を描いていたのだと実感しました。

その後は、雑誌コーナーへ進みました。いつもの進路なのです。
ニューズウィーク日本語版を立ち読みし、
それからカメラ雑誌、フォトコンテスト雑誌をペラペラめくりました。
それからパソコン雑誌。。。
ですが、ちょうど店の方が棚整理の最中でしたので、雑誌コーナーから撤退して新書コーナーへと進みました。

『書店で働いている者なのに、立ち読みして帰るだけでは不味い』、
ふとそう思いました。それから買って読みたい本を探しました。
そうなると結構、タイトルや装丁は重要なのですよね。ひとつのテーマでもそれを論じた本は何冊もありますから、すべてをペラペラ当たりをつけるわけにもいかない。
そして、特に気になるテーマ『グローバル化』について書かれた本を探しました。
『経済』の棚に、赤紫のカバーに包まれた『ショック・ドクトリン』上・下巻がありました。そしてその隣にあったのが、
スーザン・ジョージ著『これは誰の危機か、未来は誰のものか』
でした。
最初に『日本の読者のみなさんへ』という文章がありました。
東日本大震災で傷つき、原発事故で大きな代償を背負った日本への、復興と民主的な社会システム実現へのエールが述べられていました。
そして、この本を買いました。
まだ読み始めたばかりです。完読したら感想を述べたいと思います。


それから、
土曜日に朗読する本決めました。
『おひさまがいっぱい』
『ずーっとずっとだいすきだよ』
『わすれられないおくりもの』
です。子供たちと一緒に楽しみたいと思います。

それからそれからもう一つ
ある冒険の切符に応募しました。
もしもそれが叶ったら、その時またここでお話ししたいと思います。


さぁ、いまから仕事に行ってきます。
寒風何するものぞ
今日も大切なチームメイトと一緒に、お客様をお迎えしたいと思います。

2012年1月31日火曜日

『僕のグラフィティー♪』


♪深夜ラジオに耳を傾け
流行の歌を聴いたものさ
歌の文句をそのままかりて
初めて書いたラブレター。。。

南こうせつさんの『僕のグラフィティー』です。私の青春の一曲です。


二日前、仕事を終えてから暫し若いチームメイト達と談笑しました。
そしたらひとりが、14歳くらいまでだったかなぁ、大阪の枚方、楠葉に住んでいたと話してくれました。
チームメイトが生まれた?ばかりの頃、私は枚方、牧野に住んでいました。
NECの男子社員独身寮があったのです。そこで1983年から4年間お世話になりました。

寮には気が置けない同期の仲間が沢山いました。
亀ちゃん(亀田さん)、加藤さん、森岡、佐々木、星ちゃん(星野)、八百ちゃん(八百谷)、稲ちゃん(稲場)、平木そして竹ちゃん(竹谷)です。まだ数名いるのですが名前忘れてしまいました、ごめんなさい。
そしてよく部屋に遊びに来ていて、いとこいのこいしさんによく似た寮長に寮生と間違えられていたのがポチ(竹内)と竹嶋そして野口です。
週末ともなると、金曜日の夜から徹マンで、早朝から一階にある洗濯機を回し、そして寮の庭(テニスコートほどの広さがありました)で日が開けぬうちからキャッチボール、ホント休憩なし、昼は一リットル入りのコーラで済ませ、陽が落ちるまでずっとキャッチボールに興じていました。
同期の女の子が寮を訪ねることがあって、そしたら私らが皆ランニングシャツ姿ではしゃいでいて、そして各部屋には紐に吊された洗濯物が窓の外からもよく見えた、と会社で会ったとき話してくれました。
夜は夜で、仕事が終わると皆集まって、『今日は雨が降ったから』『風が強いから』『暑いから』と理由をつけては飲み歩いていました。寮生だけでなく、男子も女子もなく、100名を超える同期生ですが、ホント仲がよかった、そしていつも集まって騒いでいました。
その中心が『枚方寮』だったのです。
私たちの同期が集まると、私は歌を歌いました。
二十歳の頃に北脇の一本松連中、イチャさん、ボテ、タクロウさんと私で作った歌『麻呂がゆく』です。よくもまぁ二十歳そらいらであんなへんてこな歌作ったものだと感心します。
往年の『歌う映画スター』高田浩吉さんの『大江戸出世小唄』の出たしをもじった『麻呂がゆく』の歌詞は次のようなものでした。

利根の柳は風任せ
カワイあの娘は口任せ
今日もきました六本木、明日は新宿か・ぶ・き・ちょうおお(歌舞伎町)

今日もデスコでフィーイバ
カワイあの娘にウィンクすれば
腰をフリフリ寄ってきて
返す返事は、あっあかんんベ~(あっかんべ)

所詮、姫路の田舎者
みゆき通りがにああってる

だけど、だけど、だけど~
麻呂はゆく、麻呂はゆく。。。

ちゅうな歌です。へんてこな歌詞でしょ、節をつけるともっとヘンです。でも楽しい歌で、皆も覚えてくれて一緒に歌いました。

ボテが東京の大学にいって、まぁあった事なかった事を話してくれて、そして皆で歌詞を紡ぎました。出だしの部分はタクロウです。タクロウのおっちゃんはクラシックギターの名手で、タクロウも出会ったころからギターめちゃめちゃ上手かった。そして声が子供離れしたほどに渋く、まるで流しのおっさんでした。

私には『青春のグラフィティー』が三編あります。
一つ目は一本松連中(幼なじみ)とのグラフィティー
二つ目は、石川県金沢で過ごした大学時代のグラフィティー
そして三つ目が、今回辿った枚方寮時代のグラフィティーです。
当時の寮の仲間とは、もう数名しか交流を持っていません。とくに二代目ちびっ子ギャングこと竹ちゃんとは、二十代の終わり、竹ちゃんが退職して以降、全く消息が分かりません。竹ちゃんはこんまかったけれど気骨のある男でした。そして可愛い顔とは裏腹なとてもひどいだみ声で、また枝雀師匠の『スミバセン』が口癖でした。淡路の男で、よく家からビワが送られてきて、よく美味いビワを頂きました。夏、寝苦しい夜など、ふたりで外に出て、牧野から楠葉界隈を明け方までクネクネ歩いたものです。
『竹ちゃん、会いたいよ~』

枚方寮編では、まだまだ寮生それぞれとの友情厚い思い出が沢山あります。それこそ本が一冊書けてしまうほどにです。笑い話あり、切ない話あり、書ける話、書けない話ありです。

また、他の編も辿ってみたいと思います。

僕、ドラえもんです。。。


最近、家で『ねずみ騒動』がありました。
こどもらが一人でいるとき、『ねずみを見た』というのです。
遼太郎曰く
『外があまりにも寒いから暖房の効いた部屋に現れた』、冷静な分析です。
でも耕太郎が捕獲しました。小さなゴミ箱の中に落ちてもがいているねずみを見つけ、ゴミ箱にサランラップでフタをしたのでした。でも本人曰く
『ちゃんと空気穴は開けておいた』、なんとも心根の優しい奴です。

そんな昨日の夜の出来事です。
仕事から帰って、夕飯を食べて風呂に入り、10時まで家族でテレビを観ていました。そして、
『おとうさんもう寝るけど、誰か次風呂入って』といいますと、妻とさくらが動き出します。
妻に『さき、風呂入って』といい、そして立ち上がった妻を呼び止め
『さきに、ちょっとコーヒー入れてくれる』といいますと
さくらに、『おとうさんなんか、ねずみに耳噛まれて、ドラえもんになったらええんや』といわれてしまいました。

でも私、干支でいえば『鼠』なんです。
でも『猫』ではなく、『犬』が怖いのです。
ホントに幼い頃、一緒に遊んでいた友達が犬に噛まれ、それがトラウマとなっています。
また小学5年の時のことです。集団下校の際、よく吠える大きな犬の犬小屋のそばを通りました。悪ガキがよくその犬小屋の後ろを蹴ります。蹴ると犬は、大きな吠え声とともに勢いよく飛び出してきます。そして前を歩く子供らが驚いて飛び退くのです。
ある日、私が犬小屋を過ぎて歩いていますと、誰かが犬小屋を蹴り犬がけたたましく飛び出してきました。見ると、なんと首輪が外れているのです。それから一丁ほども追いかけられました。。。

そうです、実は私『オバQ』なのです。