ロボットの語源(ウィキペディアより)
ロボット(robot)という語は、1920年にチェコスロバキア(当時)の小説家カレル・チャペックが発表した戯曲『R.U.R.』(邦題:人造人間)において初めて用いられた。この作品に登場するロボットは金属製の機械ではなく、原形質を科学的合成で似せて作った、人間とは異なる組成の肉体と人間そっくりの外見を持つもので、現在のSFで言うバイオノイドである。
robotの語源はチェコ語で「賦役」(強制労働)を意味するrobotaとされている。
賦役(ぶえき)とは、農民のような特定階級の人々に課せられた労働である。公共への労働力としてほぼ無給で働かされた。私有地における小作人の賦役は歴史上広く見られる。賦役は文明の始まりにも遡ることができ、最古の課税形態の一つである。
ロボットのもう一つの意味は、他人の指示のままに動く人。「傀儡(かいらい)」である。
***
「わが国の労働者には、もっともっと上昇志向になって欲しい。
その為に、わが党は労働者に働き方の自由を与える労働者派遣法の法案を提出します。
労働者派遣法が成立した暁には、労働者は会社に縛られることなく、ステップアップし、スキルアップし、実力でどんどんと所得を増やしていくことでしょう。」
ときの与党が、以上の様に国民に訴えて、そして労働者派遣法は制定されました。
あれから25年、この国の労働環境はものの見事に変わりました。
この法律は最初、プログラマーやデザイナーなどの知識労働者や技術者が対象でした。ですから、すぐにこの法律の効果が現れました。これまでの終身雇用制と年功序列制というしがらみを受けずに、才能のある優秀な若者が駈け足で成功への階段を登り始めました。
派遣労働者の優秀性という成果を受けて、経済界やさまざまな業界団体は、あらゆる業務に門戸を広げるよう政府に要請し、政府は25年をかけてすべての業務に派遣法を適用する改正を行ってきました。
ある工場勤めの派遣社員の一日です。A氏としましょう、A氏は40歳で独身です。狭いアパートにひとり暮らしです。6時に起きて身支度を始め、6時45分に自宅を出て、バス停近くのコンビニでオニギリとお茶を買い、7時発車のバスに乗り込みます。
7時30分に工場前のバス停で下車し、守衛に軽く会釈をして、工場に入ります。
控え室で作業着に着替えた後、同僚と共に朝礼に進み、そして8時から稼働するラインの中で仕事を行います。
17時、ラインが止まり、今日の仕事は終了です。夕礼に進み、そして控え室で私服に着替え退社です。A氏は、工場前にあるパチンコ店で一勝負した後、隣のラーメン店で夕食を摂り、バスに乗り、スーパーに立ち寄って日用品を購入し、そしてアパートに帰り着きます。
翌日は派遣登録の更新日でした。仕事を終えたA氏は、指定時間の20時に派遣会社を訪れます。そこには、顔なじみが揃っていました。
コンビニの店員、バスの運転手、守衛、工場の同僚、ラインの管理者、パチンコ店の店員、ラーメン店の店長、そしてスーパーの店員・・・、みんな同じ派遣会社に登録している派遣労働者でした。
そしてひとり一人、面談と派遣登録の更新手続きが始まります。
A氏の番になりました。A氏は、今働いている工場の契約が今日で切れます。それで、仕事を続けるために新しい派遣社員として働く契約書にサインしました。これでまた、半年間あの工場で働くことができます。A氏はこのようなルーティーンを10年以上続けてきました。A氏は、工場のラインで働く誰よりも仕事に精通し、熟練工としてしっかりとした仕事ができました。でもA氏の給料は、いつまでも初任給のままでした。
派遣法の成立は、政府そして産業界の悲願でした。
高度成長期を経て、この国は強い経済力を持つに至りましたが、海外企業との競争、貿易摩擦、新興国の追い上げにオーナー達は危機感を募らせました。そこで、今後も競争に勝ち抜くために、究極の産業力を欲しました。
その第1弾が、あらゆる業務のシステム化です。システム化とは、業務の最適化、効率化を突き詰めた手順をマニュアル化、プログラム化したものです。
そして機械化(コンピュータ化、ロボット化)できるものはとことん機械化し、機械化できないところは、労働者にマニュアルの遵守を徹底させました。
そしてシステム化の徹底により、業務は最適化、効率化され、余った人員はどんどんと人員整理されました。
「システム化により、自動化により、人間の労働者は不要になる・・・」
こんな噂がまことしやかに広がり、労働者は何とか今の仕事が奪われないように、法律で認められた休暇の権利さえ放棄して、オーナーに言われるままに働くようになりました。
しかし、「システム化により、自動化により、人間の労働者は不要になる・・・」は、ごまかしでした。実際に、政府や産業界は完全なる機械による自動化を模索していました。しかし、ロボットやAIの研究を突き詰めた結果、論理的な思考や手続きに従った動作はロボットやAIが取って代わることができても、柔軟性や器用さ、直感という働きにおいて人間には勝ることができないと分かったのです。人間の労働力は、これからも無くてはならなかったのです。
そこで、第2弾として《robota計画》が動き出しました。
《robota計画》とは、人間の賃金労働者をロボット化するという計画でした。
民主主義、人権主義を標榜するこの国では、法律で認められた正規労働者の権利は、いくらときの権力者であったとしても易々と奪う事はできません。そこで編み出されたのが、まったく新しい労働形態である非正規労働者を作るという事でした。これにより、企業は資材を調達するように人間の労働力を調達することができる様になりました。企業は、必要な時に必要なスキルを持つ人間を必要な人数、一番安く提供するという派遣会社と契約するだけでよくなりました。またこれにより、これまで直接雇用していた正規労働者は不要となり、人件費を大幅にカットすることができるようにもなりました。
そして、派遣法が制定されて25年が経ちました。賃金労働者のロボット化を推し進めるオーナー達は、非正規労働者の割合がいまだ4割しか達成できていないことに大いに不満がありました。そこで、彼らが担ぐ雄弁なカリスマ総理大臣に、早期の10割達成を強く求めていきました。
そして唐突に、カリスマ総理大臣は国民に向かって、雄弁に一つの行動目標を発表しました。そのタイトルは《一億総活躍社会》なるものでした。オーナー達は、総理大臣の本気を知り、ほくそ笑みました。
ロボット(robot)という語は、1920年にチェコスロバキア(当時)の小説家カレル・チャペックが発表した戯曲『R.U.R.』(邦題:人造人間)において初めて用いられた。この作品に登場するロボットは金属製の機械ではなく、原形質を科学的合成で似せて作った、人間とは異なる組成の肉体と人間そっくりの外見を持つもので、現在のSFで言うバイオノイドである。
robotの語源はチェコ語で「賦役」(強制労働)を意味するrobotaとされている。
賦役(ぶえき)とは、農民のような特定階級の人々に課せられた労働である。公共への労働力としてほぼ無給で働かされた。私有地における小作人の賦役は歴史上広く見られる。賦役は文明の始まりにも遡ることができ、最古の課税形態の一つである。
ロボットのもう一つの意味は、他人の指示のままに動く人。「傀儡(かいらい)」である。
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「わが国の労働者には、もっともっと上昇志向になって欲しい。
その為に、わが党は労働者に働き方の自由を与える労働者派遣法の法案を提出します。
労働者派遣法が成立した暁には、労働者は会社に縛られることなく、ステップアップし、スキルアップし、実力でどんどんと所得を増やしていくことでしょう。」
ときの与党が、以上の様に国民に訴えて、そして労働者派遣法は制定されました。
あれから25年、この国の労働環境はものの見事に変わりました。
この法律は最初、プログラマーやデザイナーなどの知識労働者や技術者が対象でした。ですから、すぐにこの法律の効果が現れました。これまでの終身雇用制と年功序列制というしがらみを受けずに、才能のある優秀な若者が駈け足で成功への階段を登り始めました。
派遣労働者の優秀性という成果を受けて、経済界やさまざまな業界団体は、あらゆる業務に門戸を広げるよう政府に要請し、政府は25年をかけてすべての業務に派遣法を適用する改正を行ってきました。
ある工場勤めの派遣社員の一日です。A氏としましょう、A氏は40歳で独身です。狭いアパートにひとり暮らしです。6時に起きて身支度を始め、6時45分に自宅を出て、バス停近くのコンビニでオニギリとお茶を買い、7時発車のバスに乗り込みます。
7時30分に工場前のバス停で下車し、守衛に軽く会釈をして、工場に入ります。
控え室で作業着に着替えた後、同僚と共に朝礼に進み、そして8時から稼働するラインの中で仕事を行います。
17時、ラインが止まり、今日の仕事は終了です。夕礼に進み、そして控え室で私服に着替え退社です。A氏は、工場前にあるパチンコ店で一勝負した後、隣のラーメン店で夕食を摂り、バスに乗り、スーパーに立ち寄って日用品を購入し、そしてアパートに帰り着きます。
翌日は派遣登録の更新日でした。仕事を終えたA氏は、指定時間の20時に派遣会社を訪れます。そこには、顔なじみが揃っていました。
コンビニの店員、バスの運転手、守衛、工場の同僚、ラインの管理者、パチンコ店の店員、ラーメン店の店長、そしてスーパーの店員・・・、みんな同じ派遣会社に登録している派遣労働者でした。
そしてひとり一人、面談と派遣登録の更新手続きが始まります。
A氏の番になりました。A氏は、今働いている工場の契約が今日で切れます。それで、仕事を続けるために新しい派遣社員として働く契約書にサインしました。これでまた、半年間あの工場で働くことができます。A氏はこのようなルーティーンを10年以上続けてきました。A氏は、工場のラインで働く誰よりも仕事に精通し、熟練工としてしっかりとした仕事ができました。でもA氏の給料は、いつまでも初任給のままでした。
派遣法の成立は、政府そして産業界の悲願でした。
高度成長期を経て、この国は強い経済力を持つに至りましたが、海外企業との競争、貿易摩擦、新興国の追い上げにオーナー達は危機感を募らせました。そこで、今後も競争に勝ち抜くために、究極の産業力を欲しました。
その第1弾が、あらゆる業務のシステム化です。システム化とは、業務の最適化、効率化を突き詰めた手順をマニュアル化、プログラム化したものです。
そして機械化(コンピュータ化、ロボット化)できるものはとことん機械化し、機械化できないところは、労働者にマニュアルの遵守を徹底させました。
そしてシステム化の徹底により、業務は最適化、効率化され、余った人員はどんどんと人員整理されました。
「システム化により、自動化により、人間の労働者は不要になる・・・」
こんな噂がまことしやかに広がり、労働者は何とか今の仕事が奪われないように、法律で認められた休暇の権利さえ放棄して、オーナーに言われるままに働くようになりました。
しかし、「システム化により、自動化により、人間の労働者は不要になる・・・」は、ごまかしでした。実際に、政府や産業界は完全なる機械による自動化を模索していました。しかし、ロボットやAIの研究を突き詰めた結果、論理的な思考や手続きに従った動作はロボットやAIが取って代わることができても、柔軟性や器用さ、直感という働きにおいて人間には勝ることができないと分かったのです。人間の労働力は、これからも無くてはならなかったのです。
そこで、第2弾として《robota計画》が動き出しました。
《robota計画》とは、人間の賃金労働者をロボット化するという計画でした。
民主主義、人権主義を標榜するこの国では、法律で認められた正規労働者の権利は、いくらときの権力者であったとしても易々と奪う事はできません。そこで編み出されたのが、まったく新しい労働形態である非正規労働者を作るという事でした。これにより、企業は資材を調達するように人間の労働力を調達することができる様になりました。企業は、必要な時に必要なスキルを持つ人間を必要な人数、一番安く提供するという派遣会社と契約するだけでよくなりました。またこれにより、これまで直接雇用していた正規労働者は不要となり、人件費を大幅にカットすることができるようにもなりました。
そして、派遣法が制定されて25年が経ちました。賃金労働者のロボット化を推し進めるオーナー達は、非正規労働者の割合がいまだ4割しか達成できていないことに大いに不満がありました。そこで、彼らが担ぐ雄弁なカリスマ総理大臣に、早期の10割達成を強く求めていきました。
そして唐突に、カリスマ総理大臣は国民に向かって、雄弁に一つの行動目標を発表しました。そのタイトルは《一億総活躍社会》なるものでした。オーナー達は、総理大臣の本気を知り、ほくそ笑みました。