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信仰心について

「戦争になったら人が殺せるなぁ」という言葉を、軽口の中で話す人がいました。陽気で威勢のよいおじいさんでしたので、思わず「そんなこと言ったら、お釈迦様に叱られますよ」と返しました。 そういえば、今朝ドラ『虎と翼』でも、同じ様な不穏な言葉が発せられる場面がありましたね。新潟編で、寅子...

2024年12月24日火曜日

メリークリスマス!

 キリスト教福音派では、クリスマスについて次の様に示していました。

神は不信仰なイスラエルの民に対して、民を加護する契約として律法(十戒)を与えたが、民は律法を守らず、不信仰は止まず、それがために神は数千年の間に幾人もの預言者を通じて救世主を人間の世に使わせて不信仰を裁くと示したが、それでも民の不信仰は止まず、そして遂に世に現れた救世主イエスまで不信仰故に命を奪ってしまいます。

イエスは磔刑に処された日から三日後に弟子たちの前に現れて、私は再びこの世に現れる(再臨)、そして人間の不信仰を裁き(最後の審判)、不信仰な民は地獄送りにし、信仰篤き民は天国に招くであろうと告げて昇天します。

それ故にクリスマスが示すのは、『神の人間に対する至高の愛と、人間の限りない罪深さである。』と説いています。


日本のクリスチャンは人口の約1%(190万人)と云われます。クリスチャンといっても、カトリックもあれば正教もあればプロテスタントもある。そして多種多様なプロテスタントの中の福音派となれば、さらに少数になるでしょう。

しかし、福音派の本場アメリカの福音派クリスチャンは人口の約22%と云われます。

12世紀の十字軍遠征から始まり、宗教戦争、15世紀のコンキスタドーレスによる新大陸での大虐殺、アフリカ・アジアの植民地化奴隷化、そして20世紀の世界大戦にホロコーストという、今日までこの世界の騒乱は欧米のクリスチャンによるものがほとんどです。現在進行形のウクライナ戦争も中東におけるイスラエルの蛮行も同様です。

昨今の日本のクリスマスの風物詩は、夜空の下、あらゆるものを着飾り輝かすクリスマスイルミネーションにクリスマスツリーでしょうか。そして、子供たちにプレゼントを贈り、家族でクリスマスケーキを食するのが定番の過ごし方です。でもそこにはクリスチャンとしての信仰はほとんどないというのが実情でしょう。そうこうぼんやりしているうちに近い将来、日本もクリスチャンによる戦争に引き込まれることになるかもしれません。それは明日からも知れないのです。クリスチャンでない多くの日本人がクリスチャンの信仰、クリスチャンの野望、クリスチャンの希望、クリスチャンの絶望という夢に、そう他人の夢に巻き込まれてしまう、取り込まれてしまうという白昼夢が現実になるかもしれないということを、このクリスマスの日を切っ掛けにして、少しでも学び、備える準備としなければならないと思います。

2024年12月22日日曜日

クリスマス礼拝への届け物

 今日は母教会でクリスマス礼拝が行われるということで、日頃のお礼をかねて、妻に礼拝後の会食用にとピッツァを教会に持っていってもらいました。

最近、妻が喉荒れ防止にと服用するようになった蜂蜜を利用したお菓子ピッツァと定番のボロネーゼ風煮込みソースピッツァを焼きました。

この冬一番の寒波襲来のため、昨日昼に仕込んだピッツァ生地は超ゆっくりの発酵で、これまでで一番の出来でした。お陰で焼き上がりは周囲の耳がふっくらと膨らみ香ばしい焼きの香り漂うピッツァが出来上がりました。

トッピング:蜂蜜、生ハム、モッツァレラ、
バナナスライス、シナモンパウダー

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」の感想

 Amazonプライムで公開された今年上半期の話題作「シビル・ウォー アメリカ最後の日」(原題:CIVIL WAR 2024年アメリカ映画)を観ました。

あまりにも真に迫った戦闘シーンの映像の連続で、これはドキュメンタリーではないのかと錯覚を覚えるほどでした。特にラストの大統領拘束のための首都ワシントンでの戦闘シーンの爆音と銃撃音は、きっと映画史に残る戦争の究極のリアリズム表現であったのではと感じています。

しかし、この映画のユニークなところは、アメリカ次期大統領のトランプを彷彿とする、憲法を無視して三期目に突入し、FBIを解体して独裁化に踏み切った大統領に対して、この大統領を排除するために幾つかの州が連邦政府から脱退して反逆軍を立ち上げ、連邦政府と戦争を始めた、南北戦争以来二度目となる内戦にフォーカスを当てたものではなく、学校を出たばかりの戦場カメラマンに憧れるうら若き女性カメラマンが、戦場経験の豊富な記者やカメラマンに随行しながら、いわゆる真の戦争カメラマンへと覚醒するまでが描かれた物語であったことです。

真の戦争カメラマン、私がすぐに連想するその人はロバート・キャパです。22歳のキャパはスペイン内戦に身を投じ、手持ちカメラのライカで、その後のキャパを決定づける一枚の写真を撮りました。「崩れ落ちる兵士」(Falling Soldier)と名付けられたその写真は、頭を撃ち抜かれて後方に崩れ落ちる兵士の、その一瞬を、至近距離にいたキャパがライカのファインダーで捉えシャッターを切り、その一瞬をフィルムの一コマに永遠に封じ込めたものです。キャパはその後も戦場を渡り歩き、戦場のスナップ写真を撮り続けました。そして1954年5月25日に戦場で地雷に接触し爆死しました。

この映画のラストシーンは、まさにキャパの誕生と死がモチーフになっていたのではと私は想像を巡らしました。

カメラのファインダーの魔力なのだと思います。どんな場所にいても、それがどんなに騒々しい場所でも、厳しい山岳の上でも、そして戦場でも、ファインダーを覗いた瞬間、ファインダーの向こうに映る被写体に全集中して、騒音も、寒さ暑さも、そして恐怖さえも消し飛んでしまうんです。そして考えることは、もっと迫りたい、だれも観たことのない角度で迫りたい、描きたい、一瞬を掴みたいと、一線を越えた冒険に身を委ねてしまうんですね。そう神のようになりたいと思ってしまうんですね。その究極が戦場カメラマンなのだと思います。一歩、その道に踏み込んだら最後、我に返った時の恐怖や後悔などで心が押しつぶされながら、病みながら、それでも麻薬のようにファインダーの魔力に抗えずに戻ってしまうんですね。

この映画は、そういうファインダーの魔力に取り憑かれた人間が描かれた、珠玉の映画だと私は思います。