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映画「ナチュラル」の名台詞を、大谷翔平選手に贈ります。

大谷翔平選手が、信頼する人に裏切られ欺され巻き込まれた疑惑について、自ら矢面に立って会見を開き、大勢の記者とテレビカメラの前で、自らの言葉で、今公表できる事実をしっかりとした口調で伝えてくれました。 その会見が開かれた日、NHKシネマで野球映画の名作「ナチュラル」(The Nat...

2013年11月27日水曜日

映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観ました。

テレビ番組欄でこのなんとも騒々しいタイトルが目にとまりました。9.11を題材としたトム・ハンクスが出演した映画・・・ということを思い出し、観ました。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(原題: Extremely Loud & Incredibly Close 2011年アメリカ映画)

9.11テロによって父を失った少年が、父の部屋のクローゼットで古い鍵を見つけます。その鍵は、父の記憶を留める大切な鍵となり、少年はその鍵の秘密を探る旅をする。これが物語の本筋です。

少年は、9.11テロのその日、その瞬間、あまりにも重く辛い秘密を抱えることになります。それは、大好きだった父からの最後の電話に出ることができなかったことでした。
その日、少年は理由を告げられぬまま臨時早退となった学校から両親が仕事に出掛けて誰もいない自宅に戻ります。留守番電話に5件のメッセージが入っていました。メッセージを再生すると、それは父からの安否を知らせる内容でした。最初のメッセージで父が何かの事故に巻き込まれたことを理解しますが、父は冷静な口ぶりで救助を待っていると話します。しかし、新しいメッセージになるにつれて口ぶりは慌ただしくなり騒音も聞こえてきます。5件目のメッセージを聴き終えた時、父がテレビで中継されているこの大事故に巻き込まれていることを理解します。テレビには、二棟の巨大タワーから黒煙が登る姿が映し出されていました。その時、また電話が鳴りました。少年はその場から一歩も動けず電話を取ることができません。やがて電話が留守番電話に切り替わり、電話の主の声がスピーカーが聞こえました。父が何度も何度も少年の名前を呼んでいます。しかし電話は不自然に途切れます。テレビは、一棟の巨大タワーが崩れゆく姿を映していました。

少年は秘密を心の奥底に仕舞い込みます。そして鍵が入っていた小さな封筒に書かれた”BLACK”という文字を手がかりに、ニューヨークに住むすべての”BLACK”という名字の人々を訪ね歩く決心をします。ニューヨークの街には少年の恐れるモノが溢れています。それは高層ビルであり、上空を飛ぶ飛行機、身動きできない地下鉄、サイレンの音、子どもの泣き叫ぶ声・・・すべてがあの日に引き戻し少年をパニックに陥れます。ですから少年は、祖母から貰ったパニック防止のタンバリン、そしてガスマスクをリックサックに詰めて、どんなに遠くても歩いて訪ねていきました。
”BLACK”さんは、男の人であったり、女の人であったり、お年寄りであったり、少年と同じ子どもであったり様々です。そして誰もが少年を受け入れて、少年を慰め、そして慰めとしてそれぞれが抱える秘密を少年に話します。けれども鍵の秘密にはなかなか辿り着くことはできません。

そんなある日、祖母の家に新しく同居人となって住みだした老人が、少年の旅に伴うようになりました。老人は話をすることができず、少年との会話はすべて筆談で行います。ですが、何気ない仕草や癖が父と同じであることを見抜き、少年は老人が祖父であることに感付きます。そして少年は、母が外出した自宅に祖父を招き入れ、心の奥底に仕舞い込んでいた秘密を吐く様に話します。 ですが、大昔に大きな心の傷を負い、声を失い、家族を捨てた祖父には耐えがたい内容で、最後まで聞くことなく少年のもとを去りました。

少年は、もう一つの手掛かり、いつも父が持ち歩いていた小さな紙片、新聞の切り抜き広告に、”BLACK”の名字を見つけます。そして鍵の秘密が明らかになりました。
鍵は青い花瓶に入っていました。その青い花瓶は、父が新聞の広告で見つけた遺品セールで譲り受けたものでした。セールを開いたのが”BLACK”さんでした。彼にも秘密の物語がありました。確執のあった父が亡くなり、遺品をセールで処分した後、亡き父の遺言を知ります。遺言には、息子に一つの鍵を残すと書かれていました。それが青い花瓶の鍵でした。ですが、譲り渡した相手が何処の誰かも分からずに長く困惑していたのです。

鍵は持ち主に戻りました。しかし少年は、父の記憶を留める「形あるモノ」を失うことになりました。酷く落ち込んで自宅に戻ります。部屋には、いつも少年の帰りを待ってくれている母の姿がありました。
少年は、ついに鍵の話を母にしました。でも母から思いがけない返事が返ってきました。
「知ってる」
そして、母の愛情溢れる物語に接します。母は、子ども部屋に隠していた品々から、少年の秘密を推し量り、少年が訪れる家々を先回りして訪問し、少年を受け入れてくれる様、頼んで回っていました。そして毎回の少年のひとり旅を、身を切られる思いをしながら送り出し待ち続けていたことを知りました。
少年は、父の分まで愛してる、と母に告げます。母はにっこりと笑顔で
「知ってる」
と答えます。

end

映画を観終わってからしばらくして、あらためて『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』というタイトルに向き合いました。そしてこの謎掛けは「人間」を指しているのだ、と気付きを覚えました。
私たちの悲しみや苦しみ、その根幹は人間に起因する。しかしまた同時に、癒やしや救いも人間でなければ果たせない。
少年は、多くの人に出会いました。そして多くの悲しみ、苦しみ、また幸せを知りました。
そして時が来て、母と向き合います。そして母の悲しみ、苦しみ、そして愛を知りました。
とても人間の愛に満ちた物語でありました。

2013年11月26日火曜日

君は「桂枝雀」を知っているか?

日曜日夜、BS朝日で放送された、『君は「桂枝雀」を知っているか?』を観ました。
とても興味深かったのは、枝雀さんの新作落語を共に作られてこられた落語作家小佐田定雄さん、そして本名前田通さんの二人の御子息が語る、枝雀さんの実像です。
そこで語られる実像は、私が抱いていた人物「桂枝雀」と寸分と違わなかった、本当に表裏のない、純粋に笑いというものを求道する万年少年そのものでした。

昭和40年代、桂小米から桂枝雀に襲名したての頃の落語を聴くと、爆笑王の異名を取った後の枝雀落語とはまったく非なる落語であることに驚きます。
「陰」が代名詞に付くほどに、若さの微塵も無い静かで落ち着いた語り口、観客などいないが如くのマイペースさで物語を語っているのです。でもこれはこれでぐいぐいと物語世界に引き込まれてゆくのですから、やはり若い頃からただ者ではなかった事を実感します。

枝雀さんの落語本の中に、いつか師匠米朝さんの艶話「たちきり線香」を演じてみたいと書かれていました。後年の爆笑王となった頃の語り口では想像できない、また若き日の陰な語り口でも想像できない、まったく新しい境地の語り口で、この「たちきれ線香」に向き合おうとされていたのではないか、そう想像します。未知の体験は、未知のまま手の届かぬモノとなりました。

枝雀さんを死に導いた「鬱」という病気について
次男さんが、端的に次の様に話されました。父は、何かの理由が引き金で心の病に陥ったのはなく、突然に「鬱」という病にかかってしまった。それは風邪と同じ、癌と同じ、自分が求めぬままに、病に冒された、と話されました。
ですから、枝雀さんの様な求道者でない、平々凡々と暮らしている者にも「鬱」は訪れます。私がまさにそうでした。突然に、目は見え、耳も聞こえるのに、答が全く探せなくなるのです。話ができなくなるのです。頭が、心が、深いとばりに覆われた様になって、それはとてもひどい閉塞状態です。思考することもできず、人とコミュニケーションをとることもできない、これが鬱の症状です。ですから、改善の兆しが見え始めた時、鬱からのなりふり構わぬ脱出を企てて、極端な行動をとる危険があるのです。枝雀さんは「死ぬ」ことを選択されました。

私は今、「鬱」は脳がかかる風邪ではないかと感じています。ある特殊なウィルスによる風邪です。それ自体、死を招くほどの恐ろしさはないものの、脳内の情報伝達を阻害します。ですから、見聞きしてもそれが次の思考に繋がらないのです。
ですが「鬱」は、必ず治る病気であるとも感じています。そのための第一歩は、脳内の情報伝達を活性化することです。人間には五感があります。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚です。これらを総動員して脳に刺激を与え、情報伝達を活性化するのです。脳が活性化すれば思考が戻ります。それが自律を取り戻し、危険のない快方へと導く、と想像します。
もう一つは、体を疲れさせることです。できれば心地よい疲れを与えるのです。体が心底疲れれば、深い睡眠に陥ります。その一時期は余計な不安は一切脳から切り離されて、脳は体の快方に全力を注ぎます。この心身が一致した状態こそが、私たちの理想な健康状態だと想像します。
私は現在、長歩きに親しんでいますが、この歩くという行為こそ、「脳内の情報伝達を活性化する」、そして「心地よい疲れ」を得る「鬱」の特効薬だと実感します。

三年生部員お別れ会

先週土曜日、三年生部員お別れ会がありました。
第一部は、引退した三年生チームと現役部員チームとの親睦試合です。
三年生は約三ヶ月振りの硬式球による試合です。試合前の二時間余り守備練習を行って試合に挑みます。福本先生、東本先生のノックにも一段と気合いがありました。
試合は、現役部員チームが先攻し、試合途中でようやくエンジンが掛かってきた三年生チームが追う展開でした。通常の試合にはない、まるでこの日の「小春日和」の様な、和やかな試合でありました。
松陽高校野球部 三年生vs.1・2年生 その1
松陽高校野球部 三年生vs.1・2年生 その2

そして夕方、第二部お食事会の始まりです。
現役部員ひとり一人から先輩への感謝の言葉が贈られました。
そして三年生からは、野球への思い、進路への思い、そして先生、保護者への感謝の言葉、後輩に託す言葉が綴られます。
三年生部員送別会 食事会

和やかな時間、あったかい時間は、あっという間に過ぎてゆきます。
最後に、三年生の保護者の方が制作された、この1年を振り返るビデオを皆で観賞しました。三年生の保護者の方々は、この1年の子供らの成長を噛み締められていました。そして、私たち現役部員の保護者へ、これから訪れるあっという間の1年を、しっかりと見守って下さい、見届けて上げて下さい、という言葉を贈って下さいました。

あらためまして
三年生部員、そして三年生保護者の皆様、この一年本当に有り難うございました。お疲れ様でした。これからのそれぞれの進路で大きく活躍されることを楽しみにしています。また、今後も後輩部員を暖かく、また厳しく応援の程、宜しくお願い致します。

福本先生、東本先生、篠田先生、この一年有り難うございました。そしてこれからの一年も、部員達を”頂”に挑戦できる者へとご指導頂きます様、宜しくお願い致します。