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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2026年7月1日水曜日

銀河の一票

 このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もう沢山の小さな星に見えるのです。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節です。

私ずっと忘れてました。自分が一つの星だってこと。忘れようとしてました。

一個一個強く光る力を持った星たちに、ぼんやりとした白い銀河ってまとめられて、雑に扱われることを、なんとか受け入れなきゃって。

でも違う。違いますよね。私たちは。

私たちは、一人ひとりが輝く星で、銀河があんなに綺麗なのは、一つ一つの星が綺麗だから。副知事候補 星野茉莉さんが教えてくれました。

銀河。東京都をより輝かせる方法は一つしかありません。

一つ一つの星、都民一人ひとりがより輝くこと。

輝くことを諦めも手放さなくてもいい、輝く気力を無くすこともなく、安心して幸いを見つけることができる。そんな世界を一緒に作りませんか?

何か困っていることはないですか?足りないものや多すぎるもの、不安なこと、ままならないことは何ですか?教えてください。

教えてもらえるシステム、私たち作ります。

あなたをひとりにしません。だからひとりにならないで。

遠慮なく光って教えてください。私はここに居るって。見つけます。絶対。

絶対無駄にしません。たったひとりのあなたが放つ、たった一つの尊い光。

銀河の一票。


きっと永く良作として視聴者の心に残っていくだろうドラマ『銀河の一票』、最終回、東京都知事選投票日前夜、最後の街頭演説で、月岡あかり候補が、集まった聴衆へ、LIVE映像を観る視聴者へ、活動を支えてくれる支援者へ、そして自分とソウルメイトとなった星野茉莉さんへ、心を込めて届けた決意のスピーチ。

ドラマの中の、所詮フィクションだと分かっていても、息を呑みました、心が感動で震えました。


そしてもうひとりの、国民に絶大な人気を誇り、当選は間違いないと目される、茉莉と兄妹の様にして育った日山流星候補の告白のスピーチにも、ドラマの中の、所詮フィクションだと分かっていても、息を呑みました、心が感動で震えました。


私たちは人質事件を利用したんです。倫理的に許されることではありません。

それでも、私と星野先生が力を得たかったのは、解釈改憲を止める為です。

解釈改憲とは、憲法の条文ではなく、その解釈を変えることによって実質的に憲法の内容や意味を変えるという事です。

本来憲法改正のハードルは高く、皆さんの意思が大きく反映されます。

でも解釈の変更は、閣議決定で可能です。

そしてこの解釈改憲は、主に平和に関する条項で行われます。

時代に合わせた変化も必要かもしれません。ただ、これが解釈という名の下に、皆さんの知らないところで、知らないうちに為されてしまうというのは…。それが必要な局面も、結果的に守られてきたものもあるでしょう。だからこそ、アフター(後)ではなく、ビフォアー(前)の話をしませんか。

話しましょう。一緒に考えましょう。

例えば、急速に進化を遂げているテクノロジーを駆使すれば、苦肉の策にも主権者である皆様の意思を取り入れる方法もあるかもしれない。正直そんな発想私にはありませんでした。

政治について考えるのは政治家の仕事だと。私が背負っているのは国であって、あなたではないと。いちいち民意をすくい取っていたらキリがない。そんなものは綺麗事だと。

綺麗な話をしましょう。

綺麗事だと揶揄されることを恐れずに。諦めず、探しましょう。

銀河が、一つ一つの星が。輝き続けられる道を。

世界と、あなたと、私の幸福のために。


この告白を聴衆のひとりとして受け取った茉莉が小さなランプに光を灯して掲げます。その告白に呼応する光は、流星の演説を聴く為に集まった大観衆の中に静かに広がっていきました。この光景は、フィクションの世界でも、ましてやノンフィクションの世界では、なかなかお目に掛かることのない美しい光景でした。


このドラマは、悪人がひとりもいないという希なドラマでもありました。心地よい人情喜劇ドラマ、作ってくれて、観させてくれて、有り難うございました。


追伸.

星野茉莉を演じられた黒木華さんは、以前から数多くの良作である映画やドラマに出演されていて大好きな役者さんでありますが、

このドラマをきっかけに、月岡あかりを演じられた野呂佳代さん、そして日山流星を演じられた松下洸平さん、大好きな役者さんとなりました。

2025年6月26日木曜日

個人的なことは政治的なこと

さんざ散らかりまくっていた机の上を片付けていると、一枚のメモ書きが出て来ました。
再来年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』で主人公小栗忠順を演じる松坂桃李さんが主演したドラマ日曜劇場『御上先生』の台詞を聞き取り走り書きしたものでした。

Google検索で 〈御上先生 心に残る台詞〉で検索すると、『ドラマ【御上先生】名台詞集』というタイトルのページがヒットしました。

ドラマ【御上先生】名台詞集

その台詞の中で、特に響いた台詞の箇所を あらためてここに書き記します。

個人的なことは政治的なこと The personal is political.
「言ったよね、エリートは神に選ばれた人だと。
なぜ選ばれるのか。
それは普通の人間なら負けてしまう様な欲やエゴに打ち勝てる人だから。
自分の利益のためではなく他者や物事のために尽くせる人だから。
僕はそこに付け加えたい。
真のエリートが寄り添うべき他者とは、つまり弱者のことだ。」

※キャロル・ハニッシュの言葉から
「個人的な問題は政治的な問題ということである。そこでは個人的な解決というものは存在しない。集団的な解決に向けた集団的な行動があるのみである。」

答えの出ない質問
「答えの出ない質問がこの世には沢山ある。禿鷲と少女。貧困とテロ。安楽死。それを考え続けることは、ものすごくキツいことだよね。考えるっていうのは、答えを出すためのものじゃない。考えても考えても答えが出ないことを、投げ出さずに考え続ける力のことだ。考えて」

近代デモクラシーは、デモクラシー国家の国民一人ひとりが
①政治的自由(Political freedom):自由で公正な普通選挙、公職への立候補、政党への参加などを含む政治過程への参加の自由など
②市民的自由(Civil liberties):表現・信仰・結社の自由、法の支配、個人の自律など
を持つことを保証する制度です。差別や独裁にデモクラシーが冒されぬように、監視し、制度を強化し、持続しなければなりません。しかし、これらすべての行動も、私たち国民一人ひとりが本来背負わなければならないものです。
ですから、私たち市井の国民はともすれば政治的なことはエリート任せにしてしまいがちですが、そうではなくて自分の問題として、もっと責任をもって、答えの出ない質問に向き合わなければならないのだと、この御上先生の台詞を聞いて、見て、考えさせられました。

2025年4月10日木曜日

地震のあとで After the Quake

 村上春樹さんの短編小説集「神の子どもたちはみな踊る After the Quake」の六編から四編をドラマ化したNHK「After the Quake 地震のあとで」が始まりましたね。

第一話の「UFOが釧路に降りる」は、1995年の阪神大震災直後と小説と同じ時代設定で、物語の進行も小説の進行通りでした。主人公が始まりも終わりもはっきりしない不条理な世界に迷い込んでしまうという春樹ワールドを感じ取ることが出来ました。

以後のドラマは時代設定が令和、つまり今の時代に設定されていて、どの様に今と春樹ワールドが融合するのか楽しみであり不安でもあります。


小説も読むと、私はドラマ化されなかった「蜂蜜パイ」に、物語として惹かれました。

物語のヒロイン小夜子が18歳の時に発した言葉

『何かをわかっているということと、それを目に見えるかたちに変えていけるということは、また別の話なのね。そのふたつがどちらも同じようにうまくできたら、生きていくのはもっと簡単なんだろうけど』

そして、主人公淳平が36歳の時に発する言葉

『これまでとは違う小説を書こう、夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかり抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を』

に、私はもしかしたら春樹さんの私小説、なんて想像を巡らしました。

それとともに、不安に晒され続けている幾万の人々に向けた、春樹さんのラブレターの様にも感じた次第です。


のんさん(本名能年玲奈さん)がカエル役(声優)で声だけですが出演されるそうですが、それも大いに楽しみです。小説とは異なる結末を期待したです。


2025年1月13日月曜日

「こころ旅」フォーエバー

 昨年11月14日に、視聴者が手紙で綴った心の風景を目指して自転車で旅をするNHKの看板番組を背負ってきた俳優の火野正平さんが亡くなられました。

2024年秋の「こころ旅」は、番組に復帰するためにリハビリを続ける火野正平さんを待って、ゲスト走者の俳優陣が毎週の旅のバトンを繋いでいました。

私は11月26日から始まる317週目三重県の旅が、とても印象的なものになりました。この週の放送は、この番組には珍しく実際の撮影日が画面に映っていました。その週は火野正平さんが亡くなられた週でした。きっと番組制作スタッフの思い入れがあったのだと思います。そしてゲスト走者はこの秋二回目の登場となる女火野正平を自認して朗らかに旅をする田中美佐子さんでした。

11月12日に目的地としたのは三重県鈴鹿市の「長太の大楠」でした。この地の広大な田畑を見守るように立つ大楠を心の風景と刻む81歳の方から、この大楠に雷が落ちて大きな被害を受けたことを人伝に知り心配しているという便りを受けての自転車旅でした。

本当に遠くからでも視認できるほどの大楠でした。傷んだ老木の大樹は、それでも今もこころの風景を見守っている姿を見せてくれていました。

https://www.nhk.jp/p/kokorotabi/ts/PKRKV54PVL/episode/te/BG7KXWYJY8/

そして11月14日の目的地は南伊勢町の「南島大橋」でした。50年前に結婚した妻とずっと大切にしてきたこころの風景を、50年前の事故で車椅子生活となってもずっと側で支えてくれた妻への感謝をこめた便りを受けての自転車旅でした。この日は雨でしたね。靄で煙る風景の中を走った田中美佐子さんが目的地に辿り着いて手紙を再読する姿が印象的でした。この時、田中さんは涙を堪えている様子でした。そして「しっかりと読まなきゃ・・・」という言葉を洩らされました。もしかしたら、ここに訃報が届いたのか、そう思いました。雨に煙る美しい峡谷の風景が、何とも言葉にならないほどに切なく思われました。

https://www.nhk.jp/p/kokorotabi/ts/PKRKV54PVL/episode/te/PV1RPMQ69N/

 「こころ旅」、2025年春も、継続されることが発表されましたね。

引き続き、楽しみにしています。春は兵庫も走るそうな、身近な風景がでると嬉しいなと期待しています。


2024年3月31日日曜日

戦後の闇に思いを馳せる「下山事件」

昨年夏にアメリカをはじめ日本以外の国で次々に公開され、映画作品として高く評価された上に抜群の興行成績を上げたクリストファー・ノーラン監督作品『オッペンハイマー』が、先週金曜日にようやく日本で公開されました。

『原爆の父』と称され、理論物理学者でアメリカの原爆開発(マンハッタン計画)を指揮した事で知られるロバート・オッペンハイマーが主人公であることと、海外で先行公開された映画の日本国内からの批判として、広島や長崎の惨状を描いていないという指摘から、配給会社が配給を躊躇したことから日本公開が危ぶまれていましたが、アカデミー賞をはじめ数々の映画賞に作品が輝いたことから潮目が変わり、海外から約八ヶ月遅れでの公開となりました。

私は、ノーラン監督がこの作品に込めたであろうメッセージを観て感じて汲み取りたいと思っていましたし、また広島や長崎の惨状を映像表現として描いていないことに好意的に捉えていました。

後者について、もう少し考えを述べると、

広島や長崎の惨劇は、原爆が空中で炸裂してキノコ雲が立ちのぼる刹那の惨劇は、誰のイマジネーションも到底及ばないだろうと思うとともに、またそれを万一描くことは、それこそ被爆者の記憶への冒涜になるのではと思うからです。

もう一つは、過去に一度、正面切って、この刹那を再現した映画がありました。1953年に広島でロケーションされ、被曝を経験した広島市民が多数エキストラで参加して作られた、長田新が編纂した作文集『原爆の子~広島の少年少女のうったえ』をベースにして作られた関川秀男監督作品『ひろしま』です。前年1952年に日本は独立を回復しましたが、アメリカの強い支配下に置かれ、『親米政策』が取られていた当時の日本では日の目を見ることが出来なかった作品です。

この映画で描かれた刹那は、朝の日常生活を送る広島市民を突然に強い光が覆い、命のあった人々が起き上がると、そこはもう火焔地獄でありました。

今を生きる私たち日本人が、この刹那を観たければ、『ひろしま』を観てほしいと思います。今では配信で観ることが可能です。


そして、いつ『オッペンハイマー』を観に行こうかと考えながら、昨日夜にNHKで放送のあった『NHKスペシャル 未解決事件 File.10 下山事件 第1部ドラマ編』を観ました。

なんというかとてつもない実録を観た、日本人にとっては『オッペンハイマー』より凄味があるのではと実感したと同時に、よくNHK作ったなと感嘆し、アメリカがよく許したなという隔世の感を感じた次第です。


『下山事件』、終戦直後の日本で起こった当時の国鉄総裁下山定則氏の轢死体事件です。漫画でいえば手塚治虫や浦沢直樹も、この事件を自身の作品の中で取り上げていました。

私の記憶はその作品に触れた時の記憶です。実際、どれほどの事件であったか、以後の日本にどれほど暗い影を残したかはまったく知りませんでした。


ドラマで、特に心に響いた台詞を、書き記します。


大きな圧力によって、そうそうに事件捜査が打ち切れれるなか、少数精鋭でこの事件の真相を追う検事 布施 健(森山 未來)が、闇世界にも通じる政界のフィクサー児玉誉士夫と関係のある読売新聞大阪本社社会部記者 鎗水 徹(溝端 淳平)から情報を聞き出そうと説得する場面の布施検事の台詞です。


「どんなときも、手を汚し傷つくのは弱い者たちだ

戦場からやっとのことで戻ってきても、生活は苦しい

飢えた者に正義を説いたところできれいごとだ、彼らには右左もない

何も知らされず、分断され孤立させられ、僅かの金で権力者たちの目的遂行のために利用され、使い捨てられ・・・

こんな事が、いつまでも許されて良いはずはない」

「(鎗水さん、貴方は本当は)名もなき者たちの声を、社会に届けたいんじゃないですか?」


下山事件を追う布施検事の同士のような存在である朝日新聞編集局社会部記者 矢田喜美雄(佐藤 隆太)が、告白を翻意した鎗水記者を説得にいった際に、何者かに襲われ怪我をしたことを受けて、捜査を止めることを決断した布施検事が、矢田記者に話す台詞です。

「ひとりの人間の命の重さなど、国益と比すれば塵の如きものか

ひとりの人間の命は、国益より優先されなければならない、と私は思っているんす」


事件の真相を何もかも知るであろう人物、右翼活動家 児玉誉士夫(岩崎 う大)に面会した際の、布施検事と児玉誉士夫の会話の台詞です。

布施「そもそも、下山総裁は何故殺されたんですか?」

「一つ美談をお聞かせしようか、美談は真実とは限らないが・・・

当時アメリカは、ソ連や中国との戦争を本格的に考えていた

そうなった場合、軍事力の輸送に使用できるよう、日本全土を縦横に走る鉄道を米軍に差し出せと命じていた。

下山はそれを断固拒否した。下山は長く鉄道畑で働いてきた。彼は鉄道マンだ。日本が誇る輸送網を軍事利用から守った。」

布施「美しすぎる話ですね」


布施検事がひとり、事件の真相を辿る場面の内なる声の台詞です。

「アメリカと日本の旧軍閥は、反共と再軍備で結びついていた。

かつての戦犯がアメリカと手を組み、着々と軍の復権に向けて暗躍していると知ったら、日本国民はアメリカへの不信を募らせるだろう

アメリカにとって親米の空気を維持することは絶対である。」

「下山事件は、自殺とも他殺とも断定されずに終わった

李中煥(玉置 玲央)が総裁暗殺はソ連の仕業だと云ってきたのは、そのすぐ後だ

自殺説はアメリカにとって誤算だった

当時世界情勢は、共産勢力の勢いが凄まじかった

アメリカは焦った筈だ

強引にでもソ連は謀略の国と、日本国民に印象付ける必要があった

あの時私は、李と会いにいき、ソ連による謀殺説を一時的にも信じた

俺も反共に利用されたのか・・・」


すべてを知るであろう吉田茂に面会を望んだ布施検事が、自席検事 馬場義続(渡部 篤郎)から左遷を言い渡された後に、馬場自席検事と面会した会話の台詞です。

布施「ご説明、頂けますか?」

馬場「吉田は今も衆議院議員だ 七期目だ、大したもんだ

検察が議員に話を聞くとなると、穏やかにいかんよ

向こうは選挙で選ばれた国民の代表で、こっちは国家権力だからな」

布施「義続さん、『独立』とはなんでしょうかね」

馬場「アメリカとの関係は、国の存亡に関わる」

布施「その言葉ですべてが片付けられている

検察が国家権力なら、検事であるわれわらが果たす責任とはなんでしょうね

われわれに与えられた権力が無いに等しくて、それでも日本は主権国家と呼べますか?」

馬場「傀儡だとでも云いたいか」

布施「国の謀略によって一人の人間の命が無惨にも奪われ、その死が都合良く政治に利用される

しかし、手を穢すのは何時だって立場の弱い者であり

力を持つ者が救うべきはその名も無き者たちです

国家主義を捨て、国民一人一人の幸福を希求するのが戦後の理想だった筈

それができないなら、それができないなら、アメリカが日本にもたらしたものは真の民主主義では無い!」

馬場「絶望したか?ならば検事を辞めるか…、

ものごとは複雑なんだよ、黒か白か、右か左か、敵か味方か、国か個人か、そんな簡単に線を引けたら苦労はしない、お前だって分かっているだろう

その混沌の中にあって、かろうじて一番まともだと思える線を探っていくんだよ

そして今、最もまともな判断がアメリカとの関係の継続なんだよ、違うか」


1964年7月4日 下山事件が時効を迎える直前、朝日新聞編集局社会部記者 矢田喜美雄(佐藤 隆太)が訪ねてきた時の会話です。

矢田「下山の件でね、やっと怪しい人物を見つけたんです」

布施「君も変わらないな」

矢田「時効が成立したら、俺はどうすればいいでしょうね…」

布施「権力を監視してください

そして、少しでも強い力を感じた時は、

迷わず書け。」


下山事件から、今年で78年が経ちます。当時の為政者は、国民に決していえない、明かせない闇を抱えていたとしても、そこには日本の未來を考えていたこと、そこだけは蒙昧ですが信じたい、そう思います。

ですが、現在の為政者の不遜さ、無責任さ、そして国家を私物化している様子をみると、過去の為政者の本心さえ疑いを覚えてしまいます。非常に悲しいことです。


あたりまえですが、アメリカは民主主義の国です。ですが、それはアメリカ国民の民主主義です。アメリカ国民の政治に参加する権利、自己を表現する権利を守る民主主義です。

しかし外国に対しては、アメリカの利益が第一です。トランプが言い始めた事では無く、はじめからアメリカ第一主義です。

では日本はどうでしょうか。国体は民主主義国家となりましたが、占領期から変わらず日本は自立よりもアメリカ第一主義を政治も経済も、含めるなら司法も優先したまま今日に至っています。失われた30年は、戦後復興の情熱が失われた世代が、アメリカ第一主義で無責任に過ごしてきた結果ではないかと思います。

ほんとにゴミのような私でさえ、その無責任の一旦の責任があります。

きっとアメリカの良識は、こんな日本を望んではいないでしょう。自立、責任、そして親和を私たち自らが育むことが、アメリカの良識と対等に付き合える国、アメリカの良識が信頼する国になる術なのではないかと、思います。 

2024年1月9日火曜日

雨と太陽

 とても心に沁みるドラマが始まりましたね。

心に重いトラウマを抱えて生きてきた雨と、色覚異常から亡き母から託された夢を諦めていた太陽が、出会い、太陽は恋する雨を励まし続けることで夢に向き合い歩み出す決意をし、そして雨も励まされることで秘めていた夢を叶える為に歩み出す・・・。


希望が見えず、憂さ晴らしの中傷や暴力が蔓延るようになった現代社会は、弱い立場の人、抵抗しない人が真っ先に傷つけられて、自己否定に追い込まれ、最悪の場合は自殺に追い込まれてしまいます。しかし、そんなことは絶対無い。必要でない人なんてひとりもいない。

あなたは私にとって、僕にとって掛け替えのない人だ、必要な人だ、みんなにとって必要なんだ。と太陽は雨に思いを伝えます。

負けるな。私がいつも側にいるから、側で支えるから。と雨の祖母は雨に思いを伝えます。


殺伐とした現代社会に、荒涼とした世界に、本当に必要なものは、太陽の温もりと雨の潤いなのだと思い出させてくれました。そして私たちは、温もりと潤いを信じ、生きなければならないのだと思い出させてくれました。


昭和35年生まれの私の頬に熱い涙をこぼれさせたこのドラマは、死神が登場したりして、どう展開していくのか全く先が読めないですが、最初の感動が最後まで続いてくれる事、期待して止みません。


追伸、永野芽郁さんと山田裕貴さんの触れると壊れてしまいそうな切ない演技に心が動かされました。この先も楽しみにしています。

2023年9月19日火曜日

「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」視聴メモ

ドキュメンタリー番組「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」を見ながら視聴メモを取りました。

香港人報道カメラマン クレ・カオルは、『自由であることは罪なのか』という不条理な自らの問い掛けの答を見つけるために、ロシアによる侵略戦争が始まったウクライナに向かった。

番組冒頭、昼間のウクライナ兵との行軍中にロシア軍から攻撃を受けた。砲弾が目の前で炸裂し、各々が地面に身を伏せるシーン。空はどこまでも青く雲は真っ白に浮かんでいるのに、地上は砂埃にまみれ、傷ついた兵士は痛みをこらえて戦い続けている。自分たちの民主と自由の権利を奪われないために。

自由を求めることは罪なのか

ウクライナ戦争が始まって、一年半、ウクライナで取材を続けている。危険な目にも何度もあった。でもボクには自由のために闘う人を取材する理由がある。

カオルさんは、ウクライナの取材の合間に度々日本を訪れ、取材をもとに講演会を開いている。香港にたくさんの外国の記者が来て、香港を助けるとは言わないが、取り上げてくれた。世界の人々は、そのおかげで、香港のことを知った。

講演会で彼が必ず話すのは、ふるさと・香港での経験だ。

「自由って、闘わないと手には入らないもの」ということを改めて認識した。自由って、一人一人が主張しなければ、あっという間になくなっちゃう

カオルさんは、香港を脱出するまでの四年間に映像で記録した600時間にも及ぶ未発表映像をNHKのスタッフに託した。

2019年から2021年までの香港が、いつか忘れ去られてしまうので、世界中の人に真実を知ってほしい。知ってくれれば、それでいいです。香港人が最後まで闘った記録です。


僕たちは港猪(香港の豚)と呼ばれていた。僕たち若者は、ずっと豚と呼ばれてきた。平和ぼけして政治に無関心、食べる事にしか興味のない豚。

僕は大学で遺伝子の研究をしていた。今思えば、あの時間はかけがえのないものだった。

僕たちが立ち上がり、声を上げたのは四年前(2019年)

自由のために闘い収監された香港にいる容疑者を、中国に引き渡せるようにする条例改正案への抗議デモです。改正案は取り下げられたが、「中国化」の強まりに対する抗議活動へ発展した。

No China Extradition

光復香港 時代革命(香港を取り戻せ 時代の革命だ)

2019年6月17日 香港200万人デモ

200万人もの香港人が集まる光景に胸が熱くなり、ボクは研究の道を離れ、報道カメラマンになった。香港では、デモは権利として認められてきた。声を上げれは、思いは届くと思っていた。でも、催涙弾、度重なる(治安維持と称した警察権力の)暴力、力ずくで押さえ込まれた。実弾も使われた。行方がわからなくなった市民たちもいた。

次第に、香港から自由は無くなっていった

♪頭を上げ 沈黙を破り 叫べ

自由を手に ここに集え

なぜ この恐怖は 消えないのか


人が集まっただけなのに(警告し、全員を拘束した)

それでも私たち香港人は、五大要求を一つも譲らない

ありのままの現実を撮ろうとしただけなのに(職務質問を受け身分を照会された)


♪夜明けだ

取り戻せ 私たちの香港を

皆で 正義のため 時代の革命を


かつてデモで歌われていたこの曲(歌)も、歌えなくなった。そして、抵抗する人は街から消えた。香港の、ボクたちのすべてが変わったのは、あの法律ができてから

国安法

香港には言い伝えがある。悲しい歴史が起きるときには雨が降る。

2021年6月、香港北西部にある刑務所から、一人の若者が刑期を終えて出所した。日本でも知られる民主活動家の周庭さん。彼女が何を話すのか、ボクたちは期待していた。でも問いかけには、何一つ応えなかった。

2020年6月、かつて周庭さんは、ボクたちの気持ちを代弁してくれた。

『一つ言いたい。これからどんどん辛くなるかも知れませんが、香港の民主主義、そして自由のために闘っていきたい。最後まで 絶対に 沈黙しない』それが彼女の信念だった。

周庭さんまで沈黙させたのは、あの法律、香港国家安全維持法(国安法)。施行された日にも、雨が降っていた。

1997年にイギリスから返還された香港

中国本土とは異なる法律のもと、高度な自治も認められ、集会や言論の自由が保障されてきました。

2020年6月、香港の相次ぐ民主化運動を受け、中国の習近平指導部が導入したのが香港国家安全維持法。いわゆる国安法でした。政府へと抗議活動などを取り締まることで、香港を安定させる、としています。

取り締まりの対象は「国の分裂」や「政権の転覆」「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加える行為」などで、最高刑は無期懲役です。警察には国安法違反を市民が通報できる「専用窓口」が設置され、密告が奨励されています。

街の空気は一変した

市民は些細なことでも、国安法を口にするようになった。国際大会で、香港の何詩蓓選手がメダルを取った時も、

水泳の後、中国の愛護団体が、なぜか二人(中国の)国旗を振っています。そこに、ひとりの市民が近づいた瞬間、飛び交ったのは、またあの言葉

『動くな!旗に触れるな!国安法違反になるぞ!こいつ頭がどうかしている、刑務所に入るべきだ!』


歌も、思うように歌えなくなった。


♪「香港に栄光あれ」

なぜこの恐怖は 消えないのか

なぜ信じて 諦めないのか

なぜ血を流しても 進み叫ぶのか

香港に自由と栄光を


デモの時、みんなで歌ったこの曲、ボクたちを何度も勇気づけてくれた。自由を求める香港人の切なる思い知ってほしいと、世界に向けて発信もした。今は誰も歌はなくなった。逮捕されるのが怖いから。国安法は、何が罪になるのかわからない。

警察の締め付けは日に日に厳しくなっていった。

この日は、デモで亡くなった市民を追悼する日。警察は感染防止を理由に、人が集まるだけで尋問した。この頃、一日の新規感染者数は一人か二人だったのに。

法令違反と見なされると(集会禁止措置 違反過料)七万円(当日)

『捕まってしまった。あそこで歩いている途中、連行された。立ち止まっていない。デモのスローガンを叫んでもいなかったのに』

警察は花(献花)があれば回収し、祈っている人がいれば尋問した。

『目をつぶって祈ろうとしたら拘束された。一体、何が起こっているの。故人を悼むのも悪いの。花はゴミだって言われた。すごく無力感がある』

市民はどんどん萎縮していった。みんなが集まって声を上げることは、香港ではもう出来なくなった。

身動きが取れる最後の砦はボクたちメディアだけ

この時までは、まだ報道の自由は保たれていた。

2021年6月17日、国安法から一年、恐れていたことが起きた。中国に批判的な論調で知られる、大手紙「リンゴ日報」の幹部五人が逮捕された。警察は過去の記事などを通じて、国家の安全に危害を加えた国安法の疑いがあるとした。会社の資産が凍結されるなどして「リンゴ日報」は発行停止に追い込まれた。リンゴ日報の存在はボクたちメディアの希望だった。

今日は最悪の天気の中、最終号を発売する日となってしまいました。これまで公開されることのなかった、編集現場、この日は入ることができた。

『報道の自由はありません。今日、私たちが最終号を終わらせたら、香港の未来は見えません。とても失望して、怒りを感じています』

最終号表題「香港人 雨の中 痛恨の別れ リンゴを支持する」

香港が香港であるために、新聞社の最後の抵抗だった。

屋上から見た光景は、忘れられないものとなった。

(リンゴ日報への感謝と香港人へのエールが街にこだまする光景)

そこにもまた(警察が大挙して現れ)

『今すぐ移動しなさい。駐車違反だ。警告する。ウイルスを広める恐れがあり、法令違反だ。』

さようなら(報道の自由、そしてリンゴ日報)


外にでると、雨は止んでいた。ネットメディア記者のアラン・キョンさんに出会い、一言お願いした。

『ずっと真実を守ってくれて有り難う。心から感謝です。リンゴ日報の存在があったから、私も自分のメディアを立ち上げました。みな同じ道を歩んでいます』

大手メディアへの締め付けが厳しくなるなか、小さなネットメディアはまだ活動を続けられていた。

『こんなに警察がいるの、大げさだね。なんでここを撮影に来た?もし権力乱用とか、おかしな事があったら、撮らないといけないから』

実はアランさん、本業はキリスト教の牧師

『聖なる父が汝に与えんとする愛をお見せになり、われらの命を照らすことに感謝します』

これから、とう生きればいいのか、教会には悩める若者たちが集まっていた。

自分が信じる道を行くべき

アランさんは自らの行動で、若者に伝えようとしていた。

『確かに今、香港人は沈んでいますが、まだ諦めてはいません。分かりやすいゴールや何をしたらいいのかを見失っているだけです。街に出ると決めた(抗議活動に参加すると決めた)当時の初心を忘れそうになったとしても、あの血と涙の物語は、魂の光として持ち続けていくのです。』

いつもみんなを奮い立たせてくれるアランさん。でも、街の人々はそんなに強くなかった。

香港に残る仲間たちの中には鬱になる人が増えていた。かつてデモに参加していた彼は、鬱々とした気持ちをアート作品で表現していた。

『何かを掃き出したい。大声で叫びたい。だしきってしまいたいという衝動。皆、生活の中で政治について考えたくないと思っています。疲れているからです。人生を諦めたいわけではない。でも悲しいことに、自殺を選ぶ人もいます』

生きづらさを感じ、香港を離れる人もいた

香港市民の海外移住は一年間で約九万人(2020年7月から2021年6月の推定値)

ボクが信頼を寄せる仲間も決心していた。報道カメラマンのサンさん。家族でロンドンに移住することに。

『決め手は子供。(移住を決心した理由は)学校で中国への愛国心を高める教育が始まったから』

※香港行政長官『私は愛国主義教育を進め、国を愛する精神を育て、若者の価値観をただしていきます。』

『香港を離れるつもりはなかったし、絶対ありえないと思っていた。決心はたやすい事じゃなかった。家族もいるから、当然、香港を離れたくなかった。でも子供の将来があるから仕方ない。このカメラで、たくさんの事実を見てきたよ。真実を見た。そのすべては、このカメラと頭の中に残っている。忘れることなんかできない。』

香港に残るのか、香港を離れるのか

遂に、小さなネットメディアも活動を制限される事になった。法令違反を理由に、メディアにまで尋問を繰り返すようになった。

拘束を恐れるメディアの中で、アランさんは違った。警察の前でも怯むことはなかった。

『人との間隔は1.5メートルを保っているのに、警察から「保っていない」と言われた。「あなたは今メディアの仕事をしていない」と言われて違反切符を切られました。』

教会に戻ると、アランさんに知らせが届いていた。香港警察から、集会禁止措置(違反)だ、過料の支払い命令を裁判官に申請します。過料額の合計は13000香港ドル(当時で約20万円)。もう一通あった。『私の発言を抑え込むつもりか』別件の容疑がかけられたら為、アランさんは出頭する事にした。

緊張してますか?

『していません。逮捕するならすればいい。』

アランさんは後日「公務執行妨害」の容疑で起訴されることが決まった。

拘留が決まっても、最後までゆるがなかった。

『有罪になる境界線が分からない。政府が一言「起訴する」と言えば、起訴ができてしまうのです。私はその時、記者をしていただけなんです。皆さん、何か悪いことが起きても怖がらないで。怖がると、彼らの罠にはまることになります。恐怖の連鎖は、私で止めて見せます。』


2021年10月1日 中華人民共和国 建国日


中国国歌(義勇軍行進曲)

起て!奴隷になりたくたい人々よ!

我らの血肉で、我らの新たな長城を築こう!

我ら民衆が心を一つにし

敵の砲火を冒して前進しよう!

前進!前進!


(街では中国国歌が歌われ)中国の国旗が至る所に在ります。向こうで誰かが国旗を降っていますね。子どもたちか国旗を振っています。思えば ちょっと前の国慶節(建国記念日)では街に人があふれて、中国に抗議をしていたけれども、誰も出歩きません。

声を上げる仲間も報道する仲間もいなくなった。

(警察署の前で報道のための撮影をおこなっていたのは)この日はボクひとりだった。訊問された。

自由を求めることは罪なのか

仲間の女性と、中島みゆきの「糸」を歌った。

僕にはもうどうすることも出来なかった。絶望というよりも居づらい。息苦しい。これ以上、何が言えるのかって、悩んだ時期もあって

光復香港

これが最後の落ちこぼれるところ 香港の(市街か一望できる港の公園で、変わらぬ香港の夜景を観ながら)ボクは決めた。ボクは香港を離れる。

2021年10月7日、空港へ向かっています。いい天気ですね、今日は。

いよいよ香港空港に着きました。これから香港を出ます。自由が失われていく香港を共に生きてきた仲間たち(見送りに来てくれた、お別れをした。)

(旅客機に乗り込んだ。)知り合いのカメラマンが、香港を離陸するまでは危険だと言っていたので、今まさに、その離陸する前の瞬間になってきてしまいました。

(離陸した旅客機の窓を覗き見)香港だ。かって自由の街と呼ばれていた香港なんだけど、雨だから、一瞬で見えなくなってしまいましたね。バイバイ香港

悲しい歴史が 起きるときには 雨が降る

この日ぐらいは、晴れで欲しかった。息苦しい日々は今日で終わり。

香港から9000キロメートル離れていて、ここまで来れば、もう安全でしょう。と云うことでいまから自己紹介致します。

改めまして、はじめまして、香港人報道カメラマン、カオルです。このままでは香港では出来る事は限られていると思って、香港を去ることを決意したんですけど。だからといって、香港人という身分(立場)を放棄したというわけではありません。香港を離れた後でも、香港人としてふるさとのために出来る事をしていきたいと、今この時間を借りて決意を表したいと思っています。

チェコ、プラハにて

こちらプラハの街の片隅に、なんと香港人がここで「私たちの場所」という支援場所を作りました。ボクは海外で暮らす香港人が、どう生きているのか、各地を訪ねて回った。

ジョン・レノンが亡くなった時に民衆が彼を悼んで作った落書きの壁で、「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ 時代の革命だ)の落書きもあります。香港では失われてしまった自由(自由な言論)がここにはあった。

なぜ守れなかったのか、どうすれば取り戻すことが出来るのか。

ボクはその答えを求めてウクライナに向かった。理不尽に自由が脅かされている現実は、他人事に思えなかった。自由のために戦い続けているウクライナの人々、その姿をまじかに取材して、一つの答えに辿り着いた。

『自由って闘わないと、手には入らないものだと改めて認識しました。自由って一人一人が主張しなければ、あっという間に無くなっちゃう。ウクライナに行って、こんな状況でも闘っている人たちの姿を見て、一人一人が無力じゃないこと、それを実感しました。香港も、まだまだ希望があるなって思いました。』

自由を求めることは罪。そんなことあるか

ウクライナの地で、ボクはあの曲を歌った


まだ怒りに震えるのか

頭を上げ 沈黙を破り 叫べ

自由を手に ここに集え

夜明けだ 取り戻せ 私たちの香港を

皆で正義のため 時代の革命を

どうか民主と自由が 永遠であれ

香港に 栄光あれ


夜明けだ 取り戻せ 私たちの香港を

皆で正義のため 時代の革命を

どうか民主と自由が 永遠であれ

香港に栄光あれ


ボクは今 自由です。


香港国家安全維持法(国安法)は

海外での活動や外国人も

取り締まりの対象となっている

これまでに逮捕されているのは約260名(2023年6月時点)


ボクには連絡を取りたい人がいた。拘留されたアランさん。香港にいないらしい。5ヶ月の刑期を終え、香港を離れていた。

アランさんからメッセージが届いた。

『心のストレスが、大きくなった。ある種の窒息する気分である。今は台湾にいる。ここで香港のために、何が出来るのか考えたい』 

2021年3月22日月曜日

エアガール

 広瀬すずさんが主演のエアガールを観ました。

まるで昭和の大スター原節子さんを彷彿する、戦後を自分の足で歩み始めた、大きな哀しみを抱えながらも、夢に一途な気品のある女性を、ほんとう、見事に演じられていました。大人の女優さんとして、これから大きく羽ばたかれるのだろうと実感しました。

そういえば、原節子さんも、この様な髪型でしたね。ヘップバーンカットでしょうか。本当に美しかったです。


2019年2月24日日曜日

「落ちこぼれる子供がひとりもいなくなるように、子供達が自信と明るさを取り戻すのを手伝う」、大島吾郎の物語

昨日の放送が最終回であったドラマ「みかづき」、良かったですね。
このドラマでは「学校は太陽で、塾は月」と表現していました。
太陽に育まれながらも、その強い光に堪えきれず、陰に身を潜めた子供たちを、月の優しい光で包み、もう一度、光の中に戻してあげられたら・・・
大島吾郎という人の念いは、「落ちこぼれる子供がひとりもいなくなるように、子供達が自信と明るさを取り戻すのを手伝う」ことであったように思います。

学校が、子供達の安心のよりどころとなって、また学ぶことにより自信と明るさが育つ場所であったなら、どんなに良いでしょう。
そして、それでもこぼれる子供を、専門的な知識と愛で、救う(大島流にいえば塾)が補完として機能すれば、すべての子供が救われるのではないかと想像します。

でも現実は、真逆の道を逆走していると感じます。
この四月から、子供達の小中学校通学時の携帯電話持ち込みが容認されるというニュースには愕然としました。
これまでは建前であったとしても持ち込みは禁止でした。
学校は、これまでは学校に携帯電話を持ち込まさないための責務を負っていました。でもこれからは、学校運営、学校生活に支障が無いように、携帯電話の使い方を指導する責務を負うことになります。そして急造で、「正しい携帯電話の使い方」が検討され、制定され、指導されることになるでしょう。
でも「正しい携帯電話の使い方」、もっと正確に言えば「正しい情報端末の使い方」なんてできるのでしょうか?
情報端末はどんどんと進化して、あらゆることが情報端末を介して可能になりつつある時代です。一方で、大人の世界がスマートフォンとSNSで、モラルハザードに陥っています。
現在の悩める学校に、それはさらに過酷さを押しつけることだと思います。

私は、学校教育と情報教育は、切り離すべきだと考えます。
学校は、教育を通じて人間を学び、個々の子供が自信と明るさと道徳を身につける場に特化すべきと考えます。そして、学校とは別に新たに情報技術を学ぶ学校の補完機関を作るべきと考えます。そこで情報技術を学び、また情報技術に溺れないためのトレーニングを学びます。

学校で使う情報技術は、教師の負担軽減にこそ活かすべきだと考えます。
今朝ふと見たがっちりマンデーという番組で、フランチャイズレストランの新たな取り組みが紹介されていました。精算は現金レス、すべて電子マネーで、従業員から金銭管理の負担を無くしていました。また調理は、セントラルキッチンで半調理された食品を、プロの料理人の調理手順を学習したAI型の電子レンジで完成させ、従業員は接客に特化するだけでよいようにシステム化されていました。
学校も、そうあるべきだと思います。
教師から事務や金銭管理の負担を取り除き、子供に向き合うことに特化できる職場環境にすべきです。

子供(だけではなく人間というもの)は、個人として認められること、そしてプラスに評価されることで、自信が育ちます。その自信が、一歩踏み出す勇気となります。またそれが教師への感謝や尊敬の念を生み出すのだと思います。
これこそ、社会が、学校が、一番大切にしなければならない事だと思います。

2017年11月6日月曜日

素敵なアシガール

ドラマや映画を見ていて感心するのは若い俳優さんたちの芸達者ぶりです。子役の役者さんでも、あまりの上手さに膝を打ちそうになったりします。でも中には「下手やなぁ、ようこんなんでテレビに出てるなぁ」と逆に感心する若いぽっと出の役者もいます。彼女はそんな一人でした・・・
NHK土曜時代劇ドラマ、「みをつくし料理帖」から始まって、次の「悦ちゃん~昭和駄目パパ物語~」でも女優陣(子役を含む)の芸達者ぶりがドラマを大いに盛り上げてくれましたが、新しく始まった「アシガール」の主役は、前述の彼女でした。黒島結菜ちゃんです。
しかしこの「アシガール」、毎週見続けるほどに黒川結菜ちゃん演じる速川唯/唯之介に目が離せなくなりました。一つには郷愁です。小中学生の時に見た少年ドラマシリーズを彷彿する素直で素敵なポジティブさが彼女から発散されているのです。そして彼女の演じている(ちゃんと演じられているのですが)ようには見えない、現代の女子高生がタイムトラベルで戦国時代に出かけている突拍子もないシチュエーションにも関わらず、マイペースであっけらかんしている様に惹かれてしまったのです。毎度毎度、若君の乗る馬の後ろをどこまでも走って付いていく姿には驚かされます。でも、参った、いちころにされたと思ったのは別のシーンでした。
それは何話の事だったでしょう。若君の寝所にどこかの姫が招かれたとき、嫉妬した唯之介がその姫を電気ショックで眠らせた上、姫に変装?して寝所に入り込んでしまいます。でも寝所に入ったはいいけれど、まさか布団に入ることもできずにもじもじしている唯之介に向かって若様が歌を所望すると・・・彼女は「おお牧場はみどり」を大きな声で歌い出します。
おお牧場はみどり~草の海、風が吹うく
おお牧場はみどり~よく茂ったものだ ホイ!
いやぁ、この「ホイ!」でいちころにされました。画面から流れるこんなにも溌剌とした歌声は、映画「耳をすませば」のカントリーロード以来でした。

そしてタイムトラベルは後一回限りとなりましたが、若君も男前ですね。事情を知った上で唯には真実を話さずに、「一度(現代に)帰って、また戻ってきて欲しい」と話していました。まだまだ一波乱ありそうな「アシガール」、今週の回も楽しみにしています。

2017年10月19日木曜日

こども哲学のすすめ

今日のおはよう朝日です「トレンドエクスプレス」は、「岩本アナ直撃!!今注目されている子ども哲学」でした。見たのは最後の方で、岩本アナがアトリエはちみつ堂さんが主宰する「輪になって考えてみよう」に参加して子どもたちと触れ合う様子でした。
主宰者は、子どもたちにいろんな事柄について、ゆっくり話してゆっくり聞くという時間を提供していたように思いました。でも岩本アナの最後のコメントは、考える力が育つというものでしたね。
番組では、p4c(phlisophy for children)という活動を紹介されていたようです。
ホームページを開いてみると、活動のコンセプトとして
・探求のコミュニティをつくる
・不思議だと思う心を大切にする
・安心して対話に参加できること
と書かれています。
http://p4c-japan.com/about_concept/

岩本さんが最後のコメントで言われた「考える力が育つ」というのはあくまでも副産物であって、それを目的にするのはどうかなと思います。
多分哲学とは、じっくりと考えること、その考える時を大切にすること、それを楽しむことなんだろうと思います。

じっくりと考えて
その考えを、他者に伝え
他者の考えを求めて
またじっくりと考える

岩本アナも「答はない」と話されていましたが、考えが深まるほどに、答というものは心の中で移り変わっていくものなのだろうと思います。
その答の移り変わりに、心の移り変わりに、自分自身が成長していると感じられたら、とても素敵なことだと思います。

2016年12月21日水曜日

「逃げるは恥だが役に立つ」、いや~面白かったです。

最終回も大詰め
神社の境内で、平匡君からのこの上ない一言「みくりさんを小賢しいと思ったことは一度も無い」に、人前であることも忘れて抱きついて「大好き」と小声で囁くみくりちゃん(こと新垣結衣ちゃん)に、いや~久々にキュンとときめいてしまいました。そしてなんとも羨ましい男平匡君(こと星野源さん)には羨ましさを通り越し嫉妬心さえ芽生えそうになりました。

TBS火曜ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」は、全話余すこと無く面白かったですね。
このドラマ、現代の家族観や恋愛観を、誇張することなくリアルにサラッと描いていました。そして主人公の二人、平匡さんとみくりちゃんに至っては、私達が普段使い分けている表に出す言葉と内なる心の、その内なる心で会話をしていたのが新鮮でした。
「自尊感情が低い」とか「小賢しい」という二人のネガティブな思考は、思い通りに進まない多くの私達現代人に共通する陥りやすい思考ですが、それを深刻にならずに、妄想という形で滑稽に描いていたのも好感が持てました。

そして二人はネガティブ思考を脱する術を見つけましたね。それは「素直になる」という事でした。
自分に素直になる
大切な相手に素直になる
そして、好きという気持ちを、駄目と思う気持ちを、
素直に伝える
という事でしたね。
ドラマとは思えない本当に素敵なカップルの誕生でした。末永いお幸せを祈っています。

ps.
典型的な草食系男子の平匡君が、みくりちゃんと一夜を過ごしてからすっかり好色になりましたね。男は女性を知ると生まれ変わるんですね。でもその好色振りがなんともおっかなびっくりで、親近感が湧きました。好演した星野源さんに親近感を湧きました。
星野源さんは、映画「箱入り息子の恋」(2013年作品)でも同じような草食系男子の初恋を演じていましたが、いや~ほんとにどこまで演技なのか分からないほど、ピッタリ役にハマる役者さんだと思います。
そしてヒロイン役の新垣結衣ちゃん、それこそ「私、失敗しないので」って言ってもいいぐらい、毎回見惚れてしまいます。いつかは大河ドラマのヒロインを演じられる日が来ることを楽しみにしています。(大河ドラマであれば一年間毎日観ることができますので・・・)

2016年7月13日水曜日

放送倫理が問われるドラマ、観ました。

昨夜、人気女優の波留さん主演のドラマが始まるというので眠い目をこすりながら観ました。そして、目が覚めました・・・違う意味でね。

超常現象による殺人?異常殺人、猟奇殺人を描くドラマで、こんな凄惨な場面を放送して良いのか?と疑問を覚えました。波留さん演じる主人公の女性刑事も、殺人事件に異常なほどに興味を持ち、同僚の女性警察官殺害現場に足を踏み入れても動揺することなく、まるで標本を眺めるように観察にのめり込むような異常者?でした。

映画にはレーティングがありますね。性描写や暴力描写、酒・タバコ・麻薬の表現等々を含めた映画が表現するものを全てを映倫が審査し、観る事のできる年齢の下限が決定されます。業界の自主規制です。表現の自由の暴走から、とくに子供の視聴者を遠ざける、守るための大事な処置だと思います。(ただ、これも不完全なものであるということも承知していますが・・・)
テレビにも放送倫理がありますが、いつもこれは放送した後で問題が問われます。放送事故というものを完全にシャットアウトすることは難しそうですが、でもドラマや台本のあるトークショーなどは内容を十分に吟味する事、また試写・試行などを行う事で、あらかじめ放送倫理に照らし合わせる事は十分に可能だと思います。
しかし、最近ではドラマだけではくニュースショーでも殺人の場面や死体を平気で流します。表現の自由の暴走として、強い憤りを覚えます。
テレビ放送は視聴者に年齢制限することなどできません。さらにネットと融合した番組視聴は何ひとつセーフティネットがありません。そのことを放送局や放送に携わる者、放送を文化とする人達は、しっかりと頭に置いて、視聴者を、そして放送文化を健全に守って欲しいと強く願います。

2015年11月22日日曜日

真昼の決闘

「真昼の決闘」といえば、昨夜の世にも奇妙な物語の中の1話「ハイヌーン」ですね。興奮しました。
和田アキ子扮するサラリーマンが、とある寂れた商店街にある食堂にふらりと入り、壁に貼られたメニューの料理を左から順番に食べ尽くすという、ただそれだけの話です。でも、その異様な可笑しさと対決が進むにつれて深まる緊張感、そして繰り返されるフードファイターと料理人とが交わす短いフレーズ
「○○、○○ください」
「あいよ」
が見事なギャグになっていました。

この話には、原作がありますね。タイトルはすっかり忘れましたが1970年後半から1980年代にかけて一世を風靡した漫画家江口寿史が描いたギャグ漫画の一話です。私にとっては赤塚不二夫が描いた天才バカボンの中の「ミイラの殿様」に並ぶ、抱腹絶倒なる最高傑作のギャグ漫画でした。
Googleで調べてみますと、その作品タイトルは「すすめ!!パイレーツ」の中の一話「史上最大の生中継」でした。
でもオチは違っていました。
漫画の方は、何十というメニューを食べ尽くした男がテレビのヒーローインタビューを受けた後、夕陽に向かって去って行く後ろ姿を見つめながら、店主がぼそっと「食い逃げだ・・・」と呟いて終わります。なんともシュールでゾッとするほど面白いオチでした。
でもドラマは全く違っていました。メニューを食べ尽くした男を街中の人々が祝福し、店主も感動的に男に握手を求めたその後、また最初のメニューを注文するところで終わります。ほんとにゾッとするほど奇妙な終わり方でした。
でもどちらも笑いで満腹にさせて貰いました。

2015年10月9日金曜日

「無痛~診える眼~」というドラマが始まりましたね

西島秀俊主演ということで、第1回を観ました。
冒頭、西島秀俊演ずる主人公為頼英介が、末期癌の患者を訪問診察している様子が描かれていました。長い癌との闘病の末、最後の一時は住み慣れた自宅で過ごしたいと希望する患者が兄と重なって、じんときました。

このドラマは、医療クライムサスペンスを描くドラマだということですが、今後のドラマの鍵はタイトルにもなっている「無痛」だと思われます。
近代の医療では、「痛みを和らげる」ことも一つの大きなテーマになっていると思います。
痛みはとても身近にあって苦しみを伴う感覚です。
少し皮膚がすりむけても、しばらくはじんじん痛む。
虫歯の痛みは、顔が腫れ上がるほどにじんじん痛む。
感染症で手足が腫れ上がれば、その痛みはまるで四方八方から針に刺され続ける様な痛みです。
身体を大怪我すれば、その痛みは炎に焼かれる様な痛みです。
でも、臓器が蝕まれていく痛みは経験した事がありません。ただ、これまで幾度となく辛い思いをしている人を間近に見て、想像する事はできます。
その痛みは、先に挙げた痛みを超えた最上級の痛みであり、それは止むことが無く、蝕まれゆく臓器の広がりとともに全身に広がります。そして、その痛みはやがて心も蝕んでもゆきます。けっして死ぬまで許されることのない痛みは、自らの尊厳さえ失わせ、生に無慈悲となり、死を乞う様にもなります。
ですから「痛みを和らげる」という医療行為は、身体を治療する以上に、自らの尊厳を失わせないためのとても大切な医療行為だと実感します。

私たちが気軽に使う歯痛や頭痛、胃痛で飲む薬も痛みを散らすという意味では麻薬の一種です。
モルヒネという名は、戦争映画などでよく耳にしますが、こちらは即効性の麻薬です。
終末医療で使われる麻薬は、それ以上に強い効力のある麻薬です。ほんの小さな紙片程度のパッチを皮膚に張るだけで、丸一日中とんでもない痛みを軽減し続けてくれるのです。
そんな強力な麻薬をもし健常者が使用すればどうなるか、一変に麻薬中毒に陥るばかりか、最悪一気に死に至らしめらることになるでしょう。
ですから麻薬は、厳格に管理しなければなりません。

そして「痛みを和らげる」の究極が「無痛」です。
現代の最先端生化学は、たぶんですが「痛み」のメカニズムをすべて解明し、しかも「痛み」を完全にブロックする、いわゆる「無痛」にする方法や手順を既に手中にしているものと思います。しかし、何かがクリアになっていないために公にできないのだと思います。それは「倫理」だと想像します。
あるドキュメンタリーで、アメリカ軍がある兵器を開発している様が映し出されました。
それは医療行為によって「痛み」をブロックされた人体兵士でした。
もしこの人体兵士が、身体の痛みどころか心の痛みまでブロックされていたとしたら、どうなるでしょう。それは、致命傷を負わない限り戦い続けることができる、まるで無感情なロボット兵士です。

「無痛」が万一も「無感情」を招くとしたらとても恐ろしく思います。
このドラマが追う恐怖も、この辺にあるのかなと想像します。

2015年9月26日土曜日

「まれ」、本物の家族への感謝

「まれ」最終週は、本当に感動しましたね。
希と圭太の結婚式の朝、桶作家で日々繰り返される日常風景の中で交わされた会話の温かさに、思わず涙が溢れました。
縁側で仕事道具を磨く元治さん、奧間で結婚式で使う漆器を準備する文さん、開かれた家屋の真ん中に位置するこれから結婚式の舞台となる家族の間に希ちゃんがそっと座り、
能登に来てからずっと支えてくれた元治さん文さんに「ありがとね」と話します。
すると文さんは手を止めて、
長い時間をかけてゆっくりとあなた達家族が本当に大切な人になってきたの、今では私たちの希望の光なの、「それだけ」と言葉にします。
その文さんの言葉と元治さんの愛情たっぷりのまなざしに、希ちゃんは、溢れ出る感謝と喜びの中で「大好きや」と小さく叫びました。
これまでも紛れもない家族であったものが、少しの遠慮から互いに言葉にできなかった「本当の家族への感謝」が、言葉となって交わされました。

家族、こんなにも素直に言葉で感謝が伝えられる家族、そうなりたい、そうでありたいと思います。

2015年8月12日水曜日

戦争の産物は、狂気しかない

戦後70年を迎えたこの夏、これまでまったく語られたことがなかった二つの史実に、NHKがドキュメンタリーで迫っていました。
そして二つの言葉、「慟哭」と「妄動」が心に深く刻まれました。

「ヒロシマ世界を変えたあの日」
欧米の学校では原爆投下を、「戦争終結のための必要悪だった」と教えられてきたと云います。ですが、今ドキュメンタリーで語られた史実は、全くの非人道的な目的と行為でありました。
三つの目的がありました。
①新型爆弾を実践使用することで、その破壊力と人体への継続的な影響観察を行う
②欧米列強に肩を並べるほどに力をつけたアジアの小国日本に罰を与える
③戦後、アメリカの最大の敵と見なすソ連へ抑止力を誇示する
特に①②は、時のアメリカ合衆国大統領ルーズベルトを筆頭とする人種差別論者による非人道的な目的遂行であり、ナチスドイツのユダヤ人殲滅行為に引けを取らないほど悪魔的な行為が続きます。
原爆投下の後、原爆の劫火と放射能を浴びた人々は、モルモットにされました。彼ら被爆者は適切な治療を受けることなく、死ぬまで経過を観察され、また成育の程度を観察され続けました。被爆者は人権を蹂躙され続けたのです。
そして被爆者は、ただ慟哭するしかできなかったのです。

「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」
本土防衛の最後の砦として、戦場と化した沖縄で、少年達が兵士としてゲリラ戦を戦わされたのです。今で云えば中学生から高校生の年齢となる少年達が、郷土を護るという名目の護郷隊に徴集され、陸軍のエリートから「10人殺したら死んでもいい」という苛烈な殺人訓練と洗脳教育を受けて、少年兵部隊としてアメリカ軍と交戦させられたのです。
後ろを向けば、陸軍のエリートに殺される。少年兵達は、陸軍エリートの命令に妄動するしか許されなかったのです。
そんな苛烈な場所から生き延びた、元少年兵が70年の時を経て告白されます。
敵が死のうが
味方が死のうが
友達が死のうが
自分が死のうが
悲しみ一つ感じない
少年達は、本来彼らを護るべき者達に、妄動の怪物に仕立て上げられたのです。
この様な少年兵の部隊は、日本各地でも編成されたと云います。
日本軍は、戦争末期において不足する兵力を補う為に義勇兵役法を公布して、少年も少女も戦争に参加できるようにしていたのです。
無垢な子供たちを妄動の怪物に仕立て上げようとしていたのです。

戦争の産物は、狂気しかない
そんな当たり前の事を、この夏あたらめて強く実感しました。

2015年6月26日金曜日

まれちゃんの中の怪物

石川県の方言がとても懐かしく、朝ドラ「まれ」を見ています。
今週のまれちゃん、二人の男友達への想いと気遣いが過ぎて、二人の女友達からあらぬ軽蔑を受けてしまいましたね。すっかり自己嫌悪に陥ったまれちゃんに掛ける言葉なんてなかなか見つからないだろうなと思っていますと、丁度横浜に出てきていた文さんが、含蓄のある言葉でまれちゃんを慰めてくれました。

「他人には言う必要は無いが、
人間誰しも、ここに(心の中に)汚いもんがあること、
自分だけは決して忘れてはいかん」

真面目で気遣いもできて何事にも一生懸命なまれちゃんであっても、その心の中に身勝手なもう一人のまれちゃんがいる。でもそれは誰しもが同じで、自分の心の中の汚いものをしっかりと見つめることができれば、好きな自分を見失うことはないよと、そう文さんはまれちゃんに伝えたかったんだろうなと思います。

この文さんの言葉を聞いて、ずいぶん昔に読んだ漫画を思い出しました。
浦沢尚樹さんの極上のスリラー「Monster」です。
”僕の中の怪物が大きくなっていく”
そして怪物は、僕を喰らい、回りにいる人間を喰らい、最後には世界を喰らい尽くして自殺を図ろうとする。
僕は、僕の中に怪物が潜んでいることを知っていた。
でもその怪物に注目するものがいた。
彼らは、僕の中の怪物を欲し、崇め、利用しようとした。
誰も、僕の中の怪物を許してはくれなかった。
天使の様な妹さえ許してはくれなかった。
そして、僕の中の怪物は手が付けられなくなった。
そんな物語であったと思います。

今の世の中、些細なことにでも怪物が現れて取り返しが付かない事件を引き起こします。恐ろしい時代となりましたが、
でも、怪物を暴れさせない方法はあります。
自分自身が、その存在に気付いて、怪物も自分であると受け入れ許して上げること。
また、誰かにその存在を認めて貰い、許してもらうこと。
でもそのためには、
軽薄で乾いた人間関係ではなく、
まれちゃんが育った能登の町にあった様な、
濃密で潤いのある人間関係が必要です。
私たちはまず、濃密で潤いのある人間関係を取り戻さなければいけないのだと思います。

まれちゃんには、それを証明するためにも、幸せになってほしいと願います。

2015年5月4日月曜日

花燃ゆは、何を描こうとしているのか?

花燃ゆは、何を描こうとしているのか?
この肝心要の部分がぼやけている様に思います。

第18回龍馬!登場では、松蔭(吉田寅次郞)が刑場の露と消えたことに落胆する文の前に坂本龍馬がふらりと現れる。そして、松蔭の遺志はいまや長州だけのものではなく、土佐はもとより全国の志ある者に引き継がれた。松蔭は自由を得たのだ、と話します。

何故に龍馬は長州に来たのか?龍馬は、土佐で実権を握りつつあった攘夷派の先兵武市半平太からの密使として久坂玄瑞に会いに来たのです。久坂は松蔭の一番弟子であった。武市は、その時既に日本中の攘夷派の旗頭となっていた松蔭の遺志に加わろうとしたのです。

松蔭の最後の言葉
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
にどれほどの攘夷派が血気盛んになったことか
それは勇猛というだけでなく恐ろしい狂気も生んだ
花燃ゆには、この時代の転換となった、この松蔭の言葉が抜け落ちてしまっていました。

花燃ゆは、連続ドラマでありながら、
一滴の水が、小さな水路となり、やがて大河を経て大海に通ずる
その一滴の水が何であるのかがぼやけている様に思います。
また、志という言葉が、さも一滴の水の如く何度も使われていますが、これも安売りに思え不快です。

花燃ゆ、このドラマの一滴の水は何か?
それは松蔭でも晋作でもない、まして龍馬でもない、と思います。
それは日本人のだれもが
日本を良くしたい、どうすれば良く出来るか考え、働きたい
という一念ではないかと思います。
それは今の日本に通じる思いです。
幕末から明治維新にかけて、当時の日本人は、その一滴の水から如何に大海へ流れ出たのか?そこを真っ正面から描いて欲しいと願います。

2015年4月19日日曜日

「花燃ゆ」の楽しみ方

大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率が、宜しくないようですね。
でも私は面白いと思うし、毎週欠かさず観ています。
そこで、私の「花燃ゆ」の楽しみ方、見所を書き記したいと思います。

私は日本史の中で特に江戸時代の終わり、名も無き若者達までもが新しい時代作りに奔走して命の火を燃えたぎらせた、この幕末という時代に一番の思い入れがあります。
この幕末という時代が、何故に私をわくわくさせるのか?
それは、身分や序列に関係なく、多くの日本人が
フロンティアスピリット
開拓精神に突き動かされて、夢を信じ、夢を実現させるために駆け出した時代であったからです。

その夢の一つである、日本の国のカタチを変えるという夢を信じ、その夢の実現の為に奔走した若者達を描こうとしているのが「花燃ゆ」です。
そしてこれまでの大河ドラマは、覆すことのできない時代というものの視点から、偉人達の活躍を眺めるというスタイルで描かれていましたが、
「花燃ゆ」は、名も無き若者の一人として共に時代に翻弄されながら成長していく主人公の視点で、後に偉人と呼ばれる事となる若者達の奮闘ぶりを見つめるというスタイルで描かれています。
私たち視聴者は、幕末という時代の出来事を主人公の活躍を通じて追随するのでは無く、これから始まる幕末の出来事を主人公と共に体験していく、これが「花燃ゆ」の見所です。

そして、第一話「人を結ぶ妹」が描いた様に、名も無き主人公の文を通じて、また文が見つめるところで、どんどんと人と人とが繋がっていく、これも「花燃ゆ」の見所です。
はじまりは、兄吉田寅次郞(松蔭)と後に文の夫となる小田村伊之助の出会いです。藩校明倫館で封建的な教授連を前して、「学ぶと云うこと」の情熱を共に堂々と弁じあい、この鮮烈な出会いによって、二人は腹心の友となりました。

二人が情熱的に弁じた「学ぶと云うこと」の本質は、温故知新です。
故きに留まるのでは無く、また新しき事に闇雲に飛び移るのでも無く、先人の知恵や教訓を大切にしながら、どんどんと新しい知識や考えを吸収して、もっともっと目を開き、社会が良くなるために国が良くなるために働ける者となる事です。
そんな魅力的な思想が在野の若者達を虜にし、彼らを志士や壮士に変貌させたのだと思います。そしてドラマでも、文が結びつける若者達が、志士や壮士に変貌していく有り様が描かれます。これもまた「花燃ゆ」の見所です。

そして登場人物は、現代の私たちの感性に近いキャラクターで描かれています。
主人公である実在の人物杉文を演じるのは井上真央さん。
彼女は、杉文の評伝など殆どない筈なのに、健気でありながら、松蔭をはじめとする松下村塾に集う硬派で純粋な若者と渡り合う合う事ができる杉文という真新しいキャラクターを見事に造形し、演じられています。
幕末動乱を引き起こした人物の一人である吉田松陰を演じるのは伊勢谷友介さん。
彼は、吉田松陰から連想する”純粋さ”、”丁寧さ”そして”狂おしさ”を、全身全霊で見事に演じきられていました。かの「龍馬伝」でも、高杉晋作の”狂おしさ”を見事に演じられていましたね。もう後一話で、早々と出番が無くなるのが残念です。
そして俳優達が、演じる人物に尊敬の念を抱きながら演じている事に気付きます。
これもまた「花燃ゆ」の見所です。

どうです、結構見所満載でしょ
この点をおさえて「花燃ゆ」とことん楽しみましょう。