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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年8月12日水曜日

戦争の産物は、狂気しかない

戦後70年を迎えたこの夏、これまでまったく語られたことがなかった二つの史実に、NHKがドキュメンタリーで迫っていました。
そして二つの言葉、「慟哭」と「妄動」が心に深く刻まれました。

「ヒロシマ世界を変えたあの日」
欧米の学校では原爆投下を、「戦争終結のための必要悪だった」と教えられてきたと云います。ですが、今ドキュメンタリーで語られた史実は、全くの非人道的な目的と行為でありました。
三つの目的がありました。
①新型爆弾を実践使用することで、その破壊力と人体への継続的な影響観察を行う
②欧米列強に肩を並べるほどに力をつけたアジアの小国日本に罰を与える
③戦後、アメリカの最大の敵と見なすソ連へ抑止力を誇示する
特に①②は、時のアメリカ合衆国大統領ルーズベルトを筆頭とする人種差別論者による非人道的な目的遂行であり、ナチスドイツのユダヤ人殲滅行為に引けを取らないほど悪魔的な行為が続きます。
原爆投下の後、原爆の劫火と放射能を浴びた人々は、モルモットにされました。彼ら被爆者は適切な治療を受けることなく、死ぬまで経過を観察され、また成育の程度を観察され続けました。被爆者は人権を蹂躙され続けたのです。
そして被爆者は、ただ慟哭するしかできなかったのです。

「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」
本土防衛の最後の砦として、戦場と化した沖縄で、少年達が兵士としてゲリラ戦を戦わされたのです。今で云えば中学生から高校生の年齢となる少年達が、郷土を護るという名目の護郷隊に徴集され、陸軍のエリートから「10人殺したら死んでもいい」という苛烈な殺人訓練と洗脳教育を受けて、少年兵部隊としてアメリカ軍と交戦させられたのです。
後ろを向けば、陸軍のエリートに殺される。少年兵達は、陸軍エリートの命令に妄動するしか許されなかったのです。
そんな苛烈な場所から生き延びた、元少年兵が70年の時を経て告白されます。
敵が死のうが
味方が死のうが
友達が死のうが
自分が死のうが
悲しみ一つ感じない
少年達は、本来彼らを護るべき者達に、妄動の怪物に仕立て上げられたのです。
この様な少年兵の部隊は、日本各地でも編成されたと云います。
日本軍は、戦争末期において不足する兵力を補う為に義勇兵役法を公布して、少年も少女も戦争に参加できるようにしていたのです。
無垢な子供たちを妄動の怪物に仕立て上げようとしていたのです。

戦争の産物は、狂気しかない
そんな当たり前の事を、この夏あたらめて強く実感しました。

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