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危険な世界

人類が作った最大のものは国家です。 国家の三要素は、 ・領域(一定に区画された領土、領水、領空) ・人民(恒久的に属する者) ・主権 です。 国家は、その誕生から長きに渡って君主による専制政治が行われてきました。君主が世襲で国家を統治し、国家のすべてが君主の所有物で...

2025年11月30日日曜日

神戸市立森林植物園の紅葉写真



ドキュメンタリー映画『私は憎まない』観賞

 林田町の教覚寺で開催された映画上映会に参加してきました。

上映された作品は、

2024年公開のドキュメンタリー映画『私は憎まない(原題:I Shall Not Hate)』(上映時間95分)と、昨年10月に日本での劇場公開に合わせて来日されたドキュメンタリーの主格であるガザ出身パレスチナ人医師イゼルディン・アブエライシュ博士の講演動画(35分)でした。

講演動画は、YouTubeで公開されていました。

動画タイトル:「声を上げてください。」「即時停戦をすることでこれ以上血が流れることのないように」イゼルディン・アブラエーシュ博士 来日講演

投稿者:ドキュメンタリー配給会社ユナイテッドピープル

https://www.youtube.com/watch?v=eupnzmlyTjo


ドキュメンタリー映画『私は憎まない』は、イゼルディン・アブエライシュ博士が2011年に出版された回想録『私は憎まない:ガザの医師が平和と人間の尊厳への道を歩んだ旅(I Shall Not Hate: A Gaza Doctor’s Journey on the Road to Peace and Human Dignity.)』を基にして、当事者のインタビューとアニメーションで表現された懐かしい思い出、そして辛い記憶を呼び覚ます記録映像、再び起こったガザの破壊の始まりまでが、時系列で辿られていました。

1955年にガザのジャバリア難民キャンプで生まれたアブエライシュさんは、貧困と戦争による死の危険を感じる中で過ごした少年時代を、家族(一族)を支えるために働きながら、この境遇から抜け出すためには知識を身に付けることだと悟り、勉学にも勤しみました。その努力が実り、彼は奨学金を得てカイロ大学に進学し医学を学び、その後ロンドン大学でも学んで産婦人科医の学位を取得しました。そしてガザで産婦人科医として働き始め、その後、縁あってパレスチナ人として初めてイスラエルの病院で産婦人科医として働く事になりました。そして数多くの出産に立ち会ったことで、新しく生まれてくる命には差別が無いことを実感し、パレスチナ人もイスラエル人も互いが協力すれば共存の道が必ず開けるという信念を抱くことになります。彼の周りには、その信念に共感するパレスチナ人、イスラエル人の友人、そしてもちろん家族がいたことも、その信念を固くすることに繋がったのだと思います。

彼はガザに一族が安心して住める共同住宅を建てました。そして勤めるイスラエルの病院へは、ガザからイスラエルの検問所を通って通い続けました。

しかし、彼にとって人生最悪の日が訪れます。2008年12月27日、再びイスラエル軍のガザ侵攻が始まりました。そして1月14日、彼の家の前に戦車が近づいてきました。彼はイスラエルテレビ局のニュースキャスターを務めるイスラエル人の友人に電話を掛けて、家が標的にされていることを告げ、軍の関係者に攻撃を中止するよう要請しました。友人の尽力によりその日、彼の家の前から戦車は引き揚げていきました。しかし、その二日後の2009年1月16日、家の中で家族の団らんを見守る彼の目の前の光景が、一発の砲撃で一瞬に地獄と化しました。三人の娘と一人の姪は、その砲撃でむざんに殺されました。二発目の砲撃で、別階に居る親族が多数殺されました。その他の家族や親族も大怪我を負いました。彼はニュースキャスターの友人に助けてほしいと電話を入れました。友人はニュース番組の放送の真っ最中でしたが、電話に出ました。彼のうめき声、悲痛な叫びが、電波に乗って世界中に報道されることになりました。

その後、友人の尽力によって彼と大怪我をした家族、死亡した家族はイスラエルの病院に運ばれました。

彼は、翌日メディアの取材を受けました。彼がメディアに訴えたのは、怒りや憎しみ、恨みではなく、共存の道を求め続けていくという決意でした。彼を知るイスラエルの友人たちでさえ、彼のこの発言や行動は理解を越えたものでした。この彼の発言が影響したのか、イスラエルはこの日、一方的に停戦を宣言して撤退を始め、三週間に及んだガザへの無差別攻撃は終結しました。

そして彼は、その後、彼の生き残った子供たちの快復を待ってから、彼を招聘したトロント大学で教鞭の仕事に就くために家族とともにカナダに移住しました。

イスラエル軍からは、娘たちを殺害した事に対する謝罪は一切ありませんでした。彼は、殺された娘たちに報いるために、イスラエルの裁判所に娘たちを殺した者たちを告訴しました。しかしそれは、2021年まで続く、長く不毛な戦いとなりました。裁判所は、彼と家族からの幾度となる告訴を、次のような理由を示して否決し続けました。

・イスラエル軍は、彼の家を砲撃していない。

・彼の家の屋上にハマスの狙撃手がいた。

・彼の家の砲弾の欠片を調べた結果、砲弾はハマスが砲撃したものであると判明。

・彼の家に爆発物が隠し置かれていたことが被害を大きくした。

すべて明らかな嘘でした。欧米のメディアもイスラエルの(独立系?)メディアも、そのように報道しました。しかし、最終的にはイスラエルの最高裁判所が、イスラエル軍に過失はないと、彼に最後通告を行いました。

それでも、彼と家族は、イスラエルを憎むという権利を行使することを拒否し続け、パレスチナとイスラエルの共存の実現を求める活動を続けています。

そして映画は、人生最悪の日の訪れる前、家族で訪れたガザのとても美しい浜辺で、娘たちが笑顔を振りまく家族の記録映像で終わりました。


続いて上映された講演動画では、非常に感銘を受けたメッセージがありました。

「私には勇気と知恵があります。前に進み続ける決意もあります。長い道のりだということは、わかっています。学んだことや知恵を総動員します。憎しみは禁物です。何故ならば憎しみは毒だからです。炎で心を破壊します。重さで動けなくなり、沈んでしまう。あちらは私が潰れるのを願っている。私は決して憎しみの病には侵されない。破滅し、敗北はしない。私の魂を敗北させることはできない。決してそうはさせない。」

ドキュメンタリー映画の中のあるシーンを思い出しました。

殺された娘たちに報いる裁判では、否決される度、メディアから何度も『恨みや憎しみ』について言及されますが、彼と彼の家族は、一貫して次のように答えていました。

「(誰かを)恨むことはありません。但、このように不毛な裁判を続けなければならない境遇を恨みます。」

このイゼルディン・アブエライシュ博士と彼の家族の、「私は憎まない」という並々ならぬ決意に触れて、私は仏教の始祖である釈迦尊者が弟子(比丘)たちに説かれたといわれる、ひとつの話を思い出しました。仏教学者ひろさちやさんの著書『般若心経 人生を生きやすくする知恵』の、『是故空中無色。無受想行識。』の解説文に書かれていた、次のような話です。

釈迦尊者が弟子たちに「誰もが、外界の刺激や印象を受けて、楽受を感じ、苦受を感じることは、等しく同じである。では、仏教の智慧を学ぼうとする人々と、まだ教えを聞かぬ人々とでは、どういう違いがあるだろうか。」と問い、次のように説かれました。

「教えを聞かぬ人々は、苦受を受けると、(更に)嘆き悲しんで、いよいよ混迷に至りる(楽受もしかり、更に欲が深くなり、いよいよ混迷に至る)。それは、第一の矢を受けて、更に第二の矢を受けるに似ている。しかし、既に智慧を学ぼうとする人々は、苦受を受けても、いたずらに嘆き悲しんで混迷に至ることはない。楽受もしかり。」ひろさちやさんは、更なる嘆き悲しみを自ら創造すること、更なる欲望を自ら創造することが、私たちを苦しみに陥れるのであって、このように第二第三の矢を自ら撃ち込まない、受けないようにすることが『般若心経』に通底する仏教の智慧であると述べられていました。イゼルディン・アブエライシュ博士と彼の家族は、この苦難ばかりの『平和と人間の尊厳への道を歩んだ旅』で、こんなにも徳の高い智慧を得られたのかと、私は感嘆に震える思いがしました。


私は10時の上映会に参加しました。記帳して本堂に入り、座席に着座すると、ひとりひとりに小盆に載せてお茶とお菓子を配って下さいました。パレスチナの特産物であるセージのハーブティーとデーツです、と説明して下さいました。

映画上映会は、娘さんが主催され、今回が第14回目の上映会ということでした。

https://www.instagram.com/p/DPrutjyk21V/?img_index=1

上映前に、娘さんから1948年のイスラエル建国で始まったパレスチナの人々のナクバ(今も続く大災厄)の歴史の説明がありました。

1.第二次世界大戦でドイツが敗戦し、ナチスのホロコーストから生き延びたユダヤ人でしたが、彼ら25万人を受け入れるヨーロッパの国はなく、戦勝国が中心となって新たに設立した国際的な安全保障を司る機関United Nations(日本語名称:国際連合)は、ユダヤ人問題とは無関係であるアラブ人や遊牧民が暮らすパレスチナの地に、ユダヤ人国家を建設することを決定した。追補:19世紀後半に起こったシオニズム運動(二千年近くヨーロッパで迫害を受け続けてきたユダヤ人が、パレスチナの地にユダヤ人国家を再建するということを目指した運動)を、英米それぞれが意図を持って支援し続けてきた。

2.建国される前、ユダヤ人入植者が購入したパレスチナの土地は全体の6%足らすであったが、国際連合が決定した分割案では、パレスチナの土地の半分以上がユダヤ人の国家イスラエルに割り当てられた。

3.この分割案が国際連合総会で議題とされる前に、この分割案を検証した特別委員会(アドホック委員会)は、「ユダヤ人難民問題は関係当事国が速やかに解決しないといけないが、関係の無いパレスチナ人(この地に居を構えるアラブ人や遊牧民)に代償を支払わせる形で、パレスチナの地にユダヤ人の国を創って解決しようというのは、政治的に不正である」と結論づけたが、この結論は無視され、分割案は可決された。

4.イスラエルの初代首相となったベングリオンは、建国当初のユダヤ人の人口比率が6割であることを『安定かつ強力なユダヤ国家にならない』と問題視し、イスラエルの領土にいるパレスチナ人(アラブ人や遊牧民)を可能な限り排除するという民族浄化という軍事行動を開始した。


10時の上映会には、ざっと見て40~50人の参加がありました。少年野球の子どもたちもコーチに引率されて参加していました。まだ小さなお子さんを連れてこられていたお母さんもいましたね。本堂の中は、とても和やかな雰囲気でした。

ただ、映画の中でワンカット、空爆によって路上で殺害された人々が映るシーンがありました。最近のフィクション映画やアニメーション映画が描く暴力は、リアルを超える惨たらしさが満載で、そのような映画を見慣れていれば、心的な影響に言及する必要などないかもしれませんが、私にとってはリアルな映像には、未だ配慮が必要なのではないかと考えてしまいました。

また、パレスチナの人々に連帯を示す方法として、イスラエルの商品の不買運動に言及する意見もありました。私は、この意見には反対です。私たちは、パレスチナ、イスラエルともに共存を願う人々に寄り添わなければいけないのだと思います。現在の日本には戦争に荷担する意志も経験もありません。日本が持っているのは、災害や戦争の傷跡を癒やし、復興するという意志と技術と経験です。それが大いに活躍できるのは、パレスチナでの戦禍が止まり、復興の道筋が着いてからです。今私たちが出来る事は、このパレスチナ問題の本質を理解し、双方ともに信頼される関係を築き維持していくことだと思います。

争いの渦中に巻き込まれ、どちらかに偏重しないことだと思います。