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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年3月13日木曜日

戯曲”Novecento. Un monologo”(邦題「海の上のピアニスト」)を読みました。

「何か良い物語があって、それを語る相手がいれば、人生捨てたもんじゃない…」

この素敵な文句がいきづく映画「海の上のピアニスト」に、最近すっかりはまっていますが、この映画の原作本を買い求め読みました。

イタリアの作家アレッサンドロ・バリッコさんが1994年に書かれた戯曲”Novecento. Un monologo”(邦題「海の上のピアニスト」、邦訳 草皆伸子さん)です。
イタリア語”Novecento”は、数字の900を意味するそうですが、もう一つ俗に「20世紀」という意味で使われる単語である様です。

戯曲「独白、ノヴェチェント」の前書きで、アレッサンドロ・バリッコさんは次の様に書かれています。
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わたしはこの作品を、俳優エウジェニオ・アッレグリと演出家ガブリエレ・ヴァチスのために書いた。かれらはこれを今年の七月、アスティ・フェスティヴァルで初演してくれた。それだけで、はたして「わたしは戯曲を書いた」という資格があるのかどうか。こうして本に出版されてみると、この作品は芝居と声に出して読むべき物語のちょうど中間にあるような気がする。蛇足ながら、このような作品がぴったりと収まるカテゴリーは存在しないと思う。いずれにせよ、わたしにはいい話に思えるのだ。語るだけの価値がある話に。そのうえ、この話が誰かに読んでもらえるとすれば、これに優る喜びはない。
1994年9月 A・B
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この物語は、本当に良い話です、そして語る価値のある話だと思います。
戯曲は、一人のトランペット吹きの独白で進みます。
映画を観ていて、特に気に入ったセリフや時に意味不明に思えるセリフがありましたが、すべては戯曲に書かれたセリフでありました。また映画で、三等乗客の談話室でピアノを弾くノヴェチェント(映画では1900)の演奏に、室内に漂う臭いニオイに鼻を押さえながらも聴き惚れる紳士の姿がありましたが、その紳士の素性も戯曲に書かれていました。

謎のレコードや、無垢な少女とのエピソードは、映画化される時に、新しく加えられたことを知りました。でもその脚色によって、映画のストーリーは、より奥深さと切なさが増しのだと思います。

船の上のピアニスト、ノヴェチェント(映画では、ナインティーン・ハンドレッド)は、はたして人間であったのでしょうか?私には、船の精霊、もしくはピアノに宿る精霊であった様に思います。ユーモラスでありながらも、とても神秘感の漂うノヴェチェント、あなたも是非、映画で、そして戯曲でノヴェチェントに会いに行かれては如何でしょうか。