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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2014年9月25日木曜日

花子とアン、今週が最終週となりましたね。

忙しい朝、もう朝ドラはいいか、と始まりの頃は見なかったのですが・・・
花子さんが甲府に戻り、小学校の先生になった辺りの回を見て、魅了され、それから欠かさず(ある時はビデオで観ました)観ています。

その回というのは、「想像の翼」の回です。
花子さんの教え子である一人の少女が、家の事情で奉公に出る事になり、学校を止めることになりました。その少女は、花子さんの少女のころにとてもよく似ていました。利発で好奇心旺盛で、そしてなにより読書が、物語が大好きだったのです。また家が貧しく、学校に行く余裕などないという家庭事情も似ていました。でも花子さんはおとうの勧めで優れた教育機会を得ることができました。しかしその少女にはそんな機会は与えられなかったのです。
花子さんは、その少女に創作した楽しい物語を語り聞かせ、夢を見ること、創造力を羽ばたかせること、そして希望を持ち続ける事を伝えて送り出します。それは少女への「想像の翼」という大切な贈り物となりました
・・・
という様なお話しであったと思います。
この回を観て、私は映画「二十四の瞳」のある場面を思い出しました。
小豆島で小学校の教師をしている大石先生の教え子の一人の少女が、修学旅行を前にして家の事情で急きょ学校を止め、奉公のため島を出て行ったのです。少女は、大石先生が女学校を出て先生になり、島の分教場ではじめて受け持つことになった12名の一年生の少年少女の一人です。六年近く、共に島の学校で過ごした大切な生徒であったのです。
修学旅行は、船で金比羅詣りでした。この金比羅宮の参道の茶店で偶然にも大石先生は少女と再会しました。少女は大人びた格好で忙しく店で働いていました。短い会話さえ許されず、大石先生は不憫に思いながらも少女と別れ、船に乗り込み港を離れます。少女は店の女将の目を盗み、一人港に走り、先生そして友達の乗る船を涙で見送ります・・・
今、この文面を書いているだけで涙が出るほど、とてもやるせない物語でした。

この「想像の翼」の回で、戦前の時代の緩やかな時間と、その中で繰り広げられる何気なくも新鮮に思える日常風景の暖かさ、そして切なさに魅了され、欠かさず観てきました。

この花子とアンが心地よいのは、
とてもゆったりとした静かな物語であること、そして美しい日本語が使われていることです。
美しい日本語は、上品さを醸しだします。戦時という動乱の時代の最中であっても、品位を崩さない姿勢が、悪しきものに動ぜぬ力となることを教えられた気がします。
そして美輪明宏さんのナレーションが、さらに物語に品位を添えられました。
毎回最後に告げられる「ごきげんよう、さようなら」という一言に、豊かに感情が込められていて、この一言を聞きたくて、見続けていたようにも思います。

妻が子供の頃に読んだという「赤毛のアン」を実家に行った時、探して持ち帰ってきました。箱には少し傷みがありますが、とてもしっかりと製本された美しい本です。
私は「赤毛のアン」は一度も読んだことがありません。
花子とアンで、この「赤毛のアン」が、どの様にして出版に至ったのかを知りました。
「赤毛のアン」、是非妻が持ち帰った本で、物語を楽しみたいと思います。

2014年9月24日水曜日

残酷が世の中を席巻しています

昨日の夜に速報されたニュースは、今朝具体的な事実を明らかにしました。
神戸で起きた事件です。深い憤りが胸を締めつけます。息苦しくなるほどの怒りです。
でも恐怖はありません。決して私たちは恐怖に陥ってはいけない、と思います。
恐怖は反撃を生み、規制を生む、ということを知っているからです。
日本の警察は、幾つかの不祥事が漏れ出て、叩かれることが多くなりましたが、それでも世界一の警察組織であると思います。市民に寄り添い、誠心誠意で働く警察官を私は知っているからです。
今回の事件も、警察は必ず事件を解決してくれると信じます。
そして私たち市民は、もっともっと隣人と助け合い、補い、互いを尊重できる関係を築かなければなりません。そして小さい者、弱き者をみんなで見守らなければいけない、そう思います。

しかし、かくも残酷が世の中を席巻していることが気掛かりでなりません。

2014年9月22日月曜日

54歳になりました。

家族がケーキとお酒を買って、祝ってくれました。
メールを開くと、学生時代の友人から、新人時代の同期から、またFacebookを通じて知り合った友人から、はたまた甥っ子から「おめでとうメール」が届いていました。
何もしてこなかった男ではありますが、
でも家族に恵まれ、友人に恵まれ、感謝の気持ちで一杯です。

家族は私以外誰も酒を飲まないので、今から一人ゆっくりと頂きたいと思います。