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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年9月25日木曜日

花子とアン、今週が最終週となりましたね。

忙しい朝、もう朝ドラはいいか、と始まりの頃は見なかったのですが・・・
花子さんが甲府に戻り、小学校の先生になった辺りの回を見て、魅了され、それから欠かさず(ある時はビデオで観ました)観ています。

その回というのは、「想像の翼」の回です。
花子さんの教え子である一人の少女が、家の事情で奉公に出る事になり、学校を止めることになりました。その少女は、花子さんの少女のころにとてもよく似ていました。利発で好奇心旺盛で、そしてなにより読書が、物語が大好きだったのです。また家が貧しく、学校に行く余裕などないという家庭事情も似ていました。でも花子さんはおとうの勧めで優れた教育機会を得ることができました。しかしその少女にはそんな機会は与えられなかったのです。
花子さんは、その少女に創作した楽しい物語を語り聞かせ、夢を見ること、創造力を羽ばたかせること、そして希望を持ち続ける事を伝えて送り出します。それは少女への「想像の翼」という大切な贈り物となりました
・・・
という様なお話しであったと思います。
この回を観て、私は映画「二十四の瞳」のある場面を思い出しました。
小豆島で小学校の教師をしている大石先生の教え子の一人の少女が、修学旅行を前にして家の事情で急きょ学校を止め、奉公のため島を出て行ったのです。少女は、大石先生が女学校を出て先生になり、島の分教場ではじめて受け持つことになった12名の一年生の少年少女の一人です。六年近く、共に島の学校で過ごした大切な生徒であったのです。
修学旅行は、船で金比羅詣りでした。この金比羅宮の参道の茶店で偶然にも大石先生は少女と再会しました。少女は大人びた格好で忙しく店で働いていました。短い会話さえ許されず、大石先生は不憫に思いながらも少女と別れ、船に乗り込み港を離れます。少女は店の女将の目を盗み、一人港に走り、先生そして友達の乗る船を涙で見送ります・・・
今、この文面を書いているだけで涙が出るほど、とてもやるせない物語でした。

この「想像の翼」の回で、戦前の時代の緩やかな時間と、その中で繰り広げられる何気なくも新鮮に思える日常風景の暖かさ、そして切なさに魅了され、欠かさず観てきました。

この花子とアンが心地よいのは、
とてもゆったりとした静かな物語であること、そして美しい日本語が使われていることです。
美しい日本語は、上品さを醸しだします。戦時という動乱の時代の最中であっても、品位を崩さない姿勢が、悪しきものに動ぜぬ力となることを教えられた気がします。
そして美輪明宏さんのナレーションが、さらに物語に品位を添えられました。
毎回最後に告げられる「ごきげんよう、さようなら」という一言に、豊かに感情が込められていて、この一言を聞きたくて、見続けていたようにも思います。

妻が子供の頃に読んだという「赤毛のアン」を実家に行った時、探して持ち帰ってきました。箱には少し傷みがありますが、とてもしっかりと製本された美しい本です。
私は「赤毛のアン」は一度も読んだことがありません。
花子とアンで、この「赤毛のアン」が、どの様にして出版に至ったのかを知りました。
「赤毛のアン」、是非妻が持ち帰った本で、物語を楽しみたいと思います。

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