播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2023年12月31日日曜日

苦痛の淵

 この年の終わりに、ウクライナ人のNHKディレクター、ノヴィッカ・カテリーナさんが制作したセルフドキュメンタリー「私の故郷 ウクライナ」を観ました。

昨年二月にロシアが祖国ウクライナに軍事侵攻を始めてから二回目の秋、今年10月にウクライナに一時帰国し、5年振りに再会した両親や友人、そしてキーウの街角で出会った人々との会話、抱擁を通して、市井の人々の戦争への思い(それは苦痛以外の何ものでも無い)、そして今抱く夢を取材した内容でした。

私は、カテリーナさんが取材した二人の女性の、暗く沈んだ瞳に釘付けになりました。

ひとりは、キーウの街角、これまでの戦闘で戦士した兵士一人一人の写真が飾られた追悼の壁に花を手向けていた若い女性です。彼女の夫はこの壁に写真が飾られていました。

もうひとりの女性は、カテリーナさんの男子同級生のお母さんです。あまり目立つタイプではなった同級生は、自ら祖国を守る戦いに志願し、そしてカテリーナさんが帰国中に戦死し27歳の生涯を閉じました。

二人の女性の暗く沈んだ瞳が見ているものは、夢も、希望も、そして愛しい記憶も、すべて奪われた女性の魂が、沈み堕ちた苦痛の淵の景色、真っ暗な闇なのだと思いました。


ひとりが殺されたら、その人を愛したすべての人、家族、兄弟、連れ合い、子供、友人、恋人が、この女性と同じように、魂が苦痛の淵に沈み堕ち、囚われてしまうのだと思います。ひとりが殺されたら、その数倍の魂が、数十倍の魂が、囚われてしまうのだと思います。

そして、止む事のない苦痛に苛まれ続けた魂は、やがて憎しみの業火に包まれて、憎むべき者を道連れにして焼き滅んでしまうのだと思います。

その不条理な滅びを食い止める為にも、私たちは、この戦争を終わらせる事に積極的に関わり、全身全霊で取り組まなければいけないのだと思います。


私たち人類は、長らく欲望や憎しみの解決手段として戦争をし続けてきました。殺す事、差別する事、奪い取る事が、人間の本性の進歩であると考えていたのです。それは全くの間違いでした。本当の進歩は、人権を守る事、寛容である事、分け合う事、そして連帯する事であると近代になってようやく気付きを得ました。そしてそれからの数世紀で、私たち人類は飛躍的に文明を進歩させて来ました。

しかし、独占する事、奪う事、差別する事でしか欲望を満たせない者が廃れる事はありませんでした。そういう者が、再び力を得て、暴力で主張を誇示する様になってきました。

彼ら力の信奉者は、他人の命の尊さなど露ほどにも思わないでしょう。

私たちは、そういう暗黒面に引きずり込む暴力には屈してはいけないのです。屈してしまえば、私たちは遅かれ早かれ滅んでしまうでしょう。

私たちは生きなければならないのです。そうしなければ私たちの子供や孫に希望のある未来を残す事が出来なくなってしまいます。


2023年12月25日月曜日

日本を今一度、洗濯いたし候《議員篇》

 日本は、第二次世界大戦後にアメリカの指導の下、民主主義国家に生まれ変わった。と、子供の頃に学校で学び、つい最近までそれを信じて疑いませんでした。

国制における民主主義とは、公民権を持つ国民は誰でも選挙に立ち、国の政治に携わる事が出来る、という制度で、選ばれた議員の議席の重みは、年齢や議員年数に関係なく、平等であるという事、そして議員は国民の今、そして未来の幸福実現のために、公僕として働くことを使命とする、という事をです。


公僕とは、公衆に奉仕する者のことであり、「公」の字は、「社会一般や民衆全般に関わること」を意味し、公平や反利己などの倫理的・原理的な意味を現す漢字です。


それが今では、議員の云えば金にまつわる醜聞ばかりです。私たち国民は、当の議員によって、そしてマスコミによって、議員活動には金が掛かる、選挙には金が掛かる、政治活動には金が掛かるとすり込まれ、金が掛かるのはやむを得ない事と納得させられ続けてきました。しかし、それがそもそも偽りであったのだと思います。


まず選挙には金が掛かるという話ですが、衆議院や参議院の国制選挙を行う場合、選挙運営費だけで毎回500億円を優に超えると云われます。その費用の半分は人件費だと云われます。そして立候補者は、数千万を掛けて戦うのだと云われます。参議院選挙の場合は6000万円を超えるとも云われます。その内訳の中に供託金というものがあります。売名行為や泡沫候補を排除するために、一定数の票を獲得できなければ国に没収される金です。小選挙区への立候補ならば300万円、比例区の名簿単独登載者なら600万円、比例で小選挙区重複立候補ならば300万円(合計で600万円)という具合です。

でも、供託金でこんなにぼったくられるのは日本だけです。

OECD加盟国38カ国のうち、供託金鮮度が確認されるのは13カ国だと云われます。その内の

イギリスの供託金は、500ポンド≒9万円

韓国、比例区は、500万ウォン≒55万円

そして、フランスとカナダは、廃止されています。


自分が描く政治をやりたいと衆議院議員に立候補し、初当選しても、解散権が政争に使われ、首相の一存でいつ解散させられるか分からず腰を据えて議員活動、政治活動に身を入れることが出来ません。それで4年の任期を待たずに早々に解散されて、再び選挙となれば、再び高額な選挙費用が必要となり、次も議員でいたければ、少なくとも今の議員の身分で次の選挙資金を作らねばなりません。こうなれば、選挙で当選する事は、次の選挙に勝つ為に資金作りをする事という、本末転倒の有り様を呈してきます。

そして派閥政治の横行は、派閥の領袖に取り入れば、潤沢な裏金が与えられ、比例区名簿の先頭に名前が載れば、一銭の銭を使わなくても誰でも議員になれてしまう。

それが今の、日本政治の有り様です。


船中八策ではないですが、私が願う政治改革はこうです。

一、衆議院の解散を認めず、一期4年を全うする。

一、議員の歳費を、特別公務員給与と改め、すべて議員所得とする。

一、議員活動費は、別途公費として支給する。費用にはすべて確証を必要とする。不使用の活動費は期末に返納する。

一、年度末、任期末に、議員毎に一冊の活動報告書と会計報告書の提出を義務付ける。これらはすべて国民の誰もが閲覧できる事とする。

一、議員秘書は、議院に実務ができる人員を配置し、当選時に議員に配置する。秘書は、議員活動を補佐する者であり、特別公務員として対等の立場とする。

一、選挙の被選挙権は18歳以上に与え、供託金制度を廃止して、誰もが自分の意志を持って選挙に立候補できる。

一、議員の不正は、重く処断される。

一、議員は憲法の遵守を誓う。


議員は、仕事を持つ人が休職して、立てる程度に敷居を低くしなければならないと思います。気づいた人、志を持った人、やる気のある人が、一期4年議員活動を行う様にするのです。議員同士のもたれ合いなれ合いなどくそ食らえです。

金に色はありません。ですから、入りは所得か経費か最初から分けておく。議員報酬を明確にしておくのです。そして出も明確にする。

これを嫌がる人は、議員にならなければいいのです。


2023年12月24日日曜日

ほんとうのイエスの話をしよう

 紀元4世紀頃に、古代から様々な場所で太陽の復活を祝う冬至の日(12月25日)をキリストの降誕日と定め、以後、キリスト教教会でこの日にキリストの降誕祭を祝う様になったと伝えられています。そして今日は12月24日、日が沈むとクリスマス(キリスト降誕祭)です。昔の暦では日の入りが一日の終わりで、新しい一日は夕べに始まりました。それがクリスマスの夕べ、クリスマス・イブニング、キリスト降誕祭の始まりです。


イエスは、歴史上で実在した人物と云われますが、その足跡を辿るものは聖書の福音書の他には伝承の類いしか無いようです。

現在のイスラエル国の北部、ガラリア湖の西方の街ナザレで、紀元前6年から紀元前4年頃に、ユダヤ民族の神ヤハウェへの敬虔な信仰を持つ大工のヨセフとマリアの一人子としてイエスは誕生し成長します。そして青年となったイエスは、父と同じ大工を生業としながら、信仰の伝道者としてガラリア湖周辺で活動を始めます。

イエスが生きた時代は、暴君ヘロデ王が興した古代ユダヤ王国の最後の王朝の時代でした。すでに地中海周辺はローマ帝国の支配下にあり、ユダヤの地もローマの支配下にありました。ヘロデはローマ皇帝に許しを請い、この地に自らの王朝を興したのです。

最後のユダヤ王朝の時代は、暴力と不正が蔓延る時代であった様です。王の一族や法学者などが権威を振りかざし、神聖であるはずの会堂は、賄賂の蔓延る市場と化していました。

この様な恥ずかしき政治や信仰活動に異を唱え、戒律に絶対を求める原理主義者や、正当なユダヤ王国の復権を唱えて暴力に訴える者も現れました。イエスも体制に抗うひとりとして現れました。しかし、イエスが望んだ活動は、この時代において、虐げられた人々、貧しき人々、身を売る女性たち、苦しみ嘆く人々にこそ、神の祝福が与えられる事を伝導する事であったのです。姦淫の罪で罰せられようとした女性を弁護したり、癩病患者や梅毒患者を親身に看病したり、会堂で行われる不正を暴いたり、イエスは信仰を糧に、現在で例えれば、社会をよくするために危険を顧みない非暴力の社会活動に従事しました。そんなイエスの活動は、遙か昔に高名な預言者が記したユダヤ民族の救世主像そのものでした。

預言のユダヤ王が現れた事は、権威を我が物とする人々にとって、不都合極まりない事でした。その為、彼らはイエスの活動に難癖を付けてイエスを貶める事に躍起になりますが、それでもイエスがくじかれる事はありませんでした。そして遂に彼らは、イエスを『権威に刃向かう者』、乗じて『ローマ帝国の権威に歯向かう反逆者』として総督に訴えます。

総督はイエスに罪があると認める事が出来ませんでしたが、ユダヤの権威者の訴えを聞き入れて、遂にイエスは最も厳しい刑罰である十字架の磔刑に処され殺されました。紀元30年頃の出来事です。


その後すぐ、ユダヤ王国では、ローマからの独立運動が盛んになり、遂に紀元66年頃にこの地を賭けたユダヤ戦争が起こります。そして70年近くに渡る戦争の末にユダヤ民族は敗北し、エルサレムから追放されます。それはユダヤ民族の以後二千年にわたる離散、苦難の始まりとなりました。


その後の世界を支配することになったキリスト教徒から疎まれ、蔑まれ、抑圧され、人権の概念が西洋社会に浸透する近代まで人扱いされる事のなかったユダヤ民族は、遂に20世紀に入り、ヒトラーの政治によって絶滅する民族として標的にされます。この絶滅政策(ホロコースト)によって、ほんの数年の間に600万人のヨーロッパのユダヤ人が虐殺されました。そういう筆舌に尽くし難い苦難、苦痛、艱難の末に、現在のイスラエル国は誕生しました。イスラエルはアメリカ、イギリスという第二次世界大戦後の世界の指導国となった国連常任理事国の二ヵ国の後ろ盾があって今日に至っています。


ユダヤ民族が追放された二千年の間に、ユダヤの地には様々な民族が流れ着いては定住し、また離れては新しい民族が流れ込んでは定住するという事が繰り返されてきました。そしてヨーロッパがこの地を植民地として侵略する以前までは、様々な民族が、様々な出自を持つ人々が、様々な宗教を抱く人々が、穏やかに共に暮らしていたといいます。そこには現在のパレスチナ民族もユダヤ民族も、その他のイスラム教信徒も、キリスト教信徒も、もしかしたら土着の宗教の信徒もいたことだと思います。

もしかしたら、その時代こそが、イエスが望んでいた社会であったのではないかと想像します。


今、その地は、軍事力と経済力を持つイスラエルが、パレスチナ民族の自治区に攻め入り、パレスチナの抵抗できない人々、病人、老人、女性、子供、妊婦、新生児、障害者を、テロリストと一色単にして、象が蟻の集団を踏み潰すように殺しています。イスラエルが本格的な戦闘を開始して一ヶ月あまりで二万人のパレスチナ人が殺されました。この中の八千人は子供です。この殺戮行為は、イスラエルが止めない限り、続きます。この惨劇を、アメリカをはじめヨーロッパが黙認している限り終わる事はありません。


マタイによる福音書の二章に、ヘロデ王の幼児虐殺のエピソードが記されています。

ユダヤの真の王がベツレヘムで誕生するという預言を占星術師から伝えられたヘロデ王が、ベツレヘムとその周辺で生まれた二歳以下の幼児を皆殺しにしたというエピソードです。ヨセフとマリアは主が使わされた使いの警告に従い、幼子イエスの命を守りました。

子供は私たち人類の未来の希望であり、救世主となりえる存在です。子供たちを、その親を殺す事は、二千年前の悪夢を再び甦られる事に繋がりかねません。


この戦争、そしてロシアによるウクライナ侵略戦争も同様です。その他、あらゆる戦争、殺戮行為も同様です。子供や女性、か弱き人を虐待し、蹂躙し、いじめという暴力も同様です。欺す、偽る事も同様です。誹謗中傷も同様です。

即時、中止にしなければなりません。

そうしなければ、きっと主の天罰が、ロシアに、イスラエルに、そして私たち人類に下されるかもしれません。

そうならないためにも、クリスマスに、私たちは誓わねばなりません。

2023年12月16日土曜日

日本のクリスマス

午前中、近くの小学校で町が主催のクリスマス会があり、家までクリスマスソングが聞こえてきました。クリスマスソングで歌われるのは、主イエスを戴く喜びであったり、サンタクロースを待つ時間の楽しさです。真冬の到来の中で、このひととき、心が和み幸福感に包まれます。日本人のほとんどはノンクリスチャンですが、たぶん、このひとときの幸福感を味わいたいがため、クリスマスを祝うのだと思います。 

2023年12月10日日曜日

赤から青へ

 この数日、明け方目が覚めると、スマホに手を伸ばし、スポーツニュースをチェックしてました。そして今朝、その日が来ました。FAの大谷翔平選手のこれからの移籍チームが決まりました。10年7億ドルでドジャースと契約、こちらもあまりに漫画過ぎてもう驚きもありません。

大谷選手がSNSで発信したメッセージが人柄を現していましたね。

https://www.instagram.com/p/C0pR_vyvLpR/?hl=ja

最初に、これまでの6年間所属したエンジェルスへの、そしてエンジェルスファンへの感謝がありました。そしてこれから所属するドジャースファンへ、チームのために全力を尽くす事、最高の選手であるために全力を尽くす事を約束しました。そしてドジャースのために、野球界全体のために努力をし続けると約束しました。

もうなにも言うことはありません。最上です。

来年のシーズンは、真新しい青の野球帽を被り、まずは異次元の打撃と走塁で魅了してください。そして、ドジャースの黄金期の扉を開いてください。

そしてそして再来年には、再び二刀流で前代未聞の活躍を楽しみにしています。

2023年11月29日水曜日

Progressive Education Reform(進歩的教育改革)のすすめ

 「私たちの社会には、様々なスキルを持つ多種多様な人々がいます。だからこそ、全ての人の価値を認める経済を目指すことが求められるのです。

仕事の賃金が低い事は、決してその重要性の低さを意味しませんね。私にとって重要な帰結の1つが、公共部門について考える事です。

教師や看護師などの賃金を決めるのは市場ではありません。社会の集団意志決定に委ねられています。

考えてみて下さい。私たちは何を大切に思いますか?自らの子どもたちです。親たちです。彼らが大切ならば、彼らの面倒を見る人々にお金を払うべきです。労働に見合う賃金をね。

そのために税金を上げなければなりません。ですがそれでもいいのです。何故なら、子どもや親をケアする事は、人生で最も大切な事だからです。」

BS1教養ドキュメンタリー「2023夏 特別編 スティグリッツからの挑戦状」の第4章「錯綜する欲望の中で」で、経済学者ジョセフ・スティグリッツ氏がProgressive Capitalism(進歩的資本主義)のビジョンとして語った言葉です。


しかし、日本は真逆の政策が推し進められています。

2022年度において、日本の労働人口の36.9%が非正規雇用労働者となっています。

そして2021年分民間給与実態統計調査によると正規雇用労働者の平均給与が508万円、非正規労働者の平均給与が198万円で、正規雇用の給与が1とすると非正規雇用の給与は2.56分の1です。

厚生労働省「非正規雇用の現状と課題」の1頁

https://www.mhlw.go.jp/content/001078285.pdf

令和3年分 民間給与実態統計調査

https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan/gaiyou/2021.htm


私たち日本人の未来である子供たち、その子供たちの保育や教育に従事する保育士や教員も例外ではありません。

保育士の非正規(契約社員、パート、アルバイト、派遣等)の割合は、2011年と12年前のデータとなりますが、公立保育園では平均53.5%、私立保育園では平均38.9%となっています。そして2020年、こども家庭庁は待機児童解消のために「新子育て安心プラン」を発表しましたが、そこに「各クラス常勤保育士1名という規制を緩和して2名の短時間保育士で可とする」を加えました。つまり正規職員でなければならないとしたクラス運営を非正規職員のみでおこなってよいとしたのです。これは柔軟な規制緩和と呼べるでしょうか?

また公立学校教員の非正規の割合は、2020年は17.0%となっていて、数年後には20%を突破してもおかしくない状況です。

厚生労働省「保育士等に関する関係資料」の19頁

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/s.1_3.pdf

東洋経済ONLINE:文科省が蓋をする「教師の非正規率」の衝撃実態

https://toyokeizai.net/articles/-/596089?page=2


近年、保育所、こども園、学校、特別支援学校、学童等で保育士や教員による児童への、また同じ保育士や教員への犯罪行為(いじめ、暴力、性暴力)がクローズアップされるようになりました。

また、子供を預ける親として、私や私たち世代が抱いていた保育士や教員への憧れや信頼、尊敬というものは、今の社会を見るとすっかり失われてしまった様に思います。

そして、子供の不登校問題です。不登校の割合を政府統計で見ると

小学校:2010年度 0.32%→2022年度 1.70% 

中学校:2010年度 2.73%→2022年度 5.98%

高等学校:2004年度 1.82%→2022年度 2.04%

※さらに不登校を含む長期欠席者の割合は

小学校:2010年度 0.75%→2022年度 3.17% 

中学校:2010年度 3.49%→2022年度 8.13%

高等学校:2004年度 2.97%→2022年度 4.14%

となってます。

日本の不登校問題

https://drive.google.com/file/d/19HtqbB5CZq6g7hgkrjeaPhM_al2EHY_e/view?usp=sharing


学校とは、そこに集う子供たちが安心して過ごし、将来何ものかになるために必要な知識や技術を学び、志を募らせて成長する場所でなければなりません。

でも現在は、時の政府と文部科学省が決めた教化内容に沿った成績至上主義が学校を覆い、子供たち、その親、そして保育士や教員までもが、成績至上主義(あわせて効率至上主義)に振り回され、責付かれ、追い回されて、緊張と不安と不満に始終身を置かざる得ない状況に追い詰められています。

また子供は身勝手極まりない生き物(ほとんどの子供は生まれてから自我が芽生える頃まで、親や家族の寵愛を一身に受けて育つものだからです。そしてコミュニケーションがまだ不慣れな為に、泣き叫ぶなどの自己主張をしなければなりません。)です。ですから、まず社会性、協調性、寛容性、道徳性、礼節を訓練して身につけねばなりません。強制ではないにしてもその必要性は理解させなければなりません。これも集団生活の始まりである保育園や学校の役割だと思います。そのためには保育士や教員には指導する権限と義務と責任が必要です。それを社会が認めなければなりません。それを蔑ろにすれば、子供や親、保育士、教員は、日々の苛立ちの捌け口として、他の子供や親、そして同僚の保育士、教員からいじめや暴力の対象にされてしまいます。

これらが現在の学校を取り巻く実情ではないかと推察します。


現状、クローズアップされる問題に対して、現場の声、保育士や教員の声があまりにも届かなすぎるとも思います。それは何故か?

一番の理由は、理想を高くして保育士や教員となった高尚な心構えを持つ人ほど、現実とのギャップに苦しみながら、それでも他の人も頑張っているから、不平を言えば他の人に迷惑を掛けるから、自分が我慢すれば、と思い込んでしまうからだと思います。


「文部科学省がフリースクールを認めた事に愕然としている」と発言して大いにマスコミからバッシングを受けた市長がいましたね。マスコミは大バッシングして市長の声を封じ込めましたが、本来ならば、マスコミは真摯にこの市長に向き合い、発言の意図、真意を問うて、それを冷静に報道すべきだったと思います。

フリースクールが必要な子供はいるでしょう。でもフリースクールでどれだけの子供が救済されているのでしょうか?フリースクールの後、子供たちはどの様な道が用意されているのでしょう?一握りの篤志家に不登校の問題の解決を委ねようとするのはやはり国策の怠慢だと思います。そしてフリースクールは有料です。憲法第26条第二項「すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。」に抵触するのではないかと思います。


私は、経済学者ジョセフ・スティグリッツ氏が語ったように、私たちの意思決定として、私たち日本人の子供たち(あわせて日本に定住する外国籍の子供たちも含めて)の保育と教育に従事する、そして私たちの子供たちを大切に扱ってくれる保育士や教員に、社会的地位を与え、指導と義務と責任を与え、その地位と職務に十分に見合う給与を与えなければなりません。そして事業に長く就き、成長と責務を担える正規職員でなければなりません。時の政府や文部科学省の押しつけではなく、保育士や教員の一人一人が教育者として、研究し、実践し、成果を上げる職場環境にしなければなりません。そして目指すは、子供たち一人一人がそれぞれの志を育み、目指すところに歩めるための教育指導者とならなければなりません。


制度が変われば、環境が変わる、環境が変われば意識が変わる。

保育士も教員も、遣り甲斐で成長し、責任で常に身を正せる事でしょうし、

子供も親も、こんな保育士や教員なら、安心して身を預ける事ができるでしょう。


この転換を行わなければ、いっそう、貧しく、無気力、無関心、そして心が荒み、身勝手極まりない日本人が巷に溢れて、早晩、日本は沈没してしまう事でしょう。

2023年11月19日日曜日

祝 アリーグMVP

 大谷翔平選手が、二度目の満票によるMVPを獲得しましたね。

授賞式で画面に登場した大谷翔平選手、前回とは異なり、シックな部屋の中でゆったりとソファーに座り、愛犬と戯れながらの受賞でした。

春のWBCの大活躍から始まり、前人未踏の二年連続10勝以上10ホームラン以上を達成し、8月後半に過酷な二刀流の疲労から右肘と脇腹を故障して、ゲームへの出場が叶わなくなるまで、偉大な全力プレーを私たち全世界の野球ファンに見せ続けてくれました。

本当に魅了されました。本当に現代の生きるスーパーヒーローだと思います。

肘の手術の影響で、来年は投手としての活躍が見られそうにないですが、きっと再来年2025年には二刀流として華々しく復活し、私たちの度肝を抜く活躍を見せてくれると信じています。

そしてFA権を行使されたこの冬の始まり、どこのチームと契約されるのでしょうか。それも大いに楽しみであります。私の勝手な希望ですが、大谷翔平選手を通してずっと応援してきたエンジェルスと再び契約し、フランチャイズ・プレーヤーとなって期待の持てる若い選手を牽引して、エンジェルスをポストチーズンに導き、ワールドシリーズで大活躍し、優勝とMVPを勝ち取ってもらえたらこの上ない悦びです。ただそのためにはエンジェルスが、大谷翔平選手と本気でポストシーズンを目指す意志と行動を示すチームに変貌しなければなりません。オーナーと球団経営陣は、この冬にFA市場に出て来た本物の実力を持つ選手を金に糸目を付けないで、投手を二人、打者を二人獲得すると同時に、若手選手もしっかりと育成し、チーム力の底上げを図る事を実行しなければなりません。この本気を見せなければ、大谷翔平選手はエンジェルスに別れを告げると思います。それは当然、致し方ありません。

詰まるところ、来年も大谷翔平選手が活躍し、彼の活躍に本気で応えてくれるチームでポストシーズンを目指し、あわよくばワールドシリーズに出場して優勝する。そんな夢を最後まで見続けてゲーム観戦ができれば私は幸せです。

地球が静止する日

 1951年(昭和26年)に、アメリカで映画「地球が静止する日 原題:The Day the Earth Stood Still」が制作され、世界に向けて公開されました。


1939年9月に始まった第二次世界大戦は、人類史上最悪の6千万とも8千万ともいわれる犠牲者(軍人:2200万~2500万、民間人:3800万~5500万)を出し、1945年9月に連合国軍(United Nations)の勝利で終戦を迎えました。そして10月、連合国が中核となって地球の平和と安全を管理するための国際連合(United Nations)を設立しました。

しかし、人類は平和への道を歩む事が出来ませんでした。大戦中からの軍備拡大によってアメリカとソ連は超軍事大国となり、両国は地球の覇権を競う冷戦を始めました。そして双方が相手よりも強大な力を得るために、核兵器やロケット兵器という終末兵器の開発と配備に邁進しました。


この冷戦が、いつ終末戦争に発展してもおかしくないという恐怖を抱いた人々が、この映画を作ったのだと私は思います。

あらすじです。

ある日突然、地球外から宇宙船が飛来し、ワシントンD.C.のナショナルモールに着陸します。宇宙船から降り立ったのはヒューマノイド型の知的生命体とその僕となるロボットでした。ロボットは地球を破壊する力を秘めていました。知的生命体は友好的に振る舞いながら、地球に危機が迫っている事を警告し、合衆国大統領一人にではなく、地球上のすべての人々に直接危機の内容を伝えて人類の選択を求めるために、世界中の国家指導者、宗教指導者、聡明な科学者、哲学者、思想家をすぐに集めるよう要求します。そして要求に従わせる為に、人類が理解できない力で地球上のすべての電力を無力化して見せます。

そして知的生命体は、集まった人類の命運を握る人々に向かって、話します。

『我々は、人類が原子力を発見し、ロケットの実験を始めた事を知った。あなた達が原始的な武器で地球上で戦争をする事には一切関知しないが、原子力とロケットの力を戦争や侵略に利用することには、大いに危機感を持っている。

あなた達の祖先は、法を作り、法によって秩序を作り、その秩序を守る警察を作り、法と秩序を維持してきた。

我々も同様だ。惑星間で法を作り、秩序を作り、秩序を守る警察を作り、惑星間の平和と安全を守る秩序を維持している。我々は警察に絶対的な力を与えた。平和を乱す、秩序を乱すものが現れたら警察が自律的に排除する。それは我々にも誰にも止める事は出来ない。そのお陰で、我々はすべての武器を放棄し、恒久の平和を手に入れた。そして、実益ある目的のみを追求できるようになった。

もし、あなた達が原子力とロケットの力を地球外に行使しようと試みれば、我々の警察が検知し、自動的に地球を破壊するだろう。

我々の警察は、常にあなた達を監視している。地球内の運営はあなた達に任せるが、もし暴力を地球外に拡大させようとすれば、地球は燃え殻と化すだろう。単純な選択だ。我々と平和に暮らすか、消滅の危機に晒されるのか。返事を待っている。決断はあなた達次第だ。』

END


冷戦状態は、1991年にソ連の崩壊によって解消しましたが、ソ連の崩壊は、核兵器やロケット兵器の技術の拡散を招きました。アメリカやソ連や宗主国に抑圧されてきた従属国や振興国までが、抑止力として終末兵器を開発し配備するようになりました。一時、一強となったアメリカが地球の警察となってグローバリズムを牽引したものの、振興国や既存のデモクラシー国にナショナリズムが広がり、中国やインドがアメリカの地位を脅かす存在に成長し、ロシアが再び軍事大国を気取るようになって、地球は再び冷戦に入り、我欲を押し通すための熱い戦争も始まりました。地球の平和と安全を管理する国際連合は、まったく役に立たなくなりました。

そして今、地球のそこかしこで終末戦争に繋がりかねない戦争が起こっています。

ロシアは、ソ連崩壊まで従属国であったウクライナに、2022年2月に軍事侵攻を開始し、ウクライナ国内は二年に渡りロシアによる侵略戦争が続いています。この侵略戦争で、ウクライナ兵が3万人以上、民間人が約1万人、ロシア兵に至っては30万人以上が戦争の犠牲者となっていて、その数は日一日増え続けています。

侵略の首謀者であるロシアの大統領プーチンは、膠着する戦局を打開する為に、ウクライナを支援するヨーロッパ、アメリカ、日本などに対して、核兵器の使用をちらつかせて、支援を後退するよう脅しを掛けてきました。

中東アラブ地域では、1948年のユダヤ人国家イスラエルの建国以降、イスラエルとイスラム世界の国々との対立が現在も続いています。そして今年10月に、イスラエルによって占領され続けてきたパレスチナ人の自治区であるガザ地区のイスラム抵抗運動組織の一つであるハマスが、イスラエル国内でイスラエル建国以来最悪となる大虐殺と大人数の人質を連れ去るという大規模テロを引き起こしました。このテロ事件が引き金となり、イスラエルは人質救出とハマス殲滅を目的としたガザ地区への大規模武力侵攻を開始しました。この武力侵攻は、ガザ地区に暮らすパレスチナ人を子供も女性も見境無しに殺害し、ライフラインや病院まで機能停止に追い込む非人道的な報復戦争の様相を呈しています。そしてガザ地区では、病人や怪我人、妊婦、新生児を含む一万人以上のパレスチナ人が殺害され、ガザ地区でパレスチナ人の支援活動を行っていた外国人も殺害されています。そして終わりの見えない武力侵攻の犠牲者は、日一日増え続けています。さらにイスラエルの現役閣僚の一人が、ガザ地区への戦略核兵器の使用に言及しました。

この状況に、イスラム世界の国々、人々だけでなく、アメリカと親和的な国々の国民の中にも、イスラエルやイスラエルを全面的に支援するアメリカに対する不信感や嫌悪感、そして憎悪が広がっています。


今、誰がこの危機を止められるのでしょうか。

今、この世界には絶対的な警察はいません。法も秩序も有名無実になり果てています。宗教も役には立ちません。

では、何が起こればこの危機は止まるのでしょうか?

地球温暖化という人類存亡の危機の兆候を私たちは関知しているのに、それでも私たちは団結できず、我欲の争いを続けています。

映画が描く様な人類全体を脅かす未曾有の脅威が現れるか、破滅的な天変地異が起こらない限り、私たちはこの危機を止める事が出来ないのかも知れません。

不可能に思えますが、

私たち一人一人が他者を攻撃する武器を捨て、他者を欺く悪意を捨て、連帯と慈愛と寛容に身を捧げるしか、それしか、危機を止める望みを託す術は無いのかも知れません。

でも本当に、私たちの子、孫、そして未来の子孫に希望を残すためには、この術を直ちに実行しなければならないと思います。

2023年11月8日水曜日

美味しいピッツァできました。(#^.^#)

 コロナ禍真っ只中、客足が遠退くという痛手を被った料理人たちが、自分たちの誇りと価値を鼓舞するかのように、自慢の料理を調理する様子を動画にして、次々とYouTubeに公開されました。それらの動画を見るのが、私のコロナ禍の数少ない楽しみの一つとなっていました。

大好きなイタリア料理のピッツァを、ピッツァ職人が作る動画は特に楽しみました。いろいろ見ていると、イタリアのご家庭の主婦が、家族の為にピッツァを作り振る舞うという動画もありまして、目から鱗が落ちました。石窯でなくても、家庭にある調理器でピッツァは作れる。自分でも出来そうやん、そう思いました。そして、ピッツァ作りを始めました。

そしてピッツァ作りをはじめて二年が過ぎました。ここにきてようやく家族や友達から美味しいといってもらえるピッツァが作れるようになりましたので、そのレシピをここに詳細に記したいと思います。

ピッツァ作りを始めるにあたり、何冊かピッツァに関する本を読みました。「真のナポリピッツァ協会(通称AVPN)」という「ナポリピッツァの国際規約」を制定し、普及と職人育成の活動を行っている、ナポリに本部を置くNPO団体のことも知りました。「ナポリピッツァの国際規約(日本語)」は、AVPNの日本語ホームページから誰でも読めるようになっています。

AVPNの国際規約について(https://japan.pizzanapoletana.org/chisiamo.php


ピッツァ作りは、次の4工程の順番で行います。

①生地作り

②生地の発酵

③ピッツァ台の成形

④ピッツァを焼く


1.生地作り

直径約25㎝、重さ約250gサイズのピッツァ台4枚を作る事を想定した加水率70%の生地作りです。

当初は、小麦粉500g、加水率60%で、重さ約200gサイズのピッツァ台4枚を作る事を想定した生地を作っていました。でも、焼き工程で、どうしてもピッツァ台が思ったほど柔らかさを残して焼き上げられなかったのです。それが加水率70%にする事で、思い通りの柔らかさとコルニチィーネ(縁のふんやりとした膨らみ)を得る事が出来る様になりました。そして一つ250g程度にすることで、ピッツァ台を丸く伸ばしていく成形工程が楽に出来る様になりました。


(1)材料

a.強力粉(※私の好みは、手頃な価格で手に入りやすく、高品質な強力粉である、日清カメリヤスペシャルです。)…600g

b.塩(塩は、旨味や生地のコシを作ります。分量は、小麦粉に対して2%です。が少し減塩しています。)…10g

c.ドライイースト(生地を発酵させます。小麦粉に対して0.2%)…小さじ1程度

d.水(分量は、小麦粉に対して70%)…420ml


使用する調理器…大きめのボウル、スケッパー、調理用電子計量器1g単位で2kgまで計れるものが便利です。私はこのために購入しました。千円ほどでした。横幅の大きいラップ


(2)作り方

ピッツァ職人の動画では、ボウルでa~dの材料を混ぜ合わせた後、調理台の上で、伸ばしては丸める、伸ばしては丸めるを20分ほど繰り返し、生地を練り上げていました。でも自宅では調理台を広く取れないので、すべてボウルの中で生地を仕上げることにしました。これだと洗い物も少なくなり、後片付けが簡単になります。


①コップに、dの水を少し入れ、cのドライイーストを入れてかき混ぜ、少し水になじませます。

②ボウルに、aの強力粉、bの塩を入れ、スケッパーで混ぜ合わせ、dの残り水を二三回に分けて加え、混ぜ合わせていきます。最後に①を加えて、混ぜ合わせ、少しべとつく生地を真ん中に集めます。

③右利きの私の場合ですが、左手でボウルの縁を持ち、右手は握りこぶしにして、上から拳で生地を突き押します。右手の拳を少し上げ、左手でボウルの縁を時計の針の逆方向に少し回します。この生地を突き押し、ボウルを回す動作を15分から20分ほど繰り返し行います。生地の感触が、はじめのべちゃべちゃな感触からもちもちとした感触に変わってきます。これが生地の出来上がりのサインです。

④手についた生地をそぎ落とし、ボウルの内側についた生地をそぎ落とし、生地に加えて、丸く整えます。

⑤すぐにラップでボウルに蓋をし、直射日光が当たらない場所、室温が急激に変化しない場所、平地で安定した場所にボウルを置いて、一次発酵を促します。


2.生地の発酵

生地の発酵の工程は、ピッツァ台の善し悪しを決定する一番大事な工程だと思います。

一番まずいのは過発酵です。特に夏場の室温湿度とも高い場所で置いておくと、短時間で勢いよく発酵し、生地は数倍に膨らんで、炭酸ガスを勢いよく噴出するようになります。こうなったら生地に酸味が付いて、焼いて食べる事は出来ますが、鼻につく酸味で非常に不味いです。ですから過発酵は要注意です。

私は、ボウル内で一次発酵させ、生地が三倍程度に膨らんだら、切り分けて、饅頭型に成形します。一次発酵が上手くいくと、生地はとても滑らかになります。

饅頭型の生地をトレーに並べて、冷蔵庫の冷蔵室でゆっくり二次発酵させることで、一週間程度は、生地を食べ頃のまま保存できます。


(1)材料

a.小麦粉(強力粉でも薄力粉でも構いません。生地の粘着を抑えるコーティングとして使います。)…適量


使用する調理器…大きめのボウル、スケッパー、調理用電子計量器、広めのまな板、縁の高さが4㎝以上ある大きめのトレー、※蓋付きの生地専用ボックスがあれば尚いいですが、私は持っていません。横幅の大きいラップ


(2)作り方

一次発酵はボウルの中で行います。室温が高いと、2~3時間ほどで生地が3倍ほどに膨れます。発酵を置きすぎると過発酵してしまうので、こまめに発酵の程度を確認する必要があります。室温が20度程度であれば4~5時間ほど、室温が低ければ8時間以上かかる場合もあります。


①ボウルの中の生地が、一次発酵で十分に膨らんでいるのを確認します。

②まな板に、適量(手で一握り程度)の小麦粉をまぶして均します。その上に、ボウルの中の生地を掻き出します。

③小麦粉で生地全体をコーティングします。

④スケッパーで生地を均等に4等分します。

⑤4等分した生地を、それぞれ丸めます。表面に割れ目が残らないように、割れ目やでこぼこした部分を一点に集めて、ひねりを加え隠します。

⑥ひねりの部分を下にして、生地を丸め、高さが出ない様に、少し押しつけます。

⑦トレーに生地がひっつかない様に小麦粉を適量まぶして均します。その上に、丸めた生地を、それぞれひっつかない様に間隔を空けて並べます。

⑧トレーにラップで蓋をして、冷蔵室で保存します。冷蔵庫の冷蔵室で保存することで、夏場でも二次発酵の進行を抑えることができ、冷蔵庫の中で一週間ほどは保存できます。冬場や室温が10度を切る状態であれば、室内保存も可能です。注意することは、丸めた生地が互いにひっつかない様にする事です。でもたとえひっついたとしても問題ないです。ひっついた箇所に小麦粉をまぶして、スケッパーで切り離し、そぐようにすればトレーから取り出せます。若干、形が歪になっても、ピッツァ台の成形の工程で、円形に成形できます。円形に成形できず歪な形になっても、焼いて食べれば同じです。


3.ピッツァ台の成形


(1)材料

a.小麦粉(強力粉でも薄力粉でも構いません。生地の粘着を抑えるコーティングとして使います。)…適量


使用する調理器…スケッパー、広めのまな板、アルミホイル、直径が25㎝以上の平皿


(2)作り方

焼き上げる枚数分のピッツァ台を、以下の手順で成形します。


①まな板の上に小麦粉を適量まぶす。

②トレーのラップをめくって、取り出す生地の周辺に小麦粉を適量まぶして、剥がれ安くし、スケッパーで生地を剥がす。その生地を①の上に置く。

③生地の両面に小麦粉をつけてコーテングする。

④両手の指の開きを閉じて両手のひらを生地の中央に置いて、内側から外側へ生地を押し広げます。縁は膨らみを残しておきます。

⑤生地を左右に外側に押し広げる。生地を90度回転させる。ピッツァ台となる生地が直径25㎝ほどに丸く広がるまで、この動作を繰り返す。

⑥平皿に長方形サイズのアルミホイルを敷き、その上に成形したピッツァ台を乗せ、平皿にそって円形に整える。

⑦枚数分のピッツァ台を成形する①~⑥の工程を繰り返す。

⑧ピッツァ台の上に、具材を並べる。


4.ピッツァを焼く

焼きは、まずフライパンの中で、裏面に焼き目が付かない程度に熱し、次にグリルで4分ほど焼き上げます。家のガスグリルだと、中火より強めの火力で4分グリルすると、具材に熱が入り、コルニチィーネと裏面に少し焦げ目が入る程度で仕上がりました。

焼き時間が長くなると、生地の水分が抜けて堅いピッツァになってしまいます。


(1)材料


使用する調理器具…ガスレンジ、ガスグリル、口径の大きいフライパン、横広のフライパン返し


(2)作り方

①フライパンとグリルに予熱を加えておく。

②ピッツァ台をアルミホイルに乗せた状態で、フライパンに乗せる。ガスレンジで中火で焼く。熱が少し加わるとアルミホイルが取れやすくなるので、アルミホイルを取り出す。

③裏に焼き目が付かないように、ピッツァ台に熱を加える。この状態のピッツァ台は、柔らかさを保っています。フライパンに余熱が入っていれば2分ほどで熱が入ります。

④フライ返しで、ピッツァ台をプライパンからグリルの網の上に移します。ピッツァ台が柔らかいので、フライパンを斜めにしながら、フライ返しを使って引き出すようにすれば上手く移動できると思います。

⑤グリルの中火強で4分焼きます。

⑥コルニチョーネが膨らみ、縁に浅く焦げ目が付く程度がベストだと思います。

③平皿に盛り付けて、完成です。



ピッツァは、まるで地の塩の様な食べ物です。防腐を防ぎ、上に乗せる食材をさらに美味しく引き揚げてくれます。そして、丸い円の形をした食べ物です。一つをカットして複数人で一緒に食する事が出来る、和みを与えてくれる食べ物です。

ですから、ピッツァを焼いた日は、ピッツァを家族や友だちを食する時は、自然と笑顔と会話が弾みます。

上に乗せる食材に、きっと駄目な物はないでしょう。みんなで食せる、平和を感じられる食べ物だと思います。

以下、最近作ったピッツァです。家族にも友だちにも大変好評でした。(#^.^#)

牡蠣と茄子のジェノベーゼ・ピッツァ


牛すね肉とすじ肉の赤ワイン・ラグーソース・ピッツァ


夏野菜をのせ、マルゲリータ・ピッツァ

2023年11月7日火曜日

風に立つライオン

 お願いだから幸せになってください。


2015年に公開された日本映画「風に立つライオン」を観ました。

アフリカ、ケニアの風土病を研究する長崎大学の現地研究所に二年の任期で赴任した日本人医師が、赤十字の要請で短期間、ケニア・ロキチョキオにある赤十字戦傷病院に医師して派遣されます。

そこは平和日本で育った日本人には別世界でした。

兵士に守られた赤十字戦傷病院には、毎日、銃や爆弾、地雷による殺し合いの中で、瀕死の重傷を負った大人の兵士、子供の兵士がトラックに山ほど積まれて運ばれてきます。医師は懸命に治療を施しますが、命を繋いだ人たちの多くが手足を失うことになります。兵士となった人たち、子供たちは、親や家族を虐殺された上、連れ去られて殺戮する側の兵士に仕立て上げられた人たちです。麻薬漬けにされた人たちです。そして彼らには行く当てなどありません。ですから、治療を終えた彼らの帰るところは殺戮場しかありません。


戦傷病院での活動を終えた日本人医師は研究所に戻りますが、短い間でしたが生活を共にした少年兵士たちへの思いが、どんどんと心に重くのしかかっていき、朗らかだった彼の顔を曇らせていきました。彼は夜になる度に、静まったアフリカの大地に立ち「頑張れ、頑張れ」っと自分を鼓舞しました。そして遂に彼は、再び戦傷病院に赴く事を決意します。


彼は二年の任期が過ぎても、戦傷病院に留まり、マザー・テレサ終末病院からこの戦傷病院に派遣されてきた日本人看護師とともに、元少年兵の子供たちが生きる希望を見つける為の、安全と学習を提供する孤児院を設立します。


麻薬の禁断症状、家族を虐殺された記憶、自分が人を虐殺した記憶に重度に心を病んだ子供たちも、日本人医師の自分たちへの献身に心がほだされ、いつか日本人医師に懺悔し、未来への希望を口にするようになります。日本人医師は、ひとつひとつ自分の思いが叶えられていく悦びを見いだします。

しかしそれが彼の命を縮める事に繋がりました。医師としても自分の思いを叶える為に彼は戦傷病院の外の村々まで訪問診療を始めるようになります。そしてその道中でゲリラに襲われ、撃たれ、命を落とします。


日本人医師には、アフリカへの二年の赴任が決まった時、結婚を申し込んだ大学の同級生の女性医師がいました。二人は相思相愛でしたが、彼女の方には、過疎地で診療所を続けてきた父の後を継がなければならないという責任がありました。そのために彼女は結婚の申し入れを受け取る事が出来ずに、二人は別れることになりました。

そして二年が過ぎて、彼女は過疎地の村で地元の働き者の若者と結婚をすることになりました。彼女は、遠いアフリカに赴任したまま帰ってこない日本人医師に、結婚をすることを告げる手紙を書きました。

その手紙を受け取った日本人医師は、何日も考えて、ようやく返信の手紙を書きました。その手紙が彼女の元に届いたのは、彼が死んだという連絡があった数日後でした。その手紙には、とても短い一文だけが書かれていました。


「お願いだから幸せになってください。」


end


「お願いだから幸せになってください。」は、日本人医師が思いを寄せるすべての人たちに向けた祈りの言葉であった様に思います。それは、愛する彼女への思い、病気に苦しむ患者への思い、患者に寄り添う家族への思い、そしてアフリカ・ケニアの最果ての地で出会った傷ついた元少年兵の子供たちへの思いです。そして彼は、その思いを叶えるために、献身的に働きました。


この物語「風に立つライオン」は、さだまさしさんの創作ですが、この物語の主人公日本人医師と同じ九州大学医学部出身で、実際にアフガニスタンで数十年にも及ぶ医療活動と共に、貧困の本質的な問題を解決する為に用水路建設に自ら陣頭指揮にたった中村哲医師の事が思い出されました。中村哲医師は、アフガニスタンの荒野に暮らす多くの貧困にあえぐ人々の本当の友人になった日本人ではないかと思います。そんな中村哲医師も2019年にゲリラの凶弾に斃れました。


今年生誕100周年を迎えた作家遠藤周作が、晩年となる1993年に発表された「深い河」でテーマとされた旧約聖書イザヤ書第53章3-4節の句を思い出します。


彼は醜く、威厳もない。惨めで、みすぼらしい

人は彼を蔑み、見捨てた

忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人々に侮られる

まことに彼は我々の病を負い

我々の哀しみを担った


イザヤ書は、ユダ王国後期に、預言者イザヤがユダヤ民族の救世主到来を預言した書と伝えられています。そして、イザヤが預言をしてから約8世紀後に、古代ローマ帝国の属州となっていたユダヤの地にイエスが現れました。イエスは、まさにイザヤ書で預言された救世主像でありました。当時においても、見捨てられた人々、貧しき人々、虐げられた人々にイエスは寄り添い、心と体の救済に尽くしました。それがためにユダヤ教の権威を重んじる祭司長や法学者から目の敵にされ、遂に死刑の冤罪を告発され十字架の刑に処せられました。


そして私は一つ確信を得ました。

この世界の痛みは、暴力では正せない。何故なら暴力は痛みを広げ深めるばかりだからです。そして、この世界の痛みを癒やす為には、暴力を捨てて、痛みに苦しむ人に「お願いだから幸せになってください」と心から祈り、痛みに苦しむ人々が生きる希望を見出せるために献身的に寄り添い支える事しかないという事をです。


私たちは暴力の脅威に晒された時、その脅威に対抗するために、抑止力となる暴力で身を固めます。その抑止力が脅威となる暴力を超える時、立場は逆転します。暴力を止めない限り、双方が滅びるまで続く事になるでしょう。

では暴力を手放せば、どうなるでしょうか?ほとんどの人間は同じ想像の元に暴力を手放すことは出来ないでしょう。

でも聖者は、暴力を手放して、慈愛と献身に身を捧げました。そして、その結果はどうなったでしょう。聖者は命は奪われましたが、聖者の遺志は、広く深く後に続く多くの人々に引き継がれていきました。

2023年11月5日日曜日

カーネル・サンダースに呪われた野球チーム

 MLB公式サイトが粋な記事を掲載してました。


タイトルは、

The baseball team cursed by Colonel Sanders

https://www.mlb.com/news/the-japanese-team-cursed-by-colonel-sanders


「カーネル・サンダースに呪われた野球チーム」の話です。


思い出します。1985年阪神タイガースの初日本一の時、アメリカの三大ネットワークで、阪神タイガースのファンの熱狂ぶりを世界一のファンという風に伝えていた事をです。

今シリーズも更に熱狂的でしたね。MLB公式サイトは阪神タイガースの優勝を、次どの様に伝えてくれるのか楽しみです。


阪神タイガース優勝!

 38年ぶりの阪神タイガース日本一か、王者オリックスバッファローズの連覇か、59年ぶりの関西ダービーは、気持ち7対3でタイガースを応援してました。

そして七戦までもつれた関西ダービーは、阪神タイガースに軍配が上がりました。


優勝監督:岡田彰布

MVP:近本光司


個人的には、夏から一人で投手をリードし好投を引き出し続けた坂本誠志朗捕手と鋼のメンタルを見せつけたルーキーで大活躍した森下翔太選手です。


夢のような日本シリーズでした。トラッキーの背番号、来年は「1985」から「2023」になるのでしょうね。本当に嬉しいです。

2023年10月31日火曜日

Google検索のスポンサー欄にフィッシングがありました。要注意です!

 いつもの様に「amazon」でGoogle検索すると、検索欄の上のスポンサー欄に「アマゾン公式サイト-Amazon.co.jp」と表示されたのでクリックすると、「このパソコンはウイルス感染している。表示するマイクロソフトの窓口に電話して云々」という危険を通知する画面と音声が流れ出しました。

ブラウザを強制終了し、パソコンに正規にインストールしているウィルス駆除ソフトを実行し、ウィルスには感染していないことを確認しました。

再度、「amazon」でGoogle検索し、スポンサー欄の「アマゾン公式サイト-Amazon.co.jp」の箇所のリンクアドレスをコピーし、テキストエディターに貼り付けて確認すると、amazonの正規URLでない、不正なURLアドレスでした。リンクのフィッシング詐欺でした。すぐにGoogleサイトに不正報告を行いました。


正規サイトか偽サイトか、リンクアドレスを確認しないと判別は難しいです。フィッシング対策として、

①検索画面に表示されるスポンサー欄は、クリックしないこと。

②リンクの上で右クリックし、メニューからリンクアドレスをコピーを実行して、テキストエディターに貼り付けて、URLの真偽を確認する。

③何度も訪れるサイトは、ブックマークに登録して、次回からは登録したブックマークからサイトに移動するようにする。

を行う事をおすすめします。

2023年10月24日火曜日

神戸布引ハーブ園の花々

 


耐え難い憤りに向き合うために

 10月5日(木)、ウクライナ東部ハルキウ州クピャンスクのグローザ村で、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した昨年二月に前線に向かい、まもなく死亡した元兵士の追悼集会の会場を、ロシア軍がミサイル攻撃の標的にして、住民59名が爆殺された。

10月7日(土)、ユダヤ教の安息日にイスラエルに侵略したハマスは、300人近い人々を殺害し、200人を超える人々を人質としてガザ地区に連れ去るという事件を起こした。

10月17日(火)、ガザ北部にあるキリスト教系の病院が爆破され、ハマスは、イスラエル軍の攻撃によるもので、この攻撃により少なくとも500人が死亡と発表した。しかしイスラエル国防軍は、ハマスとは別のパレスチナ武装勢力「イスラム聖戦機構」によるイスラルへのロケット攻撃の失敗によるものだと主張している。

最近の戦争報道の中で、特に強い憤りを感じた出来事です。殺害された人々、傷つけられた人々、連れ去られた人々は、非戦闘員です。国際法上で標的にしてはならない人々です。

戦争では、こういう人々が、見せしめの為に殺されたり、敵の攻撃を防ぐための人道の盾として利用されたり、力の誇示や恐怖を植え付け戦意を失わせるために殺されるのです。無意味に、もしくは誰かの快楽を充たす為に、殺される人々もいるでしょう。


日本は、78年前に終わった第二次世界大戦で敗戦国となって以降、戦争をしていません。

が、この地球上では、植民地からの独立紛争、曖昧な国境をめぐっての国家間の戦争、異なる宗教や異なる部族の国や地域の支配権を巡っての紛争、軍事大国による武力侵略に端を発した国家間の戦争、そして狂信的、あるいは身勝手な思想をもとにした一般市民を標的にしたテロ行為が、後を絶たず行われ続けてきました。

私たち日本人は、心のどこかで、私たちは戦争をしていない、戦争を知らない、戦争は遠い他国の出来事、私たちは関係ないと思っている節がありますが、エネルギー、食料、あらゆる産業の原材料を他国に依存している日本は、遠い他国で紛争が起こる度に、あらゆる危機に直面してきました。

また、国連主導の紛争地への介入も、国内法を理由に、戦闘行為には直接参加はしてきませんでしたが、戦費や軍事物資の提供をはじめ、紛争地での戦後復興支援と称しての道路や橋の施設、また地雷除去、機雷撤去という紛争当事国からみれば敵対行為と見なされる行為も行ってきました。そう、戦争に関わってきたのです。

何より、インターネットが普及する以前は、乏しかったですが、現在は紛争地の惨劇がダイレクトに私たちの目に、耳に、心に、飛び込んでくるようになりました。知らない、関係ない、責任はないでは済まされない時代になりました。

日本がある東アジアも、いつ戦争が起こってもおかしくない時代となりました。韓国や台湾が軍事侵攻に晒されたら、私たち日本人は、ロシアによるウクライナ軍事侵攻時に、ウクライナに隣接する東ヨーロッパの国々が、検問を開いて、100万の単位でウクライナからの避難民を受け入れたように、韓国や台湾からの避難民を受け入れることが出来るでしょうか。また、アメリカを始めとする西側諸国が、韓国や台湾に加勢するために戦争に参加した場合、日本は国内法が許さないからと、参加を拒否できるのでしょうか。

そして万一、日本が軍事侵攻の標的となった場合、私たち日本人は、逃げずに戦えるでしょうか。

戦争はよくない、戦争はしてはいけない、戦争はしたくない、は日本人だけでなく、すべての国の市井に暮らす人々の偽りのない気持ちだと思います。

しかし、78年間、他国の武力行使という脅威を受けずに、戦後復興と経済成長、そしてその奢りが招いた経済の鈍化と様々なシステムの歪みの弊害に苦しむ内向きな日本人と、常に隣国の強国の脅威に晒され続け、また幾度も紛争を繰り返し、外敵に対して、心の底から払拭できない怨み、苦しみ、哀しみを募らせ続けてきた人々とでは、偽善と本心からの葛藤ほどの差があるように思います。

私たち戦後教育を受けた日本人は、戦争が引き起こす、苦しみ、怒り、怨み、哀しみ、絶望感、自らへの嫌悪感、罪悪感を知らないし、理解も出来ないと思っています。

ですが、遠い他国で現在進行形の戦争に、目を、耳を、心を開けば、彼等戦争当事国の市井の人々の心の内を想像することは必ずできると思います。


私たち日本人は、この地球上の大多数の人々が何かしらの一神教に帰依し、宗教によって敵味方を差別するのとは異なり、あらゆるゆうぶつに神が宿るという畏怖の信仰を心に宿しています。そのため、違いに対して、恐れではなく、慎み敬う事ができます。異なる宗教についても、異なる民族についてもです。

私たち日本人が一番恐れなければなえればならないのは、自らのおごりたかぶりです。それは、慎み敬う心を曇らせます。

この日本人の八百万の神への慎み敬う信仰の心こそ、度重なる紛争、戦争で、頑なに絡まってしまった心を、解きほどくことの出来うるものだと思います。

私たち日本人が出来る事、今すぐ出来る事、継続して出来る事は、戦争で苦しむすべての人々に、慎み敬う、そして慈愛を示す事だと思います。


そうしなければ、近い将来、憎悪の重みで、人間が築いてきた世界は、押しつぶされて滅んでしまうでしょう。

2023年10月19日木曜日

谷村新司さん、逝く

 アリスの谷村新司さんが亡くなられましたね。この一報に触れた時、不謹慎ですが、あまりにびっくりして笑ってしまいました。去年、再びアリスの活動を10年行うと宣言され、SONGS出演時には、変わらず甘い艶のある声を聴かせて頂きました。谷村新司さんは今や国民的歌手のお一人ですが、1970年代を青春として過ごした私たち世代には、永遠の深夜ラジオに君臨する(いろんな意味での)夜の怪人のお一人という印象のままでして、そんな怪人が死ぬなんてことはない、季節外れのエイプリルフールかと、そんな思いが一瞬に吹き出して笑ってしまった次第です。

そして次に思ったのは、ばんばん、大丈夫か、でした。(わたしなどが心配してもしゃーないのにね)それで昨日のラジオ関西のばんばひろふみラジオDEショー!は最初から聴きました。開始30分、ばんばんしか語れないちんぺいさんの思い出語りに聴き入りました。やっぱり笑ってしまいました。そして、残された歌もですが、その人なりも、それを覚えている私たちがいる限り、生き続けるんだろうなと感じ入った次第です。

『帰らざる日々』、『遠くで汽笛を聴きながら』、そして『秋止符』、この三曲がアリス楽曲の中で、私が好きな歌です。いつまでも大切に聴かせて頂こうと思います。

ありがとう、ちんぺいさん、ありがとうございました。

2023年10月16日月曜日

私はあなたたちに命じる。あなたたちは敵を愛しなさい。あなたたちを迫害する者たちのために祈りなさい。

私はあなたたちに命じる。あなたたちは敵を愛しなさい。あなたたちを迫害する者たちのために祈りなさい。

 マタイの福音書第5章44節の御言葉です。


パレスチナ自治区の一つで天上のない世界最大の監獄と称されるガザ地区を実効統治するハマスの戦闘員が、10月7日にイスラエルが築いた壁を破壊してイスラエル領土に侵入し、壁の付近で開催されていた大規模音楽フェスと周辺の町になだれ込んで、少なくとも260人をその場で虐殺し、100人を超える民間人を人質として連れ去るという大規模テロ事件を起こしました。この大規模テロ事件の報復として、イスラエルは挙国一致でハマスを殲滅すると宣言し、30万人の兵力を地上戦に投入してガザ地区への軍事侵攻を今にも始めようとしています。

ガザ地区は、鹿児島県の種子島とほぼ同じくらいの面積、もしくは東京23区の6割ほどの面積で、その中で、220万人のパレスチナの人々が、途切れることのないイスラエルの空爆と、破壊されるまま荒れ果てた市街地で、すべてのライフラインをイスラエルに握られた状態で、明日の希望もないままに暮らしています。そして人口の約45%は14歳以下の子供だと云われます。

そしてイスラエルが宣言通りにガザ地区で地上戦を行えば、100万人を超えるパレスチナ人が、45万人を超える子供が、地上戦に巻き込まれて虐殺されることになるでしょう。私が生きているうちに、こんな途方のない大虐殺が起きうる事態になる事に耐えられない気持ちになります。ホロコーストを経験したイスラエルの人々には、未だ見ぬ地獄絵図を想像して、地獄に落とされたホロコーストの実行者たちの姿を想像して、イスラエルがホロコーストの実行者とならない様に、地上戦を踏み止まって欲しいと切に願います。


「汝の敵を愛せよ」という御言葉が、頭の中に浮かんできます。でも、イスラエルの人々、パレスチナの人々に、どう思いを伝えれば良いのか分かりません。探っていて、日本福音ルーテル スオミ・キリスト教会の説教集の中にヒントを見つけました。


説教「『汝の敵を愛せよ』とは、一体どんな愛なのか?」神学博士 吉村博明宣教師、マタイによる福音書5章38~48節 2014年2月17日

https://www.suomikyoukai.org/?p=6015

 です。

吉村宣教師は、説教の中で

「汝の隣人を愛せよ」という掟はレビ記17章18節にありますが、「汝の敵を憎め」という掟はモーセ律法には見られません。掟にないことが、どうして教えられてきたのでしょうか?レビ記で言う愛すべき隣人とはイスラエルの民に属する同胞を指しています。それで、同胞愛としての隣人愛の裏返しとして、敵は憎んでもよいという考え方がユダヤ民族の苦難の歴史と相まって生まれてきたと考えられます。

と述べられています。また、「汝の敵を愛せよ」について

神としては、悪人も自分との結びつきを回復してほしい(つまり懺悔して神の救いを受け入れる者になる)意思なのですから、既に結びつきを回復した者は神の意思に従って、その実現の為に悪人や敵に対してどんな働きができるかを考えなければなりません。悪人だから敵だから滅びてしまえ、というのは神の意思に反する事です。悪人や敵の為に祈らなければなりません。自分を迫害する者の為に祈れというのは、天の父なる御神よ、迫害を終わらせて私を助けてください、という自分の為の祈りではありません。父なる御神よ、あの迫害する者がイエス様を救い主と信じてあなたの用意された罪の赦しの救いを受け取る事が出来る様にして下さい、と悪人や敵の為に祈る事です。

と述べられています。

「目には目を、歯には歯を」という掟は、酷い行いをすればそれ以上の報いを受けることになる。同じ悪が自分にも跳ね返ってくるとはっきりさせる事を通じて悪を控えさせるという、人間が悪に手を出さないようにする抑止力だった。

仕返しの応酬は、常に損害を被った以上の仕返しとなって、そうなると収拾がつかなくなる。

とも述べられています。


ユダヤの神も、キリストの父である神も、そしてイスラムの神も、旧約聖書が現す神と言われます。それならば「汝の敵を愛せよ」の御言葉は、旧約聖書の神を信仰するすべての人々に向けられた御言葉ではないかと思います。


2023年9月29日金曜日

中秋の名月

 


20時5分もちのき公園から撮影した満月 満月は20時58分なので、ほぼ満月です。
蚊にだいぶ噛まれました。痒痒です。

2023年9月21日木曜日

忖度について

2017年にユーキャン新語・流行年間大賞に「インスタ映え」とともに選ばれた「忖度」という言葉は、中国を起源とする外来語です。

古代中国では、「忖度」という漢語は、臣下のこころ(おもわくとその正邪)を推し量るという君主の行為を意味した様です。中国の最も古い詩編といわれる「詩経」に、「忖度」が使われた詩があります。「巧言」という詩です。

※崔浩先生の「元ネタとしての『詩経』」講座というWEBサイトを見つけました。勉強になりました。

目次のページ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069

小雅 節南山之什 巧言のページ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/16816452219010136111

この詩は、『西周国は、最後の君主となった幽王が暗愚であったために臣下の巧言や讒言に惑わされ、国は乱れ、ついには幽王は殺されて国は滅んだ。「他人有心 予忖度之」、臣下のこころを推し量ることの出来る賢い君主であれば、巧言や讒言に惑わされることなく、邪悪な者が国に蔓延ることを許さず、この地から一掃したことであろう。』という主旨の事柄が読まれている様子です。

私はこの詩を読んで、君主が利己に陥れば国を滅ぼし、利他に心を配れれば国を安寧に導くことができる、という戒めを理解しました。そして「忖度」は君主の慈愛の心の行為であると理解しました。


では、2017年以降、流行語となった日本語の「忖度」はどの様に使われているでしょうか。

権力者の政治家に忖度して、公文書を偽装し、改ざんし、廃棄した官吏からは、利己主義、あるいは保身を理解します。

最近また、「抗えぬ空気に忖度した」という用法を耳にしましたが、立場の非常に弱いものが己を守る、己の将来を守るという、厳しい言い方をすれば、利己主義、保身を理解します。

愛知淑徳大学の名誉教授である山下啓介教授が2019年に公開された「漢語の流行-忖度-」という論文を見つけました。この論文のある行に目が留まりました。

※愛知淑徳大学 知のアーカイブ リポジトリ(ASKA R)

https://aska-r.repo.nii.ac.jp/

検索欄に「忖度」と入力し検索ボタンを押すと、該当論文が表示されます。ここからPDF形式で保存された論文をダウンロードする事が出来ます。

以下、引用させて頂きます。「5.流行現象-メディアの背景」の一部分です。

『寛政異学の禁を発令した幕府の意向を忖度して藩校に朱子学者を用いる藩もあった、と。(中略)そこでとりわけ上下関係の厳しい武家では、上を忖度し下に忖度させる社会が出来上がっていたと思われる。』

『上を忖度し下に忖度させる社会という、それを忖度社会と断じ、ここで知るところは、上が下を忖度する、そして、上を忖度し、下に忖度させる社会の行いとして、忖度する行為者が儒学を実行する、実行させることで、支配構造が二重になるということである。双方向で支配者が支配する社会になることにあったと述べている。』

忠義、忠誠といえば聞こえが良いが、お上に逆らえない社会。主君に逆らえない社会、上司に逆らえない社会という封建社会で、「忖度」は上手く立ち回る為の利己主義、あるいは保身の心得であったのだと理解します。

現代の日本はまがいなりにもデモクラシーを標榜している国です。自由、人権、平等が謳われる国ですが、この「忖度」という用法には、封建社会が生み出した、空気の様な曖昧模糊で誰も責任を取らない支配構造が現在もこの国を支配し続けていることを実感してしまいます。


先日9月11日に、BSシネマズでは映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という9.11同時多発テロで父を失った少年の、心の傷を癒やす為の、心の旅を描いた映画が放送されました。私は以前この映画の感想をこのブログに投稿しました。

※映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観ました。

https://harimanokuni2007.blogspot.com/2013/11/blog-post_27.html

改めて映画の感想を読み返してみて、少年の母の行為に、漢語の「忖度」の意味に限りなく近い、慈愛、慈しみを感じ取りました。

こういう行為を、私たち一人一人が行えれば、今、この日本にはびこる殺伐さや息苦しさに、苦しむ多くの人々を救えるのではないかと思います。 

2023年9月19日火曜日

「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」視聴メモ

ドキュメンタリー番組「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」を見ながら視聴メモを取りました。

香港人報道カメラマン クレ・カオルは、『自由であることは罪なのか』という不条理な自らの問い掛けの答を見つけるために、ロシアによる侵略戦争が始まったウクライナに向かった。

番組冒頭、昼間のウクライナ兵との行軍中にロシア軍から攻撃を受けた。砲弾が目の前で炸裂し、各々が地面に身を伏せるシーン。空はどこまでも青く雲は真っ白に浮かんでいるのに、地上は砂埃にまみれ、傷ついた兵士は痛みをこらえて戦い続けている。自分たちの民主と自由の権利を奪われないために。

自由を求めることは罪なのか

ウクライナ戦争が始まって、一年半、ウクライナで取材を続けている。危険な目にも何度もあった。でもボクには自由のために闘う人を取材する理由がある。

カオルさんは、ウクライナの取材の合間に度々日本を訪れ、取材をもとに講演会を開いている。香港にたくさんの外国の記者が来て、香港を助けるとは言わないが、取り上げてくれた。世界の人々は、そのおかげで、香港のことを知った。

講演会で彼が必ず話すのは、ふるさと・香港での経験だ。

「自由って、闘わないと手には入らないもの」ということを改めて認識した。自由って、一人一人が主張しなければ、あっという間になくなっちゃう

カオルさんは、香港を脱出するまでの四年間に映像で記録した600時間にも及ぶ未発表映像をNHKのスタッフに託した。

2019年から2021年までの香港が、いつか忘れ去られてしまうので、世界中の人に真実を知ってほしい。知ってくれれば、それでいいです。香港人が最後まで闘った記録です。


僕たちは港猪(香港の豚)と呼ばれていた。僕たち若者は、ずっと豚と呼ばれてきた。平和ぼけして政治に無関心、食べる事にしか興味のない豚。

僕は大学で遺伝子の研究をしていた。今思えば、あの時間はかけがえのないものだった。

僕たちが立ち上がり、声を上げたのは四年前(2019年)

自由のために闘い収監された香港にいる容疑者を、中国に引き渡せるようにする条例改正案への抗議デモです。改正案は取り下げられたが、「中国化」の強まりに対する抗議活動へ発展した。

No China Extradition

光復香港 時代革命(香港を取り戻せ 時代の革命だ)

2019年6月17日 香港200万人デモ

200万人もの香港人が集まる光景に胸が熱くなり、ボクは研究の道を離れ、報道カメラマンになった。香港では、デモは権利として認められてきた。声を上げれは、思いは届くと思っていた。でも、催涙弾、度重なる(治安維持と称した警察権力の)暴力、力ずくで押さえ込まれた。実弾も使われた。行方がわからなくなった市民たちもいた。

次第に、香港から自由は無くなっていった

♪頭を上げ 沈黙を破り 叫べ

自由を手に ここに集え

なぜ この恐怖は 消えないのか


人が集まっただけなのに(警告し、全員を拘束した)

それでも私たち香港人は、五大要求を一つも譲らない

ありのままの現実を撮ろうとしただけなのに(職務質問を受け身分を照会された)


♪夜明けだ

取り戻せ 私たちの香港を

皆で 正義のため 時代の革命を


かつてデモで歌われていたこの曲(歌)も、歌えなくなった。そして、抵抗する人は街から消えた。香港の、ボクたちのすべてが変わったのは、あの法律ができてから

国安法

香港には言い伝えがある。悲しい歴史が起きるときには雨が降る。

2021年6月、香港北西部にある刑務所から、一人の若者が刑期を終えて出所した。日本でも知られる民主活動家の周庭さん。彼女が何を話すのか、ボクたちは期待していた。でも問いかけには、何一つ応えなかった。

2020年6月、かつて周庭さんは、ボクたちの気持ちを代弁してくれた。

『一つ言いたい。これからどんどん辛くなるかも知れませんが、香港の民主主義、そして自由のために闘っていきたい。最後まで 絶対に 沈黙しない』それが彼女の信念だった。

周庭さんまで沈黙させたのは、あの法律、香港国家安全維持法(国安法)。施行された日にも、雨が降っていた。

1997年にイギリスから返還された香港

中国本土とは異なる法律のもと、高度な自治も認められ、集会や言論の自由が保障されてきました。

2020年6月、香港の相次ぐ民主化運動を受け、中国の習近平指導部が導入したのが香港国家安全維持法。いわゆる国安法でした。政府へと抗議活動などを取り締まることで、香港を安定させる、としています。

取り締まりの対象は「国の分裂」や「政権の転覆」「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加える行為」などで、最高刑は無期懲役です。警察には国安法違反を市民が通報できる「専用窓口」が設置され、密告が奨励されています。

街の空気は一変した

市民は些細なことでも、国安法を口にするようになった。国際大会で、香港の何詩蓓選手がメダルを取った時も、

水泳の後、中国の愛護団体が、なぜか二人(中国の)国旗を振っています。そこに、ひとりの市民が近づいた瞬間、飛び交ったのは、またあの言葉

『動くな!旗に触れるな!国安法違反になるぞ!こいつ頭がどうかしている、刑務所に入るべきだ!』


歌も、思うように歌えなくなった。


♪「香港に栄光あれ」

なぜこの恐怖は 消えないのか

なぜ信じて 諦めないのか

なぜ血を流しても 進み叫ぶのか

香港に自由と栄光を


デモの時、みんなで歌ったこの曲、ボクたちを何度も勇気づけてくれた。自由を求める香港人の切なる思い知ってほしいと、世界に向けて発信もした。今は誰も歌はなくなった。逮捕されるのが怖いから。国安法は、何が罪になるのかわからない。

警察の締め付けは日に日に厳しくなっていった。

この日は、デモで亡くなった市民を追悼する日。警察は感染防止を理由に、人が集まるだけで尋問した。この頃、一日の新規感染者数は一人か二人だったのに。

法令違反と見なされると(集会禁止措置 違反過料)七万円(当日)

『捕まってしまった。あそこで歩いている途中、連行された。立ち止まっていない。デモのスローガンを叫んでもいなかったのに』

警察は花(献花)があれば回収し、祈っている人がいれば尋問した。

『目をつぶって祈ろうとしたら拘束された。一体、何が起こっているの。故人を悼むのも悪いの。花はゴミだって言われた。すごく無力感がある』

市民はどんどん萎縮していった。みんなが集まって声を上げることは、香港ではもう出来なくなった。

身動きが取れる最後の砦はボクたちメディアだけ

この時までは、まだ報道の自由は保たれていた。

2021年6月17日、国安法から一年、恐れていたことが起きた。中国に批判的な論調で知られる、大手紙「リンゴ日報」の幹部五人が逮捕された。警察は過去の記事などを通じて、国家の安全に危害を加えた国安法の疑いがあるとした。会社の資産が凍結されるなどして「リンゴ日報」は発行停止に追い込まれた。リンゴ日報の存在はボクたちメディアの希望だった。

今日は最悪の天気の中、最終号を発売する日となってしまいました。これまで公開されることのなかった、編集現場、この日は入ることができた。

『報道の自由はありません。今日、私たちが最終号を終わらせたら、香港の未来は見えません。とても失望して、怒りを感じています』

最終号表題「香港人 雨の中 痛恨の別れ リンゴを支持する」

香港が香港であるために、新聞社の最後の抵抗だった。

屋上から見た光景は、忘れられないものとなった。

(リンゴ日報への感謝と香港人へのエールが街にこだまする光景)

そこにもまた(警察が大挙して現れ)

『今すぐ移動しなさい。駐車違反だ。警告する。ウイルスを広める恐れがあり、法令違反だ。』

さようなら(報道の自由、そしてリンゴ日報)


外にでると、雨は止んでいた。ネットメディア記者のアラン・キョンさんに出会い、一言お願いした。

『ずっと真実を守ってくれて有り難う。心から感謝です。リンゴ日報の存在があったから、私も自分のメディアを立ち上げました。みな同じ道を歩んでいます』

大手メディアへの締め付けが厳しくなるなか、小さなネットメディアはまだ活動を続けられていた。

『こんなに警察がいるの、大げさだね。なんでここを撮影に来た?もし権力乱用とか、おかしな事があったら、撮らないといけないから』

実はアランさん、本業はキリスト教の牧師

『聖なる父が汝に与えんとする愛をお見せになり、われらの命を照らすことに感謝します』

これから、とう生きればいいのか、教会には悩める若者たちが集まっていた。

自分が信じる道を行くべき

アランさんは自らの行動で、若者に伝えようとしていた。

『確かに今、香港人は沈んでいますが、まだ諦めてはいません。分かりやすいゴールや何をしたらいいのかを見失っているだけです。街に出ると決めた(抗議活動に参加すると決めた)当時の初心を忘れそうになったとしても、あの血と涙の物語は、魂の光として持ち続けていくのです。』

いつもみんなを奮い立たせてくれるアランさん。でも、街の人々はそんなに強くなかった。

香港に残る仲間たちの中には鬱になる人が増えていた。かつてデモに参加していた彼は、鬱々とした気持ちをアート作品で表現していた。

『何かを掃き出したい。大声で叫びたい。だしきってしまいたいという衝動。皆、生活の中で政治について考えたくないと思っています。疲れているからです。人生を諦めたいわけではない。でも悲しいことに、自殺を選ぶ人もいます』

生きづらさを感じ、香港を離れる人もいた

香港市民の海外移住は一年間で約九万人(2020年7月から2021年6月の推定値)

ボクが信頼を寄せる仲間も決心していた。報道カメラマンのサンさん。家族でロンドンに移住することに。

『決め手は子供。(移住を決心した理由は)学校で中国への愛国心を高める教育が始まったから』

※香港行政長官『私は愛国主義教育を進め、国を愛する精神を育て、若者の価値観をただしていきます。』

『香港を離れるつもりはなかったし、絶対ありえないと思っていた。決心はたやすい事じゃなかった。家族もいるから、当然、香港を離れたくなかった。でも子供の将来があるから仕方ない。このカメラで、たくさんの事実を見てきたよ。真実を見た。そのすべては、このカメラと頭の中に残っている。忘れることなんかできない。』

香港に残るのか、香港を離れるのか

遂に、小さなネットメディアも活動を制限される事になった。法令違反を理由に、メディアにまで尋問を繰り返すようになった。

拘束を恐れるメディアの中で、アランさんは違った。警察の前でも怯むことはなかった。

『人との間隔は1.5メートルを保っているのに、警察から「保っていない」と言われた。「あなたは今メディアの仕事をしていない」と言われて違反切符を切られました。』

教会に戻ると、アランさんに知らせが届いていた。香港警察から、集会禁止措置(違反)だ、過料の支払い命令を裁判官に申請します。過料額の合計は13000香港ドル(当時で約20万円)。もう一通あった。『私の発言を抑え込むつもりか』別件の容疑がかけられたら為、アランさんは出頭する事にした。

緊張してますか?

『していません。逮捕するならすればいい。』

アランさんは後日「公務執行妨害」の容疑で起訴されることが決まった。

拘留が決まっても、最後までゆるがなかった。

『有罪になる境界線が分からない。政府が一言「起訴する」と言えば、起訴ができてしまうのです。私はその時、記者をしていただけなんです。皆さん、何か悪いことが起きても怖がらないで。怖がると、彼らの罠にはまることになります。恐怖の連鎖は、私で止めて見せます。』


2021年10月1日 中華人民共和国 建国日


中国国歌(義勇軍行進曲)

起て!奴隷になりたくたい人々よ!

我らの血肉で、我らの新たな長城を築こう!

我ら民衆が心を一つにし

敵の砲火を冒して前進しよう!

前進!前進!


(街では中国国歌が歌われ)中国の国旗が至る所に在ります。向こうで誰かが国旗を降っていますね。子どもたちか国旗を振っています。思えば ちょっと前の国慶節(建国記念日)では街に人があふれて、中国に抗議をしていたけれども、誰も出歩きません。

声を上げる仲間も報道する仲間もいなくなった。

(警察署の前で報道のための撮影をおこなっていたのは)この日はボクひとりだった。訊問された。

自由を求めることは罪なのか

仲間の女性と、中島みゆきの「糸」を歌った。

僕にはもうどうすることも出来なかった。絶望というよりも居づらい。息苦しい。これ以上、何が言えるのかって、悩んだ時期もあって

光復香港

これが最後の落ちこぼれるところ 香港の(市街か一望できる港の公園で、変わらぬ香港の夜景を観ながら)ボクは決めた。ボクは香港を離れる。

2021年10月7日、空港へ向かっています。いい天気ですね、今日は。

いよいよ香港空港に着きました。これから香港を出ます。自由が失われていく香港を共に生きてきた仲間たち(見送りに来てくれた、お別れをした。)

(旅客機に乗り込んだ。)知り合いのカメラマンが、香港を離陸するまでは危険だと言っていたので、今まさに、その離陸する前の瞬間になってきてしまいました。

(離陸した旅客機の窓を覗き見)香港だ。かって自由の街と呼ばれていた香港なんだけど、雨だから、一瞬で見えなくなってしまいましたね。バイバイ香港

悲しい歴史が 起きるときには 雨が降る

この日ぐらいは、晴れで欲しかった。息苦しい日々は今日で終わり。

香港から9000キロメートル離れていて、ここまで来れば、もう安全でしょう。と云うことでいまから自己紹介致します。

改めまして、はじめまして、香港人報道カメラマン、カオルです。このままでは香港では出来る事は限られていると思って、香港を去ることを決意したんですけど。だからといって、香港人という身分(立場)を放棄したというわけではありません。香港を離れた後でも、香港人としてふるさとのために出来る事をしていきたいと、今この時間を借りて決意を表したいと思っています。

チェコ、プラハにて

こちらプラハの街の片隅に、なんと香港人がここで「私たちの場所」という支援場所を作りました。ボクは海外で暮らす香港人が、どう生きているのか、各地を訪ねて回った。

ジョン・レノンが亡くなった時に民衆が彼を悼んで作った落書きの壁で、「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ 時代の革命だ)の落書きもあります。香港では失われてしまった自由(自由な言論)がここにはあった。

なぜ守れなかったのか、どうすれば取り戻すことが出来るのか。

ボクはその答えを求めてウクライナに向かった。理不尽に自由が脅かされている現実は、他人事に思えなかった。自由のために戦い続けているウクライナの人々、その姿をまじかに取材して、一つの答えに辿り着いた。

『自由って闘わないと、手には入らないものだと改めて認識しました。自由って一人一人が主張しなければ、あっという間に無くなっちゃう。ウクライナに行って、こんな状況でも闘っている人たちの姿を見て、一人一人が無力じゃないこと、それを実感しました。香港も、まだまだ希望があるなって思いました。』

自由を求めることは罪。そんなことあるか

ウクライナの地で、ボクはあの曲を歌った


まだ怒りに震えるのか

頭を上げ 沈黙を破り 叫べ

自由を手に ここに集え

夜明けだ 取り戻せ 私たちの香港を

皆で正義のため 時代の革命を

どうか民主と自由が 永遠であれ

香港に 栄光あれ


夜明けだ 取り戻せ 私たちの香港を

皆で正義のため 時代の革命を

どうか民主と自由が 永遠であれ

香港に栄光あれ


ボクは今 自由です。


香港国家安全維持法(国安法)は

海外での活動や外国人も

取り締まりの対象となっている

これまでに逮捕されているのは約260名(2023年6月時点)


ボクには連絡を取りたい人がいた。拘留されたアランさん。香港にいないらしい。5ヶ月の刑期を終え、香港を離れていた。

アランさんからメッセージが届いた。

『心のストレスが、大きくなった。ある種の窒息する気分である。今は台湾にいる。ここで香港のために、何が出来るのか考えたい』 

寛容について

18世紀のフランスで文筆家として活躍していたヴォルテールは、ある凄惨な冤罪事件「カラス事件」の事を知り、冤罪で離散したカラス家の名誉回復に尽力しました。
18世紀のヨーロッパ諸国は、宗教対立、他宗教への不寛容が招いた何百年にも及ぶ宗教戦争を経て、寛容であることが国の発展に繋がることに気付き、信仰の自由が認められるようになっていました。しかしフランスでは、イギリス発祥のプロテスタントへの嫌悪感が、地方になるほどいまだ根深く、それが「カラス事件」を生み出す原因となっていました。
ヴォルテールは、この「カラス事件」を経て、フランス国民に「寛容論」を説きました。
寛容である事、つまり、考えが違ったり、信ずる信仰が違っても、そしてたとえ過去にいさかいがあったとしても、お互いを許し、認めることが、フランス人を文化的に高め、フランスが文明国として発展していく肝であると説きました。

※ちなみに、私は光文社古典新訳文庫で「寛容論」を読みました。カラス事件の真相を明らかにし、カラス家の名誉回復に尽力するヴォルテールの活躍が、まるで現代のヒューマンドラマの様なタッチで描かれていたので、とても読みやすかったです。理解もよく進みました。

ここからが本題です。
9月10日(日)、BS1で「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」というタイトルのドキュメンタリーが放送されました。
ウクライナ戦争が始まってすぐでしょうか、日本の情報番組で、ウクライナの現状を現地からリポートをしてくれる日本語の堪能な香港人報道カメラマンがいましたが、それが、今回のドキュメンタリーの主人公カオルさんでした。

ドキュメンタリーは、2019年に香港全土で起こった「中国化」への抗議活動に始まり、その抗議活動を同じ香港人の官憲が弾圧、そして2020年6月30日に中国の習近平指導部が導入した香港国家安全維持法(国安法)によって香港人は沈黙を余儀なくされ、香港人に保障されていた筈の言論の自由、報道の自由が完全に葬られるまでが、カオルさんの肉声と彼が撮影した映像で、時系列に綴られていました。

私は2019年から始まり、2021年10月にカオルさんが香港を脱出するまでの間、ずっと眼を見張り、口は開いたままになっていました。香港人の民主と自由が踏みにじられ、強い団結で結ばれていた筈の香港人が、沈黙し不寛容になっていく様が、これ以上ないほどに恐ろしかったからです。

カオルさんが、このドキュメンタリーに込められたのは、「自由を求めることは罪なのか」という不条理への問い掛けでした。そしてもう一つ希望されたのは、香港で起こった事実を、いつか葬られてしまうかもしれない事実を、一人でも多くの人に、知ってほしいということでした。

私は、中国人に対して、実は悪い印象を持っていません。ずっと若い頃、ウェリントンの街角で道に迷って困っていたところを、声をかけてくれて、英会話のおぼつかない私にジェスチャーを交えて親切に道を教えてくれたのが、中国人の青年であったのです。1991年のことです。
また最近のことですが、友だちや家族と一緒に日本を旅行して回っている中国人は、よく言われる爆買いというイメージからは程遠い、洗練した印象さえ受けます。
しかし、天安門事件から始まり、過激な反日デモ、まがい物から危険物まで何でも金に換えてしまう、そして最近の力による現状変更、そんな横暴な中国も、また中国から受ける印象となりました。
平和呆けしていた日本人である私は、世界第2位の経済大国に発展し、先端科学立国としても勇となった中国は、その大国の身分にふさしい振る舞いとして、他国に対して寛容な国に進化することで、中国は、中国の指導者がきっと欲しているであろう、他国からの称賛と尊敬と信頼を得ることになるだろうに、と思います。

中国は、香港を喰らい、次には台湾を喰らおうとしています。国内問題であるから他国は干渉するなと中国は警告しますが、国内問題とするところから歴史の歪曲ではないか、と私は思います。
香港は1898年に不平等条約とはいえ、イギリスが清朝政府から99年間租借した土地です。台湾(中華民国)は1911年に辛亥革命によって清を倒し、1912年に中国大陸に建国された国です。そして現在の中国(中華人民共和国)は、日中戦争後に勃発した内戦(国共戦争)で毛沢東率いる共産党軍が、蒋介石率いる国民党軍を台湾に追いやって、1946年に中国大陸に建国されたもっとも若い国と言えます。イギリスが香港を、アメリカが台湾を見放さず、民主国家の一員として迎えていたならば、この二つの国が、こんなに早くに存亡の危機を迎えることは無かったのではと思います。

最後に、私は中国に警告したい。
もし中国が、人権も自由も踏みにじりながら、万一地球の覇権国家となったとしても、不寛容さが内部に疑心暗鬼を次々に生み出して、発展どころか、自滅の道を進むことになるでしょう。
決してデモクラシーは人類を平和に導く唯一の手段ではないかもしれません。アメリカや欧州の先進国と呼ばれるデモクラシーを標榜する国も、様々な問題をその腹の中に抱え、国民は苦しんでいます。しかしデモクラシーは、国民の寛容さの裏打ちがあって成されるものであり、デモクラシーが幾分でも機能している国家の国民は、寛容な国民と言えるでしょう。
寛容な国民を有する国には、将来の成長や発展という希望があります。
中国には、ロシアの轍を踏まず、これ以上の一線を越えずに、寛容さに立ち戻って、本当に世界から信頼される立派な国へと歩んでほしいと思います。
心から願います。

2023年9月15日金曜日

阪神優勝!!!!!!(!が6は、岡田彰布監督が胴上げされた回数です(#^.^#))

いまはもう熱烈な阪神ファンではなくなりましたが、少年の私を阪神ファンに育ててくれたサンテレビが独占中継し、1985年の日本一メンバーである掛布さんと真弓さんが解説されると知り、そしてなにより今日、甲子園で優勝が決まると確信して、久しぶりに野球中継を18時から試合終了まで観ました。

マジック15から11連勝で一気にセリーグ優勝を果たしたこの試合は、肘の大怪我から復活を果たした地元兵庫県出身の才木投手が先発し、岩貞投手、石井投手、島本投手の中継ぎ陣と、そしてこの数年、阪神のブルペン人のリーダーして活躍し続けてきた岩崎投手が、巨人の猛追をかわして勝ちきるという、今年の阪神のどの投手が出て来ても勝ちに貢献できるという強さを体現していました。
野手陣も良いですね、リードオフマンとして攻撃を牽引した近本選手と二番の中野選手が、確かなバッティングとすきを突く走塁で対戦相手のバッテリーや野手をかきみだし、ルーキー森下選手も好打者の片鱗を存分にアピールするとともにと全力走塁でチャンスを広げ、一年間四番に座り続けた太山選手、そして左の長距離砲佐藤選手が走者をかえすという、今年おなじみとなった攻撃シーンをこの試合でも観ることが出来ました。

試合終了直後、岡田監督がお立ち台で選手とファンに向けて語ったユーモアあふれる、愛情あふれる言葉は、とても印象的で、心にしっかり届きました。はじめて、岡田監督ありがとう!そういう気持ちになりました。

そして私は、22時40分から開始する祝勝会の番組を急遽録画予約して、そしてアルコールは一滴も飲まずに寝ました。でもよく眠れました。

朝起きてテレビを付けると、昨夜の戎橋界隈の喧噪を映し出していました。大勢の若者とそれを取材する記者やテレビリポーター、そして事故が起きないようにと警備に駆り出された千名を超える警察官で、ごった返していましたね。
死者はもとよりけが人が出なかったこと、器物損害などの破壊行為が行われなかったことで、阪神の優勝が汚されなかったことはなにより良かったですが、警備に駆り出された警察官の皆様には、私、関係ないですが、非常に申し訳ない気持ちになりました。

1985年10月16日、というか翌日17日のまだ陽の明けぬ時間に、私も戎橋の喧噪の中にいました。
16日、神宮で行われた優勝の決まる試合を、職場近く、淀屋橋界隈の居酒屋にラジオを持ち込んで、会社の同僚たちと試合終了まで居座り、そこから北の行きつけのスナックに場所を移して、夜中まで六甲おろしを歌い続けました。どこからか優勝祝いの行進が御堂筋で始まるという、言わばデマに乗せられて、深夜に阪神百貨店本店前に向かうと、そこはもう一群であふれかえっていました。そこで、優勝の文字が書かれた横断幕が披露されたのか、歓喜の渦に包まれましたが、結局、御堂筋行進はなく、そこから先輩の行きつけのスナックに再び場所を変え、三時過ぎまで六甲おろしを歌い続けました。その夜は、北の歓楽街の店という店から六甲おろしが鳴り響いていた様に思います。
そして、先輩と二人で南を歩いて目指すことにしました。もうその時間には南までの御堂筋の道中は、閑散としていました。が、残念なことに、暴走した者たちによって、歩道を彩る花の鉢や看板、駐車中の自転車やバイクが、引き倒された惨劇の後を、道中ずっと眺めることになり、戎橋についた頃には、すっかり優勝の幸福感や高揚感は冷めていました。戎橋の喧噪や道頓堀橋の上でまだ進行中の破壊活動を目の当たりにした時、これじゃあ六甲山にでも登って、静かに優勝を祝う方がよかったなと嘆きたくなる気持ちになったことを、思い出します。

その意の申し訳なさが甦ってきたのだと思います。

最後に、トラッキーの背番号が、来年こそ1985から更新されること、心から願っています。頑張れ阪神、日本一、応援してます。

2023年9月6日水曜日

性的虐待問題に光を当てるスポットライト

 数日前、娘からLINEで

「おとうさん スポットライトという映画 見た事ある?」

という問い掛けがありました。

観た事はないけど、どうして?と問い返すと

「ちょっと 仕事の資料として」

と返事がありました。


うろ覚えですが、私はスポットライトというタイトルには聞き覚えがありました。

ずいぶん前にニューズウィーク誌で読んだ、欧米の道徳社会を根底から揺るがしかねない、カトリック神父による児童への性的虐待という大スキャンダルのニュース・・・。

それでウィキペディアでこの映画のあらましを確認した後、amazonプライムの映画公開リストにこの映画のタイトルがありましたので観ました。


日本語のタイトルは「スポットライト 世紀のスクープ」(原題Spotlight 2015年公開アメリカ映画)で、2016年にアカデミー作品賞の他、数々の映画賞を総なめにした作品でした。


映画の冒頭、『この物語は、実際の出来事に基づいている(this story is based on actual events. )』が表記されます。

2001年、マサチューセッツ州ボストンの日刊紙ボストン・グローブは、親会社タイムズからマーティ・バロンを編集長に迎えます。

バロンの仕事は、インターネットという新興メディアの台頭によって新聞の存在が脅かされるなかで、グローブを読者に支持される読み応えのある新聞に成長させる事でした。

そしてバロンが最初に眼を付けたのは、グローブのスクープを扱う精鋭チーム「スポットライト」の記者の一人サーシャ・ファイファ-が以前に書いた「ゲーガン神父が児童虐待で逮捕」という小さな記事でした。

バロンは、この小さな記事をもっと深掘りする事で、大きな金鉱(大スクープ)を探り当てられると予感し、スポットライトのリーダーであるウォルター・ロビンソンに、この事件を深掘りする事を求めます。

バロン編集長は、この町からすればよそ者で、かつユダヤ教徒の独身者でした。スポットライトの記者の面々は、この町が地元であり、家族や友人に敬虔なカトリック教会の信徒がいます。そして敬虔な信徒は教会の権威と家族や信徒の結束を何よりも重んじます。そのためスポットライトの記者たちは、バロン編集長とのそごを感じながら、また、家族や友人への負い目を覚えながら、スクープのための調査を開始します。


しかし、調査を開始してすぐに、記者達は、大変な不正、不義が、この事件の深層を覆い隠している事を知ります。

ゲーガン神父の児童虐待は30年に渡って行われていました。何十人もの児童がその魔の手に掛かっていながら、ゲーガン神父は何一つ処罰されずに、教区を渡り歩いていました。

虐待事件を知る者は、大勢いました。被害者本人、その家族、それぞれの事件に立ち会った警察、検察、弁護士、学校の責任者、そして教会の責任者。事件はすべて司法の手には委ねられず、教会の弁護士が家族を言い含めて示談にし、事件そのものがなかったものとされ続けてきました。そして新聞社もその一つでした。何年も前に、事実を知る者が深い罪から逃れる為に、新聞社に証拠とともに告発状を送ったものの、新聞社は何も行動を起こさなかったのです。

彼らの主張は、「少しの悪の為に、多くの善は捨てられない」という、組織を守る事、権威を守る事、それによって得られる利益を守る事の為に、彼らからすれば取るに足らない人間の犠牲はやむを得ないという、聖書が示す信仰とはとても相容れない、非常に身勝手極まりないものでした。

そして記者たちはさらなる深い闇を突き止めました。児童虐待を繰り返していたのはゲーガン神父だけではなかったのです。記者たちの想像をはるかに超える数の神父が、教会の隠蔽システムに守られながら、何十年も性犯罪を繰り返していたのです。

そして、これはマサチューセッツだけの問題ではなかったのです。カトリック教会によって布教活動が行われているあらゆる国、あらゆる場所で起こっているのです。枢機卿、そしてバチカンの法王までもが隠蔽システムに関わっている疑惑が出てきたのです。


記者たちは、

教会の権威を守るマジョリティから、不敬もの、嘘つき、詐欺師と攻撃を受ける

かつて性的虐待を受け心に深い傷を負い、何年も何十年も苦しみ続けている被害者(被害者達は自らを、苦しみに耐え命を落とす事を選択しなかったサバイバーと呼んでいた)、

被害者の訴えで共に戦う決意をした弁護士、

教会の秘密の療養施設(性犯罪を繰り返す神父を矯正するための施設)で心理療法を30年に渡って研究し、この問題を公にしようとして教会から追放された研究者、

とゆっくりと信頼関係を築きながら、彼らの告白、告発を聞き取りました。


そして、性犯罪を起こす、何度も繰り返す性犯罪者の神父の標的となる子供のタイプを掴みます。

「信心深い地域の子供たちを選ぶ

 罪悪感とか羞恥心が強い子供たちを選ぶ

 寡黙な子供たちを選ぶ

 貧困世帯の子供たちを選ぶ

 父親不在の子供たちを選ぶ

 家庭崩壊の子供たちを選ぶ」

そして、母を手懐け、子供を手懐け、何度も犯し続けていたのです。

性犯罪は、神父が教師を務める高校でも、そして神学校でも行われていました。

被害者は男子も女子もいました。


研究者は、教会からの攻撃によって断念した研究結果の公表を記者に託します。

それは次の様なものでした。

「この危機の原因は、聖職者の独身制にある。それが私の最初の発見だ。

禁欲を守る聖職者はたった50%、今はほとんどが性交渉を求めている。

だが、教会の秘密主義が、小児性愛者を守る結果になっている。

教会は危機の存在を知っていた。

ルイジアナの事件の後、法王庁の法官トム・ドイルの報告書に、小児性愛の被害者への賠償額は10億ドルになると書いてあった。それが1985年だ。」


記者の調査が佳境に入った最中、9.11同時多発テロが起こります。スポットライトの記者たちも全員、同時多発テロ関係の取材に駆り出され、調査は中断することになりました。

同時多発テロが宗教戦争の色合いを帯びていた事から、アメリカ社会の団結を阻害する様なカトリック教会のスキャンダルは公開出来なくなったという理由もあったかもしれません。これによって、重い口を割って告白してくれた被害者たちは、悲嘆しますが、記者たちにはどうすることも出来ませんでした。


一年が過ぎ、2002年の冬、スポットライトチームは、再び調査を再開し、そして遂に、ボストンを預かる枢機卿が隠蔽に加担した事実を示す証拠の手紙と、ボストンの教区で過去30年の間に性犯罪を犯した神父90名の実名リストを手にします。


そして、2002年12月のグローブ日曜版で、「カトリック教会が長らく隠蔽し続けてきた神父による性的虐待」を明らかにするスクープの第一報が報じられました。

この第一報によって、抗議運動とか不買運動が始まるのではと危惧して、一睡も出来ずに、休日出勤してきた記者たちが目にしたのは、これまで声を発する事ができなかった多くの被害者からの救済を望む電話でした。


***


鑑賞後、私がこの映画から受け取ったのは次の様な事です。

ひとつは、

この物語は、被害者の生々しい告白のシーンがあり、深い心の傷を負った被害者から、私自身が記者の目線で生々しい告白を聞かされている様な錯覚に陥って、心に強い恐れを受けた事です。これからこの映画作品を観る人には、心して観てほしいと思います。

そしてもう一つは、

物語のラストで、困難な末にスポットライトチームによる大スキャンダルのスクープ記事がグローブ紙から出たその朝、これまで誰にも声を発する事の出来なかった多くの被害者や被害者家族から、スポットライトに、次々にその声が電話で届けられるシーンを観て、この大スキャンダルの顛末を事前に調べて知っていた私は、ようやくこれから被害者への本当の救済が始まるんだという安堵感で、涙が溢れてきた事です。

まことに真実に迫る映画作品でありました。


追伸.

今、日本の児童性的虐待事件の象徴的な事件としてセンセーショナルに扱われる様になった、亡きジャニー喜多川氏によるジャニーズ事務所所属の青少年への半世紀に渡る性的虐待事件について、この映画を見終わって、テレビのニュース番組で語られる以上の、深い闇がある様に思えてきました。

疑問点は三つです。

一つは、一人だけの事なのか

二つめは、隠蔽システムは、何を守っているのか

そして三つめは、私たちは、本当に自分の事として考え、正したいと思っているのか

です。

性的被害者の人権、名誉は、二度と犯してはならない。二度殺してはならない。

それを厳守した上で、私たちは本気でこの、陰湿な問題を自分の身近な問題として考えられるのか、正面から向き合う勇気があるのか。そのことを自分に問うてしまいます。

2023年8月3日木曜日

「はだしのゲン」削除問題が私を突き動かします

 先日放送のあったNHKのクローズアップ現代『「はだしのゲン」教材からなぜ消えた』の回を観て、私が思っている事を書きたいと思います。


「はだしのゲン」の舞台となった広島市の、現在の広島市教育委員会が、10年前に小学生向けの平和教育学習教材に引用した漫画「はだしのゲン」を、2023年度版から削除した。昨年、改訂に関する現場教員との意見交換の席では削除という話にはならなかったのに、削除の明確な理由、プロセスが示されないまま、2023年度版から突然削除された。

この問題はマスコミに取り上げられる様になって、教育委員会が削除の理由として示したのは、

・「はだしのゲン」で描かれる描写が、現代の子供たちの生活実態に合わない、また、「(道徳的に)誤解を与える恐れがある」

・被曝の実相に迫りにくい

そして、保守団体などからの削除圧力が影響したかとの問いには、全くなかったと回答している。


この「はだしのゲン」削除のニュースを聞いて、まず思ったのは、「二宮金次郎像撤去」ニュースと同じだ、という事です。

今の生活実態にそぐわないから撤去せよ、削除せよという一定数の示威運動に、必要性の説明や話し合いを持ちかける事をせず、批判を受けないために、もしかしたら説明や話し合いの労力こそ無駄と考えているのか、なんの為らにもなく撤去や削除に踏み切ってしまう、こんな風潮が、今の世を席巻しているという強い危機感です。


次に思ったのは、教育が指導手順に則ってしか行えない現在の教育現場への危機感です。

平和教育、平和を教育する、聞こえは良いが、私自身、平和とは何か?を簡潔に説明することが出来ません。平和とは何か?とは常に探求を必要とする哲学のテーマだと考えるからです。時代や国、一人ひとり考え方が違えば、平和の捉え方は千差万別だと考えます。


こんな意見もありました。私たち平和を享受している日本人だからこそ平和教育が行えると。

日本は78年前の戦争で敗戦の道をたどり、軍事力は壊滅させられ、末期には、全国津々浦々まで焼夷弾で火の海にされ、沖縄は地上戦で殺戮の場となり、広島と長崎は原爆投下によって焦土となりました。そしてようやく日本の支配者たちは敗戦を受け入れました。日本は占領されました。占領下で、新しい憲法が発布され、そこには戦争放棄、武力放棄が書かれていました。そして私たち日本人の多くは、日本が独立国として復帰後も、新憲法を御題目の様に唱え、それが平和の形なのだと信じて、今日に至っています。

日本は平和でしょうか?探求が必要な平和という概念などまるでない様に、戦争を放棄したのだから世界一平和な国だ、と言わんばかりに、平和の二文字にすがりついています。

この78年、戦争で対峙し、日本を負かしたアメリカは、今や日本人にとって、なくてはならない友邦国となりました。戦争が生んだ深い遺恨は水に流され、両国の国民には深い友情と信頼、尊敬が保たれる様にもなりました。

しかし安全保障の面においては、日本はアメリカの支配を受け続けています。敗戦の日本を占領したアメリカ軍は、現在は日米安保の名のもとに、日本全土を縦横無尽に機動する権利(支配権)を維持しています。

また、戦後に朝鮮半島に成立した二つの国は、長年、日本の安全保障において脅威であり続けました。韓国は、時の政権覇者によって友邦国の様になったり、敵対国となったりです。そして北朝鮮は、日本人拉致に始まり、様々な犯罪の温床であり、そして近年ではミサイル開発、原爆開発が異常な脅威を生み続けています。

冷戦期において、ソ連は日本を冷戦の最前線として捉え、常に武力による脅しをかけ続けていました。ソ連が崩壊して、ロシアと名称が変わっても、実態は少しも変わらず、再びプーチンという独裁者がロシアを支配して、底知れぬ領土拡大欲によって、ウクライナ侵略戦争へと突き進み、東アジアにおいても、威嚇や恫喝を通り越して、いずれは侵略してもおかしくない有様です。

戦後に中華民国を台湾に追いやって、中国大陸で成立した中華人民共和国は、自ら掲げた共産主義で国を滅ぼしかけますが、共産党という支配組織を維持しながら、実態的に共産主義を捨て、デモクラシー国家の経済活動である資本主義と自由経済を取り入れて、海外資本や技術を吸い込んで、30年たらずで世界一の経済力と軍事力を有するアメリカに脅威を与える存在となりました。そしてその中国も独裁国家の姿を呈してきました。


平和が戦争の脅威のない状態を表すならば、自らを守る術(いくら優秀な隊員を有する自衛隊があって、有数の新型兵器を有していたとしても、憲法がそれを否定しているため)を持たない日本は、アメリカ軍の安保という信義に頼るだけの日本は、張りぼての平和の国と言わざるを得ないと思います。


「はだしのゲン」削除問題で、もう一つ聞く事は、教育に政治的に偏った思想を取り入れてはいけないという各思想団体からの圧力が、実際あるという事です。そのために、どこからも非難されない、無難な指導内容が選択され、それに沿ってしか、教師は子供たちを指導できないという制約です。

でも、誰かが指導要領を決め、それを上意下達で通達され、下位では、考える事が許されないでは、政治的な偏りそのものだと思います。

現在の日本の支配者層の思想で、教育が改悪されてしまう、そういう危機感を覚えます。


それならば、誰かの平和思想に縛られる事になる平和教育は止めにして、教育の現場で、教師も生徒もともに、戦争について考えてみてはどうかと思います。

人間は何故戦争をするのか

これまでの戦争が、どれほどの悲劇と悲惨を生んできたのか

これから戦争が起これば、私たちに何をもたらすのか

教師と生徒が、そして生徒の家族も巻き込んで、みんなで知る、みんなで考える

そして、私たちはどうすればよいのかを真剣に考える


過去の戦争を知る資料なら、私たちの先人は多くのものを残してくれています。それを教材にすればいい。誰かが指定したものではなく、みんなで持ち寄り、学び考える、そして共有する、それが、教育に求める、本来の形ではないかと思います。


p.s.

私は漫画「はだしのゲン」を全部読破した記憶はありません。でも子どもの頃に一部を読んで強烈な印象を今も残しているシーンがあります。ケンが荼毘に付され白い骨となった母を、泣きながら食らうシーンです。考えられないほどに悲しく辛い思い出です。


原爆についての資料として、私が第一級と思うのは、長田新先生が編んだ、被曝した広島の少年少女が書き記した被爆体験の作文集「原爆の子 -広島の少年少女のうったえ-」です。読み進めるほどに、彼らひとりひとりの体験が、津波の如く何度も心に押し寄せてきて、それは、鮮やかな色、光、匂い、そして、痛み、苦しみ、死、を私の心に刻んでいきます。本当に、あの日、あの場所に、自分も居たかの様な気持ちになります。

2023年7月31日月曜日

美しい風景を見て、私たち日本人の心構えについて考えました。

 先週末、BS番組『青木崇高と岸井ゆきのがアルプスの大自然を巡る旅 第一日目の旅』を観ました。


アイガーの麓に広がる牧草地や草原をトレッキングした岸井さんの一日目のゴール地点、神々の領域である氷壁の岩峰と、麓に人の手によって開かれた牧草地や草原が広がり、その中心にグリンデルワルト村を望む、この絶景を観て岸井さんが微笑みながら語った言葉に、私は胸を打たれました。


(人が自然と)共存している・・・、人間の方に心構えがないと、こうはならないですね


岸井さんは、心構えという言葉で、この旅で感じ取られた、この地で暮らす人々の誇りと覚悟を表現されたのだと思います。


でもこの世界には牧歌的な風景、天国の様な風景とは真逆の、ミサイルや爆撃によって無慚に破壊された町が広がる風景、地獄の様な風景が、悲しい事に、日を追う毎に広がっている現実を私たちは知ってもいます。


昨年の2月24日に、ロシア軍による隣国ウクライナへの唐突な軍事侵攻は、真に地獄の様な風景です。そして、それは、今も、日々、悲しい事に、続いています。

ロシア軍による軍事侵攻は、全く以て人命や文明を蹂躙する無差別攻撃、無差別殺戮です。


でもこのロシア軍によるウクライナ軍事侵攻は、ヨーロッパ諸国の、特に東ヨーロッパ諸国の人々の、心構えの有り様を、観る、知る、事が出来ました。

ヨーロッパ諸国は、特に東ヨーロッパ諸国は、ウクライナ軍事侵攻によって命の危険が迫り、列車で、車で、徒歩で、隣国に逃れようと国境に押し寄せる数百万のウクライナの人々を、迅速に温かく受け入れました。

東ヨーロッパ諸国は、西ヨーロッパ諸国の繁栄から何世紀も取り残されてきましたが、ソ連の崩壊によって、ソ連の支配から解放され、EUの一員としてこの三十年、デモクラシーを実践しながら歩んできました。そして、豊かに安全に自由に生きる事を享受することが出来る様になりました。

一方で、数世紀に及ぶロシアの脅威は、ソ連が崩壊して後も、失せる事はありません。ロシアへの懐疑は失せず、ロシアに支配され蹂躙された記憶も失せる事はありませんでした。


それがヨーロッパ諸国、特に東ヨーロッパ諸国の人々の、国を超えた連帯と人道行為に繋がっているのだと思います。


では、私たちの国、日本はどうでしょうか?

ロシアのウクライナ侵攻と同調する様な、中国による台湾侵攻が、差し迫った脅威として、テレビで連日報道され、政府は日本への脅威に対抗するための抑止力となる武力強化を着々と推し進めています。

そう、どこか台湾有事は、日本有事にすり替わり、台湾侵攻は、他人ごとの様に語られています。私たち日本人もどこか他人ごととして聞いている様に思います。

もし、万一、明日にも中国軍による台湾侵攻が始まれば、命の危険が差し迫った中華民国の多くの人々が、近隣の島国、そう日本へ、飛行機で、船で、押し寄せる事になるでしょう。


その、もしかしたら数百万にも及ぶ避難民を、私たち日本人は迅速に温かく受け入れる心構えが出来ているでしょうか?

私は、この事を何よりも先ず、国会で議論し、すべての日本人を巻き込んで、日本人が取るべき人道を探り、世界の国々に示す事が大事だと思います。

武力の強化や連帯以上に、国家を超えた人々の人道の連帯こそが、一番の抑止力となるのではないでしょうか。

そしてそれは、中国の人権や人道に心ある多くの人々との連帯に繋がって、それが中国政府に軍事侵攻を思い止まらせる抑止力となるのではと思います。


2023年7月30日日曜日

79年前のカウラ事件が私たち現代の日本人に訴えかける事

 一年前になりますが、ラジオ関西金曜日の夕方に放送される『田辺眞人のまっこと!ラジオ』で、後にカウラ事件と記憶される、太平洋戦争時には表沙汰になることのなかった日本人捕虜による集団自決事件をはじめて知りました。


第二次世界大戦時、東南アジアや太平洋上の戦闘にて捕虜となる枢軸国の戦闘員(多くは日本兵)を収容する捕虜収容所がオーストラリアの各地にあり、シドニーの内陸部の町カウラもその一つでした。

1000名を超える日本人捕虜は、オーストラリアがジュネーブ条約に則って捕虜を遇した事により、生命の危険もなく収容所内では自治を持って生活する事も許されていました。イタリア人の捕虜などは、国の家族に無事を知らせる手紙を書いていました。

しかし、日本人の捕虜は、偽名を通し、国の家族に手紙を出すことはありませんでした。

その理由は、大日本帝国軍の兵隊に通達された戦陣訓の一文『生きて虜囚の辱めを受けず』です。捕虜は屈辱であり、捕虜に甘んずるものは非国民であり、捕虜となったことが日本に知られる事となれば、家族にも累が及ぶ事、大日本帝国軍の隊員は心に刻んでいたからです。

だれもが本心は、生きて国に帰りたい、家族と共に平和に暮らしたい、という口には言えぬ希望を抱いていた事と推察します。しかし、後に捕虜となった隊員の幾人が戦陣訓を持ち出して一斉蜂起を唱え、その賛否を収容者全員に問うたところ、誰ひとり否を唱えることが出来ず、そして、1944年8月5日午前2時に首謀者のひとりとされる偽名南忠男の吹く進軍ラッパを合図に一斉蜂起し、重火器の雨に晒されることとなって、231名の日本人、そして警備側の4名のオーストラリア人が死亡する大惨事となりました。その中には、病気や怪我で蜂起に参加できない隊員が自決を強いられた死もあった様です。

この事件は、数日後赤十字を通じて日本に通達されましたが、その後もオーストラリアでは極秘扱いとされ、日本においては捕虜は伏せられ、オーストラリア人による日本人大虐殺という戦意高揚のプロパガンダに利用されたといいます。


そして戦後、1962年にオーストラリア政府によって、収容所跡地にカウラ日本人戦死者墓地が建設され、カウラ事件の死亡者を含む522柱の日本人戦死者が埋葬され、翌年1963年には、オーストラリア政府の計らいで、墓地は日本国に譲渡されました。


1970年代にアボリジニの文化研究をするためにオーストラリアに渡った若き研究者中野不二男さんが、現地でこの事件の事を知り、当時の公文書や現地の人々に聞き取り調査をし、また生き残った日本人への聞き取り調査(口の重い人からの聞き取りは困難を極めた様)をして、事件の全体像を明らかにし、『カウラの突撃ラッパ』と題する事件の詳細を明らかにした本を出版されました。


この事件は、現代の私たち日本人も払拭できていない心の闇を、私たちに問い掛けていると感じます。

心の中に持っている善悪を判断する心が、私たち日本人は十分に養われている筈なのに、同調圧力に抗うことなく屈してしまう、そしてさらには、悪に手を染め心を病むか、命を落としてしまう。

そういう事例は、現在も枚挙にいとまがない。

昨日今日の話では、BIGMOTORと損保ジャパン等の損保会社による詐欺事件、傷害事件もこれが真因ではないかと感じます。

表面だけ繕っても、心の問題を解決しなければ、さらにこの先、私たちは手遅れになってしまうかもしれない怖さを感じます。

2023年7月22日土曜日

宮崎駿監督作品を楽しんでいます。

 金曜ロードショーで久々に『もののけ姫』を観ました。冒頭で祟り神から死の呪いを受けた蝦夷の若者アシタカが、祟りの正体を求めて深遠な山野を越え旅をするシーンの、背景画と音楽が圧巻で、一気に宮崎駿監督が紡いだ叙事詩の世界に引き込まれてしまいました。

この『もののけ姫』のロードショーは1997年でした。ジブリの巧みなメディアミックス・プロモーションによって、『もののけ姫』はセンセーショナルな作品となり、封切りした映画館は、どこも軒並み立ち見が出る大盛況がロングランで続き、当時の日本の映画歴代興行収入記録を塗り替えました。

私もメディアミックス・プロモーションに大いに影響を受けたひとりで、書店で『もののけ姫』関連のムック本を購入し、大いに読みふけったものでした。

勿論、映画も観ました。立ち見でしたが、大いに感動した事を覚えています。


そして、先週から宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』が公開されましたね。この作品は、一切のプロモーションが行われないばかりか、一切の情報が秘匿されたまま公開日を迎えました。

私は、公開初日の最初の上映で、この作品を観ました。まだ夏休み前の金曜日の朝でしたので、館内に子どもの姿はほとんどなく、宮崎作品を愛する大人の観衆が集った中で、上映は始まりました。

物語は、とても一回の視聴では受け止めきれない難解さがありました。でもこの難解さの中に、私はナルニア国物語の読後感に通ずるものを受け止めた様に思いました。

映像は、これまで見た事がないほどの疾走感と、印象派の絵画の様な静寂感の静と動に溢れていて、難解さと相まって、その美しさは際立っていました。

音楽も、ある意味非常に印象的でした。これまでの宮崎作品は双子の様に久石譲のサウンドトラックが存在していました。映像を見れば音楽が頭の中に流れ出し、音楽を聴けば映像が頭の中に流れ出すという具合にです。ですが今作品の久石譲のサウンドトラックは、まるでサウンドオブサイレンスの様でした。神秘的で緊張感を誘うサウンドで、見終わった後にメロディが残ることはありませんでした。

本編が終わって、米津玄師が歌う『地球儀』とエンドロールが流れる間、誰ひとり立ち上がる者はいませんでした。きっとみんな、同じ気持ちなんだろう、エンドロールから少しでも確固たる情報を拾おうと静かに躍起になっている、そんな雰囲気が漂っていた様に思います。

そして、公開から一週間、『君たちはどう生きるか』の公開第一週の興行収入は、ジブリ一の興行収入を記録した『千と千尋の神隠し』を超えたとニュースで読みました。


宮崎駿監督は、理屈や屁理屈が下地となって描かれるSFではなく、純粋な、古典的なファンタジー、夢想した世界を映像化して、私たちに届けてくれたのだと、今感じています。ファンタジーの世界は、無垢な心で堪能したいと思います。

これほどのファンタジーを描いて見せた宮崎駿監督には、死ぬまで筆を置かず、二度と引退は口にせず、新たな新ファンタジーを紡いでいってほしいと願うばかりです。

2023年7月2日日曜日

カテリーナが届けたいウクライナのリアル

 こんにちは。

妻が朝の情報番組「あさイチ」を毎回録画して見ていますが、先週水曜日の回は「カテリーナが届けたいウクライナのリアル」という副題がついていましたので、私も録画したこの回を見ました。そして、思った事、感じた事を書き記したいと思います。

番組は、NHKで5年前からディレクターとして働いているウクライナ人女性ノヴィツカ・カテリーナさんが、戦時下のウクライナで現在も暮らす幼なじみや学生時代からの女友だちにテレビ電話を繋いでインタビューし、現在の彼女たちが置かれている状況と、日本人の視聴者からの質問に対する彼女たちの率直な意見を通じて、戦況を報道するニュース報道では知り得ない、戦時下で日常生活を送らねばならない市井の人のリアルな思いを、私たち日本人に伝えてくれる希有でとても強いメッセージが込められた内容がありました。

※次の火曜日(7/4)まではNHK+の見逃し配信でも視聴することができますし、NHKサイトでテキストを読む事も出来ます。

NHK みんなでプラス>ジェンダーをこえて考えよう>ウクライナ人ディレクターが聞く “戦争のある暮らし”

彼女たちの発する言葉は、とても心に刺さりました。

一部を抜粋掲載させていただきます。

オーリャ「まず、私たちの置かれている状況を想像してみて欲しいんです。例えば、もしアパートの隣の部屋の人が、ある日突然ドアを蹴破ってあなたの部屋にやって来て『ここはあなたの部屋じゃない、私の部屋だ。私は今日からここに住む』と言い出したら?そしてあなたの冷蔵庫の中のものを全部食べて、あなたの妻をレイプして、あなたの子どもを奪ったら?これが私たちの置かれている状況です。

あなただったらどうしますか?「どうぞどうぞ、アパートをお譲りします。なんでも使って良いですよ」っていう訳にはいかないでしょ?私たちの家、私たちの国、私たちの歴史を諦める訳にはいかないの」

アンナ「ロシアに抵抗する道を選んだのは政府じゃなくて、私たち自身だよ。ロシアは私たちが大切にしてきた文化やウクライナ人としてのアイデンティティまで否定している。こんな仕打ちは不条理過ぎる。だから私たちは戦っているんだよ」

オーリャ「多くの海外メディアは、いまだに『これはプーチンの戦争だ』と書いている。実際にはそうではない筈。誰にでも選択肢があると思う。

ロシア人は戦場に行く事を余儀なくされたとしても、そこで女性を襲ったり、民家を銃撃したり、SNSに嬉しそうなコメントを書いたりする事は、誰かに強いられている訳ではないでしょ。

だから私は『ロシアとウクライナの戦争は、あくまでプーチンの戦争なのだ』と言われると、憤りを感じるの」

戦争が終わったら、またロシア人と会話できると思いますか?という問い掛けに対して

オリガ「いいえ。どうコミュニケーションをとればいいの?第二次世界大戦の例を見ると、まあ、三世代くらい後には可能になるかもしれないけど。

でも、私たちの世代も、私たちの子どもの世代も100%無理だと思う。」



平安な日常をを奪われた上、国土を、文化を、命を、人権を蹂躙され続けているウクライナの市井の人々の、ロシア人への憎しみの深さは、私の想像をはるかに超えるものがありました。

それにきっと、同じスラブ民族でありながら、この千年、隣国の大国ロシアによる占領や迫害、民族虐殺を幾度も経験してきたウクライナの人々にとって、ロシア人への不信と憎しみは血肉に脈々と受け継がれている様にも思います。

それでも、私たちは、直接に戦争に加わっていない私たちだけは、

この侵略戦争で心を痛めプーチンやロシアの体制に異議を唱え続けて拘束されたロシア人がいることを覚えていなければいけないと思います。

また、デモクラシーの国でデモクラシーを謳歌しながら暮らしているロシアをルーツに持つ人がいることを忘れてはなりません。

そして、ロシア国内で独裁者に洗脳され盲信し続けるしかない哀れなロシア人がいることを、理解しておかなければなりません。

私たちは、彼等を憎しみの対象に、絶対してはいけないと思います。

このロシアによる侵略戦争は、必ずロシアの敗北に終わらさなければならないし、もしもそうならなければ、ウクライナな被った悲劇は、いずれ世界中の弱国が被る悲劇となるでしょうし、この日本も、いずれ独裁国家、専制国家の武力侵略の餌食となってしまうでしょう。

だから絶対にロシアの敗北で終わらさなければならないと思います。

敗北したロシアは、ウクライナの復興のために、天文学的な賠償を負う事になるでしょう。

それでも、ロシアの心ある人々が、ロシアを平和で人権をなによりも重んじる国家として再建する道も、また、応援しなければなりません。


怨みは怨みしか生み出しません。

協力関係や信頼関係を育むには、許しと救いが欠かせません。


それこそが、戦争当事国でない国家の役割ではないかと思います。そう、私たち日本人が、日本が、本当に行うべき役割ではないかと思います。


2023年5月23日火曜日

平成中村座姫路城公演を観劇しました。

俳優の高橋英樹さんが、平成中村座姫路城公演を観劇されたというニュースを妻が見つけて教えてくれました。高橋英樹さんのオフィシャルブログには、中村勘九郎、七之助ご兄弟と共に舞台の上で記念撮影された写真が掲載されていました。その写真には、舞台の借景として、実物の姫路城天守の姿が、夜の静寂に青く輝いていました。

高橋英樹さんのオフィシャルブログ写真にリンク

<div style="max-width:1082px;position:relative"><div style="padding-top:calc(75% + 58px)"></div><iframe frameBorder="0" sandbox="allow-popups allow-scripts" src="https://ameblo.jp/p/embed/takahashihideki-official/image-12803821324-15286910512.html" style="height:100%;left:0;position:absolute;top:0;width:100%" title="夜の美しい姫路城&amp;中村兄弟 の記事内画像 | 高橋英樹オフィシャルブログ Powered by Ameba"></iframe></div>
<div style="max-width:1082px;position:relative"><div style="padding-top:calc(75% + 58px)"></div><iframe frameBorder="0" sandbox="allow-popups allow-scripts" src="https://ameblo.jp/p/embed/takahashihideki-official/image-12803821324-15286910512.html" style="height:100%;left:0;position:absolute;top:0;width:100%" title="夜の美しい姫路城&amp;中村兄弟 の記事内画像 | 高橋英樹オフィシャルブログ Powered by Ameba"></iframe></div>

実は、この平成中村座姫路城公演を、5月15日(月)に妻と一緒に観劇してきました。座席は舞台から見て右側にあたる二階の竹の後方の席で、舞台右側に延びる花道は真下にあって座席の前の柵の上に顔を伸ばさなければ見ることが出来ず、また舞台奥の借景も画角の下の方しか見ることの出来ない窮屈この上ない席でありましたが、でも第二部公演の二作目「天守物語」のクライマックス、舞台の背が開いて、光に照らされて緑に輝く姫路城内の松林が目に飛び込んで来るや、感動が頂上に達して、感激の涙がとめどなく溢れてきました。





歌舞伎なんて敷居が高いとか堅苦しいという何となくのイメージを持ってこの歳まできましたが、平成中村座という名と姫路城公演という希少さから、公演の座席を取り、いざ観劇すると、これまでのイメージは見事に払拭されました。

最初の演目「棒しばり」は、酒に目がない次郎冠者と太郎冠者の二人が、殿様の留守中に盗み吞み出来ぬ様に棒しばりされていたにも拘わらず、二人協力して酒蔵に潜り込み飲酒の挙げ句に棒しばりのまま酔いに任せて舞踊に興じるという、とても心躍る華やいだ演目で、その様子を楽しく堪能しました。そして何より、演ずる三名の演者とともに鳴り物奏者の方々、後見の方々、皆さんの一分の隙もない技量の素晴らしさに感銘を受けた次第です。

そして幕間後の二作目「天守物語」では、二時間近くにも及ぶ一幕の中で膨大なセリフと、一時も目が離せない演技、演出に対峙することになり、観る側も技量が試されている事を理解しました。そして私はその緊張に堪えきれず、前段の天守に潜むあやかしの姫君豊姫のところに、妹分である亀姫が遠く猪苗代の亀ヶ城から空を渡って訪問する怪しげで艶やかな交わりの段の途中で、窮屈な姿勢のまま寝落ちしてしまいました。気付くと亀姫がお供の鬼と帰路に着くところでした。しかし二段目では、豊姫と若侍の悲恋、そして追っての侍衆との立ち回りと、展開に強弱があって、そこでは舞台で展開される物語に引き込まれて、没頭して観劇しました。

豊姫の守護神である獅子頭が侍に刀で目を突かれると、豊姫と若侍ともに盲となり、このまま悲劇で終わるのかと悲観し始めたところで、この獅子頭を彫ったという名匠の翁が現れて獅子頭にのみを振るうと獅子頭の目に光りが戻り、それと同時に豊姫、若侍ともに目に光りが戻り、豊姫の怨念も晴れて、昇天するという大団円を迎えたところで、舞台の背が開き、外の本物の姫路城がライトに照らされた風景が、私たちの目に飛び込んで幕が下りました。

大大大大、大満足の観劇となりました。

2023年3月5日日曜日

ロシア 衝突の源流

 2月25日にNHK-BSプレミアムで放送のあったドキュメンタリー「ロシア 衝突の源流」を観て、これまでよく知らなかった現在も続くロシアの帝国化の歴史を少しですが知ることが出来ました。

ドキュメンタリーは、オックスフォード大学の教授で国際政治学者であるリチャード・ネッド・レボー教授が、古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスが「人はなぜ戦争を選ぶのか」の動機としてあげた「fear 恐怖」「spirit 威信」「Appetite 欲望」の三つのキーワードに照らし合わせながら、大国化強国化帝国化の野望を実現するために、人民の犠牲も厭わず、なりふり構わず戦争に邁進し続けてきたロシアの戦争の歴史を解説するという内容でした。


番組は、3月11日(土)13:30から再放送されます。


番組の終盤に、三人の学者が語ったメッセージを、下記に記します。


クリストファー・コーカー教授 専門分野:軍事史・戦略史

「19世紀、ヨーロッパのほぼすべての国が国民国家になろうとしていました。しかしロシアは一度も国民国家になったことがない。ロシアはずっと皇帝がいる国なんです。」


ナレーション

「ソ連崩壊から9年後の2000年、ロシア共和国のリーダーとなったプーチン大統領。

東ヨーロッパの国々はロシアの影響下から離れ、ウクライナなどソ連の構成国も次々に独立しました。ロシアの勢力圏は帝国時代と比べて狭くなりました。

今、戦場となっている地域はかつてのロシア皇帝たちが求めて止まなかった黒海への道に位置します。しかしそこは古来からのロシア領ではなく、戦争によって手に入れた土地でした。」


ウラジミール。プーチン

「ウクライナ侵攻はロシアの同胞を守るためです。我々には他の手段はなかったのだ」


ナレーション

「かつて自らを正教会の守護者として戦争に及んだロシア、しかし、ウクライナもまた正教会の国です。プーチンが崇拝するかつてのロシア皇帝たちの主張とそれは矛盾しないのでしょうか。

核兵器の使用さえほのめかしているロシア、破壊の限りを尽くした先に何が有るのか、プーチンはかつての皇帝たちが想像さえしなかった領域に踏み込もうとしています。」


アンドレイ・ゾーリン教授 専門:ロシア文学・ロシア歴史

「歴史家である私が言うのも変ですが、世界を平和に保つ為に重要な事は、指導者たちが現代の問題に対する答えを歴史に求めないことです。歴史的に自分たちの土地がどうかを考えても不満しか産みません。あなたの国が過去に私の国を迫害したかどうかを考えても憎しみしか産みません。

歴史が国際政治の議論の中心になってはいけないのです。国の指導者が歴史を政治に利用し始めたとき戦争の前触れとなるのです。

私たち専門家の仕事は歴史を戦争の道具にしないことです。学問として冷静に捉え、憎しみや恐怖を生まないようにしなければいけないのです。」


リチャード・ネッド・レボー教授 専門:国際政治学

「20世紀に入り、大国が戦争に負けるようになりました。その理由の一つがナショナリズムです。戦争とは敵に苦痛を与えるだけでなく、自らも犠牲に耐えなければなりません。だからこそナショナリズムが必要なのです。

ウクライナ人は、こう話している間にもロシア軍と良く戦っています。西側諸国がウクライナに最新武器を提供したからだけでなく祖国を守るために戦って死ぬ覚悟があるからです。一方のロシア兵にはそんな覚悟は有りません。

ウクライナだけではありません。歴史を見れば明らかだと思います。戦争はもう起こしてはいけないのです。犠牲が大きすぎるのです。

更に、周囲の反対を押し切って戦争を仕掛けても国際社会からは孤立してしまいます。ロシアは今、非常に大きな代償を払っています。

プーチンは自分をピョートル、エカテリーナやスターリンの後継者でありロシア帝国を築き上げる使命があると考えています。しかし現実はその逆で、プーチンはロシア国家を破壊している最中だと思います。」


2023年2月6日月曜日

この世界は美しく 人生は素晴らしい

 この世界は美しく 人生は素晴らしい


この文句は、きれいごとでしょうか?

この世界では、紛争、戦争、テロリズムが一日でも止んだ例しはなく、

身近でも、欺し、脅し、暴力、殺人が一日でも止んだ例しはありません。

そして

毎日毎日、大切なものが破壊され

毎日毎日、大切な人が生き物が傷つけられ殺されています。

しかし、今の私たちには

毎日毎日、苦しむ人、悲しむ人、絶望する人、怨みを抱く人が増え続けても、

彼らを救う手立てが見つかりません、ありません。


この世界は美しく、人生は素晴らしい


それでも、私たちはこの文句を、きれいごとを

夢に、目標に、しなくてはなりません

そうでなければ、絶望が、暗黒が、終わりが、

私たちの世界を飲み込んでしまうからです。


明日が少しでもマシな一日にするために

生きている内に、少しでも実感できるようにするために

子供たちが、孫の世代が、未来の人々が、当たり前に思えるために


そのために私たちに与えられた道は一つしかありません

デモクラシー

日本では、民主主義と呼んでいる

ひとりひとりが、誰もが、すべての人々が、

大切にされる、尊重される、社会、国家、世界の実現を目指して

進化すること、進歩すること、持続すること、これを止めないこと

です。


そのために、私たちは

私たちが目指すデモクラシーを、民主主義を

何よりもまず学び、血肉にして、

デモクラシーを、民主主義を

進化するために、進歩させるために、持続するために、止まないように

行動しなければなりません。


この世界は美しく、人生は素晴らしい


次の世代に、引き継ぐために

私たちは行動しなくてはなりません。諦めてはなりません。


2023年1月8日日曜日

今日、耕太郎が門出を迎えました。

 次男耕太郎はスポーツ指導・運営管理に関わる職を得て、今日横浜へと旅立ちました。

高校卒業後一度就職しましたが、スポーツに関わる仕事をしたいという夢を実現するために一念発起して、スポーツの指導が出来る教員免許を取得するために学校に入りました。

しかし、無事に卒業を迎えても世の中は不景気とコロナ禍のまっただ中で、なかなか就職が決まらず、派遣社員登録して介護の仕事に就きながら就職活動を続けて一年あまり、漸く希望するスポーツを事業の柱とする会社に就職が叶いました。そして明日から始まる新人研修に参加するため、研修場所で本社のある横浜に旅立ちました。


二十六才の旅立ちです。

ずぼらな性格です。無愛想な性格です。少し気の弱いところもあります、優柔不断なところもあります。

ですがそれ以上に、友達思い、仲間思い、心根の優しい、そして少しずつですが思慮深さを学びつつある、偉丈夫です。

しんどいことでも進んで行い、仕事を覚え、いずれは周りの人たちから信頼に足る者になって欲しいと願っています。

人を大切にし、自分自身も大切にできる、労れる者になって欲しいと願っています。

2023年1月1日日曜日

母と暮らせば

 母は年末の介護認定更新調査の結果、要介護5に認定されました。

しかたありません、年齢も今年誕生日を迎えれば98才になりますし、年相応に認知機能も身体の衰えも進んでいます。

見ていて辛いのは、左手が丸く引きつってしまっていること、起床時ベッドから起こすときに、少しでも足が伸びてしまっていると関節部分に強い痛みが生じる時です。そんな時、母は顔を大いに歪めて痛みを訴えてきます。でもどうしようもありません、これが人間が痛み衰えてゆく姿なのだと、ただただ頑張れと笑顔で声かけするだけです。


それでも改善したこともありました。

母は衰える以前から便通が悪く、ダイオウ粉末などの薬を服用して排便を促していました。認知機能や身体の衰えが進んで、家族によるケアが必要になってからも服用を続けていました。服用しないと一週間経っても便が出ないのです。しかし、服用すればするで、今度は緩い水便がドバッと排出されオムツパンツからも漏れ出して、服から床から布団からシーツから便塗れになってしまい、その後の片付けや洗濯が大変でした。


それが二年前の母の誕生日の時に、一番上の姉が介護食弁当の一ヶ月お試しをプレゼントしてくれて、これが契機となって、母の食事に色々と気を使うようになりました。


そして現在、母の食事は基本一日二食となり、

朝は、手作りのカボチャやさつまいものピュレに、豆腐と黄身とチーズを混ぜ合わせてスープやシチュー類と合わせて温めたグラタン、そして牛乳から作ったリコッタ、季節の果物のすりおろし、これらを組み合わせて一食にし、

夕刻に、介護食の弁当と、市販の介護食おかゆ御飯類、そしてスープで一食、

間食としてプリンや介護ゼリー

飲み物は、コーヒー、紅茶、日本茶と栄養剤ドリンクであるエンシュアリキッドで水分補給をしています。

テーマは誤嚥防止と、とりあえずしっかり食事を取る事です。

代わり映えしないメニューですが、これを続けている内に、ダイオウ粉末など服用せずとも、形を維持した軟便が出るようになりました。合わせて、汚れることもほぼ無くなって、トイレサポートが楽になりました。


こちらも体調の優れないことも多く、冬場になると風呂に入れることは難しくなりました。けれど、こういう時、温水が出るウォシュレットがあって助かります。

後は身体を温湯で浸したタオルで拭いて、清潔な着替えをすることで、肌のダメージを防いでいます。


十分に満足する様なサポートは出来ないけれど、手を抜くことも多いけれど、それでも母は、時折に「ありがとう」と言ってくれます。いつもはぶっちょずらの私ですが、母の前では笑顔と大きな声で接しています。


母の口癖は「呆けても呆けてもいんだから」「呆けるときは呆ける」などなどです。この口癖を聞くと、なんとも緩やかな笑みがこぼれます。後どれくらい、この口癖が聞けるかは分かりませんが、聞けなくなるまで、母と暮らしていたいとと思います。