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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2023年9月19日火曜日

「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」視聴メモ

ドキュメンタリー番組「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」を見ながら視聴メモを取りました。

香港人報道カメラマン クレ・カオルは、『自由であることは罪なのか』という不条理な自らの問い掛けの答を見つけるために、ロシアによる侵略戦争が始まったウクライナに向かった。

番組冒頭、昼間のウクライナ兵との行軍中にロシア軍から攻撃を受けた。砲弾が目の前で炸裂し、各々が地面に身を伏せるシーン。空はどこまでも青く雲は真っ白に浮かんでいるのに、地上は砂埃にまみれ、傷ついた兵士は痛みをこらえて戦い続けている。自分たちの民主と自由の権利を奪われないために。

自由を求めることは罪なのか

ウクライナ戦争が始まって、一年半、ウクライナで取材を続けている。危険な目にも何度もあった。でもボクには自由のために闘う人を取材する理由がある。

カオルさんは、ウクライナの取材の合間に度々日本を訪れ、取材をもとに講演会を開いている。香港にたくさんの外国の記者が来て、香港を助けるとは言わないが、取り上げてくれた。世界の人々は、そのおかげで、香港のことを知った。

講演会で彼が必ず話すのは、ふるさと・香港での経験だ。

「自由って、闘わないと手には入らないもの」ということを改めて認識した。自由って、一人一人が主張しなければ、あっという間になくなっちゃう

カオルさんは、香港を脱出するまでの四年間に映像で記録した600時間にも及ぶ未発表映像をNHKのスタッフに託した。

2019年から2021年までの香港が、いつか忘れ去られてしまうので、世界中の人に真実を知ってほしい。知ってくれれば、それでいいです。香港人が最後まで闘った記録です。


僕たちは港猪(香港の豚)と呼ばれていた。僕たち若者は、ずっと豚と呼ばれてきた。平和ぼけして政治に無関心、食べる事にしか興味のない豚。

僕は大学で遺伝子の研究をしていた。今思えば、あの時間はかけがえのないものだった。

僕たちが立ち上がり、声を上げたのは四年前(2019年)

自由のために闘い収監された香港にいる容疑者を、中国に引き渡せるようにする条例改正案への抗議デモです。改正案は取り下げられたが、「中国化」の強まりに対する抗議活動へ発展した。

No China Extradition

光復香港 時代革命(香港を取り戻せ 時代の革命だ)

2019年6月17日 香港200万人デモ

200万人もの香港人が集まる光景に胸が熱くなり、ボクは研究の道を離れ、報道カメラマンになった。香港では、デモは権利として認められてきた。声を上げれは、思いは届くと思っていた。でも、催涙弾、度重なる(治安維持と称した警察権力の)暴力、力ずくで押さえ込まれた。実弾も使われた。行方がわからなくなった市民たちもいた。

次第に、香港から自由は無くなっていった

♪頭を上げ 沈黙を破り 叫べ

自由を手に ここに集え

なぜ この恐怖は 消えないのか


人が集まっただけなのに(警告し、全員を拘束した)

それでも私たち香港人は、五大要求を一つも譲らない

ありのままの現実を撮ろうとしただけなのに(職務質問を受け身分を照会された)


♪夜明けだ

取り戻せ 私たちの香港を

皆で 正義のため 時代の革命を


かつてデモで歌われていたこの曲(歌)も、歌えなくなった。そして、抵抗する人は街から消えた。香港の、ボクたちのすべてが変わったのは、あの法律ができてから

国安法

香港には言い伝えがある。悲しい歴史が起きるときには雨が降る。

2021年6月、香港北西部にある刑務所から、一人の若者が刑期を終えて出所した。日本でも知られる民主活動家の周庭さん。彼女が何を話すのか、ボクたちは期待していた。でも問いかけには、何一つ応えなかった。

2020年6月、かつて周庭さんは、ボクたちの気持ちを代弁してくれた。

『一つ言いたい。これからどんどん辛くなるかも知れませんが、香港の民主主義、そして自由のために闘っていきたい。最後まで 絶対に 沈黙しない』それが彼女の信念だった。

周庭さんまで沈黙させたのは、あの法律、香港国家安全維持法(国安法)。施行された日にも、雨が降っていた。

1997年にイギリスから返還された香港

中国本土とは異なる法律のもと、高度な自治も認められ、集会や言論の自由が保障されてきました。

2020年6月、香港の相次ぐ民主化運動を受け、中国の習近平指導部が導入したのが香港国家安全維持法。いわゆる国安法でした。政府へと抗議活動などを取り締まることで、香港を安定させる、としています。

取り締まりの対象は「国の分裂」や「政権の転覆」「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加える行為」などで、最高刑は無期懲役です。警察には国安法違反を市民が通報できる「専用窓口」が設置され、密告が奨励されています。

街の空気は一変した

市民は些細なことでも、国安法を口にするようになった。国際大会で、香港の何詩蓓選手がメダルを取った時も、

水泳の後、中国の愛護団体が、なぜか二人(中国の)国旗を振っています。そこに、ひとりの市民が近づいた瞬間、飛び交ったのは、またあの言葉

『動くな!旗に触れるな!国安法違反になるぞ!こいつ頭がどうかしている、刑務所に入るべきだ!』


歌も、思うように歌えなくなった。


♪「香港に栄光あれ」

なぜこの恐怖は 消えないのか

なぜ信じて 諦めないのか

なぜ血を流しても 進み叫ぶのか

香港に自由と栄光を


デモの時、みんなで歌ったこの曲、ボクたちを何度も勇気づけてくれた。自由を求める香港人の切なる思い知ってほしいと、世界に向けて発信もした。今は誰も歌はなくなった。逮捕されるのが怖いから。国安法は、何が罪になるのかわからない。

警察の締め付けは日に日に厳しくなっていった。

この日は、デモで亡くなった市民を追悼する日。警察は感染防止を理由に、人が集まるだけで尋問した。この頃、一日の新規感染者数は一人か二人だったのに。

法令違反と見なされると(集会禁止措置 違反過料)七万円(当日)

『捕まってしまった。あそこで歩いている途中、連行された。立ち止まっていない。デモのスローガンを叫んでもいなかったのに』

警察は花(献花)があれば回収し、祈っている人がいれば尋問した。

『目をつぶって祈ろうとしたら拘束された。一体、何が起こっているの。故人を悼むのも悪いの。花はゴミだって言われた。すごく無力感がある』

市民はどんどん萎縮していった。みんなが集まって声を上げることは、香港ではもう出来なくなった。

身動きが取れる最後の砦はボクたちメディアだけ

この時までは、まだ報道の自由は保たれていた。

2021年6月17日、国安法から一年、恐れていたことが起きた。中国に批判的な論調で知られる、大手紙「リンゴ日報」の幹部五人が逮捕された。警察は過去の記事などを通じて、国家の安全に危害を加えた国安法の疑いがあるとした。会社の資産が凍結されるなどして「リンゴ日報」は発行停止に追い込まれた。リンゴ日報の存在はボクたちメディアの希望だった。

今日は最悪の天気の中、最終号を発売する日となってしまいました。これまで公開されることのなかった、編集現場、この日は入ることができた。

『報道の自由はありません。今日、私たちが最終号を終わらせたら、香港の未来は見えません。とても失望して、怒りを感じています』

最終号表題「香港人 雨の中 痛恨の別れ リンゴを支持する」

香港が香港であるために、新聞社の最後の抵抗だった。

屋上から見た光景は、忘れられないものとなった。

(リンゴ日報への感謝と香港人へのエールが街にこだまする光景)

そこにもまた(警察が大挙して現れ)

『今すぐ移動しなさい。駐車違反だ。警告する。ウイルスを広める恐れがあり、法令違反だ。』

さようなら(報道の自由、そしてリンゴ日報)


外にでると、雨は止んでいた。ネットメディア記者のアラン・キョンさんに出会い、一言お願いした。

『ずっと真実を守ってくれて有り難う。心から感謝です。リンゴ日報の存在があったから、私も自分のメディアを立ち上げました。みな同じ道を歩んでいます』

大手メディアへの締め付けが厳しくなるなか、小さなネットメディアはまだ活動を続けられていた。

『こんなに警察がいるの、大げさだね。なんでここを撮影に来た?もし権力乱用とか、おかしな事があったら、撮らないといけないから』

実はアランさん、本業はキリスト教の牧師

『聖なる父が汝に与えんとする愛をお見せになり、われらの命を照らすことに感謝します』

これから、とう生きればいいのか、教会には悩める若者たちが集まっていた。

自分が信じる道を行くべき

アランさんは自らの行動で、若者に伝えようとしていた。

『確かに今、香港人は沈んでいますが、まだ諦めてはいません。分かりやすいゴールや何をしたらいいのかを見失っているだけです。街に出ると決めた(抗議活動に参加すると決めた)当時の初心を忘れそうになったとしても、あの血と涙の物語は、魂の光として持ち続けていくのです。』

いつもみんなを奮い立たせてくれるアランさん。でも、街の人々はそんなに強くなかった。

香港に残る仲間たちの中には鬱になる人が増えていた。かつてデモに参加していた彼は、鬱々とした気持ちをアート作品で表現していた。

『何かを掃き出したい。大声で叫びたい。だしきってしまいたいという衝動。皆、生活の中で政治について考えたくないと思っています。疲れているからです。人生を諦めたいわけではない。でも悲しいことに、自殺を選ぶ人もいます』

生きづらさを感じ、香港を離れる人もいた

香港市民の海外移住は一年間で約九万人(2020年7月から2021年6月の推定値)

ボクが信頼を寄せる仲間も決心していた。報道カメラマンのサンさん。家族でロンドンに移住することに。

『決め手は子供。(移住を決心した理由は)学校で中国への愛国心を高める教育が始まったから』

※香港行政長官『私は愛国主義教育を進め、国を愛する精神を育て、若者の価値観をただしていきます。』

『香港を離れるつもりはなかったし、絶対ありえないと思っていた。決心はたやすい事じゃなかった。家族もいるから、当然、香港を離れたくなかった。でも子供の将来があるから仕方ない。このカメラで、たくさんの事実を見てきたよ。真実を見た。そのすべては、このカメラと頭の中に残っている。忘れることなんかできない。』

香港に残るのか、香港を離れるのか

遂に、小さなネットメディアも活動を制限される事になった。法令違反を理由に、メディアにまで尋問を繰り返すようになった。

拘束を恐れるメディアの中で、アランさんは違った。警察の前でも怯むことはなかった。

『人との間隔は1.5メートルを保っているのに、警察から「保っていない」と言われた。「あなたは今メディアの仕事をしていない」と言われて違反切符を切られました。』

教会に戻ると、アランさんに知らせが届いていた。香港警察から、集会禁止措置(違反)だ、過料の支払い命令を裁判官に申請します。過料額の合計は13000香港ドル(当時で約20万円)。もう一通あった。『私の発言を抑え込むつもりか』別件の容疑がかけられたら為、アランさんは出頭する事にした。

緊張してますか?

『していません。逮捕するならすればいい。』

アランさんは後日「公務執行妨害」の容疑で起訴されることが決まった。

拘留が決まっても、最後までゆるがなかった。

『有罪になる境界線が分からない。政府が一言「起訴する」と言えば、起訴ができてしまうのです。私はその時、記者をしていただけなんです。皆さん、何か悪いことが起きても怖がらないで。怖がると、彼らの罠にはまることになります。恐怖の連鎖は、私で止めて見せます。』


2021年10月1日 中華人民共和国 建国日


中国国歌(義勇軍行進曲)

起て!奴隷になりたくたい人々よ!

我らの血肉で、我らの新たな長城を築こう!

我ら民衆が心を一つにし

敵の砲火を冒して前進しよう!

前進!前進!


(街では中国国歌が歌われ)中国の国旗が至る所に在ります。向こうで誰かが国旗を降っていますね。子どもたちか国旗を振っています。思えば ちょっと前の国慶節(建国記念日)では街に人があふれて、中国に抗議をしていたけれども、誰も出歩きません。

声を上げる仲間も報道する仲間もいなくなった。

(警察署の前で報道のための撮影をおこなっていたのは)この日はボクひとりだった。訊問された。

自由を求めることは罪なのか

仲間の女性と、中島みゆきの「糸」を歌った。

僕にはもうどうすることも出来なかった。絶望というよりも居づらい。息苦しい。これ以上、何が言えるのかって、悩んだ時期もあって

光復香港

これが最後の落ちこぼれるところ 香港の(市街か一望できる港の公園で、変わらぬ香港の夜景を観ながら)ボクは決めた。ボクは香港を離れる。

2021年10月7日、空港へ向かっています。いい天気ですね、今日は。

いよいよ香港空港に着きました。これから香港を出ます。自由が失われていく香港を共に生きてきた仲間たち(見送りに来てくれた、お別れをした。)

(旅客機に乗り込んだ。)知り合いのカメラマンが、香港を離陸するまでは危険だと言っていたので、今まさに、その離陸する前の瞬間になってきてしまいました。

(離陸した旅客機の窓を覗き見)香港だ。かって自由の街と呼ばれていた香港なんだけど、雨だから、一瞬で見えなくなってしまいましたね。バイバイ香港

悲しい歴史が 起きるときには 雨が降る

この日ぐらいは、晴れで欲しかった。息苦しい日々は今日で終わり。

香港から9000キロメートル離れていて、ここまで来れば、もう安全でしょう。と云うことでいまから自己紹介致します。

改めまして、はじめまして、香港人報道カメラマン、カオルです。このままでは香港では出来る事は限られていると思って、香港を去ることを決意したんですけど。だからといって、香港人という身分(立場)を放棄したというわけではありません。香港を離れた後でも、香港人としてふるさとのために出来る事をしていきたいと、今この時間を借りて決意を表したいと思っています。

チェコ、プラハにて

こちらプラハの街の片隅に、なんと香港人がここで「私たちの場所」という支援場所を作りました。ボクは海外で暮らす香港人が、どう生きているのか、各地を訪ねて回った。

ジョン・レノンが亡くなった時に民衆が彼を悼んで作った落書きの壁で、「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ 時代の革命だ)の落書きもあります。香港では失われてしまった自由(自由な言論)がここにはあった。

なぜ守れなかったのか、どうすれば取り戻すことが出来るのか。

ボクはその答えを求めてウクライナに向かった。理不尽に自由が脅かされている現実は、他人事に思えなかった。自由のために戦い続けているウクライナの人々、その姿をまじかに取材して、一つの答えに辿り着いた。

『自由って闘わないと、手には入らないものだと改めて認識しました。自由って一人一人が主張しなければ、あっという間に無くなっちゃう。ウクライナに行って、こんな状況でも闘っている人たちの姿を見て、一人一人が無力じゃないこと、それを実感しました。香港も、まだまだ希望があるなって思いました。』

自由を求めることは罪。そんなことあるか

ウクライナの地で、ボクはあの曲を歌った


まだ怒りに震えるのか

頭を上げ 沈黙を破り 叫べ

自由を手に ここに集え

夜明けだ 取り戻せ 私たちの香港を

皆で正義のため 時代の革命を

どうか民主と自由が 永遠であれ

香港に 栄光あれ


夜明けだ 取り戻せ 私たちの香港を

皆で正義のため 時代の革命を

どうか民主と自由が 永遠であれ

香港に栄光あれ


ボクは今 自由です。


香港国家安全維持法(国安法)は

海外での活動や外国人も

取り締まりの対象となっている

これまでに逮捕されているのは約260名(2023年6月時点)


ボクには連絡を取りたい人がいた。拘留されたアランさん。香港にいないらしい。5ヶ月の刑期を終え、香港を離れていた。

アランさんからメッセージが届いた。

『心のストレスが、大きくなった。ある種の窒息する気分である。今は台湾にいる。ここで香港のために、何が出来るのか考えたい』 

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