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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2023年9月19日火曜日

寛容について

18世紀のフランスで文筆家として活躍していたヴォルテールは、ある凄惨な冤罪事件「カラス事件」の事を知り、冤罪で離散したカラス家の名誉回復に尽力しました。
18世紀のヨーロッパ諸国は、宗教対立、他宗教への不寛容が招いた何百年にも及ぶ宗教戦争を経て、寛容であることが国の発展に繋がることに気付き、信仰の自由が認められるようになっていました。しかしフランスでは、イギリス発祥のプロテスタントへの嫌悪感が、地方になるほどいまだ根深く、それが「カラス事件」を生み出す原因となっていました。
ヴォルテールは、この「カラス事件」を経て、フランス国民に「寛容論」を説きました。
寛容である事、つまり、考えが違ったり、信ずる信仰が違っても、そしてたとえ過去にいさかいがあったとしても、お互いを許し、認めることが、フランス人を文化的に高め、フランスが文明国として発展していく肝であると説きました。

※ちなみに、私は光文社古典新訳文庫で「寛容論」を読みました。カラス事件の真相を明らかにし、カラス家の名誉回復に尽力するヴォルテールの活躍が、まるで現代のヒューマンドラマの様なタッチで描かれていたので、とても読みやすかったです。理解もよく進みました。

ここからが本題です。
9月10日(日)、BS1で「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」というタイトルのドキュメンタリーが放送されました。
ウクライナ戦争が始まってすぐでしょうか、日本の情報番組で、ウクライナの現状を現地からリポートをしてくれる日本語の堪能な香港人報道カメラマンがいましたが、それが、今回のドキュメンタリーの主人公カオルさんでした。

ドキュメンタリーは、2019年に香港全土で起こった「中国化」への抗議活動に始まり、その抗議活動を同じ香港人の官憲が弾圧、そして2020年6月30日に中国の習近平指導部が導入した香港国家安全維持法(国安法)によって香港人は沈黙を余儀なくされ、香港人に保障されていた筈の言論の自由、報道の自由が完全に葬られるまでが、カオルさんの肉声と彼が撮影した映像で、時系列に綴られていました。

私は2019年から始まり、2021年10月にカオルさんが香港を脱出するまでの間、ずっと眼を見張り、口は開いたままになっていました。香港人の民主と自由が踏みにじられ、強い団結で結ばれていた筈の香港人が、沈黙し不寛容になっていく様が、これ以上ないほどに恐ろしかったからです。

カオルさんが、このドキュメンタリーに込められたのは、「自由を求めることは罪なのか」という不条理への問い掛けでした。そしてもう一つ希望されたのは、香港で起こった事実を、いつか葬られてしまうかもしれない事実を、一人でも多くの人に、知ってほしいということでした。

私は、中国人に対して、実は悪い印象を持っていません。ずっと若い頃、ウェリントンの街角で道に迷って困っていたところを、声をかけてくれて、英会話のおぼつかない私にジェスチャーを交えて親切に道を教えてくれたのが、中国人の青年であったのです。1991年のことです。
また最近のことですが、友だちや家族と一緒に日本を旅行して回っている中国人は、よく言われる爆買いというイメージからは程遠い、洗練した印象さえ受けます。
しかし、天安門事件から始まり、過激な反日デモ、まがい物から危険物まで何でも金に換えてしまう、そして最近の力による現状変更、そんな横暴な中国も、また中国から受ける印象となりました。
平和呆けしていた日本人である私は、世界第2位の経済大国に発展し、先端科学立国としても勇となった中国は、その大国の身分にふさしい振る舞いとして、他国に対して寛容な国に進化することで、中国は、中国の指導者がきっと欲しているであろう、他国からの称賛と尊敬と信頼を得ることになるだろうに、と思います。

中国は、香港を喰らい、次には台湾を喰らおうとしています。国内問題であるから他国は干渉するなと中国は警告しますが、国内問題とするところから歴史の歪曲ではないか、と私は思います。
香港は1898年に不平等条約とはいえ、イギリスが清朝政府から99年間租借した土地です。台湾(中華民国)は1911年に辛亥革命によって清を倒し、1912年に中国大陸に建国された国です。そして現在の中国(中華人民共和国)は、日中戦争後に勃発した内戦(国共戦争)で毛沢東率いる共産党軍が、蒋介石率いる国民党軍を台湾に追いやって、1946年に中国大陸に建国されたもっとも若い国と言えます。イギリスが香港を、アメリカが台湾を見放さず、民主国家の一員として迎えていたならば、この二つの国が、こんなに早くに存亡の危機を迎えることは無かったのではと思います。

最後に、私は中国に警告したい。
もし中国が、人権も自由も踏みにじりながら、万一地球の覇権国家となったとしても、不寛容さが内部に疑心暗鬼を次々に生み出して、発展どころか、自滅の道を進むことになるでしょう。
決してデモクラシーは人類を平和に導く唯一の手段ではないかもしれません。アメリカや欧州の先進国と呼ばれるデモクラシーを標榜する国も、様々な問題をその腹の中に抱え、国民は苦しんでいます。しかしデモクラシーは、国民の寛容さの裏打ちがあって成されるものであり、デモクラシーが幾分でも機能している国家の国民は、寛容な国民と言えるでしょう。
寛容な国民を有する国には、将来の成長や発展という希望があります。
中国には、ロシアの轍を踏まず、これ以上の一線を越えずに、寛容さに立ち戻って、本当に世界から信頼される立派な国へと歩んでほしいと思います。
心から願います。

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