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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年7月5日金曜日

ダン・ブラウンの新作"inferno"日本語訳本を楽しみにしています。

ダン・ブラウンの新作がアメリカで出版されましたね。"inferno"、『地獄』というタイトルです。
書評によりますと、ハーバード大学教授で、宗教象徴学の専門家ロバート・ラングドンが活躍するミステリーの第四弾で、今作品ではダンテの神曲地獄編がミステリーの基軸となっていると書かれていました。ダンテの神曲なんてまったく読んだ事ありませんが、"inferno"の日本語翻訳本が出版されるまでには読んで、新作に臨む準備をしたいと思います。

私は一応ダン・ブラウンの著作、全部読みました。初めて手にしたのは、ほとんどの方と同様に『ダ・ヴィンチ・コード』でした。映画を観る前に読みました。購入したのはヴィジュアル愛蔵版です。物語に登場する様々なミステリアスな名称、小道具の写真や図が掲載され、物語を頭の中で具体的にイメージしならが読み進めることができました。
基軸は、イエス・キリストは人であり、その末裔が今も生きているというミステリーです。ダビンチの『最後の晩餐』に隠された謎(これはダン・ブラウンの全くの創作です!)や、マグダラのマリアは実は人間イエスの妻であって、イエスが処刑された後、現在のフランスに渡ってイエスの一人子を産んだという伝説には畏怖の念を覚えました。
そして物語のラストで、ラングドンと行動を共にしたソフィーが実はイエスの末裔であったと明かされるロスリン礼拝堂のシーン、そしてルーブル美術館のピラミッドの下には今もマリアの棺が収められているというシーンには、心が震え涙がこぼれました。

ラングドンシリーズ第1弾『天使と悪魔』は、未知のエネルギー《反物質》と秘密結社イルミナティの恐怖がスリラーとなって進行します。バチカンで行われる最大のイベント、新教皇を選出するコンクラーベが舞台で、とても重厚な舞台の中で疾走するラングドンの活躍に魅了されました。私は、物語の終盤、反物質がバチカン上空で大爆発を起こすシーン、そして物語のクライマックスで、宗教をあくまでも学問と捉えてその神秘性に媚びないラングドンが、新教皇に深く敬意を示すシーンに、心が震えました。

ロン・ハワードとトム・ハンクスがタッグを組んで挑んだ映画作品もとても面白かったですね。どういうわけか、映画では『ダ・ヴィンチ・コード』がエピソード1になっていましたがね。DVDが発売された時、コンプリートボックスを購入しました。特典に付いていたクリプテックスのレプリカが欲しかったのです。
《真実が鍵》

映画は、世界遺産観光キャンペーン映画の様相もありました。丸一昼夜で、『ダ・ヴィンチ・コード』はパリとロンドンの観光名所を駆け巡り、『天使と悪魔』はローマの観光名所を駆け巡るというあんばいです。

ダン・ブラウンの作品は、物語の展開がどれも共通しています。
プロローグで、キーとなる人物が殺害される。それが物語の幕開けです。
本編では、丸一昼夜で膨大なエピソードを消化して、深淵なミステリーを解決に導きます。そして一つひとつのエピソードが、きっかり15分程度で読める分量となっていて、飽きさせない工夫が施されています。そういうわけで、映画やテレビドラマ化しやすい作品であると実感します。

その他の作品では、ダン・ブラウンの処女作『パズル・パレス』が特に面白かったです。
最近話題のアメリカ国家安全保障局(NSA)が舞台です。NSAにはあらゆる情報を傍受し解読するスーパーコンピュータ《トランスレーター》がありました。日本人の天才プログラマータンカド(プロローグで殺されます!)が公開した解読不能暗号技術《デジタル・フォートレス》がNSAを恐怖に陥れ、七転八倒の末に《トランスレーター》を破壊するまでが描かれます。

インデペンデンス・デイの話

7月4日は、アメリカの独立記念日でしたね。午前中LIVE放送されたレンジャーズvs.マリナーズ戦を見て気づきました。両軍ともに独立記念日のスペシャル帽子を被って戦っていました。(岩隈投手が勝てなかったのが残念でしたが・・・)

アメリカ独立記念日で一番に思い出すのは、1996年に公開されたローランド・エメリッヒ監督作品『インデペンデンス・デイ』(Independence Day)です。

あらすじです
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ある日の出来事です。SETI(地球外知的生命探査)が、謎の人工的な信号をキャッチします。その信号は、なんと月の裏側から発信されていたのです。
7月2日、地球に巨大宇宙船が近づいてきます。その巨大宇宙船は地球の周回軌道上で制止し、外壁からいくつもの円盤が飛び立ち、それは大気圏に進入し、地球上の主要な都市の上空に飛来して、上空に浮かびます。一つの円盤は、直径2㎞にも及び、都市をすっぽり覆いました。

衛星テレビ局の技術者デイヴィッドは、衛星テレビの受信状態が悪化したとの苦情を受けて、その原因を調査していたところ、衛星が何者かにハッキングされている事を突き止めます。そして、何者かが衛星を利用してカウントダウンしていることに気づきます。
地球上に浮遊している宇宙船同士が、衛星を中継して地球総攻撃のカウントダウンをしていると察したデイヴィッドは、ホワイトハウスで大統領補佐官を務めている元妻コンスタンスに危機を伝える為に、混乱するニューヨークからワシントンへと車を走らせます。

ホワイトハウスではホイットモア大統領が、軍に命じた友好のシグナルを送る作戦を見守っていました。大統領執務室に通されたディヴィッドは、大統領にカウントダウンを説明し、すぐに避難する事を進言します。カウントダウンは0に近づいています。
ホイットモア大統領は、アメリカ国民に避難命令を勧告し、自らもエアフォースワンに搭乗するため、ホワイトハウスを後にします。

上空では、軍のヘリコプターが、円盤に向かって、友好のシグナルを発していました。すると突然、壁面が開いて、青白い光線が放たれ、光を受けたヘリコプターは無残にも粉々に破壊されます。

地上は、人々が円盤が支配する都市から脱出するために大混乱に陥ります。円盤が不気味に動き出しました。下部が放射状に開いて青白く輝く突起物が現れます。
そしてタイムアップ、その突起物から強烈な光線が地上に振り落ち、一瞬にして地上は焼け野原と化しました。

エアフォースワンに無事搭乗したホイットモア大統領は、全軍に円盤の破壊命令を下します。海兵隊の戦闘機パイロットの隊長ヒラー大尉も、ブラックナイツを率いて飛び立ちます。円盤にロックオンして、全機からミサイルが放たれました。しかし、ミサイルは円盤に触れる事なく破壊されます。円盤は強力なバリアに覆われていました。そして円盤から小さな攻撃機が無数に放たれ、ブラックナイツは壊滅します。ヒラー大尉も絶体絶命となりますが、グランドキャニオンでのドッグファイトの末、追っ手の攻撃機を崖に衝突させ破壊します。攻撃機の中から、この世の者と思えない醜い宇宙人が這い出てきます。ヒラー大尉は、その宇宙人を捕虜します。ヒラー大尉は、ドッグファイトの最中、デスバレーにさしかかった時、見知らぬ基地があることに気づきました。ヒラー大尉は、その基地を目指します。

エアフォースワンの機内は、出撃の全機が破壊された事、また先に避難した副大統領をはじめとする主要閣僚が攻撃機に襲われて全員が死亡したとの連絡を受け、衝撃に包まれます。エアフォースワンが進路を失った時、ある提案がアルバート国務長官からもたらされます。彼は元CIA長官で、大統領以上にアメリカの暗部を知り尽くしていました。そしてエアフォースワンは、都市伝説とされたエリア51に向かいます。

エリア51には、1950年代に捕獲された小型宇宙船と宇宙人の標本が残されていました。
小型宇宙船は、人間が操縦できる様に改造が施されていました。
ヒラー大尉が捕虜とした宇宙人を科学者達が調べようとした時、宇宙人は強烈なテレパシーで部屋にいた科学者を次々に殺害します。そして、部屋に近づいたホイットモア大統領にも強いテレパシーを送ります。危険を察したミッシェル少佐が宇宙人を撃ち殺し、大統領は一命を取り留めます。そしてホイットモア大統領は、宇宙人の目的を知りました。
彼らは、まるでイナゴの大群の様に、星々を襲っては根こそぎ奪い、廃墟にしながら宇宙を彷徨っていたのです。ホイットモア大統領は、核攻撃を指示します。

7月3日、アトランタ上空に浮遊する円盤に向かって核ミサイルが放たれます。核ミサイルが炸裂しアトランタは一瞬に廃墟と化します。しかし、円盤は無傷でした。
万策尽きて意気消沈した大統領に、ディヴィッドが起死回生の作戦を進言します。
それは、エリア51に残された宇宙船で敵の母船に進入し、敵のコンピュータネットワークへバリアーを解除するウィルスを放って敵の防御を無効にするという作戦でした。
ウィルスは天才ディヴィッドが作ります。そして宇宙船のパイロットにはヒラー大尉が名乗り出ました。

7月4日、アメリカ独立記念日のその明け方、ホイットモア大統領は、残った軍人、民兵の前に立ち、朗朗と『我々は再び、独立の為に立ち上がろう』と宣言します。そのメッセージは、世界中に発信されました。アジアにもヨーロッパにも、ロシア、中東、アフリカのアメリカと敵対する国々にもメッセージは届けられます。地球人は、生存と、独立を勝ち取る為に一つになって戦う事を誓います。

総攻撃の時間がセットされます。そしてディヴィッドとヒラー大尉を乗せた宇宙船が飛び立ちます。
宇宙船は難なく母船に進入しました。そして中央デッキに接岸、ディヴィッドがウィルスを放ちます。侵入者を感知した宇宙人は、宇宙船を拘束しようと動きます。二人は拘束される前に核ミサイルを中核に向けて放ちます。ミサイルを放った振動で宇宙船は拘束から解かれます。それを見てヒラー大尉は大急ぎで母船の外に逃げ出します。
そしてミサイルの起爆タイマーがタイムアップし、母船は内側から大爆発を起こします。

地球上に展開する円盤のバリアーが無効になりました。地球軍の総攻撃の始まりです。ですが、巨大な円盤をそう簡単に破壊する事はできません。巨大円盤はエリア51の上空で、下部を開き光線の発射準備を整えます。そこにラッセル・ケイスが乗る戦闘機が突っ込みます。ラッセル・ケイスはベトナム戦争で戦闘機乗りであった経歴を持つ現在は民間のパイロットです。宇宙人に囚われた経験を持ち、宇宙人に復讐する機会を待っていました。
そして総攻撃の最中、残されたミサイルはラッセル・ケイスが乗る戦闘機に積まれた一台だけになっていました。ミサイルを放とうとした時、発射ボタンが壊れていることがわかります。ラッセルは、ミサイルを抱いて敵艦に突っ込む事を選択したのでした。

敵艦を破壊する手段が判明しました。人類は一丸となって敵艦を破壊し、人類は独立を勝ち取りました。

end
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私など、劇場で二度も鑑賞しました。劇場で同じ映画を二度以上観たのは、この映画とタイタニック、ラストサムライの3作品だけです。

私は、特にヒラー大尉が、勝利のジンクスとして葉巻を持ち歩き、勝利の後に美味そうに葉巻をふかすシーンに惚れ惚れし、その後しばらく葉巻にはまりました。
わざわざ三宮の舶来専門店まで買いに出向いて、仕事の合間とか、飲みに行って途中喫茶店に入って酔い覚ましする時にふかしていました。いや、ふかしなどしなかった、思いっきり吸い込んでいました。友だちには、タバコを吸うより、よっぽど経済的などとうそぶいていた事を思い出します。ちなみに現在の私は、喫煙の嗜みはありません。

最後にトリビアを一つお話ししましょう。
この『インデペンデンス・デイ』のノベライズされた小説を、当時出張先、東京ドームそばの書店で買い求めました。そして夜、宿泊のホテルでひたすら読みました。
映画との小さな違いは、所々あったと思いますが、大きく違っている箇所がありました。クライマックスでラッセルがミサイルを担いで登場するシーンです。
映画では、ラッセルは戦闘機乗りとして復帰しますが、小説ではアルコール中毒のラッセルは志願を断られ、自分が所有するプロペラ機にミサイルをくくりつけ神風特攻隊となって飛び立っていたのです。
クライマックスをわざわざ書き換える必要はどこにあるのかなぁ?と不思議に思いました。

大阪府立福井高校との練習試合の写真をアップしました。

6月30日の福井高校との練習試合の写真をアップしました。
両校とも1,2年生主体のチームでの対戦です。
福井高校との練習試合 その1
福井高校との練習試合 その2

長田高校との練習試合写真をアップしました。

6月30日に観戦した、長田高校との練習試合の写真をアップしました。
長田高校との練習試合写真アルバムにジャンプ

今回初めて、FINEPIX HS50EXRの超望遠撮影機能を使い、センター後方から撮影しました。打者の顔が見える、面白いと思い立ち、その場所に陣取って、手持ちカメラを顔に押しつけて撮影をし続けました。画角が狭く、ほとんどずれまくりの写真ですが、打者の打撃時の表情が写っていて、また投手がどれほどにゾーンを広く使って投げているかを垣間見る事ができました。

2013年7月3日水曜日

昨日、カムイのお葬式をしました。

昨日、カムイのお葬式をしました。
亡骸を入れた箱に、庭に咲いた紫陽花の花で作った花束とノルンとカムイの写真を収めました。
斎場には、遼太郎と耕太郎と三人で行きました。斎場で火葬の申請書を提出し、そしてお別れをしました。
小さな家族の死は、とても深い悲しみとともに、命は決して簡単に尽きるものではないということを、この数日間で教えてくれました。

エリザベス・キューブラー・ロス医師が1969年に著した『死ぬ瞬間』(On Death and Dying)という本があります。その本は、死を宣告された人々をインタビューし、人々が死を受容するプロセスが報告されています。
第一段階は『否認』です。死を宣告され、衝撃を受けるものの、まだ助かる道はあるはずだと、その宣告を否認するのです。
第二段階は『怒り』です。何故に自分が死ななければならないのかという、言いようのない怒りを周囲に向ける。
第三段階は『取引』です。延命への取引とありますが、私にはとても深淵で簡単に言葉で理解をほのめかす事ができません。
そして第四段階は『抑うつ』、取引が無駄と認識し、運命の無力さ、失望、絶望に襲われます。
最後に迎えるのが第五段階『受容』です。悲嘆と平行しながらも、自分の死を受け入れ、安らかな死を願う。
そして私たちは、《デカセクシス(Decathexis)》、現世との完全な断絶を自覚し、無への進入に身を委ねるというのです。

小さな子猫カムイが死を迎えるまでの数日間を見守っていて、このプロセスはすべての生き物に当てはまるのだと実感します。
誰かに死を宣言されたわけではないのですが、温厚であったカムイは、重症を負ったその日、私たちに酷く敵意を見せました。そして食べる事も呑む事も眠る事もできず、部屋の隅でただじっとしています。
死を迎える前日には、ノルンや私たちに近づいて、触れ合うとことを許してくれました。
そして《デカセクシス》の時を迎え、静かに横たわり、荘厳に死出の旅に旅立ちました。

そして、小さな子猫カムイは、たとえ絶望に貧しても精気が尽きるまで生き続けなければいけないという、《生命》の本質と、《命》の厳粛さを教えてくれました。

2013年7月1日月曜日

夏の大会が始まります。

今日、ほんとうに書きたかった事を書こうと思います。それは高校野球についてです。

今日から7月です。そして6日から、第95回全国高等学校野球選手権記念大会出場権を掛けた兵庫大会が始まります。

6/25に兵庫大会の組み合わせが決定しました。
兵庫県高校野球連盟の頁へジャンプ

高砂市内の5校の初戦は次の通りです。

7月13日(土)
高砂-白陵 [10:00豊岡]
高砂南-八鹿 [9:00明石]

7月15日(月)
東播工-出石 [12:30豊岡]

7月16日(火)
松陽-氷上西 [12:30豊岡]

松陽高校をはじめ、高砂市内の高校が一つでも上に勝ち進む事を楽しみにしています。
高砂球場、明石球場で試合が行われる際は、是非応援に行こうと思います。

そして昨日、昨年第94回兵庫大会をベスト8まで勝ち進み、また今大会もシード権を獲得した長田高校との練習試合を松陽高校グラウンドで観戦しました。
長田高校の選手達は、一言で表現するなら、勝利という目的に向かって全員が融合し一つの強い意志となっていました。まさに甲子園を狙えるチーム、そう実感し、またその姿に惚れ惚れしました。守りにおいては、一つ一つのプレーに全員が声を出し合い、フォーメーションを整えます。攻撃においては、一つのチャンスで確実に得点するシナリオを全員で繋いでいきます。攻守交代は俊敏で、常に戦う意思が途切れる事がないのです。

また、驚きのプレーもありました。8回表、グシャという音と共に打球が消えました。自軍の外野手は一足も動く事なく上空を見上げています。そして左中間フェンスの奧にあるサッカーゴールポストの右横にドスンのボールが落ちました。
長田高校谷口君のホームランです。ただただ凄いホームランでした。


練習試合では、時にとても名のある高校と対戦します。試合運びの素晴らしさ以上に、やはり目を見張るのは、野球に対する真摯さです。グラウンドに入る時から、グラウンドを去る時まで、統率され、そして隙がないのです。
昨今問題となっている体罰というわれものは、きっと存在しないのだと思います。しかし、それよりも厳しい約束が彼らには課せられているのだと想像します。それは、規律を守らなければ、また隙を見せれば戦う集団から洩れてしまうということです。その基本の約束の上で、プレーの向上やリーダーシップを発揮して自分自身をアピールしているのだと思います。
このようなチームとの対戦は、直に戦うだけでなく、しっかりと観戦することで、我々の野球を向上させるヒントをもたらします。私たちは、そのヒントを糧にして、とにかく真似る、実践する。それがより強いチームへと変貌する早道なのだと思います。

そして私は、ただだた陽光の下で、真っ黒になって野球観戦を楽しみたいと思います。

子猫のカムイ

4月、二匹の子猫が家族の一員になりました。ノルンとカムイ、2月生まれでノルンが一日違いの姉さんです。
私にとっても子供たちにとっても、初めて飼う哺乳動物です。赤ちゃん子猫というので、手の平に乗るほど小さい子猫を想像していましたが、成獣とみまがうほどに大きいのです。猫は生まれて数ヶ月で体長が倍ほどに大きくなる事を知りました。

親として子猫を飼う事になった娘は、引っ掻かれても噛まれても甲斐甲斐しく世話をして、二匹の子猫は一番に馴れていました。息子達も、その可愛らしさ無邪気さに、ただ子猫を見守る時間を楽しんでいました。
私と言えば、最初はおっかなびっくりで、二匹の子猫もなかなか警戒を解きません。ですが、触れ合う時間が進むほどに、私は二匹の子猫の中に知性を感じ、また二匹の子猫も最後に遅れて私を受け入れてくれました。
姉さんのノルンは、茶サビの毛並み、目元が真ん丸で、とても好奇心旺盛です。ですが、用心深くもあり、気性も荒く、最初の頃は、家族みんなよく爪で引っ掻かれました。
弟のカムイは、キジトラの毛並み、目元は穏やかで、温和しい性格です。私が抱き上げても爪を立てる事なくいつまでもじっとしています。ですが、雄の性分で、よく食事をとりどんどんと体も大きくなって、気が付くとタンスの上に上がっている。とても敏捷で、ノルンとじゃれ合っても必ず押さえ込むほどに力もありました。

6月、カムイは風邪を引きました。目やにが出て鼻水もでています。とても息が苦しそうで、近くのツバキノ動物病院に連れて行きました。診察室に入って最初に熱を測りますと43度もありました。でも先生のお話では、猫の平温は39度で、人間に換算すると38度程度の熱、という事で少し安堵しました。
でもこれも人間の感覚であって、猫の発熱は、命を危なくするとても危険な症状であると先生は話されました。そして脱水症状を起こすとさらに危険となるので、その様な症状になった場合は、猫の場合点滴ができない為、直接背中に水分や栄養分を注射するとも話されました。猫ってラクダと同様に背中に水分をためる事ができる事を初めて知りました。
猫の脱水症状は、背中の皮をつまんでみて、張りがない、皮がだるんとして戻らない、が判断の目安とも教えて頂きました。

先生に薬を処方してもらい、一週間ほどでカムイは元気に動ける様になりました。そして、また食欲も戻って、骨格がわかるほどに痩せこけていた体も、艶やかにふっくらとなって、みんな、もう大丈夫と安心しました。

それから数日の事です。夕方、家族が帰ってくると、カムイはじっとして動きません。お腹のあたりを大きく膨らませて、荒い息をしています。娘が、以前先生にもらった点眼薬を与えようと抱きかかえますと、異常に興奮して、指をガブリとひと噛みし、抱きかかえた手を振り払って部屋の隅に逃げていきました。
そして、もう誰の側にも近づく事なく、警戒し、そして荒く息をしています。一緒にいるノルンはまったく普通です。カムイをすぐにツバキノ動物病院に連れて行きました。
先生は、とても深刻な事態と話され、レントゲンを撮る事になりましたが、カムイは暴れ、先生の手を噛みました。猫の場合、興奮するとぽっくりと死んでしまう危険があるため、仰向けに押さえつけて撮るレントゲンは最初の一枚だけとなりました。

その日から、カムイはまったく食事を取れず、水も飲めなくなりました。そして体を始終大きく震わせて、眠る事もできず、痩せ細っていく足で体を支え、部屋の隅でじっとしています。
妻が毎日カムイを連れて病院に通いました。そして土曜日、先生は、最初に撮った一枚のレントゲン写真を様々に検証された結果の診断結果を話されました。気管が狭まり、また異様に歪曲しているのです。この様な症状は、事故に遭った猫に見られる症状で、強い衝撃にあたって横隔膜が損傷し、肺を正常に動かす事ができなくなっているのです。内臓も上に上がって肺を圧迫しています。そして、この子は、ほとんど息が出来ない状態になっている、と話されました。そしてカムイは、あまりに体力が落ちている為に手術もできない状態になっていました。背中に直接、水と栄養分を注射して頂きました。

土曜日日曜日と、それでもカムイは、家族みんなに優しさを振りまいてくれました。

そして今日の夕方、仕事から帰ってから、妻と二人でカムイをツバキノ動物病院に連れて行きました。妻の話では、移動の箱に入れようとした時、とても嫌がったと言います。
箱の中で、カムイは痩せ細った体で懸命に立っていました。時々漏らす鳴き声は、可愛らしい子猫のそれではなく、とても沈んだ音でした。
ツバキノ病院は、子犬連れの方が数名いて、待合室は混んでいました。妻が受付の為病院の中に入り、私はカムイと車の中で待機しました。
極力カムイを自由に振る舞える様にしましたが、助手席の下に潜ろうとしたので、抱きかかえ、箱の中に戻しました。箱の中に一滴の水滴がこぼれていました。どきっとしました。カムイはまた座席の下に潜ろうとしますので、抱きかかえました。手がよだれで濡れました。箱の中に戻しました。
カムイは、この数日で初めて横になりました。ゆっくりと横になりました。とても静かな時間でした。カムイの深い息遣いが聞こえました。ゆっくりと大きな息遣いが数度聞こえ、そしてあれほど震えていた体が動かなくなりました。もう息遣いは聞こえません。

病院に入り、猫が死にかけていると伝えました。すぐに診察室に入り、先生は懸命に蘇生をされました。心臓マッサージをし、小さく開いた口に息を吹き入れます。それでもカムイは再び息を吹き返す事はありませんでした。
2月10日に生まれた子猫カムイは、7月1日18時30分、亡くなりました。

6月15日朝、一度だけカムイを海に連れて行った時の写真です。