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差別の天秤
「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...
2012年10月5日金曜日
朝ドラ『純と愛』、面白そうですね。。。
朝はABC『おは朝』をつけている事が多いのですが、昨日昼に、このドラマに出演されている武田鉄矢さんが出演したトーク番組を見て、7:30朝ドラにチャンネルを替えました。
今日は武田鉄矢さんの出演はありませんでしたが、
主人公純が勤めるホテルの社長を、最近すっかりコミカルなダンディー役が板に付いた舘ひろしさんが演じられていて、朝からエエンかいなぁと思えるほどの巧妙な演技を見て、武田鉄矢さんとともにこのドラマの良い梁になるなぁなんて感心してしまいました。
純が勤める大型ホテルは、各セクションにプロのホテルマンがいて、従業員にはマニュアルそしてルールを遵守することが求められていました。
しかし純は『お客様の希望を叶えることこそホテルの務め』という信念に立ち、ホテルでは0時以後のルームサービスは受け付けないとするルールに対して、5分過ぎただけでホテルのルールをお客様に押しつけるのは我慢が出来ずにルームサービスに対応します。
それが上司の怒りを買い叱責をうける羽目になりますが、純はひるむこと無く、自分の正しさを主張する。。。
以上が今日のあらすじです。
純はとても賑やかな、いやなかなか煩い女性でした。芯はあってもここまでスタンドプレーが過ぎると組織には馴染みません。ですからファンタジーの世界のヒロインだと思いました。
実に面白いと思ったのは、純の心の声で物語をナレーションする演出です。人には表裏がありますよね。笑顔を浮かべる内心で冷ややかであったり『畜生!』なんて叫んでいることだってあります。それが人間、その人間の本性を包み隠さず出すと演出に、すっかり笑ってしまいました。でもこれって諸刃の剣ですよね、長丁場の連続ドラマで、このナレーションが諄くならないか、つい心配も覚えました。
話は昨日のトーク番組まで戻ります。
武田鉄矢さんのトークは本当面白いですね。
武田鉄矢さんはこのドラマで、純の父役で出演されているそうです。大阪でサラリーマンをしていて、ひょんな事から宮古島から遊びに来ていた妻に一目惚れして、現在は妻の実家の宮古島にあるホテルの主人におさまっているという設定です。
その役父善行の話から始まって、
《家族の姿》
家族って本当に嘘つきですよね、平気で嘘をつく。でもそれを分かっていても、そしていがみ合っていても毎度お膳を囲むことが出来る。これが家族なんでしょうね。
まさしくそうそうなんて聞き入りました。
《結婚について》
昨年心臓の手術をした後、介抱してくれた妻の口から『あなたと結婚した時から、いつかこの様に接する日が来ることが分かっていた』と言われ、このヒトは幸せを望んでいたわけでなく、苦労するために結婚したのか、という感想を覚え、
結婚に良いことばかり望むからつまずくのであって、苦労を買う覚悟があれば結婚ほど素晴らしいものはないと話されました。
《方言について》
愛を語るには、東北弁に勝るものはない。その訥々とした旋律はフランス語だ。
博多弁はまさに韓国語だ。かつかつとまくし立て主張するに持ってこいの言葉だ。
関西弁は、演劇言葉だ。意味の無い会話でもヒトに聞かせる力がある。
トークのききかじりで正確さに欠けていると思います。何卒ご勘弁願います。
でも聞きたい人の話を聞くというのは、ほんと楽しいものです。
そうそうドラマの方ですが、なかなか続けて見ることはないと思いますが、たまに見た時、純と善行親子の会話に遭遇できれば楽しみです。
2012年10月4日木曜日
『おもてなしの心』が日本を守る
『中国人観光客が激減し、観光産業が大打撃』というニュースを見ました。
9月11日、日本政府が尖閣諸島の国有化を発表して以降、中国国内での日本バッシングが激しくなる一方で、日本を訪れる中国人観光客も激減しました。
中国人観光客は、今や日本の観光産業、商業にとって一番のお客様です。その中国人観光客の激減で、観光産業や商業が大打撃を受けているのです。
先月19日、十数年ぶりに大阪の街を歩きました。大阪城公園を歩き、そして心斎橋、道頓堀を歩きました。そして大変驚いたのは、街に中国語が溢れていることでした。小さな商店の店先にも中国語の案内板が掲げられ、通りや商業施設では中国語のアナウンスが流れていました。そして平日の昼間というのに、大阪城界隈にも難波界隈にも中国語で話ながら闊歩するお洒落な若者が溢れていました。彼らは街に溶け込み、スマートフォンを片手に、自由に振る舞っていました。『自由な振る舞い』というのは悪い意味では無く、日本の安全を謳歌し、のびのびと楽しんで行動しているという表現です。
中国人観光客の激減は、個々人の日本に対する嫌悪の増幅などではなく、どうやら旅行者への中国政府の干渉(日本に行くのは危険な行為という誇大宣伝)が影響しているらいしです。
これまで日本を訪れた中国人観光客の9割が、再び訪れたいという好意を抱かれるといいます。日本古来の旅館などは、ひとりひとりのお客様を、単なる宿泊客とは見なさずに、迎賓としてもてなします。この『おもてなしの心』は日本独特の誠意の表現であり、その心にふれれば誰もが心を溶かします。そして日本人には多かれ少なかれ旅人への『おもてなしの心』が備わっています。それが旅人に好意を抱かせる要因であると思います。
日本人は外交下手だと言われます。ですが私たち日本人は根っからの外交下手なのではなく、ただ諸外国の様に自らの正義を主張することで存在感を誇示する外交手法ではなく、お客様を内に招いて存分に良さを分かって頂くというとても悠長で我慢強い『おもてなし外交』を信じてきたのだと思うのです。
もしかしたらこの度の中国との冷戦突入は、日本政府の『おもてなし』が裏目に出てしまったのかもしれません。
事の始めは中国人活動家の尖閣諸島上陸です。
これに反発した東京都が強固に尖閣諸島の国有化と領土の守りを主張します。
そして9月にウラジオストックで行われたAPEC首脳間協議開始前の野田首相と中国胡錦濤国家主席の立ち話で、双方良い方向に向けて行動すると会話をした翌日、日本政府が尖閣諸島の国有化を宣言し、胡錦濤国家主席は面目を潰された格好になり、日本に対する国を挙げての”いじめ”行動に発展した、そうNewsweek誌は書いていました。
日本政府としては、これまで手を触れずに棚上げしてきた問題に、少しだけ干渉することで、日本国内の領土問題の急進派を押さえようとしたのかもしれませんが、この浅はかな『おもてなし』は中国政府には通用しなかったのです。
この度の日本外交が『おもてなし』なのではなく、正義の主張であったとしたならばどうでしょうか?そうであれば最悪です。
日本はどの国よりも中国に投資し、日本の衣食そして経済は中国頼みとなっています。しかし日中は安全保障条約を取り交わしておらず、中国政府から見れば日本は仮想敵国の一つです。正義の応酬は決してかみ合うはずは無く、行き着くところは戦争です。
大局から見れば、中国政府の懸念は日米安全保障条約と国際世論だけです。ですから今、中国政府は圧倒的な数と力で国際社会に中国の正義を訴えて味方につけようと躍起です。
しかし日本政府からは、『なんで分かってくれないの。。。』なんていういじけ心しか伝わってこないのです。これでは中国政府に太刀打ちできません、とても残念な事態です。
空論と一笑されるかもしれませんが、今日本が目指さなければならないのは、美しい国、優しい国、親切な国、そしてなによりおもてなしの国に戻ることです。そして外交では、思慮のある、機微の分かる『おもてなし』外交に尽くすことです。
それが諸外国に日本のファンを生み育て、日本観光のリピーターを生み育て、言葉や主義主張では得られない、本当の日本の守りに繋がると信じます。
2012年10月2日火曜日
映画『コクリコ坂から』を見ました。
映画『コクリコ坂から』を見ました。
終幕に近づくにつれて、じんわりとした暖かみがこみあげてきました。
一枚の古い写真が導く運命、めぐりあいの物語でした。
終盤、海と俊が理事長へのカルチェラタン存続の直談判からの帰りに降り立った駅が桜木町駅であったので、物語は昭和30年後期の横浜が舞台だと思われます。
この時代、私はまだ生まれてばかりの頃で確かな記憶など無いはずなのですが、海の日常風景に懐かしさを覚えました。
物語は、二つの出来事が混じり合って進行します。
一つは、少女よ君は旗を揚げる、何故?というミステリー
そして二つ目は、カルチェラタンで営まれる学生自治のファンタジーです。
《少女よ君は旗を揚げる、何故?》
そして一枚の古い写真のミステリーが、映画『コクリコ坂から』の本筋です。
松崎海は、妹弟とともに海に面した高台にある祖母の洋館に住んでいます。
明治期に建てられたという洋館は祖父が存命時には診療所として使われ、現在は女性達の独身寮です。海はこの独身寮の家事をしながら高校に通っています。
海は毎朝、信号旗を掲揚します。それは、海がまだ小さかった頃に亡くなったとされる船乗りだった父への帰郷の目印でした。
松崎海と新聞部の部長で一年先輩の風間俊は、お互いに淡い恋心を抱いていました。
海はある出来事がきっかけで、俊が発刊するカルチェラタン新聞のガリ版切りを手伝うことになり、二人は仲の良い友達となります。
海が住む洋館で、パーティーがありました。そのパーティーに俊も招待されます。そしてパーティーの合間、海の案内で洋館を巡っていますと、一枚の写真に目が留まりました。
それは海の父親がまだ学生の頃、友人二人と三人で撮った記念写真でした。
その写真はある事実を俊に投げかけ、後日俊は海にも事実を告白して、このままの仲の良い友人でいようと告げます。
俊は生まれてまなしの頃に現在の両親に引き取られました。俊の父は船乗りでした。そして俊が幼かった頃に、朝鮮戦争に巻き込まれて海で亡くなりました。俊には一枚の写真が父の形見として残されました。その写真は海の家で見た写真と同一のものであり、俊の父の名は澤村雄一郎、海の父親と同一人物でした。
《カルチェラタンで営まれる学生自治のファンタジー》
海や俊が通う高校には、文化部の巣窟、カルチェラタンという古く汚い洋館がありました。
学校側はその建物を取り壊して、新しいクラブハウスを建てようと図っていました。カルチェラタンのリーダー俊と盟友で生徒会長の水沼史郎は先頭に立ってカルチェラタン存続活動を行います。ですが生徒の大半は新しいクラブハウスの建設に賛成で、その存続活動は厳しい状況にありました。
ひょんな事から新聞部の活動を手伝うことになった海は、カルチェラタンをみんなで奇麗にして、みんなが集い、そしてみんなが大切に思える場所にしましょうと提案します。
その次の日からカルチェラタン美化活動が始まります。最初はカルチェラタンの住人と海の友達で始めた美化活動も次第に多くの生徒達の支持を受け、生徒もまたOBまでもが協力しあい、カルチェラタンは美しい生徒の社交場へと生まれ変わりました。
《めぐりあいの結末》
カルチェラタンが美しく生まれ交ったその日、カルチェラタンの取り壊しが決定しました。
俊と史郎、そして海は、学校に絶対的力を持つ理事長に直談判する為に東京に向かいます。
そして三人は理事長に会うことができました。
最初三人をいぶかしがった理事長ですが、特に海の素直さとそして父を戦争で亡くした話を聞いて心が動かされ、生まれ変わったとされるカルチェラタンを見に行く約束をします。
その直談判から俊と海は二人で横浜に帰ってきました。
そして夕景の市電の停留所で海が俊に告白します。
「私が毎日毎日旗を揚げてお父さんを呼んでいたから、お父さんが自分の代わりに風間さんを送ってくれたんだと思うことにしたの、私風間さんの事が好き」と告白します。
俊も「俺もお前が好きだ」と応えます。とても切ないシーンでした。
海が家に帰ると、アメリカに留学していた母が帰っていました。
夜、海は母に父のもう一人の子供について尋ねます。
母は答えました。
「あなたが私のお腹にいた頃、父さんが幼子を連れて帰ってきたの
幼子は父さんの友人立花さんの子で、立花さんは引き揚げ船の事故でなくなり、お母さんもその子を産む時に亡くなったの、そして親戚もみんな原爆で亡くなった、放っておけばその子は孤児院に入れられる、父さんはそれが許せなかった、そして自分の子として役所に届けたの。でも身重の私はどうしても育てる事が出来ず、父さんは船乗り仲間にその子を養子にしてもらったの。」と海に話します。
海は母の話を信じたい、そう願って美しい涙を流します。母は海の気持ちを悟ります。
翌日、カルチェラタンに理事長が訪れます。
俊、史郎、海は生徒達の先頭に立って理事長を迎え入れます。
美しく生まれ変わったカルチェラタンには、溌剌とした若人達がいました。
カルチェラタンには『故きを温ねて新しきを知る』という気概が溢れていました。
そして理事長はカルチェラタンの存続を宣言しました。
その時、俊の父から電話が入ります。父が告げます。
写真に写っているもうひとりの人物、小野という人が、今港にいる。
小野さんならお前の事情をよく知っている筈だ。でも小野さんは外国航路船の船長で、もうすぐ出港してしまう。すぐに会いに行け!と告げます。
俊と海は、校門を出て、二人が何度も歩いたコクリコ坂を下って港に急ぎます。
港で俊の父が操縦するタグボートに乗り込み、そして出航の準備が整った大きな商船に乗り込みます。
船のデッキで小野さんと対面します。
小野さんは話します。
「俊くんだね、君の父親は立花だ。
立花と澤村、私たち三人は親友だった。
立花と澤村の息子と娘に会えるなんて嬉しい、ありがとう、こんな嬉しいことはない」と話します。
俊と海はタグボートに戻って、小野の船を見送ります。
二人にとって、生きた父の旅立ちを見送る様に、その別れはとても清々しいものでした。
end
この物語の難点を一つ挙げるとすれば、第一幕で描かれる海の家族関係の複雑さです。この一見複雑そうに見える家族関係も追々ゆっくりと紐解かれてゆくのですが、私の妻など多分にこれがハードルとなって最後まで見終えたことがありません。
私は、特にガリ版切りのシーンに、古き学生時代の郷愁を覚えました。
中学三年の頃、生徒が主体となってガリ版刷りの文集を発刊していました。
みんなで詩や物語を持ち寄って、ガリ版切りし、そして刷りました。この映画で海が行った様にして文集を作っていたのです。
現在では考えられない程に、手間の掛かる作業でしたが、みんな楽しんで参加しました。
そしてその文集は今も私の書棚にあります。私の宝物です。
主題歌『さよならの夏~コクリコ坂から~』も、とても良いですね。
優しいメロディと切ない手嶌葵さんの歌声が、この物語の根底にあるセンチメンタルな郷愁に私を誘いました。
さよならの夏~コクリコ坂から~
作詞 万里村ゆき子
作曲 坂田晃一
唄 手嶌葵
光る海にかすむ船は
さよならの汽笛のこします
ゆるい坂をおりてゆけば
夏色の風にあえるかしら
わたしの愛 それはメロディー
たかく ひくく歌うの
わたしの愛 それはカモメ
たかくひくく飛ぶの
夕日のなか呼んでみたら
やさしいあなたに逢えるかしら
だれかが弾くピアノの音
海鳴りみたいにきこえます
おそい午後を往き交うひと
夏色の夢をはこぶかしら
わたしの愛それはダイアリー
日々のページ綴るの
わたしの愛それは小舟
空の海をゆくの
夕陽のなか振り返れば
あなたはわたしを探すかしら
散歩道にゆれる木々は
さよならの影をおとします
古いチャペル風見の鶏
夏色の街はみえるかしら
きのうの愛それは涙
やがてかわき消えるの
あしたの愛それはルフラン
終わりの無い言葉
夕陽のなか巡り逢えば
あなたは私を抱くかしら
2012年9月30日日曜日
オヨヨ。。。台風直撃か!?
現在8:50分
台風17号は、進路をより北向きに北上している様子ですね
早朝までの予想では、15時くらいに熊野灘到達でしたが、もしかしたら和歌山市辺りに上陸するかもしれません。このままの進路を進めば、夕方播州地方も大荒れです。
今から仕事、泣きそうです。。。
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