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差別の天秤

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2012年10月2日火曜日

映画『コクリコ坂から』を見ました。



映画『コクリコ坂から』を見ました。
終幕に近づくにつれて、じんわりとした暖かみがこみあげてきました。
一枚の古い写真が導く運命、めぐりあいの物語でした。

終盤、海と俊が理事長へのカルチェラタン存続の直談判からの帰りに降り立った駅が桜木町駅であったので、物語は昭和30年後期の横浜が舞台だと思われます。
この時代、私はまだ生まれてばかりの頃で確かな記憶など無いはずなのですが、海の日常風景に懐かしさを覚えました。

物語は、二つの出来事が混じり合って進行します。
一つは、少女よ君は旗を揚げる、何故?というミステリー
そして二つ目は、カルチェラタンで営まれる学生自治のファンタジーです。

《少女よ君は旗を揚げる、何故?》
そして一枚の古い写真のミステリーが、映画『コクリコ坂から』の本筋です。
松崎海は、妹弟とともに海に面した高台にある祖母の洋館に住んでいます。
明治期に建てられたという洋館は祖父が存命時には診療所として使われ、現在は女性達の独身寮です。海はこの独身寮の家事をしながら高校に通っています。
海は毎朝、信号旗を掲揚します。それは、海がまだ小さかった頃に亡くなったとされる船乗りだった父への帰郷の目印でした。
松崎海と新聞部の部長で一年先輩の風間俊は、お互いに淡い恋心を抱いていました。
海はある出来事がきっかけで、俊が発刊するカルチェラタン新聞のガリ版切りを手伝うことになり、二人は仲の良い友達となります。
海が住む洋館で、パーティーがありました。そのパーティーに俊も招待されます。そしてパーティーの合間、海の案内で洋館を巡っていますと、一枚の写真に目が留まりました。
それは海の父親がまだ学生の頃、友人二人と三人で撮った記念写真でした。
その写真はある事実を俊に投げかけ、後日俊は海にも事実を告白して、このままの仲の良い友人でいようと告げます。
俊は生まれてまなしの頃に現在の両親に引き取られました。俊の父は船乗りでした。そして俊が幼かった頃に、朝鮮戦争に巻き込まれて海で亡くなりました。俊には一枚の写真が父の形見として残されました。その写真は海の家で見た写真と同一のものであり、俊の父の名は澤村雄一郎、海の父親と同一人物でした。

《カルチェラタンで営まれる学生自治のファンタジー》
海や俊が通う高校には、文化部の巣窟、カルチェラタンという古く汚い洋館がありました。
学校側はその建物を取り壊して、新しいクラブハウスを建てようと図っていました。カルチェラタンのリーダー俊と盟友で生徒会長の水沼史郎は先頭に立ってカルチェラタン存続活動を行います。ですが生徒の大半は新しいクラブハウスの建設に賛成で、その存続活動は厳しい状況にありました。
ひょんな事から新聞部の活動を手伝うことになった海は、カルチェラタンをみんなで奇麗にして、みんなが集い、そしてみんなが大切に思える場所にしましょうと提案します。
その次の日からカルチェラタン美化活動が始まります。最初はカルチェラタンの住人と海の友達で始めた美化活動も次第に多くの生徒達の支持を受け、生徒もまたOBまでもが協力しあい、カルチェラタンは美しい生徒の社交場へと生まれ変わりました。

《めぐりあいの結末》
カルチェラタンが美しく生まれ交ったその日、カルチェラタンの取り壊しが決定しました。
俊と史郎、そして海は、学校に絶対的力を持つ理事長に直談判する為に東京に向かいます。
そして三人は理事長に会うことができました。
最初三人をいぶかしがった理事長ですが、特に海の素直さとそして父を戦争で亡くした話を聞いて心が動かされ、生まれ変わったとされるカルチェラタンを見に行く約束をします。
その直談判から俊と海は二人で横浜に帰ってきました。
そして夕景の市電の停留所で海が俊に告白します。
「私が毎日毎日旗を揚げてお父さんを呼んでいたから、お父さんが自分の代わりに風間さんを送ってくれたんだと思うことにしたの、私風間さんの事が好き」と告白します。
俊も「俺もお前が好きだ」と応えます。とても切ないシーンでした。
海が家に帰ると、アメリカに留学していた母が帰っていました。
夜、海は母に父のもう一人の子供について尋ねます。
母は答えました。
「あなたが私のお腹にいた頃、父さんが幼子を連れて帰ってきたの
幼子は父さんの友人立花さんの子で、立花さんは引き揚げ船の事故でなくなり、お母さんもその子を産む時に亡くなったの、そして親戚もみんな原爆で亡くなった、放っておけばその子は孤児院に入れられる、父さんはそれが許せなかった、そして自分の子として役所に届けたの。でも身重の私はどうしても育てる事が出来ず、父さんは船乗り仲間にその子を養子にしてもらったの。」と海に話します。
海は母の話を信じたい、そう願って美しい涙を流します。母は海の気持ちを悟ります。

翌日、カルチェラタンに理事長が訪れます。
俊、史郎、海は生徒達の先頭に立って理事長を迎え入れます。
美しく生まれ変わったカルチェラタンには、溌剌とした若人達がいました。
カルチェラタンには『故きを温ねて新しきを知る』という気概が溢れていました。
そして理事長はカルチェラタンの存続を宣言しました。
その時、俊の父から電話が入ります。父が告げます。
写真に写っているもうひとりの人物、小野という人が、今港にいる。
小野さんならお前の事情をよく知っている筈だ。でも小野さんは外国航路船の船長で、もうすぐ出港してしまう。すぐに会いに行け!と告げます。

俊と海は、校門を出て、二人が何度も歩いたコクリコ坂を下って港に急ぎます。
港で俊の父が操縦するタグボートに乗り込み、そして出航の準備が整った大きな商船に乗り込みます。
船のデッキで小野さんと対面します。
小野さんは話します。
「俊くんだね、君の父親は立花だ。
立花と澤村、私たち三人は親友だった。
立花と澤村の息子と娘に会えるなんて嬉しい、ありがとう、こんな嬉しいことはない」と話します。

俊と海はタグボートに戻って、小野の船を見送ります。
二人にとって、生きた父の旅立ちを見送る様に、その別れはとても清々しいものでした。

end


この物語の難点を一つ挙げるとすれば、第一幕で描かれる海の家族関係の複雑さです。この一見複雑そうに見える家族関係も追々ゆっくりと紐解かれてゆくのですが、私の妻など多分にこれがハードルとなって最後まで見終えたことがありません。

私は、特にガリ版切りのシーンに、古き学生時代の郷愁を覚えました。
中学三年の頃、生徒が主体となってガリ版刷りの文集を発刊していました。
みんなで詩や物語を持ち寄って、ガリ版切りし、そして刷りました。この映画で海が行った様にして文集を作っていたのです。
現在では考えられない程に、手間の掛かる作業でしたが、みんな楽しんで参加しました。
そしてその文集は今も私の書棚にあります。私の宝物です。

主題歌『さよならの夏~コクリコ坂から~』も、とても良いですね。
優しいメロディと切ない手嶌葵さんの歌声が、この物語の根底にあるセンチメンタルな郷愁に私を誘いました。

さよならの夏~コクリコ坂から~
作詞 万里村ゆき子
作曲 坂田晃一
唄  手嶌葵

光る海にかすむ船は
さよならの汽笛のこします
ゆるい坂をおりてゆけば
夏色の風にあえるかしら
わたしの愛 それはメロディー
たかく ひくく歌うの
わたしの愛 それはカモメ
たかくひくく飛ぶの
夕日のなか呼んでみたら
やさしいあなたに逢えるかしら

だれかが弾くピアノの音
海鳴りみたいにきこえます
おそい午後を往き交うひと
夏色の夢をはこぶかしら
わたしの愛それはダイアリー
日々のページ綴るの
わたしの愛それは小舟
空の海をゆくの
夕陽のなか振り返れば
あなたはわたしを探すかしら

散歩道にゆれる木々は
さよならの影をおとします
古いチャペル風見の鶏
夏色の街はみえるかしら
きのうの愛それは涙
やがてかわき消えるの
あしたの愛それはルフラン
終わりの無い言葉
夕陽のなか巡り逢えば
あなたは私を抱くかしら

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