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『自殺の練習』という犯罪

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2025年11月11日火曜日

フランケンシュタイン

Netflixで今月公開されたギレルモ・デル・トロ監督作品「フランケンシュタイン(原題:Frankenstein)」、待望していた今作品を遂に観ました。

そして、私のフランケンシュタインに登場する怪物のイメージは一新されました。この作品を観るまでは、フランケンシュタインに登場する怪物は、マッドサイエンティストが造りだした無知性で愚かな醜い怪物であり、主役にはなり得ないものでした。

私は、19世紀初頭に創作された怪異小説「フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス」は読んだことはありませんが、あらすじを辿るなら、デル・トロ監督は、この原作に忠実に、現代の映像マジックを駆使して、フランケンシュタインが創造した怪物が崇高な人間へと成長する物語を描いていました。とても胸を打つ物語でした。

この物語に登場するもう一人の主人公ヴィクター・フランケンシュタインは19世紀の天才医学者であり天才科学者です。子供の頃に高名な医師で厳格極まりない父から将来医師となるための手ほどきを受けました。それは、少しでもつまずけば鞭に打たれるという厳しいものでした。ヴィクターはそれ故に、父への極端な愛憎を募らせ、遂に父を超える名声を獲得するという野望に取り憑かれることになります。その具体的な方法が、知性を持つ人間を創造するという神をも恐れぬ所業でした。

私はこの物語を見ながら、中世の神学者でありながら人文主義者(ヒューマニスト)でもあったデジデリウス・エラスムスを思い浮かべました。中世のキリスト教国では、子供の教育に鞭を打つなどの体罰を伴うことが当たり前に行われていました。思い出せば、1971年に公開されたイギリス映画「小さな恋のメロディ」でも、主人公の小学生が教師から鞭打ちの体罰を受ける象徴的な場面がありました。こういう行為はヨーロッパでも近代まで続いていたんですね。エラスムスは、この様な、子供を非人間的に扱う行為は、人間に対する相応しい教育とは言えず、人間を奴隷化するものだという「幼児教育論」を発表しました。これは、人類で最初の人権宣言と云われます。

ヴィクター・フランケンシュタインが創造した怪物、創造者が非人間・怪物と蔑んだ生物は、長い流浪の旅の中で、永遠の命を呪いながらも、言葉を学び、聖書を学び、遂には人の罪を許す事ができる崇高な人間、或いは人間以上の存在へと成長を遂げていきました。

何が、彼を、崇高な人間へと導いたのか?

それは彼を、怪物とは見なさずに、彼の中にある純粋さや優しさを汲み取ることができる人との出会いでした。

これこそ、人間を大切にすることができる人間を育てる為の、教育の神髄なのではないかと思います。