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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年5月28日土曜日

小学生の頃に憧れた仕事は『台風博士???』です。

先ほどのブログでも書きましたが、学生の頃は(今も余り変わりませんが)、劣等感の塊でした。
でも、そんな私でも、なりたいもの、将来の夢が一応ありました。
小学校の頃ですが、現在でいうところの『気象予報士』(ちょっとニュアンスが違うんですけど…)に憧れまた。

実は私、『台風』が大好きです。大人になった今『台風』が大好きというと、毎年、その台風で甚大な被害を被られる方から批判を受けてしまいますので、幼い頃の戯れ言として、寛容な心で、以下を読んで頂ければと思います。

『台風』が近づくと、テレビのニュースで、『台風〇号は、現在△に位置し、日本に向かって北上中です』とか、『××時、鹿児島枕崎辺りに上陸しました』とアナウンサーが読み上げます。当時は、まるでゴジラか何か得体の知れない怪獣が上陸したのかと思い込み、興奮しました。

また、台風が『兵庫県に再上陸した』とか『台風の眼に入った』とニュースで聞くと、外に出て、空を見上げて『台風の眼』を探したものです。

また、『台風』が近づくと現地からの生中継で、激しい雨・風の中でヘルメットをかぶり、合羽を着て、飛ばされそうになりながらも必死で状況を伝える姿に感動しました。(でも実況放送されていたのは、各地のアナウンサーなんですよね。当時は、台風に立ち向かう男達、と思っていました。)

深夜に『台風』が近づくとなると、1時間起きにNHKの定時台風関連ニュースが放送されるので、その夜は、そのニュースを見るため、徹夜です。また、布団に入ったところで、興奮して寝られませんでした。

因みに『台風』は、低気圧の化け物で、反時計回りに、中心に向かって回転しながら北上します。中心部の気圧が一番低く、それが中心付近で上昇気流を発生して周辺で次々に積乱雲を生み続けて、激しい雨をもたらします。また、中心部の気圧が低ければ低いほど、周辺部との気圧の高低差が大きくなって激しい風をもたらします。
また、勢力の大きな台風は、上昇気流から中心部に向かって下降気流が発生し、そこは雲もなく無風の空間となります。それを『台風の眼』と呼んでいます。

小5の夏休みには自由研究で気象について調べようと、当時、姫路の御幸通り商店街にあった誠心堂書店の、子供はまずあがる事の無い3階の専門書コーナーで、海上保安庁大教授能沢源右衛門著『天気図と気象』という専門書と天気図用紙を購入して、翌日から、ラジオの気象通報を聞きながら天気図を書き始めました。

実際のところ、三日坊主という事はなかったですが、最初の意気込みも徐々に薄れ、しまいに邪魔くさくなって、ええ加減な記録になっていき、夏休みもまだまだ続くというある日、研究は終了しました。能沢源右衛門著『天気図と気象』は、いまも本棚にあります。ほとんど読んでいませんが…

結局はその程度、『絶対になりたい』という強い意志は芽生える事なく、夢は弊え現在に至っています。


p.s.
今でも、気象現象のニュースには敏感に反応し、しっかり聴き入ります。
最近では、アメリカ中西部で多発している竜巻のニュースに関心を持っています。地震や台風も恐ろしいですが、竜巻は、発生してから数分間という短命のなかで数㎞を移動し、移動したコースにあった全てのモノを破壊し尽くします。
先日5月24日、ミズーリ州ジョプリンを襲った竜巻は、単一の竜巻としては、史上最悪で、124名という尊い命が奪われたとニュースで報じられていました。

因みに竜巻の規模の指標ですが、『Fスケール』というものが広く用いられています。
これは、1971当時シカゴ大名誉教授であった藤田哲也さんが提唱された『Fujita-Pearson Tornado Scale 』の略称です。

唐突ですが、私『数学』が好きなのです…

小・中・高そして大と全く勉強が好きではありませんでした。本を読まず、覚える事が苦手、自分は『読解力』『理解力』そして『記憶力』が劣っているという、何故かその様な劣等感を持っていました。

ただ、『算数』や『数学』だけは好きでした。『解く』という行為が面白かったのです。中学で覚える方程式であれば、万一公式を忘れてしまっても、数式を自分なりに崩して、また再構築して、答えを導く事が出来ました。

また、数学に関する出来事にもとても興味を引かれます。今朝もそうでした…

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今日の朝日新聞朝刊2面の『ひと』で紹介されている東京学芸大准教授の溝口紀子さん(Wow!、同い年です)が女性科学者に贈られる猿橋賞を受賞される事になったと伝えています。

以下、記事引用-----

数学者の仕事は二つある。誰もが知っている難問に挑戦することと、未知の興味深い問題を開拓すること。後者の業績で、28日に第31回の猿橋賞を受ける。
解析学の新興分野の一つで、劇的な変化を示す「爆発現象」を研究する。「不完全な爆発」に着目し成果を上げた。研究が進めば、「局所的な異常がやがて正常に戻るような現象について、数学的な法則を見つけられる可能性もある」。例えば集中豪雨を数式で描ける日がくるかも知れない。
その構想力に、「爆発」を45年前に発見した藤田宏・東大名誉教授(82)も「まれに見る数学センスと強靱な計算力」と舌を巻く。
研究者志望、ではなかった。お茶の水女子大の数学科は「暗記物が嫌い」だから選んだ。大学院は「就職はまだいいな」と考えて進んだ。今のテーマとの出会いは30歳代も半ば。「めちゃくちゃ遅いスタート。今、どんどん数学を好きになっている途中です」
授業で安易な「分かりません」は許さないが、挙手が多いと息抜きにジャンケンで順番を決める。サービス精神には自負がある。
趣味は子供のころたしなんだピアノと油絵。芸術も数学も、実利抜きで普遍的な価値を持つ点が似ていると思う。スポーツもそう。熱狂的なサッカーファンで、日本代表の岩政大樹選手はゼミの卒業生。ちょっと自慢だ。
(文・吉田晋、写真・河合博司)

以上、記事引用-----

GoogleやWikipediaで『猿橋賞』を調べてみました。

Wikipedia 猿橋賞についての記述

猿橋賞(さるはししょう)は、第一線で活躍する女性科学者を表彰する賞である。
地球化学者の猿橋勝子によって創設された。「女性科学者に明るい未来をの会」(1980年創立)から毎年、顕著な研究業績をおさめた50歳未満の自然科学の分野の女性科学者に「女性自然科学者研究支援基金」をもとに贈られる。賞金額は30万円。
と記されています。

猿橋勝子さんは既に没せられていますが、専門は「地球化学」で、1954年のビキニ事件(1954年(昭和29年)3月1日、マーシャル諸島近海ビキニ環礁で行われた水爆実験時、同海域で操業していた第五福竜丸の船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被爆した事件)におけるいわゆる「死の灰」による大気・海洋汚染の研究以後、三宅と大気及び海洋の放射能汚染の調査研究を行い評価されたと記されています。

数学のノーベル賞と言われるのが『フィールズ賞』です。
「フォールス賞は、ノーベル賞に数学賞がないことから、カナダ人数学者ジョン・チャールズ・フィールズ (John Charles Fields) の提唱によって1936年に作られた賞のことである。
4年に一度開催される国際数学者会議 (ICM) において、顕著な業績をあげた40歳以下の若手の数学者(4名まで)に授与される。
数学のノーベル賞といわれることもあり、数学に関する賞では最高の権威を有する。しかし、「4年に一度」「40歳以下」「4名まで」といった制限がついていることから、賞としての性格は異なる。すなわち、ノーベル賞は功成り名遂げたその分野の権威が受賞することが多いが、フィールズ賞はいままさに活躍中の数学者が受賞している。実際、ほとんどのフィールズ賞受賞者は受賞後にも著しい成果をあげている。なお、ノーベル賞は業績に対して贈られるので、一人で複数回受賞することも可能だが、フィールズ賞は人に対して贈られるため、複数回受賞することはできない。」と記されています。

『フィールズ賞』について、最近の興味深いエピソードとしては、アメリカのクレイ数学研究所が2000年に「ミレニアム賞問題」として発表した近代数学の中でも選りすぐられた7難問の一つ『ポアンカレ予想』を、ユダヤ系ロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンが2002年から2003年にかけ証明した論文について、2006年の夏までに複数の数学者チームによる検証が行われた結果、証明に誤りがないと判断され、ペレルマンは、この業績により2006年にフィールズ賞を贈られましたが辞退、その後、隠遁生活に入ってしまいました。2010年クレイ数学研究所も7難問の一つ『ポアンカレ予想』を証明したと認定し100万ドルの賞金を授与すると発表したが、ペレルマンはこれも辞退しています。彼は現在、母親の年金で細々と暮らしているといわれていますが、これも定かではありません。

このエピソードについては、2007年に放映されたNHKスペシャル『100年の難問はなぜ解けたのか ~天才数学者 失踪の謎~』を観て知りました。

世界の名立たる数学者が挑戦し、それぞれが正気と狂気の狭間まで自らを追い込んで証明に挑み、ついには人生を狂わされていく『ポアンカレ予想』問題。その難問を当時30歳半ばで証明してしまったペレルマンの、その後の奇異な行動までを追ったドキュメンタリー。数学者達のインタビューで綴られていくこの物語には、得体の知れない存在が見え隠れし、その得体の知れない存在に恐怖と魅力を感じました。

1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出された『ポアンカレ予想』。問題自体、何のことやらで、紹介する事すら不可能なのですが、番組の中で、ある数学者が言った『宇宙の成り立ちを証明ことになる』という人知を越えた神の領域に迫る、とても恐ろしく根源的な証明問題で、これは悪魔の誘いか?、とさえ思いました。

この証明問題が解かれたとして(解かれたわけですが)、私たちの生活が一変するわけではありません。いいかえれば、これは遠大なゲームなのです。

ゲームである『数学』には、この様に、人を虜にする魅惑があります。

『フィールズ賞』ではなく1994年『ノーベル経済学賞』を受賞された数学者ジョン・ナッシュ。2001年公開のハリウッド映画『ビューティフル・マインド』は、彼の数学者としての偉業と成功、そしてその裏で統合失調症に苦しむ人生を妻と共に歩み続けた、という彼の半生を描いた作品でした。数学にのめり込むうちに、精神が冒され、存在しない人物を作り出して、それが生活に介入し、いつしか現実と架空の世界をさ迷う錯乱に陥る男ナッシュを、今だ『グラディエーター』の剣闘士イメージが強い偉丈夫ラッセル・クロウが、見事に演じきりました。また、そんな彼を献身的に支える妻アリシアをジェニファー・コネリーが演じ、彼女は2001年、この役でアカデミー賞助演賞を受賞しました。

日本の小説(後映画化された)にも数学者を主人公(助演?)にした優れた小説があります。事故によって記憶が数時間しか保てない元数学者と家政婦(そしてその子供)との交流を描いた、小川洋子さんの代表作『博士の愛した数学』です。
素数や完全数、ルート等の数学用語が小説の重要な場面で使われています。また、小川洋子さんが大の阪神タイガースファンという事もあって、小説にはそれも投影されています。
家政婦の一人息子がタイガースファンの野球少年で頭の形が平である事から元数学者からルートと呼ばれたり、江夏のタイガース時代の背番号『28』が完全数である事など、面白く数学とタイガースがコラボレーションしてエピソードとして挿入されています。


随分、横道に逸れてしまいました。戻りましょう。

『ひと』の記事で、「数学者の仕事は二つある。『誰もが知っている(?)難問に挑戦する』ことと、『未知の興味深い問題を開拓する』こと」と記され、溝口さんは後者、劇的な変化を示す『爆発現象』から数学的な法則を見いだす研究をされています。

私は(大変厚かましい意見です)、『数学』は、『ゲーム的要素が高い』ものと、そして『私たちの生活を劇的に変化させる』ものとに分類されると考えます。
樋口さんの追い求められる数学は、記事の通りとすれば後者です。

気候温暖化の影響か、この数年、大規模被害をもたらす気象現象(台風、竜巻、高温、低温、降雪等々)が世界各地を襲っています。3.11の大地震、そして津波も大規模エネルギーの『爆発現象』が引き起こした自然現象です。

それらの数学的な法則が発見され、現在よりも、一秒でも早い予知、精度の向上が図られる事によって、警報ネットワークシステムがさらに高度化され、現在よりも近未来において、それらのシステムが、尊い人命を救う究極の『命綱』となる事を期待します。


p.s.
2000年にアメリカのクレイ(スーパーコンピューターの代名詞となるコンピュータ会社です)数学研究所が、「ミレニアム賞問題」7問を発表、それぞれの難問を証明した者に100万ドルの賞金を与えると発表している。その7つの難問ですが、
1.P=NP?問題
2.ホッジ予想
3.ポアンカレ予想
4.リーマン予想
5.ヤン・ミルズ理論とmass gap
6.ナヴィエ・ストークス方程式とsmoothess
7.バーチとスウィナートン・ダイアーの予想
です。

2011年5月27日金曜日

猛烈な強さを維持した台風2号が日本に接近中、28日以降大荒れの様子です。

願い空しく、台風2号が接近してきました。雨も降り始めました…。

明日、5月28日(土)鹿島中野球部は滋賀県野洲に日帰り遠征し、近畿№1の中等部軟式クラブチーム『HIKONE JBoy's』さん、そして『野洲ブレーブス』さんとの練習試合が予定されていました。

6月24日(金)から始まる、中学生として最後の公式大会(中体連軟式野球大会)を前に、冬トレによって、昨秋より一回りも二回りも強くなった鹿島中野球部の選手達が、昨秋の中上杯で力負けした『HIKONE JBoy's』さんに臆する事なく、どう戦うか、楽しみにしていました。

しかし、台風2号は、足踏みする事なく、また現在の北西の進路を変えず中国大陸に向かうではなく、日本列島に向けて進路を変えつつあります。今年は各地とも例年より10日も早く梅雨入りとのニュースが流れました。近畿地方は昨日梅雨入りした様です。

本日、播州地方は、午前中、曇り空でしたが、雨は降りませんでした。しかし、午後に入って五月雨となっています。
台風2号は17時30分現在、フィリピンの北端に位置し、北北西に進んでいます。中心気圧は920Pa、中心付近の最大風速55m/s、最大瞬間風速は75m/sという猛烈な強さを維持しています。

明日は、台風の先触れとして、梅雨前線が刺激され、大雨になるとの予報が出ています。台風2号の予報では、5月30日(月)頃に、勢力を徐々に弱めながら日本に最接近し、西日本の南岸を北東に進み東海地方辺りに上陸すると見られています。
大雨をもたらし大きな災害を引き起こす進路を進む典型的な雨台風といえるでしょう。

先ほど、『HIKONE JBoy's』事務局長様、そして『野洲ブレーブス』事務局長様に連絡を入れました。鹿島中野球部を迎えて下さるためにご準備頂いた事に対してお礼を述べました。

この度の練習試合が中止ではなく、現在の2年生が主軸となった鹿島中野球部へと引き継がれ、必ずや試合が実現する事を願います。


ps.
台風は先ほども書いたように大雨を伴う事が考えられます。また、勢力が余り衰えずに接近した場合、暴風雨も激しいものとなると予想されます。
5月30日といえば、中間考査初日です。野球部員(だけでなく全校生徒)はしっかり自宅学習に勤しみ、また天気状況にも十分に関心を持って欲しいと思います。

2011年5月24日火曜日

中島みゆきさんの『悪女』を久し振りに聴きました。

今日、久し振りというか、中島みゆきさんの『悪女』を聴きました。
中島みゆきさんをリアルタイムで聴いていた世代です。ですが、おとんぼ(末っ子)で、20歳を過ぎても女性と面と向かって話すのが恥ずかしく(女性は大好きです。ちょっとした仕草で、すぐに好きになり、告白してよく玉砕してました。)、男連中と酒を呑み、歌を歌っている方が楽しかった、というか、そういう風にしかできなかったところがありました。

『悪女』は、私が20~21歳頃に流行った歌です。軽やかなメロディーに、曲名が『悪女』、へんな歌やなぁくらいしか思いませんでした。


今日、じっくりと歌詞を聴き入りました。
浮気癖のある彼氏から別れを切り出させようとして、自分も友人(マリコさん)宅や映画館、ホテルのロビーで時間を潰し、彼氏に浮気をしている素振りを見せて、愛想を尽かせよとする。でも気付くと帰る場所は彼氏しかいない、でも電話をしてもいつも受話器は外されたまま(携帯電話しか知らない世代は、この綾は分からないでしょう)。
『悪女』を演じ続けるのは切ない、という可愛い女心が綴られていました。


特に歌詞のさびの部分

悪女になるなら、
月夜はおよしよ素直になりすぎる

隠しておいた言葉が
ほろりこぼてしまう

『行かないで』


『ほろりこぼてしまう』の後一呼吸も置かずに『行かないで』と続けたセリフ、これまで気付きませんでした。

20歳前後で、この様な女心が分かるというか、自然に対応できる男が『もてる男』になるのでしょうね。

いやいや、深いなぁと溜め息をついた次第です。


ところで、私は、中島みゆきさんの歌での中では、特に『時代』、そして『ホームにて』という歌が好きです。

『時代』といえば中島みゆきさんの代名詞ですよね。高校時代に聴きました。なんてスケールの大きいな歌やなぁと感じた事を覚えています。



『ホームにて』は、アルバムの中に収録されている歌で、余りメジャーではない歌かもしれないけれど、
何かの理由で街を離れて故郷に帰る若者が、故郷に向かう最終電車を前にして躊躇する様子と、そっと優しく駅長が背中を押してくれる、という何気ない物語が綴られた歌詞です。

いるかさんの『なごり雪』とはちょっとシチュエーションが違うけれど、ホームでの切ない物語という点で共通していて、二曲とも、とても好きな歌です。

いつか歌って、Youtubeにアップしたいと思います。

因みに『ホームにて』の歌詞ですが以下に掲載します。

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ホームにて
作詞・作曲・歌 中島みゆき

ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ
振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
走りだせば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる

振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
ふるさとは 走り続けた ホームの果て
叩き続けた 窓ガラスの果て
そして 手のひらに残るのは
白い煙と乗車券
涙の数 ため息の数 溜まってゆく空色のキップ
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券

たそがれには さまよう街に
心は 今夜もホームに たたずんでいる
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券

『反原発』ソング脚光という記事に、ずっと違和感を覚えていました。

朝日新聞 平成23年4月27日(水)夕刊の8面に掲載された記事、「『反原発』ソング脚光、インターネット上で話題」という新聞、今も机の上に取っています。

この記事は、「東京電力の福島第一原発事故をめぐり、反原発の姿勢を打ち出す楽曲が話題になっている…レコード会社やラジオ局には『自粛』の動きもあるが、インターネット投稿サイトなどで広がり続けている。」
という前文があって、本文に繋いでいます。

「この国を歩けば、原発が54基/教科書も言っていたよ、安全です/俺たちをだまして、言い訳は『想定外』」
「ずっとウソだったんだぜ/やっぱ、ばれてしまったな/ホント、ウソだったんだぜ/原子力は安全です」
この歌の題名は「ずっとウソだった」。ロック歌手斎藤和義さんのヒット曲「ずっと好きだったのに」をご本人が替え歌で歌われていて、4月上旬からネットの投稿サイトで話題になっているとの事。

また、もう一人、というか伝説のバンド、RCサクセッションの「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」で、ともに1988年のアルバム「COVERS」に収録されていたという。
86年のチェルノブイリ原発事故の影響もあり、反核の姿勢が鮮明だった。リーダーの故忌野清志郎さんは「ラヴ・ミー・テンダー」に「放射能はいらねえ/牛乳は飲みてえ」と日本語歌詞を付けた。
「サマータイム・ブルース」は「人気のない所で泳いだら/原子力発電所がたっていた/さっぱりわかんねえ/狭い日本のサマータイム・ブルース」となった。

20歳の頃、それまで『優しい』フォークに夢中だった私にとって、RCサクセションの『雨上がりの夜空に』『トランジスタラジオ』は衝撃だった。余りにも歌詞がストレートで、それで隠れファンとなっていた。

その後、最近までまったく聴かなかった、というよりも社会人になった頃は、テレビもほとんど観ない生活だった。ただ、新聞で、RCサクセッションのロック曲『君が代』が発売中止になったという記事を読んで、『反骨、ストレートは健在なり』と思ったものだ。

RCサクセッションの先の2曲は、当時の所属レコード会社『東芝EMI』は新聞広告で『素晴らしすぎて発売できません』と表明したとの事だ。タブー(触れてはいけない)があった時代でした。

その後、90年代、2000年代と清志郎さんは、『パパの歌』など、疲労困憊の同世代へのエールの曲を歌っていた。子供達に『父さんは格好いいんだぜぇ、ベイビィ』なんて気持ちで歌われていたのだと思います。

清志郎さんは、反骨の塊であったろうけれど、決して、今、頑張っている人を傷つける様な人ではない、と私は思っています。

今回の未曾有の大震災と津波によって、東日本、三陸で尊い命が奪われ、また原発は破壊され、それは日本の危機管理能力が無いに等しい事、また原発において、想定というものにあぐらをかき、何重ものセーフティ管理を怠っていた事が明らかになりました。

民主党による菅政府も1955年以降で初めて、単独で自由民主党から政権を昨年奪ったばかりで、日本の長きに渡って眠っていた野党が、漸く目覚め、政権を国民の審判で譲渡されたばかり、山積した問題も共に譲渡された中で、内政運営、外交運営ともに、これから新しいシステムを構築し、実践の中で人材を育て、山積した問題を一つ一つ処理する、という矢先の出来事で、その非力さは、一国民として泣きたいほど辛いです。

今回の大震災後の対応だけでも、彼らは、国民に対して『罪』を犯しました。『隠匿』、『説明不足・理解不足』、『鈍重』です。

しかし、日本は政府が支配する国でしょうか。日本は国民主権の民主主義国家です。日本が未曾有の危機に陥ったとき、『黙り』を決め込んだり、『政府』を避難して力を貸そうとしない、野党や在野の権力者、有識者なる者達は、一体何なのでしょうか。
もし、清志郎さんが生きていたら、今、直感で本当の『悪い奴ら』をロック魂で、『ちょけながら(播州弁です)、ふざけながら』糾弾するでしょう。

様々な問題を抱えながらも、今、破壊つくされた町の復興作業に尽力されている人がいるという事を、原発事故の被害がこれ以上拡大しない様、命がけで高濃度の放射能が渦巻く建屋内で修復作業に就かれている人がいるという事を、私たちは一時も忘れてはいけないと思います。

そして私たちは、決して風潮に流されてはいけない、問題に面前にした時には、立ち止まってでも、しっかりと問題を見つめ、考え、学び、そして自分の選択・判断・決意のもとに歩まねばなりません。そうしなければ、いつまでも責任逃れするばかりで、本当に、良い方向に歩む事などできないと思います。

2011年5月23日月曜日

書籍『SHARE ~What's Mine Is Yours~』が予言する、これからのインターネット利用社会について

あるアメリカ青年が、フィンランド旅行を思い立ち、フィンランドの大学のメールリストに片っ端から、メールで宿泊の依頼をだし、宿泊を受け入れて下さる方からのメールから、さらに自分の希望に合う受け入れ先を絞り込み、そして『この人』と思える相手との実名での連絡、『私はどういうもので』、『どういう目的でフィンランドに行きたいか』を伝え、そして信用と合意を取り付け、フィンランドで充実した旅を満喫した。

このエピソードには3つの重要な、古くて新しい発想が実現の肝となっています。
①自分がしたい事を、知恵を絞って行動し実現する
②相手と信頼関係を築き、そして勇気を持って相手の胸襟に飛び込む
③相手は見返りを求めず、寛容さ、親切心で無償のサービスを提供する

『自立心』『行動力』『我を通す』、アメリカ魂だからできたエピソードでしょうか。

日本でも、数十年前まで『無銭旅行』、いわゆる見知らぬ人々の善意を頼りに、旅をするという若者がいました。
彼らの信条は、『金』ではなく、自分が出来うる精一杯の行動で、『善意』に報いるという事でした。

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書籍『SHARE ~What's Mine Is Yours~』、日本語直訳題は『共有 ~わたしのものはあなたのもの~』、本書には副題として『共有からビジネスを生み出す新戦略』と書かれています。

19世紀の産業革命、20世紀初頭の世界大恐慌、二度の世界大戦を経た後、アメリカは産業の振興、内需の拡大を図るため、新しいビジネス・プロモーション手法『広告(PR:Public Relation)によって消費者の購買欲を煽る、フロイトの心理学論をビジネスに応用した手法』と、カード決済手法(一般市民が信販会社が発行するカードを持ち、信用取引で、先買い・後払いを行う)、そして新しいマスメディア(テレビ)の登場ともあいまって、特に耐久家電商品(冷蔵庫、洗濯機、電器調理器)そして乗用車が各家庭に行き渡りました。また、当時は、『持ち物によって人が評価される』時代でもありました。

これ以前のアメリカの企業人・成功したビジネスマンは、アメリカの文化的成長のリーダーであり、私財を投げ打って、アメリカの教育や文化事業の育成に貢献しました。

しかし、個人主義が顕著になり、市場経済、拝金主義が蔓延するとアメリカの産業・経済は内部崩壊を始めました。そして、2009年アメリカの住宅バブルは破裂し、金融危機が世界を揺るがす事になりました。

『シェア』では、『過剰消費の20世紀』から脱却し『コラボレーション消費の21世紀』を標榜しています。
そして、人は
・その人がどの様な人間関係を築くか、どう接するか
・属する社会的なコミュニティは何か
・どういう信条を持ち、どういう 行動・アクセスを行うか
・何を誰と共有するか
・不要なものとして何を手放すか
で評価される時代となるだろう、と書かれています。

また本書では標榜する『コラボレーション消費』を3つのモデルで説明されています。
①プロダクト=サービス・システム
②再分配市場
③コラボ的ライフスタイル

『プロダクト=サービス・システム』は、
『所有』より『利用』で、『利用』した分だけ対価を支払うという発想のサービス・システムです。
ライドシェア(自転車の貸し出し)、カー・シェアリング(日本でもオリックスなどが都市圏でこのサービスを始めています)

『再分配市場』
中古品を廃棄ぜず、『修理』『修繕』して『再利用』、また、求める人・必要とする人に『再販売』する。
・リデュース(Reduce)…廃棄物の発生抑制
・リユース(Reuse)…再使用
・リサイクル(Recycle)…再資源化
・リペア(Repair)…修理して再利用する
・リディストリビューション(Re-distribution)…再販売

『コラボ的ライフスタイル』
 目に見える物と物との物々交換に留まらず、様々な目的を持つ人達が、『時間』『空間』『技術』『お金』など、目に見えにくい資産も含めて、『共有』と『交換』を持続的・発展的(サステイナビリティ Sustainability)に行う

また、こらまでの『コラボレーション消費』の実例から、成功事例に共通する4つの原則が挙げられています。
①クリティカル マス(critical mass)
②余剰キャパシティ
③共有資源の尊重
④他者への信頼
です。

『クリティカル マス』
システムが自律的に維持するために十分なはずみ・勢い(モメンタム Momentum)があることを表す、社会学の用語。
ある商品やサービスが、爆発的に普及するために最小限必要とされる市場普及率。
欠かせない要素として、
・消費者の選択の多さ
・コアなファンやリピーターが最初に集まる
・彼らの評価が『社会的承認』や『おすみつき』を与え
・新しいモノ好き(early adopter)だけでなく、
・普通の人達が、これまでと違う行動を取るときに感じる心理的な壁を乗り越えることが出来る

『余剰キャパシティ』
自動車や電動ドリルなどのモノに限らず、目に見えにくい時間やスキルや空間、或いは電力などの生活必需品(コモディティ commodity)にもあてはまる。
インターネットのソーシャル・ネットワーク機能がなければ、求め合う人同士の、マッチングも規模の急速な拡大もあり得なかった。

『共有資源の尊重』
『共有資源』というコンセプト。つまり人間が全員で所有する資源を示すこの言葉の語源はローマ時代に遡る。
1968年微生物学者ガレット・ハーデンは、サイエンス誌に寄稿した論文『コモンズの悲劇』の中で、人間は際限なく取りすぎてしまう、そして『共有資源の自由は全員を滅ぼす』 と断言した。
『インターネット著作権の権威』と呼ばれるレッシグは、歌や画像、知識や映像といったクリエイティブなコンテンツのシェア、リミックス再利用を促す必要があると感じた。
そして、2002年、Creative Commonsを立ち上げ、シェアやコラボレーションを促すための著作権ライセンスを無料で提供しはじめた。
『ネットワークの拡大、コラボ消費に参加する人は、たとえそのつもりがなくても、それぞれが他の参加者に価値を提供している。→これがネットワーク効果だ』

そして、これからの持続的なコラボ的サービスシステム発展のための4つの重要な要素として
①利用の円滑さ
②サービスの複製可能性
③サービスへのアクセスの多様性
④コミュニケーションの強化
と説いています。

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『共有』や『交換』は、もともと物の豊かで無かった時代、私たちは地域のコミュニティで、互いに助け合う手段として行っていました。
そこには『共に生きる』『信頼する』『相互扶助する』という理念が根底にあったと思います。

日本の諺に『情けは人のためならず』があります。『よい行いをすれば、巡り巡って、いつか自分に良い報い来る』という良き教えです。

欧米人にとっての『共有』や『交換』は、もう少しドライです。ドライだからこそ、『コラボレーション消費』運動(Movement)の中で、自分の評価・評判を高めるために、ほとんどの利用者が、『P2P Person to Person』、コミュニティやシステムを通じて取引する相手に最上のサービスを提供し、そして、コミュニティやシステムの中で『よい評価』を維持し、コミュニティやシステムを有利に使い続けられる様に活動します。

2000年以降、企業の広告スタイルがインターネットの利用で様変わりしました。テレビでも新聞広告でも、HPアドレスとともに、検索アイコンが表示される様になりました。
それでも企業から消費者への一方向の情報発信形態は変わりませんでした。
しかし、2009年以降、TwitterやFacebookの日本上陸によって、マスメディアを利用した広告から、消費者の口コミ、消費者の肯定的な情報発信を促す為の、双方向コミュニケーションを重要視する形態に変わってきました。

ここで、もう一つ重要なキーワードがあります。『情報リテラシー』です。
そこかしこに氾濫する情報に適切にアクセスし、有用な情報を検索・選択し、内容を理解して有効に活用する、平たく言えば『情報を有効に利用する能力』が重要になります。

IT(最近ではICTと呼ばれています、情報・通信・技術の事です)、コンピュータやインターネットなどと混同しないで下さい。
あくまでも『情報リテラシー』で指す『情報』は、情報そのものです。情報のもとは、新聞かもしれないし、雑誌かもしれない、テレビ、ラジオかもしれないし、口コミかもしれないのです。
ICT(Information and Communication Technology )、パソコンやインターネットを利用して、情報を『得る』『加工する』『付加価値をつけて発信する』『共有する』為の手法、ツールです。

また、日本発のSNSといえば『Mixi』、携帯電話アプリ『GREE』『モバゲータウン』が代表格ですが、その発想としては、企業が提供する仮想空間の中で、利用者は匿名で、アバター(なりたいモノになりすまして)として仮想空間の住人として活動します。

Facebookに代表されるアメリカから上陸したSNSは、実名主義を取っています。匿名ではなく、実名で、自分の略歴をプロフィールに公開します。そしてコミュニティに参加したり、コミュニティを作りコミュニティを拡大していきます。

実名主義は、日本では『個人情報の保護』及び『悪用』のためにリスクを冒さない事が前提で物事が始まるために、当初は浸透は難しいと考えられます。世界で5億人以上が利用するFacebookさえ日本ではまだまだ利用者が少ない事を見れば、それは明らかです。

ですが、よく考えてみて下さい。一昔前、地域社会のコミュニティーの中で、誰もが皆のことを少なからず知り、それがコミュニティーの安定と犯罪抑制に繋がっていたことを思い出して下さい。

現代の犯罪の多くは、携帯電話やパソコンのメールなどコミュニケーションツールを悪用し、匿名やなりすましで悪行を行います。
私は、『個人情報保護』が、悪意在る者に逆手にとられて『悪意在る者』の隠れ蓑となっている、そう感じてしかたがありません。

この大書『シェア』では、人は、『大量消費の時代』においては、物を持つ事で評価され、標榜する『シェアの時代』では、その人物を知る、回りの人の評価が重要視されると書かれています。

日本人も『個人情報』という履歴データ・個人データでその人を測る、評価するデータ重視・データ偏重主義と決別し、その人自身、等身大の人柄を知って(つまり付き合って、もしくは友だちの友だちとして)、現在の生身の人間を評価する事に、回帰しなければならないと思います。

インターネットは、今後、実名主義が主流となり、提供されうるサービスはすべてその理念のもとに作られ、インターネットを利用する世界では、現実社会と仮想空間が相互乗り入れする、私たちがアバターでは無く、無限の仮想空間を新しい人間のフロンティアとして活用する時代となるでしょう。
リスクにかまけて、踏み出さなければ、日本はさらに厳しい立場に立たされます。置いてきぼりにされます。

『技術立国・日本』『物作り立国・日本』だけではもう立ちゆきません。
日本人としての共通の『誇り』『理念』『悪行に手を染めない』という教育を実践する事が、『日本再生』の柱であり、子どもたちも、そして大人も学び直し、日本人としての『自信』を取り戻し、これからの世界で『共生する』為の様々な活動に喜びを持って参加し働く、その方向に舵を切り、海図無き海原を『逞しさ』『英断さ』『優しさ』を持って、進んでいく事が大事だと思います。

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p.s.

アメリカ発の様々なインターネットを便利に利用するソフトウェアやサービスのほとんどは、たとえばAppleやYohoo!、Googleもそうです、優秀な学生の柔軟な発想とガレージからでもビジネスをスタートするというフロンティアスピリット、またFacebookの様に学生の遊びの中から生まれたものが多いです。何を意味するかというと、『柔軟さ』と『失敗を恐れない』、そして『飽くなき楽しさ』です。

日本では、仕事に対して『楽しさ』『遊び心』というのは、余り尊ばれる事はありません。
ですが、本来、『楽しさ』『遊び心』が無くて何が進歩を推し進めるのでしょう。既成のルールの中で、指示された事だけを行うのでは無く、さらなる進歩のために常に学び、『ルール』も当事者がどんどん見直し洗練すべきです。『慎重』であるべきですが『鈍重』はすべてを台無しにしてしまいます。多少の『軽率』さがあっても『俊敏』さの方が面白い、日本がそうなる事を強く願います。




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[書籍情報]
『SHARE』What's Mine Is Yours
『シェア』〈共有〉からビジネスを生み出す新戦略

著者 Rachel Botsman / Roo Rogers レイチェル・ボッツマン / ルー・ロジャーズ
監修・解説 小林 弘人
訳     関 美和
NHK出版 2010/12/20 第1刷発行

Rachel Botsman
ビジネス・コンサルタント。最新のインターネットとテクノロジーを通じたコラボレーションやシェアの可能性と、それによってビジネスや消費、そして人々の生き方がどの様に変化するかについて、各地でコンサルタントや執筆、講演を行っている。
オックスフォード大学で美術の大学院課程に学ぶ。現在、ブランド力、イノベーション、サステイナビリティといった分野を横断する形で、世界中の企業のコンサルティングを行っている。
UliriamuJ.Clinton財団の前理事長。イギリス、アメリカ、アジア、オーストラリアで活躍。

Roo Rogers
アントレプレナー。ニューヨークのベンチャー会社Redscout Ventures代表取締役。起業家として現在OZOlab,OZOcat,Drive Thru Pictures,UNITY TV,Weniteの5つのスタートアップ企業を成功させる。
企業戦略およびベンチャーキャピタルの専門家であり、同時にメディア、鵜入、飲料といった消費セクターでも活躍。
コロンビア大学文学士号を、ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジで経済学修士を所得。現在ニューヨーク在住。

『シェア』〈共有〉からビジネスを生み出す新戦略 紹介ページ

2011年5月22日日曜日

本日5/22の練習試合は降雨の為、ノーゲーム、中止となりました。

今日は、鹿島中に相生市立那波中と加西市立加西中を迎えての練習試合を予定していました。

重い雨雲が立ちこめる中で、早朝から部員達はグラウンド整備、試合準備を行い、早くに来られた那波中と、鹿島中先攻で8:54、小雨が降る中試合が始まりました。
1番、凌、センター前ヒット。

2番、雄大、巧いバントを決めるも、那波中投手の見事な攻守で凌が二塁封殺。

3番、幸伍が右中間エンタイトルツーベース。

4番、真己死球。
5番、耕太郎死球で1点先制。
6番、健介が打席を迎えたとき…

雨は轟音を伴って強く降り始め、試合は中断、選手達は試合前に急遽設営したテントに避難しました。部員達は全員で、マウンド、バッターサークルにブルーシートを被せて、また立てかけのテントを急ぎ設営しました。全員、バケツで水をかぶったようにびしょ濡れです。
でも、協力し合ってよく働いていました。感心しました。

その後、一時小雨になり、試合を再開するために、グラウンドを作り直している最中、先ほどよりも強く、激しい雨となり、監督が中止を決定されました。

那波中野球部の皆さん、また中止決定時には、既に鹿島中に到着されていた加西中野球部の皆さん、試合を観戦したかったです。残念です。くれぐれも雨に濡れて体調を崩されぬ事がないよう様、お大事にして下さい。

皮肉なもので、両チームが帰校され、我々父母も帰り準備が終わろうとする頃、すっかり雨は上がり、西の空には薄陽が差し始めました。ただ、グラウンドは全面に水が浮いてしまった状態で、諦めはつきました。

監督も選手達も、昨日の課題を練習試合の中で、克服すべく戦いたかったと思います。

中体連野球大会まで、練習試合数は後『10』となりました。
各自が、日々の練習を課題を持って取り組み、そしてテンカウントを数えながら、一朶の戦う集団に仕上げていって下さい。

今週末は、滋賀県野洲に遠征し、
全国レベルの強豪クラブチーム、『HIKONE JBoy's』さん、そして『野洲ブレーブス』さんと練習試合を行います。

たとえ対戦するチームが、遙かな頂であっても、『胸を借りる』ではなく、これまでに育んだ自分たちの鹿島中野球を信じて全力で頂を登り切る事に挑戦して下さい。
ゲームセットのコールがなされるまで、戦い抜く事が、2チームへの君たちの本当の感謝の印となります。

この一年の活動が、鹿島中野球部部員達にとっての、一人ひとりの、人生の『Stand Alone』となる事を期待します。

いよいよクライマックスへ! 宝殿中との練習試合観戦記

今日5月21日、夏を感じさせるじっとりとした暑さの中で、宝殿中にて練習試合が行われました。結果は、
第1試合 宝殿中vs.神戸市立王塚台中 2-2引き分け
第2試合 鹿島中vs.神戸市立王塚台中 1-1引き分け
第3試合 宝殿中vs.鹿島中      3-0宝殿中勝利
でした。

第1試合、第2試合は、共に王塚台中が、そつが無い攻撃、守備で先制、共に7回表まで0行進、しかし7回表に同点にして引き分ける、といった試合でした。
何となく王塚台中のペースで試合が早く進行し、ぎりぎりの7回で漸く踏みとどまるという、王塚台中の催眠戦法というのでしょうか、この様な相手のペースに引きづり込まれると、何も手立てを講ずることなく、気付いたら負けてた、という事が、今後はあるかもしれません。

Picasa写真ギャラリー 2011/5/21 王塚台中戦 記録写真

野球は、攻撃(得点を奪う回)と守備(相手の攻撃を押さえる回)が交互に与えられて進行するゲームですが、それぞれのゲームは、
①攻撃・守備ともに主導権を手中においてゲームを支配し勝利する
②拮抗したゲームにおいては、ゲームの主導権が双方に行ったり来たりする
③相手に主導権を握られ、苦しいゲームを強いられる
という3パターンに当てはめられると思います。

①について、注意しなければいけないのは、『油断』『過信』『おごり』です。そういうものに支配されると、格下のチームに足をすくわれるという、まさかの結果を招く恐れがあります。
②③については、これまでチームが取り組んできた『戦いのスタイル』を貫き、『耐える』『しのぐ』『勝機を逃さない』で勝利を引き込む。これにはチームが一丸となって、一朶となって、戦う事が求められます。
例えば、『強』『剛』の相手に対して、『心を平静に保ち隙を作らない』『互いにカバーする』『チャンスを繋いでものにする』という、『柔軟』『連携』『信頼』が、『盾』となり『槍』となります。

第3試合、市内の豪腕チーム、宝殿中との最後となるであろう練習試合を行いました。
初回にオーバーフォンスのホームランで1点
4回、何でもないゴロの送球ミスと捕球ミスが重なり1点
7回、三本間の挟殺プレーで、本塁側ですり抜けられ1点
と3点を取られました。

Picasa写真ギャラリー 2011/5/21 宝殿中戦 記録写真

ホームランは素晴らしかった、中学野球の試合でオーバーフォンスが観られる事は中々ないので興奮しました。でも、同様に打たれた側の選手達も『凄い』と感嘆したらいいのです。今後、高校や大学、社会人、そして夢のプロ野球で試合をする事になれば、ホームランは衝突事故、常にあり得る事なのです。
ホームランは逆に試合を仕切り直してくれます。新たな気持ちで次打者に迎えばいい、その位の心持ちで丁度良いと思います。
但し、軽率なプレーや、セオリー通りの守備(例えば三本間の挟殺の場合は三塁側で刺殺すべく追い込む)・基本を疎かにしては勝てる試合も落としてしまいます。
こちらは、潜在意識に植え付け、当たり前に出来る様、それまではひたすら意識して、常に心掛けて練習で取り組まねばなりません。

今日は、宝殿中に完敗でした。でもそれは力量の差ではなく、ホームランによって動揺し、また軽率なミス、セオリーに反した守備が敗因です。

最後の中体連までに、以上の課題を、それぞれが克服のテーマとして練習に打ち込み、一朶の鹿島中野球チームとして、再び、そして最後の戦いを宝殿中に挑もう。
選手諸君、君たちには、一つ一つの試合に、心身共に完全燃焼し、そしてひたすら前を向いて、上を向いて、確かな歩みを刻んで欲しいと思います。

父母として、一つ一つの試合が終わる度に、次の試合が愛おしくなります。君たちもきっと同じ気持ちではないかと思います。これからの一戦一戦、チームメイトとの『絆』『信頼』『友情』を高めあって、最高の中学野球のエンディングを描いて下さい。

君たちがどんなフィナーレを飾ってくれるか、大いに楽しみにしています。