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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2013年9月19日木曜日

放射能汚染とは?

9月8日(日)、ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2020年オリンピック開催都市が東京に決まりましたね。それはとても嬉しい出来事でしたけれど、最終プレゼンテーションでの安倍首相の”汚染水は港湾内で完全にブロックされている”という発言には戸惑いました。
そして戸惑うと同時に、汚染水問題の本質についてまったく理解していないことに気づきました。そこで、放射能汚染とは何であるのか少しですが学びました。

放射能汚染-
正しくは、放射性物質の汚染、そして放射性物質が発する放射線の被害です。

放射性物質とは、放射能を持つ物質の総称で、ウラン、プルトニウム、トリウムのような核燃料物質、放射性元素もしくは放射性同位体、中性子を吸収又は核反応を起こして生成された放射化物質を指します。
そして放射能とは、原子核が崩壊して放射線を出す能力のことです。物質は原子でできており、原子は原子核と電子から構成されているが、原子核が状態変化を起こすことを放射性崩壊といい、それに伴って放射線が放出される。全ての原子核が自発的に放射性崩壊を起こすわけではなく、一定の原子核だけが放射性崩壊を起こすが、この放射性崩壊を起こす能力を放射能という。という小難しい説明がありました。
放射性物質は崩壊にともない一定時間に一定の割合で量が減っていきますが、その量が半減する時間、半減期を見ると、プルトニウムが14.3年~24000年、ウランが7億年~45億年と途方もない年月を要します。
福島の原子力発電所事故では、原子炉建屋の爆発によって、放射性物質が飛散しました。そして原子炉内の核燃料物質の臨界(核分裂が持続的に進行)を食い止める為に注水した冷却水にも放射性物質が混入しました。この放射性物質が混入した水が、放射能汚染水です。

この放射能汚染水が、海や川に流れ出した場合、放射性物質の食物連鎖(濃縮)が起こります。
水を1とすると、
水中のプランクトンでは、2000倍
そのプランクトンを食べる魚では、1万5000倍
その魚を食べる水鳥では4万倍
というデータがあります。
そして放射性物質は濃縮されるほど、放射線を発する量が増大します。

放射線被害-
放射線は、細胞やDNAを傷つけます。しかし、細胞やDNAには傷を修復する能力があり、一線を越えない量であれば、健康に問題はありません。
しかし、放射性物質から一線を越えた放射線を浴びる(外部被曝)、もしくは体内に取り込んだ放射性物質の影響を受ける(内部被曝)ことにより、細胞やDNAは正常修復されず癌化します。また特に強い放射線を浴びた場合、細胞が完全に破壊されて死に至ります。これが放射線の恐ろしさです。

この放射線は、幾つかの種類があって、それぞれの透過力は判明しています。そして遮蔽することができます。
アルファ(α)線は、紙一枚で遮蔽できます。
ベータ(β)線は、アルミニウムなどの薄い金属板で遮蔽できます。
ガンマ(γ)線、エックス(X)線は、鉛や厚い鉄の板で遮蔽できます。
そして中性子線は、水で遮蔽できます。
原子力発電所の建屋が、鋼鉄と分厚いコンクリート(コンクリートは多量の水を含んでいる)壁で作られているのは、放射線を完全に遮蔽するためです。

しかし、素なる放射性物質を取り除く技術が実証化されていません。
放射性物質を完全にフィルタリングすることができれば、汚染水問題は解消します。
そして、放射性物質の放射性崩壊を止める、もしくは放射線を発しない安定した物質に化合できれば、放射性物質の脅威は解消され、より安全な原子力発電を手に入れることができます。
これは夢物語でしょうか?もちろん現時点では夢かもしれませんが、世界中の研究機関で夢の実現の為、日夜研究開発が進められていることと想像します。
安倍首相には、フライング気味な発言よりも、7年後の本当の夢の実現の為に、建設的なリーダーシップを発揮して欲しいと願います。

2012年9月3日月曜日

津波てんでんこ


防災の日に見たNHKスペシャル「釜石の“奇跡”~いのちを守る特別授業~」で、『津波てんでんこ』という言葉を知りました。
-津波が来たら、てんでんばらばらに逃げろ
-他のことは放っておいて、一人で生き延びよ
という教えを伝える三陸地方津波防災伝承の一つです。
この伝承から、幾度も甚大なる津波被害受けながらその度町を再興してきた人々の、未来を繋ぐ、大いなる意思を感じます。

当日、防災専門家として話をされた片田敏孝・群馬大学大学院教授の『避難三原則』も、とても貴重な内容でした。
-想定を信じるな
-その状況において最善を尽くせ
-率先避難者になれ

『想定を信じるな』
例えば「10mの津波が来ても大丈夫な堤防がある」とします。でも11mの津波がくれば役に立たず、また地震によって堤防が崩れる可能性だってある。物理的な現象は常に想定を超えるのです。
また、私たちは危険が通報されても、これまでは大丈夫だったから、と記憶や経験を頼りに危険を過小評価しがちです。そして心理的な想定が自らを危険に追い込むことになります。

『その状況において最善を尽くせ』
平時から身を守る術や情報、『避難場所』『避難ルート』『危険箇所』を学び、そして身を守る行動ができるようにするのです。
そして本当に危険が迫った時、一番安全と考えられる行動を取るのです。
命を守る為に、常に最善を尽くせ!この意思は、三つ目の原則にも通じます。

『率先避難者になれ』
最初に行動することはとても勇気がいることです。そして、もし危険が訪れなかったら『狼少年』になってしまう恥ずかしさもあります。
でも本当に危険が迫っていたならば、一秒でも早く逃げなければなりません。
その避難行動は自らの命を救うだけでなく、大勢の命を救う行動となります。

危険が迫ってきたら、頭であれこれ考えるのではなく、とにかく最善を尽くして一人で逃げろ!まさに『津波てんでんこ』が伝える教えと合致します。
ですが、『津波てんでんこ』の教えは、現代の助け合い社会には不向きな教えという意見もあります。
「弱き者を見捨てて、一人だけ助かりたいのか?」
良心の呵責をともなう、とても重い命題です。
ですが、『釜石の“奇跡”』は、切迫した状況下で、家族が、愛する人々が互いに生き延びることを信じて、一人一人が最善の避難行動をとった結果です。

私たち一人一人が平時から、信じる行動、選択をしっかりと定め、『その時』に迷うことなく俊敏に行動できる心持ちを養うこと、それが何よりも大切であることを、『津波てんでんこ』から学んだ様に思います。

※片田敏孝・群馬大学大学院教授「避難3原則」について書かれたドキュメント
首都圏に蔓延する地震不安は“知識”では拭えない
釜石市3000人の子どもを救った「避難3原則」に学べ
――片田敏孝・群馬大学大学院教授インタビュー
http://diamond.jp/articles/-/16516?page=2

※NHKスペシャル「釜石の“奇跡”~いのちを守る特別授業~」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0901/index.html

2011年9月16日金曜日

東日本大震災から半年、日本とアメリカ、二つの悲劇


今年の9月11日が、アメリカ同時多発テロから10年の節目ということで、そのドキュメンタリーを幾つか見ました。
同じく9月11日で、東日本大震災から半年が経過したことになり、『日本とアメリカ、二つの悲劇』を関係付けて報じる特集記事なども読みました。

特に印象に残ったニューズウィーク日本版2011-9-14号CoverStoryの記事要約を以下に記します。
『二つの悲劇で日本とアメリカは何を失ったか』
以下記事要約-----
自由主義を信奉していたアメリカ、しかし9.11がもたらした『恐怖』は、『愛国者法』のもと、政府に生活をのぞき見されようとも『テロ』から『恐怖』からアメリカを守る、という大義がまかりとおる監視社会を招いた。アメリカは『建国の理想』を見失った。
また、『恐怖』をもたらした真の原因を内に問わず、全て外に求めて、姿無き相手との戦争に突き進んでいった。そしてこの10年でアメリカへの怨念は世界中に拡散した。

3.11の未曾有の自然災害は、またこの20年間で疲弊しきった日本を『リセット』し、再興しようという『気運』そして『団結』をもたらした。しかし被災地からまた非・被災地からマスコミが伝える数多くの『美談』によって、半年が経過してもなお復興の目処さえ立たぬ被災地の現実から非・被災地民の関心を失わせた。
また、地震と津波によって破壊された原発が引き起こした放射能拡散という未曾有の環境汚染、そしてこの国難にあってもなお政争に明け暮れる政治に巣くう人害極まりない輩によって、被災地の復興はなおのこと遠いものとなってしまった。
-----
記者は、日本とアメリカともに、向き合うべき問題を見失ったのではないかと括っている。

日本は、たとえこの大震災が起こらなかったとしても、世界中を巻き込む『時代の大変革』という潮流の中で、船長もおらず帆も舵も失った難破状態を正さない限り、うねりに翻弄されついには沈没、とう最悪のシナリオを歩んでいたと思います。

それともう一つ、
『どじょう内閣』と銘打ってこの9月に発足した野田新政権から速くも放言問題で大臣が一人辞任しました。
鉢呂芳雄議員(当時経済産業相)の放言問題、この最大の罪は発言した言葉に責任を持たなかったことです。鉢呂議員の「福島第一原発の周辺は死の町のようだった」という発言は、重責を担う大臣として『憂慮』と『悲しみ』、そして『復興』への断固たる決意へと続いておればなんらおかしい発言ではなかったと思います。
半年前まで人が営み交差する町があった。しかし今その町には人は立ち入ることが叶わず無人と化し、また家畜であった牛は野牛化し、犬は野犬となっている。
この異常な風景を見て『死の町』と表現できない、それが住民の神経を逆なでするから、と言葉にできない社会こそおかしいと思います。

アメリカがこの10年で監視社会へと突き進み、それが新たなる社会不安を引き起こしているのと同様に、アプローチは違いますが、日本は無関心を装うことで問題を先送りにし、いつかそれが生じる閉塞感で押しつぶされるか暴発するかという、深刻な社会問題に直面すると危惧します。

日本はもう一度3.11に立ち戻り、『今ここにある危機』を日本国民の共通認識とし、ニュースに一喜一憂するのではなく、『危機』や『復興』の定点観測に努力し、まず被災地・被災民の生活基盤を復元し、そして日本全体の新たなるビジョンを議論し、あたらなる日本を再興するという道筋を歩まなければならないと思います。

2011年5月24日火曜日

『反原発』ソング脚光という記事に、ずっと違和感を覚えていました。

朝日新聞 平成23年4月27日(水)夕刊の8面に掲載された記事、「『反原発』ソング脚光、インターネット上で話題」という新聞、今も机の上に取っています。

この記事は、「東京電力の福島第一原発事故をめぐり、反原発の姿勢を打ち出す楽曲が話題になっている…レコード会社やラジオ局には『自粛』の動きもあるが、インターネット投稿サイトなどで広がり続けている。」
という前文があって、本文に繋いでいます。

「この国を歩けば、原発が54基/教科書も言っていたよ、安全です/俺たちをだまして、言い訳は『想定外』」
「ずっとウソだったんだぜ/やっぱ、ばれてしまったな/ホント、ウソだったんだぜ/原子力は安全です」
この歌の題名は「ずっとウソだった」。ロック歌手斎藤和義さんのヒット曲「ずっと好きだったのに」をご本人が替え歌で歌われていて、4月上旬からネットの投稿サイトで話題になっているとの事。

また、もう一人、というか伝説のバンド、RCサクセッションの「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」で、ともに1988年のアルバム「COVERS」に収録されていたという。
86年のチェルノブイリ原発事故の影響もあり、反核の姿勢が鮮明だった。リーダーの故忌野清志郎さんは「ラヴ・ミー・テンダー」に「放射能はいらねえ/牛乳は飲みてえ」と日本語歌詞を付けた。
「サマータイム・ブルース」は「人気のない所で泳いだら/原子力発電所がたっていた/さっぱりわかんねえ/狭い日本のサマータイム・ブルース」となった。

20歳の頃、それまで『優しい』フォークに夢中だった私にとって、RCサクセションの『雨上がりの夜空に』『トランジスタラジオ』は衝撃だった。余りにも歌詞がストレートで、それで隠れファンとなっていた。

その後、最近までまったく聴かなかった、というよりも社会人になった頃は、テレビもほとんど観ない生活だった。ただ、新聞で、RCサクセッションのロック曲『君が代』が発売中止になったという記事を読んで、『反骨、ストレートは健在なり』と思ったものだ。

RCサクセッションの先の2曲は、当時の所属レコード会社『東芝EMI』は新聞広告で『素晴らしすぎて発売できません』と表明したとの事だ。タブー(触れてはいけない)があった時代でした。

その後、90年代、2000年代と清志郎さんは、『パパの歌』など、疲労困憊の同世代へのエールの曲を歌っていた。子供達に『父さんは格好いいんだぜぇ、ベイビィ』なんて気持ちで歌われていたのだと思います。

清志郎さんは、反骨の塊であったろうけれど、決して、今、頑張っている人を傷つける様な人ではない、と私は思っています。

今回の未曾有の大震災と津波によって、東日本、三陸で尊い命が奪われ、また原発は破壊され、それは日本の危機管理能力が無いに等しい事、また原発において、想定というものにあぐらをかき、何重ものセーフティ管理を怠っていた事が明らかになりました。

民主党による菅政府も1955年以降で初めて、単独で自由民主党から政権を昨年奪ったばかりで、日本の長きに渡って眠っていた野党が、漸く目覚め、政権を国民の審判で譲渡されたばかり、山積した問題も共に譲渡された中で、内政運営、外交運営ともに、これから新しいシステムを構築し、実践の中で人材を育て、山積した問題を一つ一つ処理する、という矢先の出来事で、その非力さは、一国民として泣きたいほど辛いです。

今回の大震災後の対応だけでも、彼らは、国民に対して『罪』を犯しました。『隠匿』、『説明不足・理解不足』、『鈍重』です。

しかし、日本は政府が支配する国でしょうか。日本は国民主権の民主主義国家です。日本が未曾有の危機に陥ったとき、『黙り』を決め込んだり、『政府』を避難して力を貸そうとしない、野党や在野の権力者、有識者なる者達は、一体何なのでしょうか。
もし、清志郎さんが生きていたら、今、直感で本当の『悪い奴ら』をロック魂で、『ちょけながら(播州弁です)、ふざけながら』糾弾するでしょう。

様々な問題を抱えながらも、今、破壊つくされた町の復興作業に尽力されている人がいるという事を、原発事故の被害がこれ以上拡大しない様、命がけで高濃度の放射能が渦巻く建屋内で修復作業に就かれている人がいるという事を、私たちは一時も忘れてはいけないと思います。

そして私たちは、決して風潮に流されてはいけない、問題に面前にした時には、立ち止まってでも、しっかりと問題を見つめ、考え、学び、そして自分の選択・判断・決意のもとに歩まねばなりません。そうしなければ、いつまでも責任逃れするばかりで、本当に、良い方向に歩む事などできないと思います。

2011年4月29日金曜日

『ほんとうのさいわい』を探しに、手を携えて、前に進もう。内閣総理大臣、及び文部科学大臣からのメッセージ『新学期を迎える皆さんへ』

『Dream』、A3の用紙にコピーされた高砂市立鹿島中学校 第3学年、学年通信。その№2(平成23年4月26日(火))を昨日(4月27日)読んだ。5月の修学旅行(長崎、熊本)の目的、スケジュール等が書かれていた。

妻が裏面も読んで、というので裏返したら、そこに、
中学校、高等学校段階の生徒用『新学期を迎える皆さんへ』と題する菅直人内閣総理大臣、高木義明文部科学大臣連名の署名が記されている文章が掲載されてあった。
この文章は、4月6日に発表されたものと後で分かったが、毎日、ashahi.comのRSSをチェックしていたのにも関わらず、日々掲載される首相動向や枝野官房長官の会見は、ページを開いてまでして内容をチェックしなかった。
新聞も丹念に読む方であるが、この文章に気付かなかった。
もしかしたらマスコミ自体も、中学校、高等学校の生徒向けメッセージという程度の認識で、国民への重要な首相メッセージとして伝えなかったのではないか、そう思えてならない。

3月11日の、大地震、大津波と立て続けに日本列島を襲った自然の猛威により、多くの町が破壊尽され、多くの人命が奪われた。そして私たち日本人は、その後、約一ヶ月間、喪に服した様にすべてにおいて自粛を自らに課した。
しかし、その間も、被災地では日本中の消防士、自衛官、各国の救助隊が生存者救出に活動していた。そして、生存確立のタイムリミットが過ぎてからは、遺体の捜索・収容が主な活動となった。
破壊尽くされた町で、何とか生き延びた被災者も、何もかも奪われ着の身着のままで、避難所生活を強いられている。
多くの就学年齢の子どもたちが扶養者(とうさん、かあさん)を失った。
それでも、時間は止まることなく進み、春が訪れ、進学、進級を迎える。

この『新学期を迎える皆さんへ』は、彼らへの菅直人首相からの応援メッセージである。
と同時に、すべての日本人に対しての、『共に、自然と共生した本来の日本を新たに作り直そう』という表明であると受け取りました。

地震災害から一ヶ月が過ぎ、内閣や東京電力の対応のまずさを糾弾する声が、敵対する野党だけでなく、与党内からも噴出し、管降ろしが声高に叫ばれ始めました。マスコミも同様です。コメンテーターや、専門分野の学者までもが解説と糾弾の波に乗り遅れまいとしているようです。

私は、菅総理、管内閣が不安ならば、手弁当で身を預け、補佐し、支え、日本国民のため、日本の未来へ通じる道を開くために、持てる力を出し尽くして、あなたを国政に導いてくれた民意に答えるために、今こそ、全力で働く時だと思います。

地震発生直後、それでも日本人は、秩序正しく行動したと、世界の人々が驚嘆と共に賞賛して下さいました。多くの国、個人が他国である日本の危機のために奔走しく下さいました。これからは、日本の政を担う者が、全身全霊を掛けて、日本国民のため、世界の友人のために素早く、共に手を携えて行動すべきときです。

私たち国民は、政を担う者達の行動をチェックしています。そして、マスコミや企業、学問の府の動向もチェックしています。

原子力発電所の破壊と放射能漏れや、これからの地震、津波対策など、これまでの様な『想定』という自ら限界を設ける様な対応の繰り返しでは、問題の根源的対応にはならないことを私たちは知りました。大いなる自然の脅威に知らされました。

私たちは自然に対してもっと謙虚に、そして科学や技術の発展も、これまでの産業優先ではなく、人間が幸せになることを第一の目的において、社会システム、産業システム、経済システム、政治システムを再構築しなければいけない、そう思います。

司馬遼太郎さんが、20世紀末に書かれた随筆『21世紀に生きる君たちへ』では、21世紀は、20世紀の負の経験を生かして、人間にとってより良き社会が訪れる、またそういう社会を構築するために、子どもたちに『頼もしさ』『優しさ』『他人の痛みを感じる』人になって下さい、という言葉を贈られています。

それにも関わらず、1990年代からこれまでの約20年間、世界は新たな脅威(見えざる敵、ファントムとの戦い)に終始してしてきました。現実社会では、まだまだ様々な社会思想、宗教、民族の争いが耐えません。また、インターネットが繋ぐ仮想社会はボーダーレス化し、そこでは誰にでもチャンスを与えてくれると同時に、無秩序が犯罪の温床にもなっています。

私たちは、あらゆるものがそうであるように、光りあればその影が存在することをしっかりと理解し、影の部分(ダークサイド)に取り込まれないようにしなければいけません。
この度の原子力発電所の放射能漏れ問題、インターネット社会の問題、そして現実社会の問題然りです。

ただ、この東日本大震災で、司馬さんが『21世紀に生きる君たちへ』の中で、私たちに期待された、『優しさ』『他人の痛みを感じる』が証明されたことに深く感動を覚えました。

今、私たち一人ひとりが出来る事は、それぞれがこれまでに培った最も自信のある事柄で、新しい社会を設計し再構築するとか、学び・スポーツ・芸術の分野で次代を担う若者を育成するとか、教育・保育・社会的弱者のケアに尽くすといった、これまでの企業一遍通りの生き方ではない、それぞれが、それぞれの唯一の道を歩んで行き、それが最終的には、全人類、否、この世界で共に生きるすべての命と共に、より良き未来に、一歩一歩近づけたらいいなぁと思います。


p.s.
4月6日に発表された『新学期を迎える皆さんへ』は、とても平易な文章で書かれた、最近にない名文であると感激しました。
しかし、ある人はこの文章を見て、特に『日本の未来は、皆さんの双肩にかかっています』という箇所のみを引用して責任放棄だ、と批評されています。
また、実際にこれまでの対応を見ると、すべてが後手後手に見え、放射能漏れの問題、汚染された土地を放棄しなければならない問題、また日本有数の農作物の産地を失うことの問題等々二次三次の問題が、連鎖的に起こっています。

私は、この『新学期を迎える皆さんへ』を朗読し、朗読ビデオを作成しました。



音声以外に、
背景画として、東山魁夷さんの1948年作『郷愁 Homebound Road』を使わせて頂きました。
私は平成5年に姫路市立美術館で開催された『東山魁夷展』で、その崇高な絵画を観賞する栄誉に与りました。
展覧会場の入り口に配置された、巨大なキャンパスに描かれた『残照』に圧倒された記憶は今も鮮明に残っています。
そして、『月宵』『郷愁』『道』を観賞し、美しい日本の風景の神々しさをいつでも楽しめた当時(1940年代)の人々の、何気ない感謝の念に触れた思いがしました。

もう一つ、背景曲として、NHK21世紀大河ドラマ『坂の上の雲』のメインテーマ『Stand Alone』(作曲:久石 譲さん)を、現代の世界の歌姫"Sarah Brightman"さんのVocaliseの歌を使わせて頂きました。
この『Stand Alone』の雄大なメロディが大好きである事、そして小山薫堂さんの書かれた歌詞がとても気に入っていた点です。特にクライマックスの歌詞、
『わたしは信じる 新たな時がめぐる
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し』
私たちはもう一度、坂の上の雲を目指すのかもしれません。
しかし、それは、富国強兵、産業革命、欧米化、植民地施策、拡張を名目とした戦争等というものとは180度反対の、
自然を畏れ愛し共生し、皆が安心し、皆がそれぞれに役割を担って働き、共に喜び合える社会を構築するという、『道』です。(『SlowFood』協会が提唱する、生活スタイルの考え方に共鳴した考え方です)
有史以来、そんな道を究めた歴史を持つ国はどこにもないでしょう。日本とて同じです。
しかし、謙って、感謝して、まずは日本人が協調し、隣国と協調し、そして世界中の国々、人々と協調するとという遙かな『道』の先に、きっとあります。私はそう信じたいと思っています。

改めて、朗読ビデオに二つの偉大な作品を使わせて頂きました。どうかお許し願えればと思います。


最後に、下記に、『新学期を迎える皆さんへ』の全文を掲載し、本文を終えます。
有り難うございました。

《平成23年4月6日(水)に発表された『新学期を迎える皆さんへ』全文》

月菅総理の演説・記者会見等
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201104/06message_chukousei.html

(中学校、高等学校段階の生徒用)
新学期を迎える皆さんへ

皆さん、入学、進級おめでとうございます。
皆さんは、この4月、希望に満ちた春を迎えるはずでした。
しかし、この春は、私たちにとって、とてもつらい春になってしまいました。
御存じのように、3月11日、あの未曾有の大地震と津波が日本を襲ったのです。
皆さんの中にも、ご家族を亡くされたり、あるいはいまも避難所から学校に通ったりしている生徒さんがいることでしょう。
避難所の中では、皆さんが率先して、お年寄りや身体の不自由な方を助け、掃除をしたり、食事の準備をしたりしてくれているという話をたくさん聞いています。皆さんがボランティアで活躍しているという知らせも、たくさん届いています。本当にありがとう。

直接被災をした皆さん。皆さんは、十代のもっとも人間が成長する時期に、この大きな試練に立ち向かわなければならなくなりました。
いま抱えているすべての悲しみや不安から、完全に逃れることはできないかもしれません。でもいつか、皆さんが、その悲しみと向き合えるようになる日まで、学業やスポーツ、芸術文化活動やボランティア活動など、何か一つでも夢中になれるものを見付けて、この苦しい時期を乗り越えていってもらえればと願います。
学校は、あらゆる面で、皆さんが、この逆境を乗り越えていくためのサポートをしていきます。

災害にあわなかった地域の生徒の皆さんにも、お願いがあります。
どうか、皆さんの学校にやってくる、避難してきた仲間たちを温かく迎えてあげてください。すぐ近くに、そういった友達がいなくても、遠く離れて不自由な生活をしている同世代の友達を、同じ仲間、友達だと思ってください。そして、被害を受けた仲間の声に耳を澄ましてください。
この大震災を通じて、日本国と日本社会は、大きな変化を余儀なくされます。この大震災からどうやって国を立て直していくのか。自然と共生して生きてきたはずの日本社会が、その本来の姿を取り戻すためには何が必要なのか。
もちろん復興の過程では、「がんばろう」という元気なかけ声が必要です。しかし、それと同時に、新しい社会、新しい人間の絆(きずな)を作っていくために、大きな声にかき消されがちになる、弱き声、小さな物音にも耳を澄ましてほしいのです。

東北が生んだ詩人宮沢賢治は、科学と宗教と芸術の力で、冷害・凶作の多かったこの東北地方の農民を、少しでも幸せにしようと考え、そのことに一生を捧げました。
どうか、他人の意見もきちんと受け止めながら、自分で合理的な判断ができる冷静な知性を身に付けてください。しかしそれだけではなく、他人のために祈り涙する、温かい心も育んでください。そして、芸術やスポーツで人生を楽しむことも忘れないでください。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には、こんな言葉があります。
「僕、もうあんな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」
賢治の言う「ほんとうのさいわい」とは何でしょう。この大きな災害と混乱の中で、皆さんに、このことを考えて欲しいのです。
もしも、それを皆さんが本当に真剣に考えてくれるなら、きっと皆さんは、どこまでもどこまでも、一緒に進んでいけるはずです。そしてその先には、もっともっと素晴らしい新しい日本の国の姿があるはずです。
忘れないでください。一緒に進んでいくのは、決して日本人だけではありません。今回の東日本大震災では、世界中からたくさんの支援が寄せられています。また、この非常時にあっても秩序正しく、理性を失わない日本人の姿に、世界中が驚き賞賛の声を揚げました。私たちは、世界と共にいます。  原子力発電所の事故に対して、危険をかえりみずに立ち向かう消防士や自衛官、電力会社の人たちの姿。各地の被災地で、救命救急活動にあたった警察官や医療関係者、そして何より、本当に命がけで皆さんを守ってくれた学校の先生たちの姿を忘れないでください。そして、みなさんも、もっともっと身体を鍛え、判断力を養い、優しい心を育んで、他人のために働ける人になってください。

日本の未来は、皆さんの双肩にかかっています。
あなたたちのその笑顔、ひたむきな表情が、いま家族や地域の人々を支えようと懸命にがんばっている大人たちに、勇気と希望を与えています。
私たちも、全力で、皆さんの支援に取り組みます。
本当の幸せを求めて、一緒に歩んでいきましょう。

              内閣総理大臣  菅  直人
              文部科学大臣  髙木 義明

2011年4月17日日曜日

『立ち止まるとき~悲しみの向こう側~』私の大好きな、震災被災者への魂の『応援歌』です。

日付が変わり1時を回っていました。最近寝不足だったので、夕食後寝入ってしまっていました。今日の野球の準備をしなければと、風呂に入って着替えてから、パソコンを起動すると、メールに、
『inakamonful さんがあなたの YouTube チャンネルに登録しました。』
というメッセージが入っていました。
早速、
inakamonfulさんのYouTubeページ『THANK YOU ALL OVER THE WORLD』
http://www.youtube.com/user/inakamonful
を訪問しました。

inakamonfulさんが、震災のエールとして作られ、自ら歌われた歌
『立ち止まるとき~悲しみの向こう側~』を聴きました。何度も聴きました。


美しい風景や心象スケッチのスライドをバックに、中島みゆきさん若かりし頃のような、美声でありながらも軽やかで素朴な歌声と、そして愛情に溢れた歌詞、聞き惚れてしまいました。聴き終わって何度も、清流やそよ風の心地よさを感じました。
大好きになりました。

歌詞を、聴き拾いながら書き出してみました。inakamonfulさんには、事後承諾を頂く旨、メッセージを残しました。


『立ち止まるとき~悲しみの向こう側~』
作詞・作曲・歌 inakamonfulさん

人は時々 孤独のワナの中 作り笑いの奧で
でもそれは 時の神 カイロスのついた
ため息のせいかな

ねぇ君、心の中に 隠してる 事かを(気持ちを) 声に出してごらん
悲しみの 向こう側に 微笑んでいる 君がいるはずさ

ウゥ- 寂しさに   背を向けて 走る君を
見てる人がいる きぃっと(きっと)どこかで
君を見ている 人がいるはず


たとえ先にも 側にある苦しみの
心感じたなら
君はもう 優しさで
口元すこし 歪んでいるんだ

ウゥ- 過ぎてゆく
時の意味を  忘れた君を
思う人がいる きぃっと(きっと)どこかで
君を思ってる 人がいるはず

ウゥー 切なさの
涙降る 意味の心は
人を愛する 時をまぁってる(待ってる)
いつか来る日を まあって(待って)いるんだ


 私は、inakamonfulさんの震災復興へのエールだけでなく、被災された方々一人ひとりに向き合って、『悲しみの向こうには、きっと笑顔が、良い事が待っているよ』そして『君は一人じゃないよ、みんなが見守っているよ』という、メッセージにふれ、とても感動しました。

inakamonfulさんさんは在野の素晴らしいアーティストです。
(もしかしたら、有名なアーティストが名を伏せて掲載されているのかもしれませんが)

もう一曲、YouTubeにアップされています。YouTubeページのタイトルともなっている
『THANK YOU ALL OVER THE WORLD』です。

繰り返される『ありがとう』という言葉が、心に響きます。
この震災で、世界中から多くの友人が支援の為に日本に、東北に駆け付けて下さいました。
日本の政府は、まだ震災復興の明日も見えていない暗雲の中で、世界に対してトンチンカンな感謝のメッセージを発信していましたが、
私は、inakamonfulさんの、今はとにかく『ありがとう』『有り難うございます』
そして『これからもどうぞ宜しく』というシンプルなメッセージこそが今、本当に日本が世界の友人に発信すべきメッセージだと思います。

p.s
YouTubeをやっていると、素敵な出会いがあります。昨今ITで注目されているキーワード『SNS(社会的なネットワーク)』。日本では、企業がSNSをもとにして新しいビジネス商品を開発しようと躍起ですが、SNSは、もともとビジネスの『B』とはまったく違った、人と人との繋がりを啓発するためのツールとしてうまれたものです。
その点をはき違えずに、社会基盤を再構築する事にSNSが有効に利用できればと思います。

あっ、それらかこの歌に熱中してしまっていて、今、5時を回っていますが、野球の事なにも出来ていません・・・。まぁ、いいか、昼に不断さんに謝っとこっと・・・。

2011年4月13日水曜日

『雨ニモマケズ』朗読で、世界の主要宗教代表者が、日本のために祈りを捧げて下さいました。

朝日新聞 平成23年4月13日(水)朝刊『11面国際欄』紙面の中央に、『世界から被災地へ』という見出しの日本のための祈りの記事が掲載されていました。

以下引用-----

世界中の主要宗教の代表者が集まり、東日本大震災の被災者のために祈りを捧げる「日本のための祈り」が11日夜、米首都のワシントン大聖堂であった。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のほぼ全文などが読み上げられ、ワシントン近郊在住のソプラノ歌手・嶋田貴美子さんが「さくらさくら」を披露した。
(ワシントン=勝田敏彦)

以上引用-----

宮沢賢治は、岩手県、現花巻市の生まれで、1896年(明治29年)6月15日に起こった『三陸地震津波』の二ヶ月後、1896年(明治29年)8月27日に出生、家は厳格な浄土真宗の門徒でしたが、学生時に法華宗系在家仏教団体『国柱会』に入信。以後、病弱な我をかまわず、農業指導や私学の運営と、岩手を理想郷とする夢『イーハトープ』に全霊を傾けました。その仕事の間に、『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』等の多数の童話や詩集『春と修羅』を創作しました。
そして、1933年(昭和8年)9月21日に急性肺炎で死去、享年37歳でした。
(以上、Wikipediaフリー百科事典から抜粋しました)

『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治の死後、遺稿のメモの中から発見された詩です。
現在の中学生は、国語の授業で暗唱させられますね。
韻が踏まれた詩はリズムがよく読みやすく、詩も一つ一つの言葉が心に響きます。
読み終わると、心が洗われた心持ちになる詩です。

青空文庫から引用-----
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card45630.html

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

以上、青空文庫からの引用-----

宮沢賢治が入信した法華宗系在家仏教団体『国柱会』の、『国柱』は、日蓮の三大請願(我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならん。)の一つ「我、日本の柱とならん」から創設者である僧侶・田中智学によって命名された、との事ですが、まさに『我を捨て、周りのために働かん』という、聖人の如くの清廉な意志が詩の一つ一つの言葉から溢れています。

『国柱』という言葉は、キリスト者の私にとっては、ゴルゴダの丘で十字架の刑に処されたキリストを思い浮かべます。キリストは、人の罪の贖いを父である主に求め、その命で人の罪を贖い下さいました。そして、三日目に復活され、天に昇られ主の御座で私たち人を見守り下さっています。

1989年にソ連が崩壊し冷戦が終わった後も、1990年代のユーゴスラビア紛争、湾岸戦争と、人間は、互いの宗教を盾にし、槍にして争い続けてきました。
多くの未来学者は、ユーゴスラビア紛争の後、『次は、東アジアで暴発が起こる』と予言しました。それは、宗教ではなく、『最後の共産主義国の暴発』、朝鮮半島、そして日本までもが巻き込まれる有事の予言でした。
それが2001年9月11日の、アメリカ国内における同時多発テロで一変し、テロリストのいう人類が生んだ『光と影』の戦いに突入しました。この根底にあるのは、搾取し文明を謳歌する者への、奪われ常に命の危険にさらされる者の怒りです。貧富の格差、人権の軽視です。

3月11日、日本を襲った大地震、大災害は、神の雷でも罰でもなく、私たちが地球という巨大な生命体の表層に住を借りる、全くの小さき者である事を、思い起こさせられた出来事でした。

ただ、経済優先、生産性や効率化が優先され、人自身が軽視されてきた事も、強く思い起こさせられました。

大災害は、戦争同様の酷い状況を被災地に与えましたが、私たちは、恨む敵を作ったわけではなく、多くの支援者、友人を得ました。この関係は、この先、何年、何十年、何百年と繋がり続けなければいけない大切な絆、関係です。
もし、神に一つだけ感謝するならば、日本人は孤独ではなく、多くの世界の友人がいて、支援し、見守ってくれる、その事を知り得たことです。


大災害の地で、その昔、読まれた詩『雨ニモマケズ』、聖書にも匹敵するほどの人類愛に満ちた詩が、世界中の宗教指導者の祈りの中で読まれた事に、深い感銘を受けたと共に、
私たち自身も、『雨ニモマケズ』の、『そういう者に、私はなりたい』と強く思います。

2011年4月12日火曜日

福島原発事故が、ついに最悪の『国際評価尺度でのレベル7』に引き上げられました。

3月11日に起きた『東北地方太平洋沖地震、4/1地震に伴う原子力発電所事故災害を含めて「東日本大震災」と呼称することを閣議で決定』、また以降も治まることなく巨大地震(余震)が群発する中で起きた福島原子力発電所事故が、今日12日、原子力トラブルの国際評価尺度(INES レベル0~7)で、ついに1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同等の、最悪『レベル7』に引き上げられました。

気象庁のホームページで、本震を除くM5.0以上の余震回数(ヒストグラム・回数積算図)(計測期間 2011/03/11 14:46 ~ 2011/04/12 08:00)を見ると

http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/2011_03_11_tohoku/aftershock/

3/11(金)14:46頃に三陸沖を震源とするマグネチュード9.0の巨大地震が発生した以降も、東日本で頻発した余震は3/23を境に、回数が減り、本格的な被災地調査・復興作業の着手、また原発事故の本格的な対応が始まりましたが、M6.0以上の余震は4月に入っても都度発生し、4/7(木)23:32(宮城県沖を震源とする、震源の深さ約40㎞、マグネチュード7.4)、そして4/11(月)17:16(福島県浜通を震源とする、震源の深さ約10㎞、マグネチュード7.1)にはM7.0以上の巨大地震が発生しました。

巨大地震発生の警戒レベルは一度、引き下げられましたが、地震においても最高レベルの警戒がまだまだ必要である事を思い起こさせられ、この様な、長期的な不安が続く中での被災者、また被災地調査・復興に携わる方の肉体的ばかりか、精神的疲労は如何ばかりか、どうすればよいのか、全くわからなくなります。

また、福島原子力発電所事故も、IAEAそしてアメリカの支援も受けて、最悪の事態(私には、どういった事態が最悪なのかわからなくなってしまいましたが・・・)を避ける作業を、現場で対応される方は命がけで行われているのに、それさえも拒む巨大余震は、もはや人知では太刀打ちできない事態まで来たのか、そう思い起こさせられた、今回の『レベル7』への引き上げです。
チェルノブイリ原発事故は、人為的ミスによる原発爆発という事故によって、周辺地域の甚大なる放射能汚染が問題視されました。当時は、気象の状況によりヨーロッパ中に放射能汚染が拡がるという流言が拡がりましたが、そこまでの放射の汚染はありませんでした。
しかし、福島原発事故は、稼働3基、休炉3基、すべてが被害の大小はあるものの、問題を抱えたままで、被災・事故発生から一ヶ月が経過しました。なんとか、炉心溶融がこれ以上進まないよう、冷却のための電力回復は実現しましたが、それ以上の処置が取れないまま、放射能レベルは上がり続け、汚染された水の排出問題、そして建物の破損問題も手が付けられず、これ以上、大規模余震が続くようであれば、作業者を全員避難させなければいけません。
昨日のニュースで、放射能事故対応ロボットの開発を進めているという記事を目にしましたが、・・・戦争や製造工場では、人が必要なくなるほどにロボット化、スマート化がこの20年で進んできたのに、逆に人を守るための先端技術(ロボット化、遠隔化、スマート化)が、全く疎かにされてきたこと、今嘆いてもしょうが無いですが、本当に腹立たしくなります。

地震発生の数週間後に、池上彰さん解説の今回の地震に関する問題の解説番組をテレビで観ていて、万一原発が爆発、炉心が爆発しても、それは原子爆弾の爆発とは全く違ったものある、という解説に少し安堵しました。
稚拙な解釈ですが、原爆は、一気に核分裂反応を起こして巨大な運動エネルギーが一気に放出されるのに対して、炉心は、核分裂反応を抑制・コントロールしているために、急激な核分裂反応を起こすことはなく、そのため、放出される運動エネルギーも心配するほどのものではない、その様な内容であったと思います。
嘘でもいい、そうであって欲しいと思いますし、池上さんには失礼になりますが、何故に一介のジャーナリストの解説でしか安心が得られないのか、池上さんが常々よく仰る『新聞ですら、多様な読者を想定して、分かりやすく伝える努力をしない』という苦言のメッセージを大きな紙に書いて、政府の広報者、ニュースのアナウンサー、新聞の解説者、また専門分野の学者の前に広げて見せて、『専門バカで終わるな!国民をバカにするな!もっと賢くなれ!』と叱責したくなります。

何の手立ても講じられぬまま、最悪の事態を迎え、さらにこの先、どうなるのかさえも分からない現状に対して、少しでも国民が、世界の人々が安心できるメッセージを日本国民の長である菅直人総理大臣自らが、迅速に且つ、リーダーとしての強い意志を持って、分かりやすく説明し、そしてどの様に対処するのか、日本国民や、また世界の人々に依頼する事項があれば、真摯に、また端的に伝えて欲しい、そう願います。

今、日本政府ができることを、今すぐして欲しい、そう願います。

2011年3月23日水曜日

『2011』

気の早い話ですが、『2011』は、将来、どの様な年であったと記録されるでしょうか、また、記憶されるでしょうか。

昨年末から中東諸国で起こった民主化運動。発端はチュニジアです。
中東やアフリカの世界地図を見れば、その国境線の異様さに気づくでしょう。他の大陸では、山河や湖、海という地形が国境線を成しています。しかし、中東やアフリカでは、定規で線を引いたように、緯度・経度で分断されています。植民地時代の名残りです。

第二次大戦以後、植民地は独立し、独立国家の体は成しましたが、実際は傀儡政権、偏狂的な民族主義、原理主義、そして独裁政治が支配し続けていました。日本にいると見えない、理解できない現実です。

しかし、世界中に広がるインターネット、そして『YouTube』(動画サイト)、『Twitter』(個人が発する短メッセージ)という個人が発信し、社会が共有するソーシャルネットワーキングの普及によって、独裁者が利益を独占し、多くの民が人権さえも奪われている現実を白日の下にさらした結果、各国の民衆から自然発火的に民主化運動に火がつきました。

チュニジアでは23年間続いた政府が倒れました。この革命はチュニジアの代表的な花『ジャスミン』から、『ジャスミン革命』と呼ばれるようになりました。

今回の民主化革命は、富を独占し続けたい独裁層と富の分配を求める民衆との戦いです。

チュニジアの民主化革命は、中東、アフリカ各国に広がりました。
エジプトでは、2月に、約30年間国を支配し続けたムバラク政権が倒れました。
また、立憲君主制(王制が政治と距離を置く)を敷く王制国家で民主化運動が広がっているのも特徴でしょう。その一つが、日本でもなじみ深いカタールです。

中東諸国は産油国が多く、絶対君主制(王制が絶対的な権力を掌握する国家)を敷く王制国家も多く、国民も富を享受できることから比較的安定した国家体制を維持し続けています。しかし、その裏では大量の外国出身労働者が国のライフラインを支えているのが実態であり、しかも彼らの権利は非常に弱い。いつまでも国民、ゲスト(外国出身労働者)といった階級構造を見直さなければ、近い将来、大多数のゲスト、つまり弱者による地位向上という気運が高まり、民主化とは少し違った運動、革命が起こる可能性も考えられます。

イランは現在、宗教上の指導者が最高権力者となり、戒律の厳しさが、民主化運動を拒んでいます。ただ、中東の中でも特に長い歴史を持ち、文化や社会も高度な発展を遂げています。この様な高度な社会では、常に高学歴者が進歩的な、或いは多様な考えを社会に生じても不思議ではありません。その都度、封じ込めをしたとしてもいつか押さえが効かなくなります。
イランの様な大国は、内政も外政も、もっともっと開かれるべきだと考えます。それが、より良き指導者の取る選択だと思います。

リビアを事実上50年以上も支配し続けてきた、日本では一般的に『カダフィー大佐』と呼ばれる革命家は、個人の保身のために、狂気的な権力を振りかざして、同じイスラム教信者をも大量虐殺したりと、『砂漠の狂犬』そのままの無法の限りを尽くしてきましたが、今回の民主化運動で、ようやくその終焉迎えることでしょう。
しかし、その最後のあがきも惨い。アフリカの貧しき諸国から大金という餌で傭兵を募り、リビア国民を無差別に殺戮するという暴挙に出ました。アメリカを中心とする国連軍は、湾岸戦争時と同様に、首都トリポリ等を空爆し、短期戦でリビアを制圧しようとしています。

以上が、『2011』年初頭からこれまでに起こった中東諸国での民主化運動の動きです。

ただ、この民主化運動は、インターネット社会に属することの出来る、一定の所得が得られ、インフラもそれなりに整備された国家で行われている事実を忘れていけません。
内戦に明け暮れる地域や貧困国、国民・人民が絶対的な管理下に置かれた国では、国外はもとより国内の真実さえ、知る由もできないでしょうし、運動を起こす勇気も体力もないに違いありません。

また、今回の民主化運動で革命に勝利した国民が、本当に民主的な国家を建設できるかは、民主主義の先進諸国が建国に際して、その国情にあった援助がどこまでできるかにかかっていると考えます。

それが成したならば、20世紀中期の『植民地解体』についで、21世紀初頭の『中東諸国の民主化』が、将来、歴史に刻まれることでしょう。

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この様な大きな世界情勢の変化という渦中をしりめに、
世界中がかつて経験した事のない大震災、大災害が日本を襲いました。マグニチュード9.0、強振、強大津波は数限りない町を人命を一瞬に奪いました。そして、地震のエネルギーは、世界最高水準といわれた日本の原子力発電所を壊滅させ、さらには人智を越える災害がまだ、いつ起こってもおかしくない状況です。

大震災が発生した3月11日から今日で2週間です。
未曾有の災害は、死亡者、行方不明者を含めた数が約3万人。被災者は30万以上。まだまだ全貌は明らかになる筈など無く、救助・救命は今も続いています。
原発の問題は、未だ解決の道半ばですが、原発問題がこれ以上の大惨事を引き起こさない様、懸命に修復作業が続けられています。
ライフラインも徐々に復旧されているようです。

しかし、日本の中枢、大東京を擁する関東地方のエネルギー枯渇問題は、この先、最悪一年間、あらゆる社会生活に影響するといわれています。復旧・復興に約一年、巨額の費用も必要ですが、24時間眠らない経済システムが張り巡らされた地球の中で、沈滞化した日本がさらに停止・停滞によって悪化するのは必然ですが、その様な事態を、傍観するか、別の方法で攻めるか、しっかりと議論し新しい社会システムの構築に向かうか、政治が政治屋ではなく、国民の代表として民意、審判を仰いで、進むべき道を選択して、勇気を持って先導する必要があると思います。

日本が、未曾有の大災害から復興を果たしたならば、それは20世紀において、戦後復興のモデルとして、多くの戦災を受けた国家から希望と星と見なされた日本の再来となります。

ただ、戦後復興は日本だけの力で成し遂げたわけではなく、世界銀行から多額の復興の為の融資を受け、50年代は朝鮮戦争による外需、そして60年以降は日米安保によって経済一本槍で成長できた、ということを忘れてはならないし、もう二度と同じ真似はできません。

戦後の廃墟から、後のソニーをホンダを生み出した、卓越した技術者であり経営者であった盛田昭夫や本田宗一郎のような、仁と術に長けた指導者の育成と発掘、そしてその様な卓越した人物に日本の復興リーダーとして先頭に立って、日本人皆で歩む。
それが、理想であるし、そうでなければ復興は覚束ないと考えます。

自然災害は、予測などつきません。如何に過去の記録に基にして、最高の技術で強固な砦を築いたとしても、それ以上の力が働けば、砂城の如く脆く崩れ去ります。

私たちは、有史以来、高度な文明を築いてきました。
しかし、この度の災害で、私たちは本来、自然とどう向き合うべきか、見直す機会が与えられたと、感謝すべきです。
自然は美しく、四季折々に恵みを与えてくれますが、しかしまた、一瞬にすべてを奪いもします。
また、自然は、人間の犯した罪、公害、環境破壊そして生態系破壊についても、治癒力・再生力があります。その時間の長さが人間が我慢出来るほど短くないだけです。

私たちは、『自然と共生』などというおこがましい考えは捨て、『自然に生かされている』という、畏れ、慈しみ、そして謙虚さで、自然に向き合うことが求められているのだと思います。


21世紀、私たちは『この地球で生かされている』を知り得た時代として、記憶されればと思います。

2011年3月21日月曜日

震災『責任問題』、まだまだそんな時期ではない!

震災後、10日にして早くも責任問題が浮上してきています。
震災による原発事故では、政府と東京電力の発表が都度食い違い、それが日本国民、ならびに世界中に不信感を募らせました。政府に情報を一本化して、隠し立て無く正確に、迅速にアナウンスを行っておれば、被災者や他の国民、市民が流言に惑わされることもなかったでしょう。IAEAやアメリカ、またロシアなどに早々に参画してもらい、事故当初から広く人材を募って対応していたならば、国によって対応が異なるという矛盾も生まれなかったと思います。

残念なのは、菅総理が、つまり日本国の長が、1億2千万の日本人を守るという任務に、身を捧げられる勇気を示されなかったことが、たとえパフォーマンスでも良いから示されなかったことが、残念でなりません。

私は一流大学出でもないし、最初に務めた企業は素晴らしい企業文化がありましたが、その後務めた会社は利益至上主義、もしくは仲良しクラブばかりでした。
そして理解したのは、履歴でも職歴でもなく、現在の本人のやる気、つまり、どれだけ仕事に向き合えるか、組織のために行動できるか、が大切な人物評価の基準であるという事です。一介の企業人としてそうです。

公僕である公務員や、特に政治を国民から委ねられた代議士は、どこを見るか、見ているかを国民が注視しています。また、そんな幼稚な監視を受けなければならない身を恥じて下さい。
一人ひとりが国民の審判を受けての、代議士です。代議士に上下はありません、上下があるというならば、貴方を選んだ国民に上下を強いることに外ありません。
志のある者が、国民に信任を問う。それが民主主義です。そして、審判を得て、与えられた職務に全力で当たって下さい。

今回の震災のように24時間、予断を許されない状況下では、要員の補充が急務です。
日本中から、もしくは世界中から優秀でかつ正義感溢れる人材を参画させて下さい。
これは戦争でも、自然災害でもありません、原発災害という人間の過信が生んだ人災害の対応と、自然災害からの国家の復旧・再生事業という負けられない戦いです。

あらためて言います、今は責任問題を追求する時期ではありません。
首長は、冷静沈着に、且つ正確に、誠意を持って迅速に、政府を動かし、行政を動かし、国民を動かして、国難に勝って下さい。

震災を食い物にする『悪人』の存在

震災を、金儲けの機会として行動する輩がいます。
まずは、巨悪といってしまえば、身も蓋もないのだが、世界のマネーを支配する投資家です。
震災の後、株価は予想通り、全面安となりましたが、予想に反して(というより私が経済に無知なだけですが・・・)、円は急激に円高に振れました。一時は1ドルに対して76円まで円高になりました。円高になった要因として経済評で論じられているところでは、

(1)他の通貨よりも円が安全
いわゆる『円の安全神話』といわれるもので、これまでの日銀の、消極的な政策が円の価値を上げ過ぎもせず、落とし過ぎることもしなかったことから、『円』は今でも比較的安定した通貨として信じられ、海外の投資家らは、一時避難の絶好の通貨と見なしている。

(2)日本社会が、震災復興のために大量の『円』を必要とする。
火事場泥棒である。不幸を当て込んで、先物取引のようにして、海外で『円』を買いあさっている。血も涙もない、仮想社会のマネーゲームである。

20世紀初頭から、資本家、経営者、労働者(労働者はまた、大切な顧客でもある)の三位が一体となって、産業・企業を振興し、やがて資本主義は20世紀の覇者となりました。しかし、80年代以降、労働の流動性という大義名分によって、労働者の権利が著しく侵され、90年代に入り、株式上場企業では経営者が企業経営のコントロール力を失いました。21世紀に入り、遂には最後の砦である資本家がパトロンの役割を下り、資本主義社会は、農作物を食い尽くすイナゴの大群の如くの投資家、投資集団によって、国境なき無法地帯となってしまいました。

もう一つ、現在、先進国だけではなくBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)も同様に大きな社会問題となっている、労働人口の減少、そして人口の約3分の1を占めようとする年金受給者層の増大、いわゆる人口構造の偏重が、年金給付、その巨額な財源が国費を圧迫し、国力を疲弊させてしまっています。健全な投資先を失った優良な投資家までもが、数少ない危険な金脈に殺到している要因になっているのではないかと危惧します。

戦後復興や新都市建設がそうであるように、派手なハードウェアの建設は目を引きますが、利便性、安全性、運用というソフトウェアの構築や、都市のライフサイクルを見越した長期的な維持・再生計画をないがしろにした都市計画も同様です。いつか耐久年度を過ぎると、急速に疲弊します。すべてが同じ轍を踏んでいるのです。

年金だけでなく、民間の生命保険や損害補償も同様でです。加入よりも解約、もしくは保険金支払い額が増大しています(と新聞を読んでいて感じています)。これでは、正常な保険・補償事業は成り立ちません。そうなれば、事業の縮小や撤退、もしくは、やはり危険な金脈に殺到するしか道がないのかもしれません。

国家の再生、産業・企業の再生には、資本論(偉そうな言葉を使ってはいますが、あらためて言います。経済は無知です。マルクスの『資本論』など読んだこともありません。ただ、NEC時代に受けた社内教育と、ドラッカー著『マネジメント』が私の経済論の骨子となっています)の原点に立ち返って、資本家、経営者、労働者の三位の義務と権利の再定義と一体化を取り戻すことだと思います。
また、血、肉で成り立つビジネスを弄ぼうとする投資家へは、何らかの制約を下す、世界的な法規処置が必要であるとも思います。

そうしなければ、今のままでは、ビジネスは幼稚な仮想ゲームにいつまでも翻弄され続けるでしょう。


そして、善悪を判断して自分を律する事の出来ない、義援金を搾取しようとする様な輩です。
一昔前は、ヤクザな生活に身を落とそうとも、人情、任侠、義侠心を失わず、いつか、この命『弱きを助け、強きを挫く』に捧ぐ、ちょっと健さんの映画の見過ぎ、美化しすぎとお叱りを受けそうですが、そういう面は確かにあったと思います。苦行の先は二手に分かれて、仏の道に進むか、ヤクザな道に進むか、選択が求められます。しかし、どちらの道を選択したとしても、弱き者の庇護者であることには変わりなかったと思うのです。
現在横行している、『オレオレ詐欺』『騙り詐欺』は弱者を食い物にします。こららの輩は、巧妙で、ITを駆使し、芝居も出来る。悪知恵が長けています。しかし、彼らの根底にあるのは、『幼稚』と『身勝手』です。
これらの詐欺も、日本人だけで行っているわけではないでしょう。これも、高学歴社会とインターネット社会が生み出した弊害です。しかし、詰まるところ、日本人が守らなければならない行動規範、モラル教育が、社会で、家庭で、学校で、ないがしろにしてきたツケであります。

ですから、対策はハッキリと言えます。十年くらいのスパンは必要ですが、幼年期から十代までの教育において、しっかり、日本人としての行動規範、モラルを育む事に重点を置いた教育を実践する事、それが重要だと思います。

震災の『復興プラン』

3月11日午後2時46分頃、東北から関東の太平洋沿岸を襲った激震、そして津波。その一撃は、マグニチュード9.0という未知の領域のエネルギーが引き起こしたもので有り、その被害は、余りにも甚大でした。
激震から10日目となる、今日3月21日までの公式発表では、死亡者約8500名、行方不明者約13000名。西日本にいては、想像できないほど、恐ろしい数字です。

この様な震災被害に遭遇しながらも、日本人は秩序だって行動し、また国内はもとより、多くの海外諸国、地域、団体が惜しみない支援の手を差し伸べて下さっています。原発事故の収束、ライフライン普及のために、それこそ命がけで取り組まれる方が居られます。
被災された方を安全な土地に疎開する取り組みも、既に始まっています。
でも、これらの対応は、あくまで震災に対する一時対応でしかないことも肝に銘じておかなければならない、と思います。

余震が収束に向かい、被害実態の全貌が明らかになってからこそ、本当の復興です。
多くの『人』『物』『金』を復興事業につぎ込まなければなりません。
またそれ以上に、被災者の恒久的な生活『住』と『職』の保証、そして『心のケア』の取り組みです。
16年前の阪神・淡路大震災では、被災後も被災者を苦しめ、後遺症、孤独は、今も解決されていない問題です。

国家の危機、国難という大規模災害からの復興は、戦後復興と同様に、綿密に迅速に、しかも被災者は言うに及ばず、すべての国民、日本に生活するすべての人々に安全と優しい生活を保障する骨子となるプラン、詳細なプラン、そして行動プランを作成し、プランに従って粛々と進めなければいけない。また、そうであって欲しいと強く願います。

2011年3月18日金曜日

大震災から一週間、私に何ができるか?

東北・太平洋沿岸を襲った大震災から今日で一週間です。
地震による、津波、激震の被害、余波はあまりにも甚大で、こうも世界が一変するものかと唖然としてしまいます。そして、現在も大規模な余震が続き、原発被災事故は予断を許さない状況です。

ただ、非常時においても、暴動や略奪行為もなく、辛抱と助け合う日本人の姿が、世界中のメディアを通じて世界中に発信され、日本人の良き一面が、驚きと共に賞賛されています。また、生命の危険を顧みず、原発被災事故による放射能被害を食い止めようと現場で戦う「50名の顔を隠した無名の作業員たち」を米紙などでは、『最後の砦の勇気ある者』として紹介されています。

3月も半ばというのに、第一級の寒波が被災地を襲い、食料、暖房、灯りの乏しい中で約50万人の人々が堪え忍んでいます。日本中から、世界中から危険を顧みず、救援物資を運び、救助活動の為に現地入りされる方が数多くおられます。
これまでの、日本の医師免許がなければ日本で医療行為ができない、という医師法も特例法により受け入れを可能にして、海外からの善意ある医療チームを受け入れて、もはや日本人だけでは到底対応しきれない医療、看護が必要な最前線で尽力頂いている状況です。

被災地以外の自治体も、『緊急疎開』や『ホームスティ』など、被災者の救済に本格的に動き始めています。『人』『物』『金』意外にも『助け合う』という精神が大きな運動の輪を育み始めています。

私の周りにも動きがあります。ある知人は、消防隊員としてこの30日から一昼夜掛けて、宮城県を目指し、津波被害が甚大であった釜石、三陸町で救援活動に従事するとのことです。
また、別の知人は、『今の私には何も出来ない、出来る事は、しっかり稼いでおくことぐらい』と、取りようによっては不謹慎な言動にも聞こえますが、本人はいたって人情家で、つまり今、働ける者がしっかりと働くことこそ、復興の一助となる、と考えているようです。
私は躁鬱症状が快方に向かっているとはいえ、無職、義援する蓄えもありません。しかし、傷ついた子どもたちや年配者の方たちに、たとえば絵本や本を朗読し、また日本の美しい唱歌等を歌って、心に生きる灯火を繋ぐ一助ができるかもしれない。また話をとことん聴き、心の中の悲しみ、怒り、憤りを受け止める一助ができるかもしれない。そういった事で、役立てるのならば、思いっきり働かせて頂きたい、と一心に願います。

2011年3月15日火曜日

日本の国難に際して、私たちが取り組まなければならないこと

3月11日に東日本を襲った地震は、有史以来最悪の自然災害となり、また、これまで人類が経験したことのない放射能災害を引き起こそうとしています。

未曾有の津波、激震、地盤沈下、それに伴うライフライン、建造物の壊滅、そして多くの人命が失われました。地震発生から4日です。これからも、日一日甚大なる被害実態が明らかになるでしょう。私たちはもはや、悲しみを通り越して、この国がどうなってしまうのかという、漠然たる不安を感じ始めています。

阪神大震災を経験した私は、数週間後、電車が三宮まで復旧し、乗り込んだとき、まだ陽が明け切らない、長田界隈に灯りが一つもない不気味さを感じ、そして三宮に降り立った時、多くのビルの崩壊を目にしました。フラワーロードは波打ち、ところどころでアスファルトが裂けていました。バスに乗り込み、芦屋駅まで43号線を走りましたが、バスは橋脚が折れて横倒しになった阪神高速神戸線の下を暫く走り続けました。道の沿線にあるマンションはどれもバルコニーが崩落していました。東灘から芦屋に掛けては、崩れた木造家屋をただ眺めるだけでした。
あの震災は、それでも都市災害、地方災害という扱いであったと思います。マスコミのキー局はすべて東京にあり、マスコミの報道と被災地域に住む私たちとでは温度差がある、そう感じたものです。

ただ、この度の地震は、東北、関東の多数の都県が被害に見舞われ、震源被災地はもとより、日本の政治、行政、経済、文化等すべてを司るあらゆるシステムの中枢都市東京が麻痺状態に陥っています。

今回の災害は、未曾有の自然災害であるとともに、何年も前から予測されていた災害に対して、具体的な対策(国家レベルでの対策)を講じてこなかった人的災害とも見なせる、と感じています。ただ、現時点では非難をする場合ではなく、国家レベルでこの国難を、どう乗り越えてゆくか、それを考え、実行しなければいけません。

まず、菅首相には、国家非常事態宣言を発令され、被災地ではない西日本にも、被災地への物資、また人的派遣を要請するだけではなく、国家レベルで、日本人全体でこの国難に対応する様々なオプション、たとえば『疎開』、『ホームスティ』等、考えられる短期的、中期的、長期的施策を、救援活動、原発事故対応と並行して進める必要があると考えます。
家族の離散という非情を伴うことになるかもしれないけれども、幼子を抱える女性や、妊婦の女性、保育・教育の必要な子どもたち、年配者、身体に不自由を抱えておられる方、病気の方を速やかに安全な土地に避難し、日本人みんなで被災者に安全な生活を提供し合う、助け合う事も一つの政策ではと考えます。但し、政策を実行するには、首長たる者の強い意志と、誠実さ正直さが必要です。

原発被災による予測不可能な放射能問題については、IAEAに協力要請をされていますが、自衛隊も東京電力も対応できない現在、指揮権をIAEAに渡して、世界の英知を結集して、この問題の解決に全力を注ぐことです。それが強いては、今回の原発被災の影響で各国で再熱している性急な原発廃止論に歯止めを掛け、原子力発電の更なる安全性の実現を目指すと共に、次世代のクリーンエネルギー開発と供給という世界規模の連携を果たす試金石になればと考えます。

中長期ビジョンとしては、道州制への移行を本気で考えなければならない、そう考えます。一都市(東京)が破壊されることで、日本が滅びる事のないよう、たとえばGDPレベルおよび人口レベルの均等化等で、3つ程度(東日本、中部日本、西日本)の道、もしくは州に分けて、首都には政治のファーストキャビネット程度の機能役割に留め、万一首都が破壊された場合は、州が合議制でセカンドキャビネットを組み、国を運営する。
各道、もしくは州には、政治、行政、エネルギー、経済、食料、文化、防衛等すべての内政権限を委譲して、独自に運営させる等、思い切った日本国家の在り方を見直さなければいけないと考えます。

今回の地震は、国家の存亡に関わる事態であるけれども、だからこそ、疲弊した、もしくは有害でしかないシステムを破棄し、二重三重のセーフティを持つ、国家システムを再構築する絶好の機会と捉えるべきと考えます。

それが、被災された方、そして亡くなられた方への哀悼と新生日本の力強い復興の誓いとなり、且つ、将来の日本人へ引き継ぐ『精神』『心』『愛』だと信じます。

2011年3月12日土曜日

寒い朝です・・・

6時過ぎ、学校でソフトボールの練習試合があるというので、娘を姫路まで車で送りました。車外の気温はなんと零度、田も畑も、屋根も霜で真っ白です。3月も半ばというのにこの寒さは如何したことか?昨日も早朝表に出ると、車のフロントガラスや屋根、庭の影の部分などが薄ら雪化粧していました。

平成7年1月17日(火)、阪神大震災に被災した直後は、暖かい布団の中でした。また、家は酷く揺らされましたが、壊れる(実は、後、検査をしてもらったら、柱の組合せが緩んだり外れている箇所が見つかり、補強金具で修繕してもらっています)までには至らず、現在も住み続けています。

昨夜は、特に東京近郊では公共交通機関がすべてストップしてしまったために、多くの帰宅難民が生まれ、自治体が避難所を開放して収容するも、毛布が足らないとか、暖房が足らないとか、停電でしかも氷点下の中で、地震の恐怖もあいまって、長い夜を過ごされたことと思います。

テレビは各局とも、地震発生直後から、CMなしでずっと災害状況、安否状況を放送し続けています。昨日、危惧していた、災害の大きさ、被害の甚大さが次々と明るみになってきいます。
津波で多くの町、集落が壊滅し、美しい三陸海岸から房総半島にかけては、酷く傷つけられました。明け方には、長野や新潟でも震度6の地震が発生。被害のエリアは尚も広がっています。

事態を注視したいと思います。

2011年3月11日金曜日

『東北・太平洋沿岸地震』に、言葉を失いました。

クライストチャーチ大震災、日本を含め、多くの海外援助チームも早い段階から参加して、救出活動に取り組みました。
しかし、特に地震の非情さを物語る、英会話学校が入っていたという6階建てビルの跡形もなく崩壊している様、また町のランドマーク、大聖堂の無残な姿に、救助の困難さ、そして刻々と時間が過ぎて、ついに救助活動を断念しなければならなかった無念さ、被災された方、家族を失われた方、救助活動に尽力された方々の悲痛は如何ばかりかと察していたところ、
今日の午後、もしかしたら近代史において最悪となるかもしれない大震災が、この日本で発生しました。

私は丁度、息子の大学入学手続のため、閉店間際の銀行や郵便局を駆け回っていて、そのニュースを知りませんでした。というより、いつもカーラジオで聴いているKiss-FMで、『三陸沖で大地震発生』というニュースは聴いたものの、最近の群発地震ニュースの一つぐらいとしか取り合わず、聞き流していました。
自宅に戻ると、姉から電話があり、すぐテレビをつけてみてと言われて、テレビを見、事態の深刻さを理解しました。
午後2時46分頃に発生した地震は、最大震度7、マグニチュード8.8(一説には8.9) 、日本列島に沿って約400㎞にわたってのプレート崩壊による、北海道から関東沿岸まで震度6以上を記録する大震災となりました。日中ということもあって、津波の猛威が何度もテレビで繰り返されました。羽田も成田も閉鎖されていました。JRも私鉄も新幹線も、そして高速道路もすべて止まっていました。そして千葉では、ガスコンビナートが黒煙と火炎で夜空を焦がしていました。

阪神大震災は、平成7年1月17日(火)、3連休明けの早朝5時46分に発生しました。
生まれてまだ2ヶ月の長女さくらがミルクをせがみ、妻が寝室の隣の部屋に連れて行ってミルクの準備をしている最中の出来事でした。ドン!という強い押し上げの後、振幅の長い横揺れが数秒間続きました。妻がとっさに、さくらを抱きかかえて、寝室に駆け戻り、私は長男遼太郎を脇の下に寝かせて、揺れるタンスを必死に支えました。突然、ステレオのスピーカーが空中を舞って、先ほどまでさくらが寝ていた場所に落ちました。
時間が長く感じられました。揺れが収まると、タンスは数㎝動いていました。暫くしてラジオをつけると『阪神高速が横倒しになっている』という信じられないニュースが耳に入ってきました。それからの一ヶ月は、悪夢でした。
震災直下で亡くなられた方、震災後様々な身体的、心的苦痛に苛まれて亡くなられた方、約6千5千名。被災者約10万名。これほど酷い災害はもう生きている内は経験することはない、そう思っていましたが、予想は呆気なく裏切られました。

今回の地震は『東北・太平洋沿岸地震』と命名されたようですが、夜を徹して救助活動は続けられ、明日にはさらに甚大な被害状況が白日の下にさらされるでしょう。
何より危惧する事態は、福島の原子力発電所群のダメージです。政府もいち早く、この問題に対しての特別対策チームを発足させました。

しかし、施設のダメージも分からず、また炉心を冷却できなければメルトダウンを引き起こし、スリーマイル島やチェルノブイリ以上に深刻な放射能汚染を引き起こすことも考えられます。ロシアやアメリカが地震直後に直ぐに支援の手を差し伸べた主たる理由はこれだと考えます。東北の豊かな資源や、三陸の豊かな海洋資源、また太平洋の潮の流れを考えれば地球規模の放射能汚染へと拡大する可能性すらあります。

日本は、現在未曾有の不況化にあります。否、新たな転換期を迎えていると言っても過言はないでしょう。この未曾有の大災害を、友好の強弱ではなく、手を差し伸べてくれるすべての国家を迎入れて、協力し合い、日本国民の災害復興とともに、世界規模の災害となりえる事態を、知恵を出し合い、工夫し、助け合って、最小範囲に食い止める。これこそ、戦争では決して成すことができない、共栄のための試みだと考えます。

私たちは、地球という母なるガイアの薄っぺらい地殻の上で、すべての生命と共に共生しています。しかし、その事実は、災害に見舞われなければ、なかなか気づこうとはしません。
私たちの命は、計り知れないほどに重く、そして儚いことを決して忘れてはいけない、そう思います。

今は、地の怒りが静まること、放射能汚染という最悪のシナリオが破棄されること、最小の被害で収束することを、願います。

2011年3月7日月曜日

クリント・イーストウッド監督最新作『hereafter(死後の世界)』映画感想

『hereafter(死後の世界)』、80歳にして尚、未知のテーマに挑む、挑戦者クリント・イーストウッド監督の最新作品を観てきました。

物語は、
パリで、ジャーナリストとして名声を博すものの、東南アジアでのバカンスの最中津波にのみ込まれ臨死体験し、以降『死後の世界』に取り憑かれるる女Marie(Cecile de France)、
サンフランシスコで、人の手に触れることで、その人の周りに居る死者と繋がるという特別な能力に苦悩する男George(Matt daemon)、
ロンドンで、自分の唯一の庇護者であった双子の兄を突然の事故で失い、また薬物中毒の母とも引き離される孤独な少年Marcus(George McLaren)。

女は、ジャーナリストとしての名声を失うも『死後の世界』に真正面から向き合い、ロンドンで最新著書『hereafter』を刊行する、
男は、特別な能力のために好意を抱かれた女性にも去られ、地道に続けてきた仕事も解雇されて、結局、兄にその能力を利用して稼ぐことを求められたことに嫌気がさして、一人ロンドンに旅立つ。
少年は、もう一度兄と話したいという気持ちが抑えきれず、ケースワーカーや里親の心配をよそに、最愛の兄の形見である野球帽を被り、怪しげな霊媒師の集会を尋ね歩く。そして、えせ霊媒師の嘘に落胆し、さらに誰も信用できなくなる。

そんな彼女・彼らが、偶然ロンドンのブックフェアーで出会う、もしかしたら何かに導かれたのかもしれない。

少年は、男の能力によって、兄から『いつも共に居る、だから、もう誰かに助けを求めることは止めて、自分で歩め』と諭される。少年は笑顔が戻り、里親とも病院に収容されている母とも和解する。
少年は男への感謝の気持ちとして、女性が泊まっているホテルをを知らせる。
男は、女性のホテルを訪れ、不在であることで一度は躊躇するものの、伝言を残す。

そして、男と女はカフェで出会う。
男は、これまでの『死後の世界』のビジョンではなく、彼女との『ロマンス』という白昼夢を見る。二人は寄り添い優しく握手を交わす。

end roll


『hereafter(死後の世界)』が現世に影響を与える映画は、これまで度々映画化されてきました。もっとも美しいラブロマンスとして成功したのが『ゴースト~ニューヨークの幻』でしょう。そして、近代野球の黎明と、70年代のアメリカンカルチャーを取り込んだオハイオのファンタジー『Field of Dreams』は、不滅の名作となりました。

スピルバーグ総指揮、イーストウッド監督、そして現在もっとも脂がのった俳優マット・デイモンがチームを組んで制作した、この『hereafter』。実際観賞するまでは、TVのスポットCMで流される津波のシーンが印象的で、これまでのイーストウッド監督作品同様に、驚きや、深い感動を求めて映画館映写室内のソファーに身を沈めました。
津波のシーンは迫力があった。しかし、CGによる津波シーンは『ディープ・インパクト』以来、これでもかという大災害シーンに、食傷ぎみでもあるし、東南アジアの津波といえば2004年に実際に起こった『インド洋スマトラ沖大津波』の映像がCNNで何度も流され、その映像は深く記憶に刻み込まれている。本物の映像を勝ることは不可能である。

この『hereafter』は、つまるところファンタジーでもないし、オカルトでもない。イーストウッド監督お得意の『ヒューマニズム』を描いた物語です。
どこにでもいそうな普通の人々が突然襲われる精神的な不安、社会からの疎外、という現世の問題定義と、そこからの再起を、ゆっくりとした時間を掛けて、大いなるものの視点から見守る、という趣向の物語です。
ですから、近年のイーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『チェンジリング』そして『グラン・トリノ』に身悶えて感動したものとしては、カフェの出会いで、直ぐに『Endroll』が流れ始めたときは、エェ、もう終わり???と戸惑ってしまいました。

クリント・イーストウッドの作品は、初期『ダーティー・ハリー』の派手なアクションから、言葉数は少ないが記憶に残るセリフと印象的なシーン、役者の演技・仕草、手紙などの小物を利用して、観客に自由に行間を想像させる、観客が観賞して初めてそれぞれの映画が完結するという手法を取られ、それがとても効果を高めていると思います。
ニューヨーカーであり、機関銃のような台詞回しを得意とする監督ウッディ・アレンとは対極ですが、どちらも自らの手法を極められていて大変面白いと思います。

『hereafter』は、物語に振幅が少ない分、行間を想像するのが難しい映画です。フランシス・コッポラも2007年『コッポラの胡蝶の夢』という意味深長な作品を撮られていますが、ある意味、商業性を度外視した作品を作ることができる、ハリウッドにおいて、希有で偉大な存在ということでしょうか。

『hereafter』に対して、ある映画評で『晩年の黒沢映画のよう』と、辛辣な批判ともとれる内容が掲載されていました。イーストウッドには80歳であろうと、監督であり、そして希代の俳優で有り続けて欲しいと願います。彼は、『100歳になっても挑戦したい』とコメントしていますが、いつまでも挑戦者であり続けて欲しいし、『グラン・トリノ』の様に老境であっても頑固一徹の親父を演じ続けて欲しいと思います。

2011年2月22日火曜日

ニュージーランド南島のクライストチャーチで大規模地震が発生!

先ほど、時事通信のニュースで、『昼過ぎにニュージーランド南島のクライストチャーチを襲う大規模地震が発生』という見出しが飛び込んできました。

以下、msn産経ニュース速報記事の引用です-----

米地質調査所(USGS)によると、ニュージーランド南島のクライストチャーチ付近で22日午後0時51分(日本時間同午前8時51分)ごろ、マグニチュード(M)6・3の地震があった。ニュージーランドの国営テレビ・ニュージーランド(電子版)によると、同国のキー首相は同日、死者が少なくとも65人に上ったと述べた。現地からのテレビ映像では負傷者も多数出ているもようだが、詳細な人数は不明。

首都ウェリントンの在ニュージーランド日本大使館によると、クライストチャーチとその周辺には約3000人の日本人が住んでいる。

地元メディアによると、2台のバスが崩壊した建物の下敷きになるなどして死傷者が出たという。他にも崩れた建物の下敷きになったり、閉じ込められたりした住民が多数いる可能性が高く、災害対策当局などが救助活動を急いでいる。


[時事通信の写真]

[YouTube 動画]


以上、引用-----

まず、ニュージーランド国民、特にクライストチャーチで被災された方々全てに『大丈夫ですか!』という叫びを届けたい、そして亡くなられた方に、哀悼の意を送ります。
日本人、否、世界市民に、至急の救助の手と義援金募金活動実施を促します。

ニュージーランドは、日本よりも一回り小さな島国ですが、時差も余り無く、また美しい国です。南半球なので、今は丁度、夏の終わりでしょうか。
丁度20年前、2/18から10日間、新婚旅行で訪れました。
最初に訪れた町がクライストチャーチでした。
旅行は二組で回りました。クライストチャーチでは、大学の先生(奥さんが日本人)が観光ガイドを務めて下さいました。クライストチャーチは入り江の側にある比較的こぢんまりとした美しい町です。町の中心にランドマークである大聖堂があります。イギリスの小京都と表現するのが適切かどうかはわかりませんが、歴史ある建造物、訪れたものを優しく招き入れてくれる美しい公園のある町です。町は妻と二人で歩きました。
大聖堂を訪れ、拝観しました。幼なじみの友人が20代半ばに約半年だったか、ニュージーランドへ語学留学し、学校は短期で終えたものの、その後アルバイトをして過ごした町がクライストチャーチでした。彼がよくお世話になったというカフェの親父さんを探して回り、親父さんに会って、友人から預かった手紙と、私が持って行った阪神タイガースの帽子をプレゼントしました。
英語、英会話もろくにできない私の表情と手振り、そして友人の手紙などで私の突然の訪問の意を汲み取って下さり、快く応対して下さったこと、昨日の事のように思い出しました。

あの美しい町、暖かい人情の生きる町、一期一会の町が、もう一つの悲劇の記憶、阪神大震災の風景と重なりました。

どうか悲劇がこれ以上拡大しない事、祈ります。

主よ、貴方を信奉する町を、人々を救い下さい。