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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月7日月曜日

クリント・イーストウッド監督最新作『hereafter(死後の世界)』映画感想

『hereafter(死後の世界)』、80歳にして尚、未知のテーマに挑む、挑戦者クリント・イーストウッド監督の最新作品を観てきました。

物語は、
パリで、ジャーナリストとして名声を博すものの、東南アジアでのバカンスの最中津波にのみ込まれ臨死体験し、以降『死後の世界』に取り憑かれるる女Marie(Cecile de France)、
サンフランシスコで、人の手に触れることで、その人の周りに居る死者と繋がるという特別な能力に苦悩する男George(Matt daemon)、
ロンドンで、自分の唯一の庇護者であった双子の兄を突然の事故で失い、また薬物中毒の母とも引き離される孤独な少年Marcus(George McLaren)。

女は、ジャーナリストとしての名声を失うも『死後の世界』に真正面から向き合い、ロンドンで最新著書『hereafter』を刊行する、
男は、特別な能力のために好意を抱かれた女性にも去られ、地道に続けてきた仕事も解雇されて、結局、兄にその能力を利用して稼ぐことを求められたことに嫌気がさして、一人ロンドンに旅立つ。
少年は、もう一度兄と話したいという気持ちが抑えきれず、ケースワーカーや里親の心配をよそに、最愛の兄の形見である野球帽を被り、怪しげな霊媒師の集会を尋ね歩く。そして、えせ霊媒師の嘘に落胆し、さらに誰も信用できなくなる。

そんな彼女・彼らが、偶然ロンドンのブックフェアーで出会う、もしかしたら何かに導かれたのかもしれない。

少年は、男の能力によって、兄から『いつも共に居る、だから、もう誰かに助けを求めることは止めて、自分で歩め』と諭される。少年は笑顔が戻り、里親とも病院に収容されている母とも和解する。
少年は男への感謝の気持ちとして、女性が泊まっているホテルをを知らせる。
男は、女性のホテルを訪れ、不在であることで一度は躊躇するものの、伝言を残す。

そして、男と女はカフェで出会う。
男は、これまでの『死後の世界』のビジョンではなく、彼女との『ロマンス』という白昼夢を見る。二人は寄り添い優しく握手を交わす。

end roll


『hereafter(死後の世界)』が現世に影響を与える映画は、これまで度々映画化されてきました。もっとも美しいラブロマンスとして成功したのが『ゴースト~ニューヨークの幻』でしょう。そして、近代野球の黎明と、70年代のアメリカンカルチャーを取り込んだオハイオのファンタジー『Field of Dreams』は、不滅の名作となりました。

スピルバーグ総指揮、イーストウッド監督、そして現在もっとも脂がのった俳優マット・デイモンがチームを組んで制作した、この『hereafter』。実際観賞するまでは、TVのスポットCMで流される津波のシーンが印象的で、これまでのイーストウッド監督作品同様に、驚きや、深い感動を求めて映画館映写室内のソファーに身を沈めました。
津波のシーンは迫力があった。しかし、CGによる津波シーンは『ディープ・インパクト』以来、これでもかという大災害シーンに、食傷ぎみでもあるし、東南アジアの津波といえば2004年に実際に起こった『インド洋スマトラ沖大津波』の映像がCNNで何度も流され、その映像は深く記憶に刻み込まれている。本物の映像を勝ることは不可能である。

この『hereafter』は、つまるところファンタジーでもないし、オカルトでもない。イーストウッド監督お得意の『ヒューマニズム』を描いた物語です。
どこにでもいそうな普通の人々が突然襲われる精神的な不安、社会からの疎外、という現世の問題定義と、そこからの再起を、ゆっくりとした時間を掛けて、大いなるものの視点から見守る、という趣向の物語です。
ですから、近年のイーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『チェンジリング』そして『グラン・トリノ』に身悶えて感動したものとしては、カフェの出会いで、直ぐに『Endroll』が流れ始めたときは、エェ、もう終わり???と戸惑ってしまいました。

クリント・イーストウッドの作品は、初期『ダーティー・ハリー』の派手なアクションから、言葉数は少ないが記憶に残るセリフと印象的なシーン、役者の演技・仕草、手紙などの小物を利用して、観客に自由に行間を想像させる、観客が観賞して初めてそれぞれの映画が完結するという手法を取られ、それがとても効果を高めていると思います。
ニューヨーカーであり、機関銃のような台詞回しを得意とする監督ウッディ・アレンとは対極ですが、どちらも自らの手法を極められていて大変面白いと思います。

『hereafter』は、物語に振幅が少ない分、行間を想像するのが難しい映画です。フランシス・コッポラも2007年『コッポラの胡蝶の夢』という意味深長な作品を撮られていますが、ある意味、商業性を度外視した作品を作ることができる、ハリウッドにおいて、希有で偉大な存在ということでしょうか。

『hereafter』に対して、ある映画評で『晩年の黒沢映画のよう』と、辛辣な批判ともとれる内容が掲載されていました。イーストウッドには80歳であろうと、監督であり、そして希代の俳優で有り続けて欲しいと願います。彼は、『100歳になっても挑戦したい』とコメントしていますが、いつまでも挑戦者であり続けて欲しいし、『グラン・トリノ』の様に老境であっても頑固一徹の親父を演じ続けて欲しいと思います。

1 件のコメント:

  1. 3/15 東北太平洋沿岸大震災の被害に伴い、当映画『hereafter』は上映中止となりました。

    映画の冒頭で、スマトラ沖大地震で発生した東南アジア、南アジアのリゾートアイランドを襲った『津波』を連想させるシーンが影響していると思われます。また、中国映画『四川大震災』を扱った映画も上映中止となりました。

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