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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2015年6月26日金曜日

本当の恐怖の話

浦沢尚樹さんの極上スリラー「Monster」に関連する内容で、もう一件投稿します。

先日、「最強文化系コロシアム 天下一文道会」という番組で、メンタリストDaiGoさんと堀江貴文さんのババ抜き対決を見ましたが、その結末には驚愕しました。

5枚の数字カードと1枚のジョーカーカードを並べて、引き手がジョーカーを引けば攻守交代、そしてジョーカーを最後まで手元に残した方が負けという3セット勝負、
第1セットはメンタリストDaiGoさんの引き手で始まりました。
DaiGoさんは、堀江さんがカードを並べた心理を語りながら、立て続けに5枚の数字カードを引いて第1セットを奪います。
そして、堀江さんの引き手で始まった第2セットは、開始早々堀江さんがジョーカーを引き攻守交代、その後は第1セット同様にDaiGoさんが5枚の数字カードを引いてゲームセットとなりました。
驚愕のもとは、DaiGoさんがカードを並べるときにカードを引く堀江さんの心理を語り、ジョーカーをある場所に置いたことです。そして堀江さんはDaiGoさんに魅入られたように、ジョーカーを引きました。ゲスト一同、たぶんテレビの視聴者も全員唖然とした事でしょう。でもただ一人、堀江さんだけは別の感情に心が支配されていたことと思います。
「本当の恐怖」を味わっていたことと思います。

DaiGoさんは、まるでサトリの様でした。
サトリとは、人の心の中を見透かして、人の心を恐怖で支配し、最後は食い殺してしまうと云う伝承の怪物です。
DaiGoさんは、本物のサトリではないでしょうから、日々人間の心理と行動について研究を重ね、またターゲットの周到なリサーチと心理の誘導というテクニックを駆使して、堀江貴文という人物にサトリのマジックを仕掛けたものと思います。
でもDaiGoさんは、堀江さんが選ぶカードだけを見透かしただけでした。これがもし、堀江さんの心の中のすべて、決して表に出せない記憶、情報、感情、心の機微まで、晒されていたとしたら、堀江さんは生きた心地がしなかった事でしょうね。これこそ「本当の恐怖」だと思います。

そして、思い出したのが浦沢尚樹さんの極上のスリラー漫画「Monster」です。
金髪の美男子ヨハンは、人の心の中にある記憶や葛藤を見透かしては、心の奥深くまで進入し、人の逃げ場所を完全に奪って、最後には心まで完全に支配して操り人形に仕立てます。そして用済みになれば、その人が存在した証まで全て抹消し地上から消し去ります。ヨハンの悪行の手口は
①天使の様にして人々に近づき、記憶を奪い殺害する
②ターゲットを知る人々を①の手口で殺害し、ターゲットを孤独に陥れる
③周辺の人々から奪った記憶で、ターゲットに取り憑く
④ターゲットの心の中を見透かして、完全に支配する
⑤ターゲットを本当の恐怖に陥れて殺害する
であろうと思われますが、ヨハンは一切の痕跡を残さぬ為に本当のことは分かりません。
でも唯一一人、ヨハンの本当の姿を語った者がいました。
それは、ヨハンが完全なる自殺のために選んだユーヘンハイムに住むアルコール中毒の男です。男はヨハンの中に黙示録で語られる獣の姿を見ました。

そして、浦沢尚樹さんが描いた「本当の恐怖」を地で行く事件も、本当にありました。
オウム事件がそうですし、最近では尼崎連続変死事件です。この事件では首謀者と見られる女が留置場の中で自殺し、事件の真相は永久に分からなくなりました。この女の写真を見たとき背筋がぞっとしたのを覚えています。「完全なる悪」を見た思いがしました。

p.s.
何故に浦沢尚樹さんの「Monster」がこうも気になり出したかと云いますと、映画サイトで「Monster」のハリウッドでの映画化、もしくはテレビドラマ化というニュース記事を読んだ事からです。東欧が舞台の、とてつもない悪意が蠢く物語、絶対に日本では映画化できないと思っていた物語が、実写化される、かもしれないという期待が膨らみ、頭から離れなくなったのです。「Monster」のすべての物語を辿るためには最低三部作は必要です。もしも実現したら、数年間は「Monster」漬けになりそうです。

まれちゃんの中の怪物

石川県の方言がとても懐かしく、朝ドラ「まれ」を見ています。
今週のまれちゃん、二人の男友達への想いと気遣いが過ぎて、二人の女友達からあらぬ軽蔑を受けてしまいましたね。すっかり自己嫌悪に陥ったまれちゃんに掛ける言葉なんてなかなか見つからないだろうなと思っていますと、丁度横浜に出てきていた文さんが、含蓄のある言葉でまれちゃんを慰めてくれました。

「他人には言う必要は無いが、
人間誰しも、ここに(心の中に)汚いもんがあること、
自分だけは決して忘れてはいかん」

真面目で気遣いもできて何事にも一生懸命なまれちゃんであっても、その心の中に身勝手なもう一人のまれちゃんがいる。でもそれは誰しもが同じで、自分の心の中の汚いものをしっかりと見つめることができれば、好きな自分を見失うことはないよと、そう文さんはまれちゃんに伝えたかったんだろうなと思います。

この文さんの言葉を聞いて、ずいぶん昔に読んだ漫画を思い出しました。
浦沢尚樹さんの極上のスリラー「Monster」です。
”僕の中の怪物が大きくなっていく”
そして怪物は、僕を喰らい、回りにいる人間を喰らい、最後には世界を喰らい尽くして自殺を図ろうとする。
僕は、僕の中に怪物が潜んでいることを知っていた。
でもその怪物に注目するものがいた。
彼らは、僕の中の怪物を欲し、崇め、利用しようとした。
誰も、僕の中の怪物を許してはくれなかった。
天使の様な妹さえ許してはくれなかった。
そして、僕の中の怪物は手が付けられなくなった。
そんな物語であったと思います。

今の世の中、些細なことにでも怪物が現れて取り返しが付かない事件を引き起こします。恐ろしい時代となりましたが、
でも、怪物を暴れさせない方法はあります。
自分自身が、その存在に気付いて、怪物も自分であると受け入れ許して上げること。
また、誰かにその存在を認めて貰い、許してもらうこと。
でもそのためには、
軽薄で乾いた人間関係ではなく、
まれちゃんが育った能登の町にあった様な、
濃密で潤いのある人間関係が必要です。
私たちはまず、濃密で潤いのある人間関係を取り戻さなければいけないのだと思います。

まれちゃんには、それを証明するためにも、幸せになってほしいと願います。